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死神の箱庭  作者: 北海犬斗
王ノ産声
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やさしい両手

「——ブオォォォォォォォォォォッ!!


 大地を斬り裂いてしまいそうな圧を持った悲痛な叫び。

 ルシファーの体が僅かによろめいた。


 絶望という悪魔の呻き声が漂う戦場の流れを、蒼太の一振りが変える。

 死界の淵に自ら身を投じて掴み上げた光明は、攻勢の狼煙となり他の者達が続く道となる。


「あいつ、いつも通り美味しいとこ持ってきやがる!」


「はっ。主役は遅れて登場するとはよく言ったものだなァ」


 心から楽しむような笑みを浮かべるフゥは、深く身を沈めて右の拳を握りしめる。


「フゥ。私のありったけの魂をあなたに!」


「応!確かに受け取ったぞ、マイヒメ!」


 言うや否や、フゥはルシファーの顔面に向けて跳躍し、引き絞っていた渾身の右腕を解き放つ。

 放たれた拳は龍の咆哮の如く、ルシファーの眉間に突き刺さった。


「ワルサー、弾丸に俺の魂をいつもの倍込めてくれ!」


「ば、倍ですか!?……でもっ、そんなに魂を使ったらハイエナが……!」


 ハイエナは腰のホルスターから拳銃を引き抜くと、ワルサーに向かって声を飛ばした。

 それを受け取ったワルサーは目を見ひらさせて、しかし首を横に振る。


「もう、しのごの言ってる場合じゃねぇんだ!この流れでヤツを一気に畳みかけねぇと、いずれは御三家で仲良く共倒れしちまう。だから早く!」


「ハイエナ……。わかりましたですよ!」


 微かに戸惑いの色を覗かせながらも、ワルサーはハイエナに手をかざした。

 すかさず拳銃を構えるハイエナ。照準をルシファーに定めて、トリガーを引く。

 ワルサーPPKの銃声と共に走り出す弾丸。ハイエナの魂を混ぜ込まれたそれは、さながら魔弾となり現実的な域を超えた速さと威力を以ってして、標的の肩を貫いた。


 蒼太の斬撃からフゥの拳、ハイエナの銃撃を立て続けに受けたルシファーは、たじろぎながら数歩後ずさる。

 それを見送りつつ、蒼太はルシファーから身を離して地面に降り立つ。と同時に視線をハイエナへ向けて問うた。


「ハイエナ!こいつの契約者はどこにいる!?」


「それが、契約者の姿が見えねぇんだ!ここに着いた時には既にあの化け物が暴れていて、探してる暇もなかったしな!」


「……あの化け物が?」


 それを聞いて、蒼太は妙な感覚を覚えた。

 堕天の化け物は間違いなく、茉瑠奈と契約を交わした死神だったもの。それがあれだけの巨体となり、強大な力を行使するのならば、茉瑠奈自身の魂の消費が莫大なものとなるはず。

 一体どのような能力であの禍々しい姿になったのか、蒼太にはいくら考えたところで理解できない。

 ただひとつわかる事と言えば、自分自身で途方もない力を振るえるのだから、死神をあんな姿に変える必要は全くないという事。


『蒼太さんっ、あれを!』


 しばし思考を巡らせていると、脳内にリクの声が響いてハッとなる。

 リクの声が指し示す方向に視界を移すと、蒼太は——いや、その場にいた御三家は一様に絶望した。


 蒼太に深く抉られた無数の切り傷。フゥの拳でかち割られた額。ハイエナに貫かれた風穴。

 それら全てが、一瞬で完治してしまった。


 御三家の全員、遂にはフゥでさえもが言葉を失ってしまう。

 思考というものが奪い去られて、ただただ立ち尽くす御三家。

 それを見下ろしながら、ルシファーは胸の前で交差させて仕舞っていた腕を解放する。そして間髪入れずに、まるで小虫を潰すかの如く拳の雨を降らせた。


 一撃一撃が地形を変形させるほどの威力を持ち、風圧だけでも相手を圧死させられるほどの速度。

 御三家はなす術なく、無残にも吹き飛ばされる。


 地面に打ちつけられた瞬間、あまりにもの衝撃に蒼太とリクは強制的に引き剥がされてしまい、一人と一体となって転がった。


「ぐあッ……ど、どうすればッ……!」


 痛みで霞む視界の中、蒼太はあるものを見つける。

 ルシファーの背後に鎖がぶら下がっており、それは後方に佇む洞窟らしき洞穴に繋がっていた。


 あれは間違いなく、契約者と死神の繋がりを表す契約の鎖。


「そうか。あれを、辿れば……!」


 蒼太は既に動かなくなりつつある体に鞭を打ち、よろめきながら立ち上がる。


「みんな、聞いてくれ!……絶対に俺が突破口を開いてみせる。俺がなんとかするから……だから、少しだけでいいんだ。少しだけ、時間を稼いで欲しいッ!」


 蒼太の言葉を聞いて、一同は皆一様に目を見開かせて返答に困っていた。

 しかし、既に万策尽きた今の状況だ。

 であれば、特に根拠もない蒼太の策に、藁にもすがるような思いで頷く他あるまい。


 蒼太を除いた御三家のメンバーは、それぞれに傷を負いながら再び立ち上がる。

 ルシファーの注意を、自分たちに集めるために。


「リク、あとは任せた」


「はい。全ては、蒼太さんの望むままに……!」


 激突する御三家とルシファー。

 身に打ちつけるような衝撃にふらつきながらも、蒼太は動かない右足を引きずり、残り僅かな魂を燃やして洞窟へ急ぐ。




 ※




 鎖を追ってたどり着いた洞窟の中は、先が見通せないほど真っ暗だった。

 だが、自然の力によってできたであろう天井の裂け目から、月の灯りが射す一点の場所がある。そこに、茉瑠奈が横たわっていた。


「あああぁぁぁぁッ!……い、痛い……痛いッ……!!」


 茉瑠奈は自分の胸に爪を突き立てて、少しでも痛みを紛らわせようと、まるで芋虫のように体を曲げたり伸ばしたりして悶えていた。


「ま、茉瑠奈……!」


 予想外の光景に俺は思わず茉瑠奈の側まで駆け寄ると、彼女の上半身を抱き上げる。


「あぅッ……!ぐああッ……!……がはッ!」


 俺の腕の中で吐血する茉瑠奈の顔は雪原のように白く、途方もない痛みで歪んでいた。


「なにが、どうなってるんだ……!?」


 苦しむ彼女の顔から視線を背けて、必死に思考を回す。そして、以前にあった出来事を思い出した。


 特殊能力型の死神と契約を交わし、その身に強力な力を宿した人間がいた。

 彼はその力を振るい、過去の外様においても優秀な働きをした人物である。しかし、強大過ぎるが故に彼は力を暴走させて、今の茉瑠奈のように苦しみながら息を引き取った。


 彼の最期に立ち会ったからこそわかる。

 茉瑠奈の症状は彼のそれと同じであり、そして既に末期の状態。

 堕天の化け物に魂を蝕まれて、いずれは全身から血を噴き出して絶命するのだ。


「……茉瑠奈」


 茉瑠奈を救う手立てがないのなら。

 あんな化け物に魂を喰い尽くされて、無残な死に方をするのなら。

 そしてなにより、御三家でも手に負えない化け物を沈静化するには。


 もう、こうする他ない——。


 俺は静かに茉瑠奈の体を床に寝かせると、彼女の細く汗にまみれた首に震える指を這わせた。

 苦しいくらいに心臓が暴れ狂い、息が乱れる。ひとつ息を吸って吐くと、意を決す。


「ぎっ……!?……あッ……かはッ!」


 愛おしい温もりが、嫌というほど手のひらに伝わる。指に力を込めて、茉瑠奈の首を一気に絞めた。

 ギリギリと気道を圧迫されて、空気を求める茉瑠奈の耳障りな呼吸音が、鼓膜に張りついて取れない。

 自分の命よりも大切で、愛する女の子を殺めようとする行為は想像以上に凄惨であり、心が今にも潰れてしまいそうだった。


「愛している……茉瑠奈」


 絞める手は緩めずに、最後の愛情表現を喉から通す。


 この真庭市に宿る約二十五万人の命。

 対して、愛する茉瑠奈の一人の命。

 これらを天秤の皿の上に乗せたとして、果たしてどちらに傾くのか。どちらが重いのか。

 無理矢理にでも自分を納得させてさらに力を強めた瞬間、茉瑠奈は瞼を薄っすらと開ける。確かにこちらを見ると、そっと俺の頬に手を添えた。


「そ……うた……くん?」


 苦しげな表情を浮かべながらも、血がこびりついた口で懸命に笑う。まるで、最期に会えて良かったとでも言いたげに。

 そんな茉瑠奈に、先ほどまでの邪気は皆無。まるで憑き物が抜け落ちたかのように、いつもの温かくて優しい彼女そのものだ。


「……どう、して……こんなことに、なっちゃったんだろ……。私、もっと蒼太くんと、一緒にいたかったのに……」


「ああ……俺も、だよ」


 狭まる気道。空気の補給を断たれた中で、茉瑠奈は(しゃが)れた声を絞り出す。

 それは緩やかに吹きつける夜風のように、今にも消え入ってしまいそうな弱々しい声だったが、洞窟内を反響して俺の鼓膜を揺さぶる。


「……もっと、もっと、いろいろなところに、お出かけしたかった……普通にお付き合い、して……結婚して……お嫁さんに、なって……子どもが、できて……」


 もう絶対に叶う事はない、明る過ぎる未来像を並べ立てて茉瑠奈は泣いた。


「……ああ、そうだな。俺も、もっと茉瑠奈と一緒に、いろんな人生を歩みたかった……!」


 そして、俺の目からも涙が滴り落ちる。

 涙は大粒の雨となって、茉瑠奈の頬を濡らす。声にならない嗚咽が、後から後からこみ上げた。


「嫌だよ……死にたく、ないっ……もっと生きていたいよぉ……死にたくない、死にたくない……死にたくないぃ……!」


 死にたくない、という言葉を呪文のように唱え続ける茉瑠奈は俺の腕を掴んだ。

 死の間際の底力とでも言うべきか。女の子のモノとは思えない力で、逆に俺の腕を絞め上げる。

 一瞬の動揺が、茉瑠奈の首を犯していた手の力を緩め、彼女の上半身は驚くべき速度で起き上がった。


「死にたくないッ——!!」


 絶叫と同時。ドンッ、という衝撃が俺の上半身に走った。


「……かはッ!」


 体内から逆流したものが、こちらの否応なしに口から吹き出る。それは真紅の鮮血であり、飛沫が茉瑠奈の顔を汚した。

 見れば胸部に彼女の右腕が貫通しており、腕はほのかな七色の輝きを放っている。


「……そ、蒼太、くん?」


「……茉瑠奈」


 薄れる視界と意識の中で俺は、目の前でまん丸の目をひん剥いている茉瑠奈を残された力で強く抱きしめる。

 彼女の心地良い体温を感じながら、ゆっくりと瞼を閉じた。


 ……あぁ、良かったと。


 死にゆく直前。

 愛する人を殺めずに済んだ事に安堵し、ほっと胸を撫で下ろす。

 意識は、そこで途切れた——。

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