10 魔力を取り戻す方法
「異性の力を借りるんだ。好きな男ならなおさらいい。俺でよければ協力しよっか?」
アリーセのあごに手をかけ、イェンは顔を近づける。
吸い込まれそうな黒い瞳に射抜かれ、アリーセは身を固くする。
「え、遠慮しておく。別にあんたのこと好きじゃないし」
「じゃ、今から好きになってみるとか?」
「なに言って……」
「お試しでどう? 俺、いろいろ気が利く男だよ」
触れあうか合わないかの距離に、アリーセは困惑する。
「やだ……」
「いや?」
ふっと笑ってイェンは、アリーセの耳元に唇を近づけた。
こぼれる吐息が首筋をくすぐり、アリーセは引きつった悲鳴を上げる。
顔を傾けイェンの唇がアリーセの唇に近づいていく。
触れあう寸前。
「やだっ!」
イェンの身体をはね除けようと振り上げたアリーセの手から、強烈な光がはじけた。
イェンは咄嗟に身体をそらし、アリーセの放った光を手ではじく。
「あぶねー」
「いやだ! って言ってるでしょ!」
アリーセの手から放たれた術の攻撃を際どいところで避けたと思ったのもつかの間、次の瞬間、痛烈な平手がイェンの頬に飛んだ。
「いってぇ!!」
右頬を押さえてイェンは顔をしかめる。
「くそっ……結局、やっぱり叩かれるのかよ」
「あんたが悪いんだからね!」
肩を震わせ怒りの目で見上げてくるアリーセの手首をつかんで、イェンはやれやれと首を振る。
「気づけよ」
「乱暴する気! そんなことしたら許さないんだから」
「違うよ。術、使えただろ?」
「……」
「……」
「え?」
アリーセは自分の手のひらを見つめ、瞳を揺らした。
「術が使えた」
だろ? とイェンはにっと笑った。
「まさか、わざと?」
「そ、荒療治ってやつ? もしかして本気にしちゃったとか?」
「そんなわけ、ないじゃない……」
アリーセは顔を赤くして口ごもる。
まだ胸がどきどきしていた。
上目遣いでイェンを睨む。
とんでもないやつ!
あたしもけっこう遊んできたけど、こいつはそれ以上に遊び慣れている。
「ま、自分では気づいていないだけで、魔力は戻っていたんだよ。俺が最後の一押しをしてやったってわけ」
「だからって、からかうなんて!」
すっとイェンの手が頭に伸び、髪をなでる。
「悪かったって。そう怒るな。大切な人って言ったのは嘘じゃない。それに、あんたに手なんか出せないし」
またしても意味不明なことを言うイェンの言葉にアリーセは首を傾げたが、ふと思い出したようにポケットから手紙を取り出した。
イェンが何それ? とのぞき込んでくる。
「エリクに手紙をもらったの。でも、術がほどこされていて開けることができなかった」
けれど、今なら開けることができるかもしれない。
アリーセはもう一度術を唱えようと、深呼吸をする。
すっと背後から伸びたイェンの手が、手紙を持つアリーセの手に重ねられる。
肩越しにイェンを振り返り、アリーセはうなずいた。
『封印よ――』
すると、封が解け、開いた手紙から桜の花が舞いアリーセは目を輝かせる。
──愛しているよ、アリーセ。
舞い落ちる花びらを見つめ涙をこぼすアリーセの横で、イェンは気恥ずかしそうに頭をかく。
「あたし、やっぱり早く元の世界に帰りたい。エリクに会いたい」
肩を震わせ、しまいには声を上げて泣き出すアリーセを見て、イェンはやれやれ、とため息をついた。
「ちっ、わかったよ」
ついてこい、とイェンはアリーセの手をつかみ家を出た。
たどり着いた場所は〝灯〟の裏庭。
アリーセのお気に入りの場所だった。
「満開の桜咲く明るい月夜。舞い散る花びら。雰囲気的には最高だろ? 俺様の魔術を披露するには申し分ない舞台じゃね?」
「……時空のゆがみは戻ったの?」
いやまだ、と快活に笑って即答するイェンにアリーセは嫌な顔をする。
さっき自分で時の狭間に迷うとか、何とか言ったばかりではないか。
だいいち、雰囲気で術を使うというのか。
「あたし、時空の狭間に迷いたくないんだけど……」
「はあ? あんた、さっき早く帰りたいって泣いてたじゃないか!」
そりゃそうだけど、とアリーセは口ごもる。
「何? 帰りたいの帰りたくないの? 俺を信じるの信じないの? どっち?」
「帰りたいし、信じたい」
イェンは鼻息を荒くしてうなずいた。
「それじゃ、いきますか」
すっと息を吸い、ゆっくりと吐きだしてイェンは目を細め手を高く上げる。
『次元の封印を解き放つ』
高くかかげたイェンの右手から目も眩むほどのまばゆい光が放たれた。
かすかに回りの景色が陽炎のように歪みやがて、景色が溶け徐々に渦を巻いて、空間が揺らぎ始める。
何もない天地の狭間に、黒い空間がぽっかりと開き別次元を呼び寄せる。
「空間が!」
叫ぶアリーセにイェンは黙って、と人差し指を口元にあてる。
アリーセは両手を口元にあて何度もうなずいた。
イェンは再び術の詠唱を淡々と続ける。
アリーセは半分口を開けイェンを見上げた。
本当に時空を操る魔道士がこの世にいるなど本当に驚きだ。
〝灯〟の上層部に知られたらきっと、大騒ぎになるだろう。
そこでアリーセは、はじかれたように目を見開いた。
人知を超えた術はかえって人々に混乱をもたらす。そして、強大すぎる魔力を持った者を〝灯〟がさらに、世界が放っておくわけがない。
だからイェンは自分の本当の力を隠していた……のか?
今だって、誰かに見られたら大変なことになるのに、なのに……あたしのために。
イェンの詠唱に応え、強大な風のうねりが足下から渦を巻く。
イェンの長い髪が波打ち、衣服が風にひるがえる。
猛烈な風の勢いに息すらままならず、アリーセはたまらずその場に膝をついた。
イェンの身から放たれるとてつもない魔力に全身が震え総毛だった。
目には見えない大きな魔力の流れを感じ取る。
不意にイェンは目を細めてアリーセをかえりみる。
今までのひょうひょうとした態度はかけらにもないほどの真剣な顔にアリーセはうろたえた。
「ここでの記憶は消させてもらうぜ」
ついっと近寄るイェンから、アリーセは身をひいた。
「ま、待って……記憶は消さないで」
「無茶言うな。未来をのぞいた人間を、そのまま過去に帰すわけにはいかない?」
「イェンと出会えた記憶は失いたくないの。絶対に誰にも喋ったりしないから」
「だけどあんた俺に喋ったよな?」
「でも、あんたに喋ったからこうして助けてもらえたんじゃない?」
すかさず切り返したアリーセの言葉に、イェンはうーん、と唸って腕を組んだ。
「確かに言われてみたら、そうだな」
「でしょ? あたし他の人には絶対に喋らない。エリクにも言わない。絶対に約束する」
まいっか、とイェンは肩をすくめた。
「さあ、いけ」
アリーセはうん、とうなずいた。
「イェン、ありがとう。あんたのこと忘れないから」
アリーセは空間の歪みにおそるおそる身を委ねた。
そして、イェンの詠唱が続く。
『イェン・アードリガーの名において
この者をあるべき世界へ導け』
アリーセは目を見開いた。
「イェン・アードリガーって、あんた、まさか!」
イェンはふっと笑い、その先の言葉を遮るように人差し指を口元にあてた。
「うそ……待って!」
「また会おうぜ」
「イェンっ!」
手を伸ばしたアリーセの姿が空間に消えた。
何もかも、すべては一瞬の出来事だった。
「そっちでしっかり受け止めろよ」
舞い散る桜の花をしばし見つめ、イェンは静かな微笑みを浮かべた。
◆
気づくとエリクの腕の中にいた。
時空を超えた影響か、頭がぼうっとして身体の力が入らない。
落ちかけそうになる意識の中で何度も自分の名を呼ぶエリクの声を聞く。
アリーセはゆっくりと顔を上げた。
そこにはひどく心配そうに自分を見つめるエリクの顔があった。
「アリーセ! よかった、アリーセ……」
さらに強く抱きしめられ、その痛みでアリーセの意識が、徐々に現実世界へと引き戻される。
「あたしどのくらい、いなくなってたの?」
もしかしたら、何日も長い間この世界から姿を消していたのだろうか。
「いや、ほんの数分だよ。でも、心配した」
そうなんだ、と呟いてアリーセはイェンのことを思い浮かべる。
まだはっきりと彼の顔を思い出せる。
どうやら記憶は消されていないようだ。
それにしても、時空から現れた者を元の世界のほぼ同時刻に戻すなど、とんでもない魔力の持ち主だ。
でも、彼は……。
アリーセはくすりと笑った。
「どうしたの? アリーセ?」
ううん、と首を振り、アリーセはエリクの胸に顔をうずめた。
その後、ギゼラは〝灯〟の掟により、魔力を奪われ〝灯〟の記憶も消され追放された。 今のところ、問題もなく普通の人間として生活をしているようだ。
人づてに聞くと、父親の仕事を手伝い采配を振るっているという。
時折、街ですれ違うこともあったが〝灯〟での記憶を失ったギゼラがアリーセに気づくことはなかった。
そして、エリクのことも。
月の明るい夜だった。
桜もすっかりと散り、枝には緑の葉が青々と揺れている。
エリクと並んで桜並木を歩くアリーセは、ちらりとうかがうようにエリクを見上げた。
何だか今日のエリクは様子がおかしかった。
話しかけてもどこか上の空で、そうかと思えば時折、神妙な顔つきで考え事に没頭しているようだった。
「アリーセ」
ふいにエリクが足を止めた。
真っ直ぐにこちらを見るその表情は、怖いくらい真剣だった。
「僕と、結婚して欲しい」
アリーセは目を見開き、口元に手をあてた。
「ほんとに? ほんとにあたしをエリクのお嫁さんにしてくれるの?」
エリクはうなずき、握りしめていた左手を開いた。
その手には小さな銀色の指輪が月の光を受けてきらりと反射する。
「僕にはアリーセが必要だ。必ずアリーセを幸せにすると誓う」
アリーセはこぼれる涙を拭い、何度もうなずいた。
そんなアリーセの左手をとり、エリクは指輪をくすり指にはめた。
はめられた指輪に視線を落としそして、アリーセはそっと指輪に唇をよせた。
「あたし、いい奥さんになるから」
「アリーセは今のままでじゅうぶんだよ。むしろ僕にはもったいないくらいだ」
エリクは指先で、アリーセの涙を拭い頬に口づけをした。




