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4 唐突な告白

 目眩と吐き気がする。


 エリクの家のソファーに深く身を沈めたアリーセは、ひたいに手をあて、唇を強く噛んだ。自分よりも実力が下の、それも初歩的な術にはまってしまうとは。

 ひたいから手を離し、手のひらを見つめる。

 まさか術が使えなくなるなんて。


「無理矢理、眠りの術をかけられたから、しばらく気分がすぐれないかもしれない」


 視線を落とし、アリーセは表情を翳らせる。

 嫌なところを、見られたくない場面を見られてしまった。

 ふいにエリクの手が頬に伸び、アリーセはびくりと肩を跳ねた。


「頬に傷が、じっとして」


 あの男ともみ合ったときに傷がついたのか。


『生命の源よ乙女の白き肌を癒したまえ』


 優しい声。


 歌うように流れるエリクの詠唱にアリーセは静かに目を閉じた。


 この声をずっと聞いていたい。

 この優しい手に触れていたい。

 触れられたい。


 頬に添えられたエリクの手に、アリーセは手を重ねた。


「あたし、エリクのことが好き」


 唐突すぎる告白だと思った。

 おそるおそる目を開けると、そこにはいつもと変わらない穏やかな笑み。

 エリクのもう片方の手がアリーセの頭をふわりとなでる。


「僕も、アリーセのことが好きだよ」


 エリクの言う好きはアリーセの好きとは違う好き。

 つまり、アリーセの告白など、本気にしていないということ。

 エリクとは十二歳の年の差がある。

 そう思われても仕方がないことだ。

 離れかけたエリクの手をアリーセは強く握り返す。


 どうすればこの気持ちが伝わるの。


「違う! 男の人としてエリクのことが好きなの」


「ありがとう、嬉しいよ。でも、君のように年若い子と僕とではつり合わないだろう?」


 握りしめるアリーセの手を、エリクはそっと解いた。

 予想通りの反応に、アリーセは顔をゆがめる。

 やんわりと拒絶されたのだ。


「年齢なんて関係ない! あたしは本気でエリクのことが好き。側にいたいの!」


 アリーセはエリクの胸にすがりついた。


「本気よ。だからお願い、あたしを……」


 アリーセはゆっくりと顔を上げた。


「……いて」


 婚約者がいることは知っている。

 それでも、自分の気持ちを伝えたかった。

 この心が本物であることを身体で感じたかった。

 いや、本心から好きな人に愛されたいと思った。

 なのに、エリクは無情にもしがみつくアリーセの細い身体を引きはがした。


「大人をからかうものではない」


「違う……あたしは本気で」


「いい加減にしなさい」


 厳しい声にたしなめられ、アリーセの目から涙がこぼれ落ちる。

 何を言っても相手にはしてもらえないのだ。

 アリーセは立ち上がり瞳を揺らしてエリクを見据える。

 そして、身をひるがえし外に飛び出した。



 ◆



 沈んだ顔でアリーセは街中を歩いていた。

 衝動にかられてあんなことを言ってしまったが本気だった。

 だが、性急すぎたかもしれない。

 きっと軽蔑されただろう。

 夕暮れの街をどこへ行くともなくさまよい歩くアリーセの目に、ふと二人の男女の姿が映った。


「あれは……」


 ギゼラがエリクではない他の男と腕を組み、親しげに歩いていたのだ。

 二人の後ろ姿を見据え、アリーセは唇を引き結んだ。

 手を強く握りしめ、意を決したように小走りでギゼラに近寄っていく。


「何してるの?」


 突然呼び止められギゼラは驚いた顔で振り返るが、相手がアリーセだと知り、薄い笑いを唇に刻む。

 こんなところを見られても動じる素振りも見せない。

 一緒にいた男が訝しげにちらりとアリーセに視線を向け、誰? とギゼラに問いかける。


「〝灯〟の魔道士よ」


 ああ、と男は興味なさそうに呟いた。

 どうやら男は魔道とは無関係の者らしい。


「あなた、どうしてそんな男といるのよ!」


「何を突然」


「エリクは? エリクのこと好きなんでしょう? 婚約者よね」


 ギゼラは可笑しそうに肩を揺らして笑った。

 その顔はこれだから子どもは、と言っているようだった。

 一方、ギゼラに婚約者がいると聞いても相手の男は驚く様子もない。


「ええ、エリクのことは好きよ。彼はいずれ〝灯〟の長となる人。私の結婚相手として申し分ないもの」


「……そんな理由でエリクと結婚しようと?」


「好きだの何だのと騒いでいる子どものあなたにはわからないわよ。行きましょう」


「いいのかい?」


 男はちらりとアリーセを見る。


「かまわないわ」


「待ちなさいよ!」


「ほんの少しエリクに優しくしてもらったくらいで舞い上がっちゃって、ほんと、子どもね」


 ギゼラはくすりと笑い、再び男の手を取り歩き出した。

 最近、何をしても手につかない状態が続きエリクは深いため息をこぼす。

 これで何度目だろうか。


 今日も家に戻って仕事を片づけるつもりで本を開いたのだが、内容がちっとも頭に入らず何度も同じ頁の、同じ行を目で追っているという状態であった。

 暗くなり始めた窓の外に視線をあてた。

 アリーセはどうしているだろうか。


 そこでエリクは苦笑いを浮かべた。

 気づけばあの少女のことを考えている自分がいた。

 それだけではない。

 〝灯〟の裏庭を通るたび、自然と彼女の姿を探していた。

 緩く首を振り課題はあきらめて本を閉じる。

 告白されたのも驚いたが、激しい感情をぶつけられ、熱を帯びた目で抱いてと言われた時は正直動揺した。

 一瞬、心が揺れ動いたのも事実。だが、彼女と自分とではあまりにも年が離れすぎている。


 男性とのつきあいに奔放なアリーセの噂は聞いたことはある。

 そのことについてどうこういうつもりもない。

 ただ彼女にとって年上の自分は珍しいだけ。

 若い彼女にはいずれ相応しい年齢の男が現れるに決まっている。

 なのに今でもアリーセの泣き顔が忘れられない。

 いや、これで良かったのだと、自分に言い聞かせたその時、扉を叩く音を耳にした。

 扉を開けると、そこにギゼラが立っていた。

 どういう風の吹き回しか、彼女が家を訪ねてくるなど今までなかったというのに。


「エリク、食事にでもいかない?」


 エリクはそっとギゼラから視線を逸らした。


「いや、今日は片付けなければならない仕事があるから」


 半分は本当だが半分は嘘だ。

 つまり、そんな気分にはなれないというのが本音であった。

 机の上に広げられた本の山を見ればエリクが忙しいことは容易に想像がつくはず。けれど、ギゼラはそれら本の山をちらりと一瞥しただけであった。


「大事な話があるの。いいでしょう?」


 夜の街を歩く二人は互いに無言であった。

 空を見上げれば、霞む雲の向こうに丸い月がおぼろげに浮かんでいる。

 そういえば、いつの間にか桜の花も満開となっていたのかとエリクは考える。

 ふいにギゼラが立ち止まった。


「ねえ、私たちそろそろ一緒にならない?」


 突然のギゼラの申し出にエリクは答えに窮する。

 以前から、そんな雰囲気を匂わせてはいたが、本気には受け止めていなかったし、そもそも、ギゼラが自分に本気でないことは知っていた。


「私たちきっとうまくやっていけると思うの。それに、お父様は仕事柄顔も広いわ。いずれあなたが〝灯〟の長となったときに損はないはずよ」


 エリクの首に両腕を絡ませ、ギゼラは顔を近づけた。


「ね? 悪い話ではないでしょう?」


「僕は……」


 エリクの言葉が途中で途切れる。

 真っ先に脳裏に浮かんだのはアリーセの姿。

 すると視線を上げたその先に、アリーセが泣きそうな顔で立っている姿が目に飛び込み、エリクは息を飲んだ。

 しばし、こちらを見つめていたアリーセは泣きそうな表情を浮かべ、身をひるがえした。


「アリーセ!」


 駆け出そうとしたエリクの腕をギゼラはつかんで引き止める。


「まさかあなたほどの人が、あんな小娘に本気になるなんて言わないわよね」


 すまない、と小声で呟き、ギゼラの手をそっと解く。


 それが答えだった。


「待って、アリーセ!」


 背後から駆け寄るエリクに腕をつかまれ、振り向かされる。

 こらえようとしてもこらえきれずにこぼれ落ちる涙が頬を濡らす。


「離して! エリクなんか嫌い!」


 エリクの手を振り払おうとして、反対に相手の胸に抱きすくめられる。


「あたしのこと好きでもないのに、どうしてこんなことするの? 放っておいて!」


 エリクの腕から逃れようとアリーセはさらにもがき、それがかなわないと知ると、今度は握ったこぶしでエリクの背を叩いた。


「あの女性ひと、婚約者なんでしょう!」

「彼女がそう言ったのか? だとしたら誤解だ。僕は一度だってそんな約束を交わした覚えはない」


「嘘よ、嘘つき! いつだってそうよ、男の人はそうやって都合のいいことを言うの! それに、さっきキスしていたじゃない」


「していない。そもそも、彼女とはそういう関係になったこともない」


「嘘よ……」


 痛いほどに強く抱きしめられ、息苦しさに喘いでアリーセは顔を上げる。

 仰ぎ見るとエリクの真剣な目とぶつかった。


「ずっと、アリーセのことが頭から離れられなかった。いつも君のことばかりを考えていた」


 思いもよらないエリクの告白に、アリーセは信じられないと瞳を揺らした。


「アリーセのことが好きだ」


 いや、と呟いてエリクはアリーセの頬に手を添えた。


「愛している」


 アリーセは信じられないという目で、エリクを見上げた。


「年が離れすぎてるって言ったわ」


 ふっとエリクは微笑み、細い指先で涙に濡れたアリーセの白い頬をなぞる。


「今は君を一人の女性として愛している」


 低く囁くエリクの声が耳元に落ちる。

 頬にあてられた手がするりとあごにかけられ上向かせられた。

 間近にエリクの顔が迫りアリーセは頬を染め視線をそらす。

 こうなることを望んでいたのに。恥ずかしくてエリクの顔をまともに見ることができなかった。


「アリーセ」


 囁く声はまるで呪文のよう。頬を濡らす涙のあとをエリクの唇が触れる。

 やがて重ねられた唇に、アリーセは胸の奥を震わせる。いたわるように包み込んでくれる温かい手。優しい口づけ。

 身体がふわりと浮く感覚に目眩を覚えた。


 こんなキス……あたし知らない。

 こんな満たされた気持ちは初めて。


 唇が離れアリーセは小さくため息をついた。


「何度でも信じてくれるまで、愛していると言うよ」


「そんなに何回も言うものじゃないのよ」


「僕の気持ちを伝えるためなら、惜しみはしない」


 さわりと吹く風に桜の枝が揺れ、桜の花びらが風で舞い散る。

 エリクの手がすっとアリーセの髪に触れ、一片の花びらをとる。

 見上げたエリクの背後には満開の桜と、雲が晴れた夜空に皓々と輝く月。


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