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妖気  作者: 墨太郎
1/1

兄弟

 昔兄は優しかった。体の弱い彼は一緒に川で遊んだり鞠を蹴ったりはしなかったが私の遊んでいる姿を階段に腰掛けながら見ていた。疲れた私が傍に行くと水をくれ、一緒に菓子を食べた。5つの年の差のせいか共通の話題はあまりなかったように思う。しかし私はもの静かな兄が好きだったし彼も私を好いてくれていると確信していた。幼い頃の話だ。

 なぜ私と兄は疎遠になってしまったのだろう。父の跡を継ぐために兄が勉学で忙しくなった、私が剣術の稽古に励むようになった、それらしい理由は考えられるがどれもしっくりこない。

 怪訝なのは母の態度だ。昔からなぜか兄と私が遊ぶのを嫌がった。彼女は父の後添えで兄とは血が繋がっていない、だがそれだけであんなに兄を嫌うものなのだろうか。私の知る母は穏やかな人だ、それなのに兄のことになると血相が変わる。あれは怯えている者の顔だ。

 「斉昭様に近づいてはいけませんよ。」

 母はそう言って私を抱きしめた。その体の震えに私はどうしてと聞くことさえはばかられた。

 兄も私を避けるようになった、と思う。元々部屋から出ない人だったが一層籠るようになったし公務で家族が顔を合わせるときも貼り付けたような笑みを顔に浮かべて私を見ようともしない。兄上、と直接呼びかければ返事は帰って来るものの幼いころのあの親しさはない。いったいどうしてしまったというのか。

 それでも奇妙なことに夜になると兄を感じることがあった。剣の道を進んだ私は人の気配への感覚が鋭い。寝ていても気配を感じれば起きる。しかし兄の場合はただの匂いであったり雰囲気であったり兄の実態ではない。兄と昔のように親しくなりたいと思うあまり私はありもしないものを感じ取っているのだろうか。

 兄が住む場所を移す、と聞いたのはそんな矢先の話だった。急な話だ、屋敷を出てどこに居を構えるつもりなのか。都の中心に近いこの屋敷に居れば父の跡を継いだ後も仕事に行きやすい。それなのにここをでるというのはなぜだ。

 「斉昭には叔父上のところにいってもらう。坊主との付き合いも大切だからな。」

 父の叔父というのは都からはずれたところにある寺で坊主をしている男だ。年に数回しか会ったことが無いが豪快に笑い酒を飲む様はとても坊主には見えなかった。

 「父上、母上から言われたのでしょう。兄と一緒に生活したくないと言われたのでしょう。」

 「斉昭から言ってきたのだ。お山で学びたいと。」

 父はそれきり何も言わなかった。何か隠しているな、とわかる。これではらちが明かないので兄に直接聞きに行くことにする。あの他人行儀な態度で追い返されるだろうか。

 

 自分が人とは違うことを知って生きて来た。何度もわが身を呪ったが産まれ出でてしまったものはどうしようもない。恨もうにも自分を産み落とした母親はすでに亡い。

 人でないものが見え、それを意図すれば操ることができた。操れば体力は奪われ床に臥すことになるが意のままにそれらを動かすことができる喜びというものを確かに感じた。そんな自分も嫌だった。人でないものにわが身を少し移す時命が削れているのだと感じた。こんな風に生れ落ちてしまったのだからはやくこの世から消え去りたかった。幼い頃は加減もわからずにいくども力を使ってそのたびに病に罹った。

 新しく来た母親は優しく、体の弱い自分を気遣ってくれた。新しい母は母というより姉に近い年齢だった。葵様と呼んでいいですか、と幼い斉昭は尋ねたのだった。母親と呼ぶには頬が赤すぎる彼女を斉昭は好いていた。彼女を煩わせたくないから力は使わなくなった。葵様が遊んでくれるから寂しくはない、人でないものを操る必要は無くなった。

 幼い斉昭には近づいてはならないと言われた部屋がいくつかあった。いくつかには‘式‘を使って忍び込んでいたがとくに変わったことのない部屋だったり高価なものが置いてある部屋だったりで思ったほど楽しくないので入ってはならない部屋のことは自分の中では終わったことだった。

 ある夜、葵が入ってはならない部屋の一つに入ってくのを見てしまった。あそこは入ってはならない部屋なのに葵はどうしてあそこに行くのだろう。自分はいけないのに葵は良いのだろうか。斉昭はまだ5つだった、知らないことがたくさんあった。中で葵は何をしているのだろう、と思った時に出てきた答えはただ一つだった。久しぶりに式を使って葵について行こう。

 いつも自分の周りに居るふわふわしたものを捕まえて息を吹きいれるとふわふわは斉昭の形になって動き出す。寝所で寝ている斉昭も、今動き出した斉昭も同じものだ。御簾の向こうに消えた葵を追ってするすると動く斉昭は他の者には見えないはずだった。 

 斉昭が御簾を抜けるとそこには父がいた。父が葵を押しつぶしている、葵が死んでしまう。いや、そんなことはなかった。彼女は父親の下で生きている。苦しくはないのだろうか。父の手によって葵の衣がするすると脱げていく、真っ白な肌に薄っすら色づいた桃色。葵の眉根はきゅっと寄って悲しい顔をしている。父親の顔が凶悪に見えた。式に入っていることも忘れて斉昭は声をあげる。

 「お父様、葵様を放してあげて。」

 聞こえるはずはなかった。聞こえる人間に今まであったことが無かったからだ。しかし葵は肩をびくりと震わせた。

 「斉昭様?」

 「何を言っているんだ。誰もいないじゃあないか。」

 父は斉昭が目の前に居るのにそう言って笑った。

 「でも、今。」

 「疲れているのか?」

 斉昭はびっくりしてしまって動けない。動けない斉昭の前で父と母は唇を合わせている。葵の肌が白く淡く光っていて、これは見てはいけないものなのだと悟った。できるだけゆっくり御簾を抜けて振り返らずに自分の寝所に戻った。自分に戻っても体の震えが止まらなかった。次の日から久しぶりに高熱が出た。葵が来て熱い頬に冷たい手を当ててくれたように思う。

 それから葵のことが気になって式に入っては彼女の近くに行くようにした。葵は確かにあのとき自分を感じてくれた、初めて自分のことをわかってくれる人かもしれない。自分であるときはいくら彼女のことが好きでもはしたないと思ってできなかったこともした。抱き着いたり、手をつないでみたり。

 「斉昭様?」

 なんどか葵は声をかけてくれた。自分が見えるだろうか?うれしくなって斉昭は彼女に手を振る。姿は見えないようで怪訝な顔をして小走りで去って行ってしまうのが常だった。それで止めておけばよかったのだ。自分はやりすぎてしまった。何度も式から呼びかければいつかは自分を見てくれると思ってしまった。

 「お話があるんです。」

 葵から改まって話をされたのは弟、博昭が生まれたころだった。式に入りすぎたせいで体は弱って寝所で横になっていた。

 「博昭には手を出さないで。」

 赤くはれた目をして彼女はそう言ったのだ。意味が解らず葵を見上げた。

 「あなたのお母様は不思議な力を持っていたそうですね。なんでも天地を操れたとか。」

 そういえば式に入らずに葵と向かい合ったのは久しぶりだ。お産で忙しかったせいか斉昭が伏していても彼女は来なかった。

 「偉大なお母様に及ばないのは承知しています。私のことが気にいらないならいくら妖術を使ってもかまわないわ。だから、どうか私の子供には手を出さないで。」

 度重なる高熱に喉は張り付いて言葉を発することができる状況ではなかった。わかったことは自分が葵に嫌われてしまったのだということだ。彼女は最後まで斉昭を見ることはなかった、もうここにも来てくれないだろう。力を使いすぎた罰なのだと思った、頭は痛いし目はかすれるし何より体が熱い。何かを考えるのも億劫だった、ただ涙が流れた。

 後から聞いたところによると産みの母の親族たちが身重の葵に悪さをしたらしい。斉昭が跡取りになったら後々有利だと考えた輩が釘を刺す意味も込めて彼女の周りで不吉なことを起こしたのだとか。斉昭の気配を感じる時期にそんなことが起こったらすべて斉昭の仕業だと思うのも無理からぬ話だ。

 力はできるだけ使わないようにするのだ、と誓った。良いことに使うことにしよう、葵をもう怯えさせないように。

 自分の部屋の周りに遊びに来る弟を可愛がった。罪滅ぼしだ。彼が熱を出したと聞いた時には式を使って悪いものを払った。彼が強く頑丈に育つよう出してやる菓子の中には自分で育てた薬草を入れた。純粋に葵に喜んでほしかった。

 頑強に育つよう自分が願ったからか元の性質からか博昭はみるみる成長した。8つでもう斉昭の背に並びそうな勢いだった。良く動くために自然に筋肉も付いた。

 その辺りだったろうか、斉昭は自分の異変に気が付いた。誰にも抱いたことのない感情が自分の中にあるとわかった。それは動き回って汗をかいた博昭が上半身を脱ぐときや寝込んでいる自分を博昭が覗き込むときに強く感じられた。胸が締め付けられていた。

 これは誰にも知られてはならない感情だ。こんなことが誰かに知られたら父には勘当されてしまうし葵にはもっと嫌われる。博昭にはどう思われるか、考えたくもなかった。意識して彼を遠ざけた。それでも合わねばならないときには何匹かの式に意識をもっていかせて薄っぺらな状況で彼と会った。日を追うごとに美しく逞しく育っていく弟、一方自分は部屋にこもっているばかりでなんの成長もない。あるのは日に日に脆弱になる肉体と張り詰めるだけの精神。

 新年に彼が弓の腕前を見せてくれたことがあった。すっきりと伸びた背筋に若者の薄くしなやかな筋肉、鋭い目。あれは私が悪いものから守ってやった子なのだ、あれは私の。堪らなかった。気分が悪いと偽って途中で退席し、夜まで寝込んだ。夜を待って式を使い彼の部屋に行った。これは悪いことなのだと分かっていた。上下する胸に耳を当てて鼓動を楽しんだ。彼が生きているというだけでこんなにも喜びを感じる。自分は兄ではないのだ、と思った。最初は葵を喜ばせるために彼に近づいたのに、いつの間にか彼を育てることを自分の目的にしていた。

 次の日は罪悪感と倦怠感で身もだえる。早く生が終わってしまえばいい、自分は呪われているのだ。そうでなければどうして弟にこんな感情を抱くだろう。救われたいと常に思っていた、誰かに話してしまいたかった。

 「お山で養生しないか。」

 父からこう言われたとき行きたいと即答した。斉昭に無関心な父、もう会ってはくれない葵、そして博昭。誰も彼も自分を救ってくれないし近くに居るだけでこんなに苦しいのならいっそ離れればいいのだ。こんな気持ちは離れてしまえばすぐ消える。


 「兄上、お山へ行かれるのですか。」

 今日も兄は部屋で横になっていた。表情は御簾に隠れて見えない。

 「行く。」

 苦しいのか、時折荒い息が漏れ聞こえる。苦しいなら手当てをしてやらねばならない。御簾ににじり寄ると制止の声がかかる。

 「来るな。うつるぞ。」

 「産まれてからこの方大病に罹ったことはありませんよ。」

 兄は答えなかった。それをいいことに彼の枕元まで寄った。顔が青白い、それに反して目元と唇は赤かった。

 「来るなと言ったはずだが。」

 額に手をやると熱を感じた。

 「これはいけない、誰か呼びましょう。」

 再び制止された。寝ていれば治る、引っ越しで皆忙しくしているから煩わせるなとのことである。それでも心配なので盥に水をもらって布を浸した。昔熱を出したときに母がこうして布を湿らせて額においてくれたものだ。そのおかげかどんなに高い熱が出ても次の日には回復した。

 布を額に置くと兄は体を弛緩させた。他に母は何をしてくれたろうか。思いついて熱い首筋に手をやった。

 「なにをする。」

 自分の手の冷たさに驚いたのだろう、兄は身をよじった。

 「こうすると熱がすぐ下がります。」

 何より熱い首が冷やされて気持ちが楽になるのだ。兄はなぜか眉根を寄せた。

 「手を放せ。」

 「気持ちがいいでしょう。」

 「良くない、放せ。」

 そんなに嫌がるならと手を放した。昔はこんな物言いはしなかった気がする。

 「兄上、そんなお身体で山に行かれるのですか。」

 「熱が引いたらすぐに行く。」

 「お山は寒いですよ。またお風邪をめされる。」

 叔父の暮らす寺には年に数回行っている。小高い山の上にあるためかここより気温が低い。叔父は修業したために風邪一つ知らないと言った。兄もそうなりたいのだろうか。こんなに細くて弱そうな兄がお山で暮らしていけるとは到底思えなかった。

 「なぜそんなに急いでお山に行く必要があるのですか。」

 兄は充血した目を私に向けた。目が潤んでいるのは熱のためか。

 「教えてやろうか。」

 兄が目を閉じる。瞼が痙攣した。呼吸が寝ているように深くなる。兄が薄くなった気がした、体が実際に薄くなったわけでは無い。では何が薄くなったのか。気配だ。

 「母上が縫物をしている。お前の新しい着物かな、あくびをした。ずいぶん根を詰めて作っているようだぞ。」

 薄くなった兄は口だけ動かした。兄の口調は柔らかい、今にも笑いだしそうなくらい。

 「脅かしてみよう。体をすり抜けるんだ。」

 母屋から母の悲鳴が聞こえた。ぱちりと目を開いて兄は言う。

 「お前を呼んでいる、行ってやりなさい。」

 悲しそうに見えるのは気のせいだろうか。先ほどの出来事について問い詰めたいが何と言ったらいいのかわからない。母のことも気になる。

 「また来ます。」

 母屋に早足で向かうと縫物を放り出して母が私にしがみ付いた。

 「斉昭様が、斉昭様が。」

 悲鳴のように母は繰り返す。その背をさすって落ち着くように言う。

 「兄上は臥せっておられますよ。」

 「会いに行ってはなりません、あの子は。」

 あの子は鬼の子です、と母は叫んだ。同時に私の体をぎゅうっと抱きしめる。

 「お前だけは守らないと。斉昭様に会ってはなりませんよ。」

 錯乱している母を抱えながら私は茫然とした。鬼の子?母の体を通り抜ける?脅かそうと言っていた、あの言葉はいったいなんなのだ。兄だと思っていた男はいったい何をしでかしたのか。

 斉昭様に会ってはいけないと何度も繰り返す母をどうにか寝かしつけるとすでに日が暮れてしまった。兄のもとへ向かう。

 「兄上。」

 彼は死んだように寝ていた。揺り起こそうかと思い、気が付く。気配が薄すぎる。

 「兄上。」

 部屋を見渡す。ここ、にはいないのか。ではどこにいる?気配を辿るのだ。目をつむるとなんとなく自分の閨に彼がいる気がした。

 「今行きます。」

 体に厚みのない兄の体をそっと持ち上げる。本体はここにいるのだ。母屋の母を起こさないように忍び足で歩く。幸い使用人の姿もあまり見えない。庭を横切って自分の寝所に向かう。

 兄の気配が強くなった。やはり自分の閨にいるようだ。

 「兄上、説明してください。」

 気配のする方向に向かって語りかける。

 「これはいったい何なのですか、母上に何をしたのです。」

 兄の体が重くなった。

 「おろしてくれ。」

 兄は戻って来たのだ。自分の寝床に彼を横たえる。体が震えてるのがわかった。

 「わかったろう、私は私から抜け出すことができる。他の者に気が付かれることはないがお前と母上だけは私がわかるようだ。そういう血なのだろう。」

 母上の方が感度が良いようだ、と兄は頬をゆがめた。こんな風に笑う人だったろうか。

 「私は目に見えぬものに魂を移すのだ。そうすると自由に動くことができる。体を離れてな。」

 「この力で様々なことを知った。お前の母親と父が夜に何をしているか教えてやろうか。」

 私の頬は熱くなる。結構だという意味を込めて首を振った。

 「この力がな、なんなのか私にもわからぬのだ。」

 兄は細い手を開いたり閉じたりした。

 「母を見たろう、あんな風に人を怯えさせることしかできぬのか。それとも他に使い道があるのか。」

 それを知りたいのだ、と彼は言った。お山に行けばわかることなのだろうか。

 「叔父上ならなにかご存じやも知れぬ。」

 私は頷くしかなかった。魂魄の抜けた兄の体を持った運んだ感覚が忘れられない。体が軽く、いまにも天に昇ってしまいそうになるのなら体を見えないものに預けるのは危険なことのように思う。

 「そう、だったのですか。」

 そうなのであれば、私を避けていたのは私にこれを見せないためか。いや、しかしあの夜感じていた兄の気配は。あれは何だったのだろう。それを尋ねようかと口を開きかけた時、廊下からするりと母が現れた。

 「斉昭様、言ったはずです。」

 母は見たこともない冷たい顔をしている。

 「この子に手を出さないで。」

 母はずいずいと歩を進めて私と兄の間に立った。こんな母は見たことが無い。普段は温厚な女性なのだ。

 「知っているのよ、博昭を取って食おうとしているのでしょう。」

 見たのよ、夜に博昭の閨に入って、この子を食おうとしたのを。見なさい、博昭。あの目、ああ恐ろしい。鬼が獲物を食らう時の目をしているのよ。

 「この鬼め、出て行きなさい。」

 兄の目を見る。泣いているようにしか見えなかった。


 誰かが乾いた笑い声をあげている。さて、誰だ。自分だ。

 斉昭は大きく口を開けて笑っていた。こんなに笑ったのは久しぶりだ。自分の正体がわかったからうれしいのだ、きっと。自分は鬼だったのだ。だから体と魂が離れるし見えるはずのない者が見えるし弟によこしまな感情を抱くのだ。

 もし自分のすべてを式に預けてしまったらどうなるのだろう、今までは恐ろしくてできなかったことが今ならできる気がした。あははははははは、笑いながら斉昭は式に身をゆだねた。

 体が軽い、産まれてから一度も感じたことのない身軽さで斉昭は式の中に居た。重い頭とも熱くて動かし辛い体とももうおさらばだ。ふと思いついて自分の体に動け、と念じた。体はぎくしゃくと持ち上がる。

 斉昭は嬉しくなった、逆もできたのだ。ついてこい、と思うと体は斉昭に従った。母は恐怖で固まっている。ついに喜ばせることはできなかったが、貴女のことは嫌いではないのだ。博昭は口をはくはくと動かしている。あにうえ、と動いているようだ。邪なこころは未だに彼を求めてしまいそうになる。

 認めよう、博昭が好きだ。彼を愛している。自分が育てたのだ、自分の物にしたかった。人間ならあってはならない気持ちだが、私は鬼だ。鬼ならばあり得ることだ。

 「さよなら。」

 動揺する弟の頭に一つ口をつけて空へ舞い上がる。もちろん軽くなった体も一緒だ。体と心が別ならこんなにも軽く動くことだできたのだ。なぜ今までやらなかったのだろう、人のふりが板につきすぎていたのか。

 斉昭は大きく笑いながら空を駆けた。式と体は手を繋いでいる。あはははははは、どちらの口からも笑い声が漏れている。屋敷からは悲鳴が聞こえた。もう気にすることはない。思い切り空を走り、心の底から笑いながら斉昭は月を目指した。


 

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