1 突然現れた謎の美少年
「おい、こんなとこで寝てっと襲われっぞ」
突然、頭上からかけられた声にアリーセは目を開けた。
うららかな春の昼下がり〝灯〟の裏庭、桜の木の下で日向ぼっこをしていたのだが、どうやらいつの間にか眠り込んでしまったらしい。
ゆっくり身体を起こすと、目の前に一人の少年がしゃがみこんでじいっと、こちらをのぞき込んでいる。
「え? なに? ってか、誰、あんた……」
少年の顔を見て思わず言葉をつまらせる。
きれいな顔立ちの男の子だ。
年はおそらく自分と同じ十七歳くらい。
首の後ろで一つに束ねた長い黒髪が、胸の前にたれ落ち風に揺れている。
少年の黒い瞳に見つめられ、アリーセ思わず頬を赤くして視線をそらす。
さりげなく少年の左手首に視線を落とすと〝灯〟の魔道士である証の銀の腕輪をはめていた。
見かけない顔だ。
こんな人〝灯〟にいただろうかと首を傾げる。
そこそこ、いや、かなりの色男だ。
女性を惑わす魅力を持っている。
こんな美形な男の子がいたら、きっと回りの女性たちが騒いで放っておかないはず。けれど、そんな派手な噂も聞いたことがない。
「俺はイェン」
アリーセはじろりとイェンと名乗った少年に視線を戻した。
「イェン? 知らないわね。〝灯〟の魔道士のようだけど、あんたのこと見かけたことないわ」
立ち上がった少年につられ、アリーセも腰を上げる。
アリーセも女の子にしては身長はあるほうだが、目の前の少年はさらにアリーセの頭一つ分以上背が高かった。
「見かけたことがないのは、あたりまえ。俺はここには存在しちゃいけない人間だから」
存在してはいけない人間?
どういうこと?
ますますわけがわからない。
意味不明な発言をする相手に、アリーセは眉根を寄せた。
「そう警戒すんなって。怪しいもんじゃねえし、ていうか、むしろあんたの味方」
「味方?」
「そ、味方。まあ、いろいろ事情があってこれ以上のことは何も言えねえけど……」
イェンは困った顔で頭をかき、言葉尻をにごした。
「で、その味方があたしに何か用?」
思わず刺々しい口調となる。
腕輪をしているからには正真正銘〝灯〟の魔道士なのだろうし、〝灯〟に属する魔道士なら、確実に身元も保証されている、はず。
だが、やはりこんな人など知らないし、うさんくさいことこの上ない。
「大切な話がある」
思わせぶりな物言いに、アリーセは眉根を寄せ、無言で相手の言葉の続きを待った。
「困ったことがあったら、俺を呼べ。必ず助けてやる」
「……」
しばしの沈黙の後、アリーセはふっ、と鼻で嗤って肩をすくめた。
こばかにしたように相手を見上げる。
何故、見ず知らずのこの男に助けを求めなければならないのか。
それにこの先、自分に不吉なことが起こると言われているようで気分が悪い。
そこでアリーセは、はっと気づいたように目を細めた。
「ふーん」
腕を組み、片方の手をあごにあて、アリーセはイェンと名乗る少年を目を細めたままじいっと見つめ返す。
にいっとつり上がったアリーセの唇には小悪魔的な笑み。
どこの誰だがわからないけど、見た目は悪くないわね。
いいえ、いい男だわ。
きれいな顔立ちだし、同年代の男たちにはない色気もある。
それに、見るからに遊んでそう。
値踏みされているとも知らないイェンは、なに? と首を傾げた。
こんないい男滅多に見かけないし、逃すのももったいない。
退屈しのぎに、つき合ってみてもいいかも。
アリーセはにこりと笑った。
男性を惹きつける極上の笑みだ。
「もしかして、あたしのこと誘ってる?」
「え!」
素っ頓狂な声を発し、イェンは後ずさりながら、いや、と首を振る。
「まさか。冗談。勘弁して」
即答で返ってきた言葉に、アリーセはむっとする。
ずいぶん失礼な物言いだ。それに、よもや、断られるとは思わなかった。
「え? 怒った?」
「別に」
「もしかして寂しかった? 寂しくて俺のこと誘ったとか?」
「そんなんじゃないわよ!」
「まいったなー」
と言って、イェンはうーんと、唸る。
「悪い。あんたとそういう関係になれないから誘うなら他あたれ。っていうか、若い頃はそうとう遊んでたってほんとなんだ。まあ、男遊びもほどほどにな。そのうち痛い目みるぞ。もっとも、俺が言ってもまったく説得力ねえけどな。あはは」
嫌な男。
アリーセはふんと顔をそらし、その場から去って行こうとする。
背を向けかけたアリーセに、すぐさまイェンは待ったをかける。
「おい、ちょっと待て。いいか? さっき俺が言ったこと忘れるなよ」
「あたしに困ったことがあったら助けてやるって?」
イェンは機嫌良く笑ってそう、とうなずく。
「けっこうよ。自分のことは自分で何とかできるから。あんたなんかの助けなんかなくてもね」
アリーセの瞳がふっと翳る。
これまで、誰の手を借りなくても一人で何とかやってきた。
魔術の腕だって上位の方だと自負する。
困ることなんか何もない。
「自分じゃ何とかできねえから、こうして俺がわざわざ現れてやったんだよ」
「はあ? あんた何様よ。偉そうに」
あからさまに不機嫌な顔をするアリーセに、イェンは口元に悪戯げな笑みを刻んだ。
「そ、じゃあ、俺のこと忘れないように」
言うや否や、腕をつかまれ引き寄せられた。
その拍子に、勢いあまって相手の胸に倒れ込んでしまう。
「ちょっと! なに……す……」
見上げると、間近に端整な顔があってアリーセは胸をどきりとさせる。
気づけばいつの間にかイェンの手が腰に回っていた。
「な、何するのよ!」
腰に回された手を振り払い後ずさる。
とんでもない奴だ。
「へえ、案外かわいいリアクションするんだ。ちょっと意外」
「女ったらし。最低!」
「だけど、これで俺のこと忘れられなくなっただろ?」
「……」
怒りで肩を震わせるアリーセにくすりと笑い、イェンは上空の桜の木を見上げ指をぱちりと鳴らした。
瞬間、頭上の桜がいっせいに花開き、さらにもう一度指を鳴らすと、ふわりとそよぐ風に花びらが舞い散った。
「きれい……」
かかげたアリーセの手のひらに一片の花びらが落ちる。
さっきまでの怒りもどこへいったのか、瞳を輝かせるアリーセの反応に、イェンはことさら満足げな表情を浮かべた。
「じゃ、俺そろそろ帰るから」
ふと、アリーセは我に返る。
「ちょっと待って! 帰るのはいいけど、この桜どうするのよ!」
開花の時期はまだ先だ。
確かに見とれてしまったが、今咲かれても困る。
「咲いちまったもんはしかたがねえだろ?」
「しかたがないじゃないわよ! 咲かれても困るわよ!」
「じゃあ、時を戻すしかねえな。あはは」
「あははって、無責任な!」
「わかった、わかったって」
「何がわかったよ。それに、時を戻すなんてできるわけないでしょ!」
「だから、俺が何とかするから」
くるりと背を向け歩き出したイェンは、一度だけ肩越しに振り返る。
「それはそうと、くどいようだがさっき言ったこと忘れるな。絶対だ」
絶対を強調して言い残し、イェンの姿がその場からふっと消えた。
き、消えた……!
アリーセは唖然として何度も目をこする。
空間移動は時空魔法の上級技。
それを詠唱なしに術を発動させるとは、そうとうな腕と魔力の持ち主だ。
ただの女ったらしではなかった。
いったい何者だったの?
そこでアリーセは目覚めた。




