身のほどを知れ
屋根から屋根を。
ビルからビルに飛び移り。
たどり着いたのは、真庭駅に併設されたショッピングモールの入り口だった。
時刻は、既に深夜の二時を回っている。
当然ながら、駅は機能を停止しており、所狭しと並んだ店舗も営業を終えていた。
しん、と静まり返った空間に一人。
友恵は、羽織ったジャケットの端を握りしめて、呆然と立ち尽くしていた。
「あいつめ……。 パジャマ姿の女を、こんな時間にこんな場所で放置する普通!? これじゃあ私が変質者みたいじゃない!」
際限なくこみ上げる不満を垂れ流す友恵であったが、その不安は杞憂に終わる。
異形が跋扈する深夜の異世界を、好きこのんで出歩く手合いなど他にいるはずもなく。
故に、彼女の姿を目にとどめる人間は一人としていない。
ショッピングモールまで運んだとうの本人は、「ここに立っていろ」とだけ言って姿をくらませた。
指示の真意を聞くことはおろか。
ムサシがいないのでは、文句すらぶつけられない。
仕方なく、言われるがままに立ち尽くしてから十数分。特段、なにかが起こるわけでもなく、時間だけが無為に過ぎていく。
「もう最悪……帰りたい」
どこか息苦しい。
重圧感に満たされたショッピングモールの入り口に、友恵のため息が反響する。
大げさ過ぎる息づかい。
しかし、そこに彼女一人しか存在しないのだから、気にする必要はない——、
「こんな時間に一人でどうしたんだい、お嬢ちゃん?」
「ひっ……!?」
——はずだったのだが。
漆黒のローブを纏った髑髏の異形が、腰をかがめて友恵の顔を覗きこんでいた。
単眼の仮面が、月明かりで不気味に輝く。
湿った舌を露出させて。
まるで品定めをするかのように、華奢ながらも筋肉質な全身を、視線で舐めまわす。
「ほう! 格好は妙だが、なかなかに上物だなァ」
「な、なに。ぶつぶつうるさい……! ていうか、格好のことはほっといてよっ」
懸命に悪態をついて、睨みをきかせながら。数歩後ずさる友恵は確信していた。
先ほどのぞいたサイトで書かれていた、いくつかの特徴。それらを忠実に再現している目の前の異形は、間違いなく死神なのだと。
そして、この死神は自分にとって害を成す存在なのだと。
『なんだ。良い獲物でも見つけられたか?』
突如、どこからともなく声が飛ぶ。
「ああ、主人。こいつァ、久しぶりのべっぴんだ。これだから、深夜の散歩はやめられねェな」
『好きだね、お前も。付き合わされるこっちの身にもなってくれよ』
実に興味のなさそうな嘆息。
どこで傍観でもしているのか、声の主人は依然として姿を見せない。
「まァ、そう言うなよ我が主人。雌型の死神とヤルのと、人間の女とヤルのじゃわけが違うんだぜ?」
『知らん』
友恵にとっては、心底どうでもいいやり取りが終わり、死神の目線は再び彼女を捉える。
「さァて。待たせたねェ、お嬢ちゃん」
荒い息に肩を震わせて。
後ろへ退こうとするものの、ガラス窓の壁に退路を阻まれた。
せめて長物さえあれば、持ち前の剣さばきで切り抜けられたかもしれない。
だが、今の友恵は丸腰も同然。
よって、死神の蠢く五指を受け入れる他なかった。
丸太のように太い人さし指が、彼女のシャープな顎を撫でる。
同時に、おぞましい感覚を背中いっぱいに味わいながら。
せめてもの抵抗として、友恵は犬歯をむき出しにした。
「触るなッ! 気持ち悪いっての!!」
「ひひ、威勢のいい女は嫌いじゃないぜェ? 屈服のさせ甲斐があるってもんだ」
「は、はあ!?」
「文字通り、夢見心地の快感を味あわせてやる。 ……そうすりャあ、すぐにお前は俺の虜になる」
顎に這っていた指は、細い首筋へ。
首筋を味わい尽くすと、指はゆっくりと下降していった。
「い、いやっ……!」
未知なる恐怖心に、激しい吐き気を催す。
ぐわんと揺れる視界の中で、友恵は必死に助けを求めた。
浮かぶのは、腹立たしくも憎っくき仇の顔。
愚かしい自分に嫌悪を抱きながらも、求める他ない。
——助けてっ……。 助けてよ、蒼——!!
心の中で言い終える直前。
死神の右腕と、鮮血が宙を舞った。
「ぐおおおォォォォッ!?」
目にもとまらぬ斬撃。
「か、刀……?」
凄まじい剣圧に、友恵はたまらず身をかがめさせる。
目の前に現れたのは、
「すまない。待たせたな、友恵」
日本刀を握りしめるムサシだった。
力強い圧を持ちながら。
優しさも同居させた声が、友恵を抱きしめる。
彼の声を聞いた途端に、不思議と恐怖心や気持ち悪さが吹き飛んでしまった。
「……遅いっ!」
「だから謝っているだろうに。そう怒るな」
言いながら、ムサシは友恵の頭に手を乗せる。
対する彼女は微かに頬を染めながら、すかさず手を払いのけた。
「死神だとォッ!? どうなってやがるゥ!!」
切断口から血をまき散らしながら、単眼の死神は怒号を轟かせる。
「色欲にまみれて眼を曇らせたか、愚かな死神めが……。 契約の証しである鎖さえも見えぬのならば、呆れてかける言葉もないわ」
緩めていた顔を再度引きしめて、ムサシは不敵に言い放つ。
その言葉を聞くと、死神は舌を打った。
「なるほどなァ。この女は契約者だったのか……だが、そんなのはどォでもいい。今はただ、腕の借りを返さねェと気がおさまらねェのよッ!!」
舌打ちを開戦の合図として。
単眼の死神は、とめどない闘志をたぎらせると、肉体を膨脹させた。
そのまま、上半身をねじりながら左腕を引きしぼる。
相対するムサシは刀を構えもせずに、ゆっくりと口を開いた。
「分を違えたな色欲の死神。 ……貴様程度が触れていい女ではないんだよ、友恵は」
平坦でありながら。
静かな怒りを孕んだ言葉と、死神の拳。
それらが放たれたのは、ほぼ同時であった。
「あァ!? なにをぶつくさ言ってやが——」
「——身のほどを知れィッ!!」
断末魔さえ残さぬ、神速の縦一閃。
後手に回ったムサシの刀は、先に拳を放っていたはずの単眼の死神を、脳天から股下まで両断していた。
刀を振るうムサシの姿は。
友恵の網膜にくっきりと焼きついて、視線を放さない。
そして、以前にも同様の光景を見たことがあるような。
奇妙な既視感を感じていた。
とにもかくにも。
剛剣でありながら、美しさも兼ね備えた剣さばきに、友恵は心を奪われたのだった。




