勝利の代償
「そういえば、まだ貴様の返答を聞いてなかったな。では、問いの内容を簡潔にしようか。貴様はこの世界に仇なす者か否か、それだけ答えろ」
完全に私を捉えて離さない視線と、いつでも飛び出せるであろう戦闘態勢を保ったまま、フゥは唐突に問いを放り投げてくる。
一瞬、私の意識を逸らす目的を持っての質問だろうかと警戒したものの、どうやらそうではないらしい。そもそも彼女ほどの戦闘能力があれば、小細工のような策を弄する必要などないはずだ。
であれば、自分自身が抱える不明点をざっくりとした質問の返答で見定めて、解消する腹づもりなのだろう。
しかし、簡単なようで答えに悩む質問だ。
私が世界に仇なす存在なのか、そうではないのか……。
願いのひとつに『死神殺し』の首をこの手で掴み、お兄ちゃんの仇討ちというのもあるけれど。心に秘めた真なる願いといえば、嫌気がさしてしまった世界を滅茶苦茶にして壊し、作り変えることだ。そう、これが真髄であり真骨頂。
そうともするのなら、確かに私は仇なす存在なのかもしれない。だけど、それで救われる人間だって少なからずいるのではないだろうか?
「……ええとね。正直、自分が仇なす存在なのかなって思ったんだけど、やっぱりわかんないや。
私は王様だから、欲望の赴くままやりたいようにやるだけ。結果的に仇なす行為になるかもしれないけど、それで救われる人だっているかもしれないよ?」
私は満面の笑みで、返答を返してやる。
「例えそれが、世界を作り変えてしまったとしても……ね」
その返答を受け取ってくれたのか、それとも見送ったのはわからないけれど、フゥはなんとも苦い表情で口の端を吊り上げた。
「はッ、舐めるなよ小豆娘……暴虐の王にでもなったつもりか貴様は。やはり、思ったとおりに性根が腐っているらしい。猛毒を振りまく毒花は、蕾のうちに摘み取ってやるのが最良よ——!」
やっぱり見送られていたのかな。いや、そもそも私が暴投してしまったパターンか。なんてのほほんと考えている内に、フゥの姿が消えた。
彼女の軌道を目で追うなど、到底不可能な行為は早々に諦める。心配せずとも私の周囲に漂う盾が守ってくれるし、何よりこの盾さえあればいくら強烈な攻撃といえど、私に届くことはかなわないのだから。
方向は右。不可視の拳は、先ほどよりも威力が増している。やはり、先ほどまでの彼女は本域ではなかったらしい。だがそれは読んでいた。
故にこちらも、従順な盾へ魂を送って強度を高めてやる。耳にこびりつくような悲鳴は上がらずに、強固な体を神々しい薄緑に輝かせる盾。
城壁を連想させる絶対防壁を前に、ふうは至極楽しげに口の端をぐにゃりと引き上げた。
「やはり、厄介な能力だ。よもや久方ぶりに本気を出すことになるとは思わなかったが……それも致し方あるまいなァッ!!」
ザァッ——、と。
鼓膜につんざく怒号とともに、彼女の闘気が火山の噴火の如く吹き荒れる。噴火口から押し寄せる闘気に、私は思わず身震いした。
全力を解放した今、彼女相手の長期戦は間違いなく寿命を縮めることになる。であれば、次の一手でフゥを王手に持ち込むしかあるまい。
その拳はまさに龍の逆鱗。想像を絶する圧を纏った拳の余波は、周囲の地面に亀裂を刻み込む。
ありったけの魂を送った盾でも、その侵略を止めるには至らなかった。全身に深い傷を走らせて、盾は遂に崩壊してしまう。それでも、彼は自らの役目を最大限果たしてくれた。
その身を以っての、たった一瞬の時間稼ぎ。たかだか一瞬だが、それは勝敗の天秤を大きく傾かせる要因になり得る。
フゥが拳を放つとほぼ同時、私は自分の目の前に広がる空間いっぱいに、混沌の紫を用いて雲丹のような刺々しいモノを描く。
言うなれば、これは炸裂弾。爆発したが最後。自身の体に張り巡らせた棘で、目標物を捕らえるまで永遠と追いかけ回す。一度捕らえれば、有無を言わせず相手が死するまで棘を刺し尽くす。
まさに、敵を殺すためだけに生み出された殺戮兵器。
「——なんだ、これは!?」
無数の棘に追いかけられて、屋上を駆け回ってひらりひらりと躱すフゥ。だが、不規則な棘の動きは徐々に彼女の体から肉を削いでいく。
「馬鹿なッ……!貴様如きが、複数の能力を保持していると言うのか……これほどまでに強力な——ッ!?」
棘はフゥの右拳を捕らえて砕く。手首から先をごっそりと食らった棘は、それでも動きを止めない。
地獄の狂乱絵図を眺めながら、私は筆で描いた漆黒の羽を背中に生やし、悠々と上空へ羽ばたく。
「これで、終わりッ!!」
「何ィッ……!?」
筆先から迸るのは、藍色の激流。高速で走るそれはルシファーを緩やかに躱しつつ、屋上全体ないしフゥに向かって降り注ぐ。
激流が通り過ぎた後、そこに残るのはルシファーのみでフゥの姿はなかった。
「……勝てた、のかな?」
魂を大量に消費した代償なのか、全身が虚脱感に包まれる。
ゆっくりと屋上に降り立つと、辺りを見回しているルシファーに尋ねてみた。
「いえ。気配がしっかりと感じられる上に次第に遠ざかっている。どうやら、仕留めるには至らなかったようですね」
「そっか……残念」
さすがというべきか。
終盤は死に物狂いで殺しにかかったつもりなのだが、逃げられてしまったらしい。
「ですが、御三家において純粋な戦闘力では頂点に位置するフゥを、ここまで追い詰めたのです。王の存在は、外様の中でたちまち駆け巡ることでしょ——王よ、どうされました!?」
ふらり、と。ルシファーの言葉を聞いている内に、意識が薄れて体が大きくよろめいた。
ルシファーが咄嗟に支えてくれなかったら、恐らく倒れて地面に伏していただろう。
「……あぁ、ごめんね。なんだか、意識が一瞬薄れてしまって」
依然として、視界がぼんやりと揺れている。喉に引っかかるように、声もどこか掠れていて気持ち悪い。
「連戦での精神的な疲労と、大量の魂を消費した影響でしょう……とにかく、今は安静にしておいた方が良い」
なるほどな。次第に霞む意識の中で、ぼんやりと納得した。
初陣での連戦は見事勝利で終えられたものの、体や精神への見えないダメージは相当深いらしい。勝利の二文字は輝かしいけれど、結果としてなんとも苦い結末じゃないか……なんて考えている矢先、意識が完全にシャットアウトしてしまった——。