勝利の美酒
狭山家では、たまーに不思議な現象が起こる。
お父さん曰く。
冷蔵庫で冷やしていた缶ビールが、一本、また一本と姿を消していく現象……らしいのだ。
ま、私に実害があるわけでもないし、正直どうでもいい。
酒豪であるお母さんも普段はあまり飲まないので、特に気にしていない様子。ただ、お父さんが酔っ払って飲んだ本数を間違えているのでは、と呆れながら怒ってたけど。
でもまあ、どうでもいいとは言いつつも。
少しだけ気になった私は、実際に検証してみたことがある。
深夜にこっそりと、お父さんが飲んだ缶ビールを数えて、冷蔵庫のストックと照らし合わせてみたのだ。
すると。
確かに、数が合わない。確実に一本減っていた。
——なんで?!
私が隠れて飲むはずもないし、ましてやお母さんだって飲んでいなかった。
なんだかぞっとするような、もやもやするような。
なんとも言えない感覚を味わいながら、この現象を忘却の彼方へと投げ捨てて、早三年経ったわけだが。
まさか。
よりにもよって、自分の相方が犯人だったなんて誰が想像できようか。
「アンタねえ! 人んちのお父さんの缶ビールをくすねてたなんて、いい度胸してるよね!?」
「そう喚くな。耳に響くだろう?」
ベッドにどっかりと座って、私が睨みつける向こう側には、迷惑そうな表情を浮かべているムサシ。
何様のつもりなのか。
かたい床に腰を下ろして、ため息混じりに缶ビールを傾けていた。
「飲むなぁっ!」
「初陣は完勝。お前の望む情報も得られて首尾は上々だ。であれば、素晴らしい働きをした俺に、ささやかな褒美があってもバチはあたらないだろう」
「……む、むぅ」
確かに、ムサシの言うとおりだ。
こいつがいなければ、憎むべき『死神殺し』の情報は得られなかったわけだけどさ。
だとしても、人の家のお酒を我が物顔で飲んでいるコイツは、本当に何様なんだろう。
「ああ、オヤジ殿にはお前から謝っておいてくれ。オヤジ殿の麦酒は私が飲んでいました、とな」
「どぉこの家庭にっ! 父親のっ! お酒をくすねて飲酒する娘がいるってえのっ!?」
怒りの沸点が頂点に達して怒号を轟かせるや否や、私はあわてて口をつぐんだ。
ここは二階の自室で、お父さんとお母さんは一階の居間でくつろいでいる。
二人はムサシの存在を知らないわけだから、娘が自室にこもって絶叫していると勘違いして、よけいな心配をかけてしまうかもしれない。
行き場をなくした苛立ちを感じながら。
がりがりと頭をかいている私に向けて、ムサシはひとつの問いを投げてきた。
「それで、『死神殺し』にはいつしかける? 俺はいつでも準備万端だぞ」
「……待って。欲しい情報は手に入ったし、『死神殺し』の能力も多少は知れた。それでも、実際にアイツの戦いぶりを見てからじゃないと、危険だと思う」
ムシから得られた情報は、大まかにこうであった。
『死神殺し』は、”死神対策本部”という特殊な機関に所属している”死神の外様”。
外様の中でも上位の能力を持つスリーペアは、通称”御三家”と呼ばれていて『死神殺し』もその例にもれない。
使役するのは、身の丈よりも大きな鎌を振るう雌型の死神。
単体でも強力だが、『死神殺し』と死神が一体化すると、その戦闘能力は飛躍的に上昇するらしい。
弱点らしい弱点はないに等しく。
ギルド内では、出会ったのならとにかく逃げろと言い伝えられているほど。
死神を狩るという常習は最近でこそ途絶えているものの、真庭市での目撃情報は数件ある。
なので、アイツはまだ市内にいるというわけだ。
できることなら。
一刻も早くアイツを見つけだして、茉瑠奈の仇を討ってやりたい。
けど、死神と一体化という不可思議な能力の全容がわからなければ、いくらムサシでも敗北する可能性はある。
それは許されない。
何故なら、この敵討ちに失敗は許されないのだから。
「……友恵。お前は、自分の相方が信じられないのか。この俺が、『死神殺し』に遅れをとるとでも?」
ムサシは不満そうに言うと、明後日の方向を向いてしまった。
「別に、そう言ってるわけじゃ」
「だったら俺を信じろ。なに、しくじりはしないさ。『死神殺し』の首は、この俺がとってやるとも」
「う、うん、わかった。 ……あの、さっきの言葉が癇に障ったんだったら謝るから——って」
なんの根拠をもってか。
そう断言するムサシの横顔が、ご機嫌ななめで拗ねている子どものようだった。
こわばっていた心が一気にほぐれて、同時に笑いがこみ上げる。
「ふっ……! あ、あはははっ! なに、アンタ拗ねてんの?」
「ち、違う! 俺は拗ねてなどッ……!」
「いいや、拗ねてたね。いつもはおっかない顔してんのに、子どもみたいに膨れてるんだもん!」
缶を潰さんばかりに握りしめて。
鬼の形相で否定するムサシと、お腹を抱えて笑い転げる私。
鬼のような強面らしからぬ意外な一面が、面白くて可愛くて、思わぬツボになってしまった。
そうして、涙を浮かべてさんざん笑った頃。
波が引いて、頬を濡らすしずくを拭っている私は、思わずハッとなってしまう。
なんとも穏やかな表情浮かべるムサシが、ただ一点に私を見ていたからだ。
「な、なによ?」
「いや、随分と笑うようになったと思ってな。まるで、昔のように……。数日前のお前は、弱りきっていて見るにたえなかった」
「……ねえ。ずっと気になってたんだけどさ、ムサシの言う昔ってなに。私はいつ、どうしてムサシと契約したか、覚えてる?」
ムサシは、ことあるごとに昔のようにと言う。
でも、私には彼の言う昔ってのはわからないし、ムサシともいつの間にか契約していたらしい。
ぼんやりとした、曖昧な記憶は頭の中で漂っているんだけど。
どうやっても、思い出せそうにない。
そんな私をよそに、麦酒を口に含みながら。どこか寂しげな瞳を伏せるムサシが、ぽつりと呟いた。
「さて……どうだったかな」