堕天使の長
「なっ、なにが王様よ……?アンタ、頭イかれちゃったんじゃないの……!?」
ーー私がイかれている?……だとするならば、本当にイかれているのはこの世界に他ならない。
理不尽な運命ばかりが闊歩していて、願えば容易く王様になれてしまう世界の方が圧倒的にイかれている。だから、私が世界に引導を渡してあげるのだ。
「なに黙ってるのっ……?な、なんとか言いなさいよぉ!」
最大限に振り絞ったきぃちゃんの強がり。だけど片腕を失い、顔にべったりと血を付着させた彼女に先ほどまでの勢いはなく、弱々しく震えている。
未熟で幼い精神では、底知れない恐怖を理解するには思考が追いつかないのだろう。きぃちゃんもみっちゃんもさっちゃんも、まなじりに涙を滲ませ、歯を小刻みにがちがち鳴らせて、ただ呆然と立ち尽くしていた。
死神は、そんな三人の醜態が見るに堪えないと言わんばかりに、大きなため息を吐き捨てる。そして、私の前で片膝を地面につけて腰を下ろし、こうべを垂らして口を開く。
「失礼を承知で王よ。この愚かで薄汚い小娘達には、貴方の素晴らしい力を振るう価値が本当にあるのでしょうか?濁った血で御手を汚すのであれば、いっそこの私が」
「三人には今までの大きな借りがあるからね。私自ら報いなければ、まるで意味がないの……。でも、あなたの心遣いはとても嬉しいよ」
「勿体無きお言葉、痛み入ります。であればもう何も言いますまい。王の心行くまま、存分にお楽しみくださいませ」
死神は静かに道をあける。その先には、ぼんやりとした自身の未来像を思い浮かべ、怯えながら身を寄せ合って震える三人の姿。
それを肴に、舌なめずりをひとつ。
そして、ちょこまか逃げ回られても面倒だな、と思った私は彼女達に向けて筆を走らせる。描いて具現させるのは、約二メートルほどの黒い棘。それを無数に描くと、三人の頭上から地面に向けて暴雨のように振らせてやる。
棘は三人の体の隙間に食い込むようにして地面に突き刺さると、擬似的な檻となって一切の身動きを封じた。
「ね……ねぇッ!私達小学校からの友達でしょ……だよねぇ?だからこんなことやめてよっ、末瑠奈ぁ!!」
窮屈な檻に絡みつかれて、息苦しそうに口を歪めるきぃちゃんが、友達だからやめてと懇願する。
「はーー?友達ぃ?やめてぇ?……あっ、あはははははははははははッ!!」
不意に発せられたきぃちゃんの馬鹿げた言葉に、私はお腹を抱えて笑う。後から、さらに後から続く可笑しさを、路地の隙間から垣間見える夕日に向かって吐き出す。
危ない危ない。あまりにも愚か過ぎて、つい首を飛ばしてしまいそうだったよ。でも許してあげる。
だって、いきなり首を飛ばしちゃったら楽しみが半減だものね。
「私を散々痛めつけておいて、今さら友達づらしてんじゃねぇよバァーカ!!誰が誰と友達だって?あんまり不愉快なこと言ってたら、今すぐ殺しちゃうけど?」
筆の切っ先を、ぐいぐいきぃちゃんの頬に押し当てる。油断すればこのまま殺してしまいそうだった。
情けなく大粒の涙を流すきぃちゃんはされるがまま。あはは、可笑しい!
「やめてっ……お願いだからっ……!」
「やぁだよ。私が何度お願いしても、きぃちゃん達はやめてくれなかったでしょ?それなのに、よくもまぁ都合良くお願いなんてできるね……。
言っとくけど、いくらお願いされても私はやめないよ。いたぶって辱めて、今までの分きっちり返すから!!」
王様の宣言に、返答はない。
先ほどまでの活気はどこへやら。みんな一様にすすり泣いていて、それどころではないといった感じ。
あー、興醒めだ。
このままではつまらない。
仕方なしに指を鳴らして、黒い檻を消してあげる。突然の解放に、愚民三人は揃って目を見開かせると、こちらに視線を集めた。
ぱんーー。
手を叩く。湿っぽく白けてしまった舞台を盛り上げようと、ふと閃いた名案を投じる。
「じゃあこうしようか。
制服を脱いで、下着も全部外して今すぐ裸になってよ。それで三人揃って駅前を練り歩いて、私を楽しませるの!結果次第では、もしかしたら許してあげるかもしれないよぉ?」
「な、何言ってんの!そんなのできーーひィッ!?」
筆で空中に黒い点を押し描いて、弾丸の如くきぃちゃんの眉間すれすれに走らせる。
背後の壁がまるで豆腐のように、フニャリと風穴を開けた。
「言ったよね、王の言葉は絶対ッ!!三度目はないよ!?」
舌打ちと一緒に険しい顔で睨みつけてやると、三人はヒィヒィと血相を変えて制服を脱ぎ始める。
人気のない路地とはいえ、屋外という空間で裸になろうと死に物狂いに制服を脱ぎ捨てる光景は、あまりにも滑稽で馬鹿馬鹿しい。まだ冷える寒空の下、下着姿になる三人に笑いが込み上げた。
「くふっ。いいね、これ楽しいね!!みんな馬鹿丸出しだよ?あはは……それじゃあ次、下着もいってみようか」
三人は喉を鳴らして一瞬躊躇うものの、無言で筆を軽く振るうと慌てて下着に手をかける。片腕のきぃちゃんは、少々手こずっている様子。
程なくして、乾いた音を立てながらブラが地面に落ちた。年端もいかぬ女の子が涙を流して胸を露出させる景色は、最高に狂っててまさに絶景。
「へぇ。改めて見ると、きぃちゃんの胸って案外小さいんだね。そういや、私のことを乳だけデカい女って言ってたっけ?自分は、こんな貧相なくせにね?」
きぃちゃんの背後に回った私は、耳元で囁く。薄っすらとした乳房の輪郭を、水彩筆の毛先で舐め回すように撫でる。
こんな状況でもやはりくすぐったいのか、それとも屈辱感からなのか、「……ひぅっ……ふぅっ……」と時折息を噛み締めて、体を跳ねさせた。
「それじゃあ、いよいよお待ちかねの”こっち”も脱いで?」
筆で軽くパンティを叩く。
ここまで来ると羞恥心も薄れてしまうのか、躊躇いなくすんなりと脱ぐ三人は遂に一糸纏わぬ裸体を野外でさらけ出した。
屈辱で唇を噛み、涙で地面を濡らし、懸命に手で胸や恥部を隠す姿は見ているこちらが切なくなってしまう。同時に、心地良い愉悦感が押し寄せた。
「アハハハハハハハハハハッ!!ーーまさか、本当に裸になるなんてね!傑作!性格の悪さが生命力の強さに繋がるって話も、あながち間違いではないのかなぁ……。その頑張りを認めて、特別に努力賞をあげるね?」
筆で描くのは赤い横線。それを吐息で飛ばしてやると猛犬のように走り出し、次の瞬間にはみっちゃんとさっちゃんの首を刎ねていた。
ボールのように跳んでいく頭部。主を失った首からは血の噴水。激しく痙攣する体は間も無く地に伏した。
「あッ……?な、なんでよ?私達、末瑠奈の要求通りにしてたじゃん……!」
「ごめんねきぃちゃん。最初から許す気なんてなかったし、殺すつもりだったの。でもさ、裸で駅前を歩かされるなんて生き地獄よか、痛みを感じずに死ねるなら……そっちの方が断然良いでしょ?」
「……私も殺すの?」
「そんなの、いちいち聞かなくてもわかるよね?」
私の返答に、きぃちゃんは瞳から生気を失ってうなだれてしまった。
「……アンタ、これで殺人者じゃん!人生終わったねぇ、ざまーみろ……!」
死に際の怨嗟は、消え入ってしまいそうなくらいにか細い。けれど、しっかり私に向けられていて、体を貫かんと飛来する。
だけど、この程度の怨嗟に響く私ではない。だって、王様なんだもの。
「なんで人生が終わるの?私は王様なんだから、何をしても許されるんだよ?
例え警察が私を捕まえようとしても、きぃちゃん達のように殺すだけだしね」
至極あたりまえのように言って、筆で横線を描いた。
「じゃあね。バイバイーー」
駆ける横線はきぃちゃんの首に喰らいつくと、鮮血を撒き散らして千切る。地に伏しているみっちゃんとさっちゃんの後を追うように、頭部を失ったきぃちゃんの体も地面に叩きつけられた。
しんーーと静まり返る路地。気がつくと、地面はすっかり血の海と化していた。そこに浮かぶのは、三人の死体。
私はそれを眺めて、うっとりと恍惚の吐息を漏らす。
「はぁー、満足。これが殺しの味なのね……。癖になっちゃいそう」
両頬に指を這わせると、頬が上気していて熱い。
「いやはや。清々しいまでの暴虐ぶりに、すっかり感服してしまいました。さすがは死神の王ーー私の主よ!」
惜しみない感動の拍手を送ってくる死神に、私ははにかんだ笑顔を向けた。
「ありがとう……えーと、あなたの名前は?」
「ハッ、私ども死神に名前はないのです。なので、どうか王のお好きなように何なりと呼んでくださいませ」
そうなのか、と私は頷く。
名前がないのはいささか不便だ。何かある度に死神なんて淡白に呼ぶのも、パートナーに対してぞんざい過ぎるだろうしね。
しかしながら、私は名前を考えたりするのが苦手。というより、あれこれ永遠と迷ってしまうから、いつまで経っても決まらないのだ。
うーんうーん、と頭を悩ませる私だったが、数日前に美術部の活動において描いた絵のモデルを思い出した。
ーー堕天使の長、ルシファー。
もとは見目麗しい大天使であったが、神に対して謀反を起こし、その身を堕落させた堕天使だ。
自由意思で全てを闇に沈めた今の自分と、ルシファーが何となく重なって思えたからか、不思議とその名前がしっくりきた。
「うん、決めた。あなたは今からルシファーね。どうかな?」
「るし、ふぁー?……ルシファー、ルシファーですか。ふむ、なるほど……これは、なかなか」
顎に指を添えて頷きながら、噛み締めるように自らの名前を口ずさむルシファー。
そんな彼を眺めて、私は少しだけ不安になってしまう。一応気に入ってはくれているようだけど。
「王よ、素晴らしい名前を与えていただき感謝します。このルシファー、王の大願成就のため、体朽ち果てるまで共に戦わせていただきます故」
ルシファーはそう言うと、右手で髑髏の仮面を外す。仮面の下から出てきたのは、黄金に輝く髪の毛と、真紅に煌めく双眸を携えた美青年。
もしも現実に堕天使の長ルシファーが降臨したのなら、きっと彼のようだったのではないだろうか、と思ってしまう説得力のある顔立ちに、思わず息を呑んでしまった。
「そ、そう?気に入ってもらえたようで良かったよ。えへへ……」
ルシファーの大袈裟過ぎる感謝ぶりを見て、ぽっと思いついた名前をあげてしまった自分の行いに罪悪感を覚える。
「して、王よ。これからどうされるおつもりで?早速、貴方の望むままの世界を創造されますか?」
「それも良いけどね。でもその前にやっておきたいことがあるから、そっちが先決」
「やっておきたい事、とは?」
ルシファーは復唱すると、目を細めた。
「ユウジお兄ちゃんの仇討ちをしてあげるの……。そのために、私自らの手で『死神殺し』の首を取るーー!」