お前の味噌汁を毎日飲みたい
平凡だった俺の生活が、今微妙に脅かされている。
「伊織―、昼飯食おうぜ」
「職員室に用があるから先食べといてくれ」
「伊織一緒に帰るぞ」
「...呼び出しくらったから先帰ってくれ」
「喜べ伊織、学年1位のこのオレが勉強教えてやろう」
「ぐ...い、いやいい」
度重なるお誘いを断ってるのは、この学園で上位の人気を誇る顔良し頭良し運動神経良し家柄良しの神崎蓮ではなく、お金持ち学園の中で珍しく一般家庭から奨学生として通うこの俺、如月伊織の方だ。
誤解しないでもらいたいが、別に俺たちは仲が悪いわけでも喧嘩中ということでもなく。
更に言えば、身分や顔面偏差値の格差によって周囲から圧力がかかることを恐れて避けているというわけでもない。
「そうなの?じゃあ一部の奴らが期待している男同士の痴情の縺れ的なアレソレの方?やっべ大穴じゃん」
勿論そんなアホな理由からでもない。
友人で賭けをする友達甲斐の無い奴は、後で不幸になる呪いをかけてやろう。
「複雑で微妙な事情があるんだよ」
溜め息混じりに好奇心旺盛な奴からの追求を、濁して返す。
ていうか、その不穏で不快極まりない予想は一刻も早く消してくれ。
この話は誓ってBとLが絡む話ではない。
きっかけはなんだったのか。
お金持ちなアイツと一般家庭で育った俺は、価値観や物の見方が全く違うのに気が合って同じクラスになってからは割りと親しくしていた。
弁当派の俺と食堂派のアイツでは昼休みは一緒ではなかったが、たまたま食べ損ねた昼食を短い休み時間中に腹に入れていた時だ。
物珍しそうに弁当のおかずを見ていたアイツに、これが庶民の味だと一口恵んでやってから。
お前の母親は庶民にしては中々にいい腕だ、この所帯じみた煮物の味がいいな、と一応誉めているらしいそれで、その後もなんだかんだ理由をつけては人のおかずを狙ってきた。
俺としては無理矢理連れ出された食堂だが、ビーフステーキだのサイコロステーキだの食欲旺盛な男子高生には魅力的なメニューと交換なら否やはない。
普段食しはしない種類の高級な食材に、むしろ嬉々として自らの弁当を差し出していた。
そこで止めておけばいいものを、欲の出た俺のおバカな腹は、ついにおかず一品では我慢できなくなったらしいアイツから一週間分の食堂での昼食を奢るという申し出に、一も二もなく頷いてしまったのだ。
我が家での夕食に招待、するという申し出に。
思い返せば、これが運命の分かれ道、あぁ麗しのバブリー生活よさらば。
なんとか今日も神崎の追撃を交わし、一人帰路についていた俺。
日々剣呑になるアイツの視線と、周囲の生温い視線に精神がごりごりと削られている俺は、胸元で振動する携帯を取り出した。
「もしもし伊織?もう夕飯決めた?」
「いや、今てきとーに買い物してこうかと思ってたとこだけど」
「良かったー、今日亜紀が風邪引いて飲み会延期になったの。今から帰るから夕食はやっぱり一緒に食べようよ」
「りょーかい」
「なに食べたい?」
「んーそうだな...え、ちょ」
身を切るような寒さに鍋あたりがいいだろうかと考えていると、いきなり手の中の端末が奪われた。
「オレはコロッケがいい」
「「え?」」
ニヤリと勝ち誇ったように笑う神崎が、人の携帯片手にさも当たり前のように会話を続ける。
「えーと、蓮、くん?」
「あと前食べた鶏の甘辛く炒めたやつ、あれもいいな」
「家くるの?」
「ちょうど伊織と家で宿題しようって話してて。材料教えてくれれば買ってくから、いーでしょ?」
オレ、ゆきのが作る料理大好きだから。
なんて甘い顔で言う神崎に顔を押さえられているせいで、いつの間に宿題する話になったとか、他人ん家の夕飯のメニュー勝手に決めんじゃねぇとか、色々抗議したいのにできない。
もがもがと全身で対抗するが、悲しいかな体格すら良い相手に一般高校生帰宅部は敵わない。
今日から筋トレしようと密かに決意しているうちに電話を切った神崎は、ようやく俺を解放した。
「神崎、てめェなに勝手に、」
「ここ数週間避け続けられた失礼千万な態度、オレとーっても傷ついてんだぜ」
「ぅぐ・・・いやだからって」
「お前ん家の夕飯でチャラにしてやる。ほら材料、買いに行くぞ」
人の話を聞かずに近くのスーパーまで引きずられる。
反論しようとも、ここ最近の態度を責められ上手くこちらの罪悪感まで引き出してくるところに、本気を見た気がして諦めた。
「伊織がオレを避けてまで心配してる事当ててやろうか」
スーパーで目についたものとりあえずどかどか入れる神崎の後ろで、嫌これ使わねーだろ的なものを戻していると、大根を見比べながらいきなり話し出した。
「なに」
ところでイケメンと大根て絵面シュールだな。
そして周りの主婦達からの視線がそろそろ痛いので、さっさと用事済ませて帰りませんか。
買い物は鶏肉とキャベツだけでいいはずなんだが。
「オレがお前の姉に手を出す可能性があるからだろ」
「……否定はしない」
ていうか、大当たりだ。
いやでも考えてみてください皆さん。
確かにこの男は、顔も頭も家柄も良い優良物件のように見えますが、友人としては一緒に居て面白いいい奴でもありますが。
残念なことに、女グセが悪いんですよ。
来るもの拒まずのその姿勢で、一体うちの高校だけでどれだけ泣いた娘がいたか。
隣に彼女が居ないことがない奴に、身内の女性を近づけるなんてしないのが賢明な判断だ。
「さすがに友達の姉には手をださねーぞ」
「神崎に良識があるようでヨカッタヨ」
「なんで最後片言なんだよ、ったく。前回初めて行った時だってオレむしろ大人しかっただろうが」
そうだね、びっくりしてたもんね君。
ずっと俺の弁当を作ってるのは母親だと思ってたのに、まさかの2つ違いの姉だった事に目が点だったよね。
夕飯つくる姉ちゃんの背中凝視してたし。
だけどな……
「とりあえず、レジでブラックカード出すのはやめておけ。ここ庶民のスーパーだから、セレブ御用達じゃないから」
高校生の分際でなんちゅうもん持ってやがる、というツッコミで結局心に浮かんだ思いはしまっておく事になった。
「おかえりー、ありがとね買い物してきてくれ、て……あれ、そんなに量頼んだっけ?」
「勉強中につまむ用と、あとは由紀乃に。夕飯ご馳走になるお礼」
「ぉおう、高校生でそんな気遣いをするとは」
洗濯物を畳みながらのほほんとお礼を言う姉さん。
とびっきりの美人ではないが、身内贔屓を無しにしてもまぁそこそこに可愛いであろう容姿。
ふんわりのほほんな姉さんは、神崎の今までの目鼻立ちくっきり美人系の彼女達とはタイプが違う。
普通ならまぁ安心していいのだろうが...
ふとノートから顔を上げると、服をたたむ華奢な背中を見つめる神崎。
(お互い勉強道具をリビングのテーブルにだしているが、最早神崎は俺に宿題を教えるという体裁すら整える気は無いらしい)
帰り際にポツリと漏らした神崎の言葉を思い出す。
「恋とかそんなんじゃない。ただ...思うんだ、オレに母親が居たらこうだったのかな、って」
母親を幼いときに亡くして以来、料理人の作る食事しか食べてこなかった神崎は、俺の弁当を食べてから自分の母親とそれを作った俺の母親を重ねて見てきたそうだ。
だから会ったときは、母親ではなく姉であったことに驚いたが、姉さんの醸し出す雰囲気がどうにも想像していた母親像に当てはまるのだとか。
「恥ずかしい話、あまり年も変わらないのに母さんってこんな感じかなって思わせるんだよなー。お前ん家居心地がいいから余計に」
ほっとする空間って感じかな、なんて少年のような幼い表情をされてオレも確かにその時は信じた。
家庭的なものに飢えていた神崎が思い描くものと、たまたま俺の家や姉さんが当てはまったのだと。
そうして、避けていた罪悪感も手伝い、ならばこれから予定が合った時は家に夕飯を食べに来たらいいと提案したのだ。
ついでに勉強も学年一位に見てもらえるなら万々歳だ、・・・と思った数分前の俺のバカ!!!
なーにが、母親を重ねてるだ、同情するな。
あいつの目を見ろ。
あれが母親に向ける目か?!
普通あんな蕩けた視線を母親に向けるか?
今まで彼女と居てもしてなかった、あんな甘い顔を母親重ねてる人間相手にするか?
答えは否。
これは、クロだ。
「あれ、伊織食べないの?」
「こいつさっきお菓子たくさん食べてたからじゃね?ゆきの、この味噌汁も上手い、おかわり欲しい」
「はいはい。蓮くんはほんとに誉め上手だね。沢山お肉買ってきてくれたから、おかずもおかわりあるよ」
「オレそんなにお世辞とか言わねーよ、まじでゆきのの飯はオレの舌に合うから。コロッケも貰う」
「三ツ星シェフお家にお抱えしてる君の舌に合うだなんておそれ多いなー。まぁ、たんとお食べ、食べ盛りの少年達よ」
「優しい味がして好きだよ。ほんと伊織が羨ましいぜ、オレも毎日ゆきのの味噌汁飲みてーなぁ」
「ぶっ.....ふぉわっ」
「あ、こら伊織吹き出さないでよ、もー」
え、プロポーズ?!!!
この夜を境に、神崎を要注意人物レベルに引き上げた俺だった。
あと人の姉を勝手に呼び捨てにするな!!!