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2 エリクとの出会い

「こんなところでお昼寝なんていい気なものね。それともそうやって気を引いて、誰かに誘われるのを待ってるのかしら?」


 アリーセはすぐに頭上の桜を見上げ、花が咲いていないことを確認してほっとする。


 今のは夢? 


 ふと、軽く握っていた手を開くと、手のひらに一片の桜の花びら。


 違う! 夢じゃない……。


「ちょっと聞いてるの?」


 苛立ったその声に、アリーセはようやく視線を上げた。

 そこには自分と同じ年頃の少女たちが数人、険しい形相で立っていた。

 何やら穏やかとはいえない状況に、アリーセは眉根を寄せ立ち上がる。


「何?」


「あんたがミリアの彼を奪った女ね?」


 さわりと風が吹き抜けた。

 なびく髪を押さえつけるアリーセの手首には、先ほどの少年と同じ銀の腕輪がはめられている。

 そして、目の前にいる少女たちにも。


 世界に平和と希望の灯を。

 魔道士はこの世界では貴重な存在であり、それゆえ、どの国にも必ず〝灯〟という魔道士組合が存在し、魔道士はその能力を国のために、国は魔道の研究費を援助するという仕組みになっている。

 上級魔道士になれば国の上級官吏として華々しい将来は約束されたも同然。

 〝灯〟のおさともなれば国王の側に仕え、補佐する役目も担うことも。

 そう、ここはれっきとした大人の社会。

 学校ではないのだ。


「ロイはミリアの彼だったのよ!」


 アリーセは肩をすくめ、少女たちを見やる。

 おそらく両手を顔にあて泣いているのが、ミリアとかいう人物なのであろう。

 背の小さい貫禄のある……といえば角が立つからぽっちゃりとした体型のとでも言っておこう。

 それまで仲間に肩を抱かれ泣いていたミリアが膨よかな身体を揺らし、険しい形相でずんとアリーセにつめ寄ってきた。


「人の男に手を出して、あんたって噂通り男にだらしがないのね。何よ、ちょっと美人……だからって……」


 そこまで言ってミリアは口ごもる。

 アリーセは美人なだけではない。

 魔術の腕も誰もが認める実力の持ち主だ。


「だったら自分の男に、鎖でもつないでおきなさいよ。それに何?」


 アリーセはミリアの脇腹をむずりとつかみ、ふっと鼻で嗤った。


「気持ちと同じくらいここも弛んでるわね。だから男とられるんじゃない? 少しは痩せたら?」


「この女、信じられない!」


「あんたって性格も最悪ね!」


 後方にいた少女たちが口々に騒ぎ出す。


 しかし、ミリア本人はアリーセのきつい一言がそうとう堪えたらしく、何も言い返せず唇を震わせていた。


 言い過ぎたかな……それに本当のことをいえば、奪ったのではなく、そのロイという男の方から誘ってきたのだ。

 彼女がいるとは思わなかったし、それにロイは彼女などいないと言っていた。


 不意にアリーセは魔力の気配を感じて視線を巡らせた。一人の少女が小声で呪文を唱えているのを目にする。だが、そのことに気づいたときにはすでに遅く。


『風よ!』


 その少女はあろうことか、アリーセに向かって鋭い風の刃を解き放った。

 少女の攻撃がアリーセの頬をかすめた。

 頬にうっすらと血がにじみ、髪の一房が風に舞う。

 誰もが緊迫した空気に息を飲む。

 術で人を傷つけることは〝灯〟では堅く禁じられている。

 禁を破った場合、厳しい処罰が下されるのだ。

 けれど……。


 アリーセは目を細め、右手を眼前にかざした。

目の前の少女たちは顔をひきつらせ後ずさる。

 アリーセはかまわず、かざした手を空を切るように振り払った。

 突風が少女たちを襲う。

 ひるがえるスカートを押さえつけ、少女たちは悲鳴を上げた。

 放った術に殺傷能力はない。けれど、相手を怯ませるにはじゅうぶんな威力だった。


「どうする? まだやる?」


 一歩つめ寄るアリーセから逃れるように、少女たちは青ざめた顔で足を引く。

 そして、互いに顔を見合わせ、いっせいに逃げ去ってしまった。

 一人残されたミリアは悔しげに唇を震わせアリーセを見上げた。


「あんたなんて、言い寄ってくる男はたくさんいても本当に好かれたことなんかないくせに。本気の恋だって知らないんでしょう?」


 吐き捨てるように言い残し、ミリアも仲間の後を追っていってしまった。

 最低、と呟きアリーセはその場に座り込んだ。

 大人げない行動をとってしまった自分に嫌悪する。


 ミリアにもひどいことを言ってしまった。

 でも……。

 本気の恋を知らない……か。


 細いため息をこぼし、抱え込んだ膝の上に顔をうずめた。

 ミリアに言われたことが予想以上に胸に突き刺さった。

 否定できないところが悔しい。

 確かにたくさんの男性とつきあってきたけれど、彼らにたいして特別な感情を抱くことはできなかった。


 愛とか恋とか、あたしにはわからない。


 どのくらいそうしていただろう。

 そろりと顔を上げ空を見上げると、いつの間にか日も暮れ空が茜色に染まり始めている。

 吹く風に冷たさが混じり、アリーセはぶるっと肩を震わせた。

 帰ろうと、立ち上がった瞬間、くらりとめまいがして足をふらつかせる。


「君!」


 倒れると思ったその刹那、力強い誰かの腕に支えられた。

 しがみついた相手を見上げ息を呑む。年齢は三十歳前後、眼鏡をかけた長身の男。


 この人知ってる!

 エリク・アードリガー。

 何故、この人がここに。


 次の瞬間、アリーセは相手の胸に寄りかかるように倒れ、気を失ってしまった。



 ◆




 目覚めたところは見知らぬ部屋だった。

 しばし、天井の一点をぼんやりと見つめ、自分に何が起きたのか記憶をたぐり寄せる。

 確か〝(とう)〟の裏庭で昼寝をしていたところに数人の女子たちがやってきて、ちょっとした喧嘩になった。

 その後、めまいがして倒れ、気づいたらこのソファーに寝かされていた。


 かけられていた毛布を鼻先まで引き上げる。

 柔らかい毛布はお日様の匂いがして気持ちいい。

 思わずうとうとしかけ、はっと目を開ける。


 窓の外に視線をあてると、誰かが窓辺の椅子に腰をかけ、本を読んでいた。

 窓から射し込む夕日のせいでその人物の顔がわからない。

 身動ぐアリーセに気づいたその人物は本から視線を上げこちらを振り返る。

 閉じた本を側のテーブルに置き、歩み寄ってきた。


「気分はどう?」


 穏やかで優しい声音にほっと息をつきかけたが、相手の顔を確認して顔を強張らせる。


 エ、エリク・アードリガー!

 そうだった。

 あたしこの人に。


「辛いようなら、もう少し横になっているといい。アリーセさん」

「だ、大丈夫です……っ!」


 アリーセは目を見開いた。

 上層部階級という優れた位置にいる上級魔道士の彼が、自分のような下っ端魔道士の名前を知っているとは思いもしなかったからだ。


「どうしてあたしのこと……」


「有名だよ。多くの男性たちがきれいな君に憧れている。それに魔術の腕も有能だと」

 アリーセは居心地悪そうに身を縮こませた。きれいだとか、魔術の腕がいいと褒められて嬉しいどころか、むしろ萎縮してしまう。


「僕は……」


 知っています、とアリーセは首を振った。

 聞くまでもない。

 〝灯〟に所属する者で彼のことを知らない者などいないというのに。


 今から十六年前、史上最年少の十五歳という若さで〝灯〟の上層部に昇りつめた男。

 以来、国から依頼された仕事を完璧にこなし、今では〝灯〟の(おさ)と同じく国王の信頼も厚いという。

 それに次期〝灯〟の長候補とまで言われているのだ。

 そして、彼の噂はさまざまだ。

 魔術にしか興味のない男だとか、上層部に昇るためにはどんな汚いこともやってきたとか。

 後ろ盾を得るために街の有力者の娘と婚約したとも。


 アリーセは膝の上に置いた手を震わせた。


 あの場にこの男がいたのなら、もしかしたらミリアたちとの喧嘩を見られていたかも知れない。

 術を使い彼女たちをこらしめたことも。

 上層部の人間に目をつけられるのは今後の昇進にひっかかる。

 ここは失礼にならないよう、早々に退散した方がよさそうだ。


「ご、ご迷惑をおかけしました……」


 アリーセは勢いよく立ち上がり、深々とお辞儀をしようとして、またしても足をよろめかせた。

 すぐに伸びてきた手に支えられる。


「大丈夫? 貧血かな? ちゃんと食べてる?」


 エリクは心配そうに言って、アリーセを椅子に導き座らせた。

 まるで壊れ物を扱う優しさにアリーセは戸惑いを覚える。


 噂に聞くほど悪い人とは思えないけど……。


「突然倒れて驚いたよ。一度は医務室に運んだけど誰もいなくて。君の家もわからなかったし、悪いとは思ったけど僕の家に連れてきてしまったんだ」


 いいえ、油断はだめ!

 腹黒い人ほど優しい振りをして本心を隠すっていうじゃない? 


 相手の言動に惑わされまいと首を振ったその時、台所から食欲をそそるいい匂いが漂いアリーセのお腹が、ぐうと派手な音をたててなった。

 そろりと目の前のエリクを見ると、よほどおかしかったのか、肩を震わせ笑っている。


 何でこんな時にお腹がなるのよ!

 っていうか、どれだけお腹を空かしているのよ!


 恥ずかしすぎる。


「ちょうど、シチューが煮えたところなんだ。よかったら食べていくといい」


 アリーセの頭をくしゃりとなで、エリクは台所へと消えていった。

 肩をすぼめてアリーセは椅子に座り直すと、ほどなくして奥から夕食の準備をする音が聞こえ始めた。


 アリーセはあらためて部屋を見渡す。

 エリクの第一印象は真面目そうな人。

 その性格が生活にも表れているのか、机の上に積み重なった本の山をのぞけば、部屋はきちんと片付けられ清潔な感じだ。


 一人暮らしなのか、他に家族が住んでいる気配は感じられなかった。

 やがて、湯気がたったシチュー皿を手に、エリクが台所から現れた。


「たいしたものはないけど」


 差し出されたシチューを見つめ、アリーセは複雑な顔をする。

 すぐに帰るつもりが、結局、夕飯までご馳走になってしまうとは。


 何やってんだろう、あたし。


 だけど、ひよこ豆と野菜たっぷりのシチューはおいしかった。

 アリーセはそっとエリクをうかがい見る。

 眼鏡の似合う人だ。

 仕草の一つ一つが穏やかで優しそうな雰囲気。

 アリーセはぼんやりとスプーンを持つエリクのしなやかな指先を見つめた。


 魔術の実力はかなりの腕前と聞くが、彼の術を実際目にしたことはない。

 もっとも、自分もそうだが魔道士だからといって、容易く術を使うことはない。

 その指はどんな魔術を生み出すのだろう。

 その穏やかな声はどんな詠唱を紡ぐのか。


 見てみたいな。

 聞いてみたいな。


 ふいにエリクが身を乗り出し、アリーセのひたいに手をあてた。


「え?」


「顔が赤いから熱でもあるのかと思って」


「ち、違います……」


 まさか、見とれていたとは言えない。


「ならいいけど」


「エリク様とこうしてお話ができるなんて、不思議な感じだなと思ったんです」


 エリクは困ったように頭をかいた。


「様はやめてほしいな。名前でいいよ」


 〝灯〟の偉い人を名前で呼ぶなど失礼にあたる。

 けれど、エリクの顔は心底困った様子だ。

 意外な一面を見た気がしてアリーセはくすりと笑う。

 何だか緊張もほぐれた気がする。


「何か、噂と違って驚きです」


「いったい、僕にどんな噂がたっているのか知らないけど。僕はどこにでもいるごく普通の人間だよ」


 またしても困ったように頭をかくエリクの言葉に、嫌みは感じられなかった。

 食事を終えると、すでに外は真っ暗だった。


「家まで送っていこう」


「一人で帰れますから、大丈夫です!」


「女の子一人、夜道を歩かせられないよ」


 そう言って、奥の部屋へ行って戻ってきたエルクの手には一枚の肩掛けが握られていた。

 外に出た瞬間、ひやりとした夜気に身を震わせるアリーセの肩に、エリクは持っていた肩掛けを羽織らせた。

 エリクの家からアリーセの家までの十分ほどの距離。

 とりとめのない会話を交わしているうちに家にたどり着いた。


「無理はいけないよ。体調が悪いようならしばらく〝灯〟は休むといい。それと食事はきちんととること」


 エリクの忠告にアリーセはうつむいた。

 アリーセの母は小さい頃に病気で亡くし、それからずっと父親の手で育てられた。

 魔道士である父も〝灯〟の仕事が忙しく、滅多に家には帰っては来ない。

 独りぼっちで食事をとる気にもなれず、ろくに食べないこともしょっちゅうであった。


「そんな状態で術を使ったら、倒れるのは当たり前だよ」


 アリーセはぎくりと身体を強張らせた。

 やはり、あの時エリクは見ていたのだ。しかし、〝灯〟の規則を破ったことを見逃してくれるのか、エリクはそれ以上何も言わなかった。


「お休み。戸締まりには気をつけて」


 足下に視線を落としてうなずくアリーセの頭をエリクはなでた。

 まるで子ども扱いだとアリーセは複雑な顔をするが、悪い気はしなかった。

 むしろ心地よい感触に、頬を赤くする。

 エリクの手が頭から離れ、アリーセは顔を上げた。


「あのっ! あの……明日のお昼また会えますか? いえ……」


 上層部の人間に時間を作って欲しいなど、図々しいにもほどがあると、言ってしまってから後悔をする。

 ややあって頭上でかすかにエリクが笑った気配を感じた。


「裏庭で待っていればいいのかな?」


 途端、アリーセは顔をほころばせた。

 去っていくエリクの姿が夜の闇にまぎれて見えなくなるまで戸口に立って見送っていたアリーセは、あっと声を上げた。

 肩掛けを返すのを忘れてしまったことに気づく。


 でも……これで確実に返す口実が出来た。

 またエリクに合うことができる。


 春の浅い風は少し冷たかったが、上気した頬にはちょうどいいくらいであった。

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