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死神の箱庭  作者: 北海犬斗
王ノ産声
60/74

愛してる

「蒼太さん……?」


 リクの心臓に絡み、繋がれていた蒼太との契約の証である鎖が、音を立てて砕けて散る。

 もしや聞き違いであり見間違えたのでは、と彼女は自らの胸元を確認し落胆した。


 契約者と死神の契約は途中で破棄する事は不可能であり、契約は永遠のものとなる。もし、このように鎖が砕けて散ってしまうという現象が起こるとするならば、それは契約者が死んでしまったという事であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 であれば、この戦いはリクにとってただの時間稼ぎなどではなく蒼太への弔い合戦。絶対に負けられない戦いとなった。


 リクは折れかけた心を再び立て直し、頬を伝う涙を拭う。鎌の柄が軋むほどに強く握りしめると、依然目の前で暴れ狂うルシファーを睨んだ。


 心の底からとめどなく湧き上がる憎悪に乗せて、一度絶叫を上げる。それを弔い合戦の開戦の合図とすると、リクは鎌を振り上げてルシファーに単騎で肉薄した。




 ※




 ——茉瑠奈……。俺はキミを愛している。


 そんな言葉を残すと、私を抱きしめていた蒼太の腕が力無くだらんと垂れて、胸に風穴を空けた彼の体が地面に転がった。

 血の水たまりに身を投じた蒼太くんの目はがらんどうであり、生気が感じられない。


「蒼太くん……?蒼太くんっ……」


 ありったけの力で体を揺さぶるものの返事はない。マネキン人形のように体を硬めて、徐々に体温を失っていく彼であった肉の塊だけが、静かに横たわっているだけだ。


「あ……。ああっ……!」


 血でべっとり濡れて、爪の間に肉片が挟まった右手を見て震える。自らの犯してしまった罪を痛いくらいに自覚して、もう取り返しがつかないのだと悟り、大切な人を失った悲しみと愚かな自分への怒りがこみ上げた。


「……ああああああぁぁぁぁぁぁッ……ああ、あああッ!」


 刻一刻と削れ去っていく魂への焦燥感や全身に走る痛みを忘れて、私は蒼太くんの体に覆いかぶさるようにしてしがみつく。

 そして慟哭する。いくら喚いて嘆いても、蒼太くんは帰ってこないのだという現実を認めたくなくて、駄々をこねる子どものように泣き叫んだ。


「蒼太くんっ!蒼太くん……。私、私はっ、こんなつもりじゃ……!」


 どこから歯車が食い違ってしまったのか。どうしてこうなってしまったのか。

 一時の憎しみに身も心も闇に落として、その果てに蒼太くんを失って、今さらながらに至極単純な気持ちに気がついた。


「お兄ちゃんの仇討ちなんて、どうでもいいよっ……。私はっ、あなたさえいてくれればそれでよかったのに……!」


 ——ああ。神様どうかお願いします。

 私はどうなってもいいから、どうか彼を生き返らせてください……。


 などと願ったところで、まるでお伽話のように蒼太くんが動き出すわけがない。

 悲壮感と血の臭いが洞窟の中に漂っているだけだ。


「……そうだ」


 そして途方に暮れて洞窟の天井を眺めていると、もしかすると蒼太くんを生き返らせられるかもしれない、ひとつの手段を思いつく。

 すぐさまに筆を具現させて右手で握ると、創世の七色を用いて筆を走らせた。


 描くのは蒼太くんが生きていて、且つ笑顔を浮かべている明るい未来。

 いくら神頼みをしても、それは詮無いこと。それならば、私は描いたものを具現させる能力を活かし蒼太くんの蘇生を試みる。


 ——一年前、虐められていた時に助けてくれて、その時初めて出会った蒼太くん。


 初めて一緒にお弁当を食べた時に、挙動不審になっていて可愛かった蒼太くん。


 私の作ったお弁当を美味しいって言ってくれた蒼太くん。


 水族館の展望エリアで、夕日に照らされていて綺麗だった蒼太くん。


 シュラに襲われた時に手を引いてくれた頼もしい蒼太くん。


 告白を受け入れてくれた、大好きな蒼太くん。


「うぁッ!……お、お願いだから、もう少しだけもって……!」


 残り少ない魂を総動員させて、激しい痛みに耐える。

 全ての蒼太くんを集めて混ぜて、私は彼が生きている未来を懸命に描いた。

 全てを描き終えると私は一縷の望みを託し、吐息を吹きかけて具現化させる。七色で描かれた絵はたちまち激しい輝きを放って、私の目を眩ませた——。




 ——四月三十日。午前一時。




「ブオォォォォォォォォ——ッ!?」


 まるで暴れ馬のように、烈火の如く暴れていたルシファーが動きを止めた。

 ぺりぺりと、黒々とした体の表層が剥がれては消えを繰り返し、五メートルほどあった体がみるみる内に萎む。かつて猛威を奮っていた化け物は、もうそこにいない。

 最終的に残ったのは二メートルまでに縮んでしまい弱々しく唸る、奇妙なオブジェのような生き物だった。


 突然の事態に直面して、痛々しい傷を刻み込んだ御三家の面々は思わずといったように動揺してしまう。


「なんだ?……蒼太のやつ、本当になんとかしちまったってのか!?」


「……なにがなんだかわからんが、とにかく好機のようだの。これを逃す手はあるまいよッ!!」


 全身から滴る血を振り払い、突風を纏って地面を蹴るフゥ。

 ルシファーの前に着くや否や、大地を割らんばかりに足を踏みしめて拳を放つ。


「ブオォッ……!?」


 目で捉えるには速すぎる渾身の拳は、ルシファーの体を打ち抜き大きな空洞を作った。

 狼狽(うろた)えて弱るルシファー。先ほどのように回復能力を使用する気配もない。


「ふっ、どうやらこれで詰みのようだ。トドメは任せたぞ、リク」


 漆黒の風が大地を走る。腰まで伸びた長い髪の毛を振り乱し、鎌を振り絞る少女の顔はまるで鬼神の如く。

 鋭く吊り上がった双眸で標的を捉えると、リクは鬼気迫る声音で叫びを轟かせる。


「これで……終わりだァァァァァァァァァァッ!!」


 空中を滑る刃。それは鮮血の雨を降らせ、やがてルシファーの首を食い千切った。




 ※




 ……死して地獄に落とされたというのに、なんともえらい倦怠感だ。

 だが、その反面肉体は爽快感で満ちていて、五体全てに感覚が行き届いているのがわかる。

 動かせなくなっていた右手右足も問題なく動く。口の中には血液特有の鉄臭さが充満しており、それを味覚で感じ取れた。


 久方ぶりに五感全てが揃い、滞りなく体が機能している事に感動を覚えながら、俺は重い瞼をゆっくりと開く。

 が、そこは到底地獄などという死後の世界ではなく、確かに先ほどまでいたあの洞窟だった。


「……そんな、馬鹿な」


 俺は訝しげに顔を歪める。

 断片的であり微かに残っている記憶が正しければ、茉瑠奈に胸を貫かれて死んだはずだ。


 反射的に手を胸に這わせてみて驚愕した。

 間違いなく茉瑠奈の腕が貫通し、空いたはずの穴が塞がっている。なにかの間違いなのではと思い視覚で確認してみると、僅かな跡を残しつつやはり傷は塞がっていた。


「い……一体、なにが……!?」


 状況を呑み込めないまま、追いつけずに置いて行かれるばかりの俺は周囲を見渡し、程なくして隣でうずくまっている茉瑠奈を発見する。


 目から、耳から、鼻から、口から。とにかくあらゆる穴から血を流し、傍で筆が小さな音を立てて消滅した。

 その光景を見て、大まかではあるものの事態を把握し、俺はぐったりとしている茉瑠奈を抱き上げて唖然とした。


 魂を失い血を失い、鳥の羽のように軽くなってしまった彼女の体は、同じ人間のものとは思えないほど冷たい。


「茉瑠奈ッ……。なんで……どうして、俺なんか!?俺は、キミのお兄さんを……!」


 微かではあるが、まだ息をしていた。

 肉体はとうの昔に死んでしまっている。それでも彼女は、小指の爪くらいで燻る命の残り火を燃やして、懸命に生きようとしていた。

 だが、その残り火も間もなく消えてしまうのは一目瞭然だ。


「嫌だ……!俺を置いて行かないでくれ、茉瑠奈!!」


 どこかの彼方へ消えようとする茉瑠奈の胸に顔をうずめて、わがままを言う子どものように引き止める。

 そんな俺の背中に腕を回すと、彼女は赤みをなくした唇を動かして、弱々しく言葉を紡ぐ。


「よか……った……。そう、た、くん」


 俺が生きているのを確認して、茉瑠奈は自らの使命を無事果たせた事に、安堵にも似た息を漏らした。

 消え入ってしまいそうな声を溢さずに全て聞き取りたくて、俺は彼女の顔を間近で覗き込む。

 すると、強張らせていた唇を緩めて笑み、俺の頬に滴っていた涙を指で拭った。


「ふふ……あまえ、ん、ぼう、さん……」


 一度拭ったところで、とめどなく溢れては流れ落ちる涙の前では意味を成さない。

 それにつられてか、茉瑠奈も血液と涙が混じり合った薄赤色の液体をぽろぽろ滴らせた。


「……そ、うた、くん」


 遂に訪れたその時を悟り、一心に唇を動かして最後の言葉を残そうとする茉瑠奈。


「……茉、瑠奈?」


 もうすぐ死んでしまうという残酷な運命を前にして、それでも恐怖の色は見せず茉瑠奈は、


「……だ、い、すき……。あ、い、し、て……る……」


 静かに、笑って息をひきとった。


 肉体は既に死していながらも尚、それでも茉瑠奈は自分への愛の言葉を残そうと、最後の力を振り絞って命を繋ぎながら死んだのだ。


 彼女の言葉は、俺にとっての重りや枷となり、そして救いとなり胸の中に深く刻みこまれる。


 慟哭は長い尾を引きながら、深い暗闇に包まれた洞窟を駆け抜けた——。

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