死神殺戮狭義
——2013年。3月。
——その男は淡々と、黙々と粛々と。
喜びや達成感などはない。
行く先に、明るい未来が待っている確約もない。
自らの行いを、誰かに矜恃するわけでもなく。
誰かの評価を得るわけでもない。
ましてや誰かの為でもない。
自らの貫いた信念と執念を原動力として、胸の中で燃え上がる憎悪の赴くままに。
憎むべき存在である死神を。
斬って。千切って。裂いて。砕いて。
そして、屠るのだ——。
※
三月の真夜中。
びゅんびゅん、という風切り音を引き連れて。突き刺さるような夜風を、その身で斬り裂くかの如く。
『死神殺し』という異名で呼ばれている俺は、死神特有のアクセサリーともいえる漆黒の外套をはためかせて一心不乱に駆けていた。
顔に嵌めた髑髏の仮面と、厚地の外套がうまい具合に防寒具として良い働きをするものの、僅かな隙間風までは遮ってくれない。
仮面の左右対称に空けられた覗き穴からも、当然風は侵入してくるわけで。
道は果てしなく長く、永遠に続く直線——都心から遠く離れた高速道路。備えつけられた街灯の明かりと、傍で輝く街の夜景に彩られた満天のハイウェイ。
深夜帯且つ都心から離れているが故に交通量は少ないものの、気を抜いて後続車と衝突した暁には、思わぬ痛手を負う羽目になるだろう。
「……いつまで逃げ回れば気が済むのやら」
眼前で走行している大型貨物トレーラーの荷台に悠々と腰をかけて、にんまりと嗤う黒と白の異形を睨みつけて、俺は忌々しげに呻く。
ヤツは——死神は、こちらとの直接的な戦闘を上手いこと躱しつつ、嬉々としてこの高速道路に飛び込んだ。
であれば、ここら一帯はヤツの縄張りである可能性が高い。得意げに手のひらで投擲用の短剣を回して、児戯んでいるのも気になる。
念のため、”罠”の警戒もしておいた方が良さそうだ。
どれだけ格下であろうとも、敵は人外の存在である死神。
人外であるからこそ、非情で狡猾な奥の手を隠し持っている場合だってある。
油断は大敵。
慢心は己の首を絞める行為に他ならないのだ。
優位に立ったからと気を緩めて、結果として命を落とした契約者をごまんと見てきた。
同じ轍は決して踏まない。故に、相手がどれだけ格下であろうとも驕らずに。
例え手足を斬って首だけになったとしても、最後まで冷静で非情に徹する。
——ヒュン。
空間を裂くような音を開戦の合図として、死神の手から短剣が投擲された。
恐るべき速度と精度を引き連れて飛来する短剣。それと同時に、こちらの背後に大型のトラックが猛スピードで迫る。
暗闇に溶け込むような、黒ずくめの身なりが仇となったらしい。
ドライバーは、この距離まで俺の姿を認識できなかったのだろう。
今さら急ブレーキを踏んだところで、慣性の力には逆らえない。
前後を挟まれる形と相成り、危機的状況に置かれながらも俺は少しだけ感心した。
「少しは頭が回るじゃないか」
瞬きをしたあとには、短剣は仮面ごと俺の額に突き刺さる。
短剣を避ける動作に手こずれば、背後のトラックに跳ねられるわけだ。
受ければ即死の軌道を描く短剣を避けられたとしても、後続のトラックであわよくば戦闘不能状態を狙える。高速道路というフィールドを活かした戦術にまんまと嵌った俺を見下ろして、死神は満足げにほくそ笑んだ。
だが、ご満悦なところ期待を裏切って悪いなと。対する俺は、ほんの一瞬だけ死神に不敵な笑みを返してやる。
死神は不満そうに喉を鳴らせるが意に介さず、次には迫る短剣に集中した。
そもそも、短剣を避けなければいい。
避けずに走り続ければ、トラックに跳ねられる事もない。
薄暗闇の中を走る短剣の目視は厳しいものの、狙いの正確さが逆に幸いした。
軌道が容易に読み取れるのであれば、あとは感覚を研ぎ澄ませて短剣の接近を肌で感じ取ればいい。
街灯の薄明かりに照らされて、不気味な輝きを放つ剣尖。
俺は走る速度を落とさずに、そいつへ手を伸ばす。
まさに、針に糸を通すかの如く。
繊細且つ正確に親指と人差し指を動かして、短剣を摘んで動きを止めてやる。
当然トラックとは接触しないままで、だ。
「……ムォッ!?」
思いもよらない手段で短剣を封殺され、死神は驚きを孕ませた息を吐き出した。
「そうら。返してやるから、ちゃんと受け取れよ……!」
間髪入れずに、俺は摘み上げた短剣を投げ返してやる。
我が主人の元へいざ帰らんと。
牙を剥き出しにして走る短剣の反逆に動揺し、反応が遅れた死神の右肩口に深く突き刺さった。
「ギィアッ……!!」
飛び散る鮮血の中で、苦悶の声を漏らす死神。
俺はそのまま一気にカタをつけるべく、トレーラーへと急接近する。
それとほぼ同時、死神は残りの左腕で短剣を三連投した。
狙いは街灯の根元。
人外の力で投じられた得物は根元を抉り、計三基の街灯が道路に向かって鈍い音を轟かせながら倒れた。
障害物の出現に後続の自動車に乗る運転手はこぞって急ブレーキをかけ、阿鼻叫喚の玉突き事故を繰り広げている。
「ちッ……!」
やはり、腐っても死神だ。
うんざりするほどの生命力の強さ。加えて、そこに居るだけで不快感を感じるあたり、ヤツらにはゴキブリという形容がお似合いか。
走り去るトレーラーの荷台に死神の姿が無い事に気がついて、すぐさま周囲を見回す。
間もなく、遮音壁に足をかけて飛び降りる死神を捉えた。
「——逃すか!」
僅かな助走で跳躍し、遮音壁を飛び越える。果てしない高さから飛び降りて、体にかかる負荷を噛み締めながら、死神の後を追って深い深淵の底へ身を投じた。
時折、短剣が飛んでくる緊迫感に満ちた追走劇。
しかし、付かず離れずの距離を保ちながら逃走する死神。
俺はそれに、僅かな違和感を覚えた。
『こちらを誘導しているかのようですね……。まるで、こっちに来いと言わんばかりに』
脳内に少女の声が反響した。
「やはり、お前もそう思うか?」
『はい。断続的な短剣の投擲も、自らの位置をこちらに知らせているように感じられます』
「ふむ」
確かにその通りだ。
どう考えても劣勢な死神側からすれば、親切に居場所を教えるような投擲はまるで意味がない。
ならば黙って尻尾を巻き、全力で逃げた方が有益なわけだが。
「だとするなら、ヤツの行く先に何かがあるというわけだ。面白い……敢えて誘いに乗ってやろうじゃないか」
『正気ですか、我が主。
十中八九、この先に罠が待ち受けているはず。それでも、準備も無しにわざわざこちらから嵌りに行くと?』
静かな怒りを孕んだ抗議の声が、俺の脳内を凍りつかせる。
「例え格下だろうが、罠が待ち受けていようがヤツは死神だ。だったら、俺はヤツを何がなんでも殺さないといけない……お前なら、それを理解してくれているものだと思っていたんだがな」
『その言い方は、いささか反則のような気もしますが……。わかりました。
すべては主の願うままに』
ふぅ、という諦めたようなため息を追って放たれる、最早聞き飽きてしまった定型文を契機にして、一切の抗議の声が途切れた。
※
死神に誘導されてたどり着いた先。
身を刺すような海風が吹き荒れる、とある湾岸の倉庫地帯。
無数のコンテナが積み上げられた城壁の先。要塞の如く佇む倉庫の扉が、「入れ」と言わんばかりに大っぴらと開けられていた。
誘いに乗ってやった自分が言うのも何だが、まんまと敵陣に誘われたというわけだ。
倉庫の中には、無数の罠が獲物を待ちわびて舌なめずりしているだろう。
『倉庫内に潜む死神の数——この場で感じられるだけでも三体……!』
一歩。
扉へ向けて足を大きく踏み出した俺の脳内に、警告音が鳴り響く。
「三体……だと?」
『私にはワルサーほどの索敵能力はありませんが、それでも、現状三体の気配が感じられます。もしかすると、それ以上かもしれません』
……要するに、あの死神が蒔いた誘導は挑戦状だったというわけか。
万全を期して、『死神殺し』である俺を待ち受けていると。
自身も死神と契約した身でありながら、死神を狩る異端の存在——『死神殺し』という異名は、不本意ながら他の契約者や死神の間で瞬く間に広まった。
それと同じくして、まるで鬼の首を取るかのように。名声という手柄を上げたがる馬鹿が、俺の首を取ろうと挑んでくるようになったのだ。
約三体の死神と契約者も、その類の輩に違いない。
が。だからと言って特に怖じ気づくわけでもなく、特段ワクワクするわけでもない。
心拍数は至って正常。
どうであれ、俺は死神を殺すだけであり、それ以上でもそれ以下でもない。何より、死神を殺す使命を背負っている俺にとって、この戦場はおあつらえ向きってもんだ。
敵の領域に飛び込んで死んだとしても、それはそういう運命だったというわけで。
そもそも、今までに何体もの死神と一緒に何人もの契約者を葬ってきたのだ。
地獄に落ちる覚悟など、とっくの昔にできている。
※
息を潜めて警戒を張り巡らせつつ、死神の巣に足を踏み入れる。
一階のフロアは、思っていた以上に広々としており、当然ながら閑散で薄暗い。
瞬間、身の毛のよだつような殺気に全身を包まれた。
『——上ですッ!』
言われて、上を向いた時には既に手遅れ。
天井から降り注ぐのは巨体の死神。
地面を揺るがせて着地するや否や、重戦車を思わせる強烈な突進を放ち、俺の体をコンクリートの壁に叩きつける。
死神と壁で圧迫された体が、このままでは押し潰されてしまうと悲鳴を上げた。
「へえ。脳みそまで筋肉のような死神のくせに、大層な気配遮断能力を持っているじゃないか。寸前まで、まったく気づけなかったよ」
「ヒヒ。お前が『死神殺し』かァ……? どれほどの化け物かと期待してたんだが、まるで女みてェに細くて小せェ。
それに、この程度の小手調べすらも避けられんとは……あの名高い『死神殺し』サマも、案外大した事ないんだなァ?」
巨体の死神は丸太のような指で俺の顎を摘まみ上げると、鈍く輝く双眸でまじまじと見つめて、首を傾げさせて落胆する。
「期待に沿えずすまない」
「随分と悠長に構えてらっしゃるけど、良いのかい? このままだと本当に潰れちまうぜェッ!?」
「みたいだな」
荒い息を吹きかけて、途轍もない圧を俺の全身にかける死神。
ぐぎぎ、と。
体の肉と骨、背後のコンクリートまでもが軋む。
……まるで、天にも昇るような圧迫感だ。
「まァ、黙って潰れてくれるってんならこちらとしても助かるぜ。なんたって、あの『死神殺し』の首が易々と取れるんだからなァ。ヒヒ、これで俺も死神の頂点に仲間入りだぜェッ!!」
「……歓喜しているところ悪いが、このまま潰れるのはさすがに不味い。少しは期待に応えられるよう、脱出させてもらおうか……ああ、それとな。
おめおめと自ら姿を現してくれて礼を言う。おかげで、探す手間が省けたぞ」
投じた言葉の意味。そして、格の差というやつを理解できていないのか、「あァ?」と聞き返してくる死神に構わず無視をする。
限られた可動範囲を最大限に使って右腕を引き絞ると、渾身の貫手をみぞおちに目がけて放った。
ずぷぷ。
生々しい音を立てて。
血を撒き散らす。
貫手は死神のみぞおちから横隔膜を裂いて、骨を砕き体内に侵入した。
気色の悪い生暖かさが、手のひらいっぱいに広がる。
「ばッ……馬鹿なァッ!? ……お、俺の、肉体に、傷をつけるなどォォ……!」
「並みの死神が相手ならば潰せたのかもしれない、が。相手が格上なら、迂闊に接近するのは悪手も悪手だろう?
さらにつけ加えておくと、初撃はわざと受けてやったのさ。お前を誘き寄せるためにな」
「……な……何だとォ……!」
「不本意ではあるけどな。こっちも伊達や酔狂で、『死神殺し』と呼ばれているわけじゃないんだよ」
急所のひとつであるみぞおちを貫通されても尚、血反吐を吐きながら言葉を発しているあたり、死神ってヤツは本当にしぶとい。
だが、これで詰みだ。
ひとかけらの魂で編み込み、具現するのは身の丈を優に越える巨大な鎌。
そいつを右手に——死神の体内に顕現させる。
「ごァァァァァァァァァァァ——ッ!?」
肉体を食い破って現れたのは。
刃や持ち手の柄が歪に畝る巨大な蟒蛇。
約三メートルほどのそれは、『死神殺し』の象徴ともいえる、武骨で歪んだ大鎌だ。
「……か、鎌、だァ……?」
体から鎌を生やした死神は、地面に広大な血の水溜りを作る。正気の無い声で呟くと数歩後退りした。
急所を突かれて、さらにトドメの一撃を浴びた死神。いくらしぶといとはいえ、さすがに弱っていて最早死にかけの状態だ。
手を下さなくても勝手に絶命するだろうが、鎌の回収がてら首を跳ばすか。
そう思っておもむろに近づいた瞬間、死神の体が一気に膨れ上がった。
「……あのヤロォ……いつの間に、仕込んで、やがったァッ!!」
数えきれないほどの戦場を渡り歩いてきた俺でも、この感覚を味わう機会は滅多にない。
全身の血の気が引き、細胞が総動員して俺に警告する。
ここから離れろ。
でなければ死ぬぞ、と。
『——主ッ!!』
迫り来る死を察知して、後方へ跳ね退いたのとほぼ同時。膨れた死神を爆心地として、文字通り爆発が起こった。
爆風を含めて、半径三キロメートルほどの小さなものであったが、それでも周囲の収納スチールラックが一斉に倒れて物を散らす。
俺は爆風で吹き飛ばされたものの、なんとか五体満足で済んだのは、最早奇跡とも言える惨状だった。
地面を抉って爆発し、飛散した死神の肉片が音も無く消滅する。
『ご無事ですか、主ッ……!?』
「なんとかな……。誰の仕業かはわからんが、まんまとしてやられた。
しかし、この手のタイプは初めてだな。対象物を遠隔起爆させる能力……相手は希少特殊能力型か?」
ローブに付着した塵や埃を払いつつ、おもむろに立ち上がって冷静に分析する。
『……やはり、ここは一度退却しハイエナらと合流した方が——』
——ザザッ。
まるで、少女の声を遮るかのように。
柱の隅に取りつけてある館内放送用スピーカーから、微かな雑音が放送されると、その後を追うように男の声が被爆地に響き渡った。
『こりゃあ驚いた……まさか、生きているとはね。さすがは『死神殺し』といったところかな?』
こちらをくすぐるような、やや低みのある声は実に楽しげで、そして若干の感動が含まれている。
おそらく、起爆能力を得た契約者の声だろう。弄した策が空ぶって嬉しいのか、スピーカーの向こうでクスクスと嗤う。
『良いねぇ、ボスが簡単にやられてしまっては面白くない。そんなの糞ゲー以下だろ?
おっと、申し遅れました。俺は”ゴールデンボンバー”。キミを爆破して、黄金に輝く者になる』
構想はあったものの、結局書けず終いだったエピソードをひとつ。
作品は完結してますが、どうしても書きたかったので。
どうか生暖かい目で見守っていただけると有り難いです。