王の産声
「末瑠奈ぁ、私ら本格的にお金がなくてさ。この前言ってたパパ活ってやつ、本当にやってみてよ?」
放課後。きぃちゃん達は私の可否など御構い無しに、私の腕を無理矢理引っ張って駅前まで連行した挙句に、パパ活なるものをやれと強制する。
つい数日前に、蒼太くんから釘を刺されたはずなのに、よくもまぁ懲りないものだ。
きぃちゃん曰く、「あんなのハッタリに決まってる」らしい。
もう、ぐるぐる考えて悩むのが煩わしくなってしまった私は、半開きの虚ろな瞳で、無気力にされるがまま。掠れた声で一言だけ。
「……お願いだから、もうやめて」
一体、何度目のお願いだろう。思い返すのも面倒だ。
「あっそぉ……じゃあ、こっち来いよ」
さらに引っ張られて、たどり着いたのは雑居ビルの裏にある細い路地。夕日が遮られていて薄暗く、ジメジメしている。当然、人通りなど一切ない。
そこに身を投げられるや否や、私の頬に張り手が飛んできた。
ぱぁん、と乾いた音が薄っすらと響く。
「ひッ……!?」
咄嗟に、自分の顔を両手で覆う。
「アンタがやる気になるまで、たっぷり痛めつけてやるよォ!」
みっちゃんの脚がお腹に食い込んで、よろめいたところに、さっちゃんの足払いで私の体は地に伏した。
傍で腰を下ろしたきぃちゃんが、私の顔を覗き込むと髪の毛を鷲掴みにする。
「どうよ、末瑠奈。少しはやる気になってくれたかなぁ?」
「や……やだ……!」
「残念。じゃあ、もっと痛めつけないといけないね。あー、心が痛むわぁ」
「あはは、きぃが心にもないこと言ってるよ!」とはみっちゃん。
「次はどこ蹴ろっか!?」とはさっちゃん。
さながら悪魔のように、三人はとても楽しそうに笑い合う。
私は地面に密着したまま、ゆっくりと瞼を閉じた。
ーーきぃちゃんも、みっちゃんも、さっちゃんも、どうして私を虐めるの?
やめてってお願いしても、どうしてやめてくれないの?私が、弱いから?
親友なんていいながら、友恵は私を知らんぷり……こんなもんなんだね。結局、親友なんてものは名ばかりで、確固たるものは目に見えないんだもん。
壊れるのなんて、本当に一瞬だね。
お父さんは自分の息子が行方不明ーー死んでしまったというのに、偽りでも心配そうにする素振りも見せず、それっきり……お母さんだって、その日は泣いたり喚いたりしてたくせに、次の日には落ち着いてた。
あなた達にとって、お兄ちゃんはそれくらいの存在だったの?
そして、蒼太くん。お兄ちゃんの、仇……あなたを想うだけで、もう胸が痛くて痛くてたまらないよ。
こんなことなら、出会わなければ良かった。
誰も、私に優しくしてくれない。それどころか、世界に私という存在を拒絶されているような感じだ。
こんな世界なら、いっそ壊れてしまえばいい。『死神還し』が言っていた、日本の最悪な末路を辿って、滅んでしまえばいいのに……。
嫌だ。こんな世界は、もう嫌だ。
ああッーー嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ!!
嫌だと、そう念じる度に、私の体をドス黒くてドロドロしたモノが侵食していく。
そうして、私という全てが呑み込まれた時、私の中の何かが音を立てて壊れたーー。
「ーーねぇ……いるんでしょ?……そこに、いるんでしょッ!?」
暗闇の中で、虚空に向かって声を張り上げる。ほどなくして、白い髑髏がねっとりと、私を見下ろすように具現した。
私を一瞥すると、髑髏は恭しく一礼する。
『ええ、ええ、いますとも……私はいつ如何なる時でも、貴方のお側にいますよ。我が主ーーいや、王よ』
「私は王様になれる資質があるって、前に言ってたよね?私は、王様になれるの?」
『もちろんですともっ!貴方は七色に輝く魂と、王の資質を持つ者。私と契約を結べば、貴方は死神の王に成れる』
「世界を思うままに作り変えられるって言ってたのも、本当?」
『御意に』
髑髏の仮面が邪魔で表情こそ見れないものの、彼の真っ直ぐな言葉に虚飾はない。
「そう……。じゃあ、契約しようか。私と」
私の契約という一言に、髑髏はーー死神は驚愕と感動が混ざり合った吐息を漏らした。
『オォッーーッ!!王よ!遂に……遂に決心されたのですか!?私と契約を結び、死神の王となる決心を!!
嗚呼、あどけない幼顔に華奢な体と、甘美な青春を闇に沈めて王に成る覚悟を決めるのは、さぞお辛かった事でしょう。
ですがこの私、王の従属として地獄の果てまでもお供させていただく所存!!』
感極まる死神とは対照的に、私は乾いた笑いを吐き捨てる。
何やら大層な言葉が並んでいくけれど、全然違うよ。そんなんじゃない。ただ、この世界に嫌気がさした。
それなら、いっそ自分の手で壊してしまえって思ったから。そんな単純な話だ。
『おっと失礼。私とした事が、つい頭に熱を帯びてしまいましたーーして、王よ。貴方の願いとは如何に?』
「もうね、嫌になっちゃったの。この世界の理不尽さとか、もう何もかも。
だから私、王様になりたい。どんなわがままも、暴虐も、世界を滅茶苦茶にするのだってまかり通ってしまうくらいの、絶対的な力を持った王様にして頂戴ーーッ!!」
『……承知。では、早急に契約をッ!!』
最早、興奮を抑えきれないと言わんばかりに、死神は自らの腕を私に向かって突き出す。その手を取れば、契約は果たされるーーが、一瞬それを躊躇う自分がいた。
ここに来て、どうしようもない恐怖に身を震わせる。
手を取り契約を結べば、確実に楽しかった日々を失う。すなわち、自分が人間ではなくなってしまうという確信が、僅かな躊躇いを産んでしまったのだ。
しかし、そんなものは一時の杞憂。
私を虐げ、無邪気に笑い合う悪魔三人。私の兄を殺した想い人、その他嫌なもの全てを思い返すと、躊躇いすらも凌駕する憎悪が原動力となり、人間をやめる決意をより強固にする。
キラキラ輝く楽しかった日々と、人間だった私を代償に、今こそ暴虐の王様となるのだーー。
死神の手と、私の手を重ね合わせる。
その刹那、私と死神を七色の奔流が包み込んだ。
『無事、契約は果たされましたッ!』
昇天せんばかりの、至極満足そうで震えた声を漏らす死神は、朧げだった輪郭に、確かな実態を得る。
両脚を具現させた死神は地に降り立つと、心臓辺りから突如鎖が撃ち出された。
「ーーかはっ……!?」
それは私の体を貫通し、ぐるぐると心臓に絡みつく。
「失礼。これは、私と契約し願いを叶える助力をする、貴方への絶対的な代償。
これから一日につき、貴方の魂の一日分を頂きます故、鎖を撃ち込みました。王に対していささか失礼だとは存じますが、決まり事なのでどうかお許しを」
なるほど、と私は小さく頷く。
だいたいの原理は、『死神還し』から聞いていたので、なんとなくは理解できる。
「一日で、一日分。合わせて二日分……それで王様になれるのだもの、安いものよね。いいよ、許す」
「ハッ、有り難きお言葉……!」
整然とそう言って、私は自分の右手に視線を移す。握られているのは、水彩筆。
それだけで、全てを把握した。
把握したのは、自分に与えられた力。どのようにすればどうなるのか。
それら全てをひっくるめた情報が、頭の中を目まぐるしく駆け巡った。
「へぇ、なるほど。良いね、これ」
まるで生まれ変わったように体が軽い。今までの苦悩が嘘だったかのように、気分は晴れ晴れとしている。
「でしょう?是非、貴方の思うままに筆を走らせてくださいませ」
髑髏の仮面が、ぐにゃりと嗤った。
七色の奔流が通り過ぎると、そこは残滓舞い散る路地裏。
きぃちゃん、みっちゃん、さっちゃんが目をまん丸に見開かせて、呆けた顔で立ち尽くしていた。
彼女達に、今の現象がどのように見えていたのかは定かでないけれど、どうやら死神は見えているらしい。視線は死神に集中していた。
「何あれ……。もしかして、死神じゃね?」
さっちゃんが、物珍しいものでも見るように死神を眺めて、息を呑む。
それは、きぃちゃんもみっちゃんも同様に。
「ねぇ、きぃちゃん、みっちゃん、さっちゃん!これは最後のお願いだから、よぉく聞いて」
死神を越してハツラツに、私は嘘くさい笑顔で三人の前にぴょこりと立つ。
「もう、私を虐めるのはやめて?」
先ほどまでの弱りきった私の変わりように、三人は困惑、というよりも畏怖の感情を纏う。
しかし、きぃちゃんは眉間に皺を寄せて、こちらへ詰め寄ると大きく口を開いた。
「はぁ!?末瑠奈のくせに、何を偉そうに言ってんのォ?やめるわけないじゃん!」
「なんで?」
「なんでって、楽しいからよ!虐める度に、アンタが悲しい顔をするのが楽しいの!だから、絶対にやめない!」
「……そっかぁ、やめてくれないんだね。これは、最後のお願いだったのに。きぃちゃん、ひとつ言っとくね?」
私は右手に持った筆を縦に振るう。ズズズ、と空間に赤色の縦線が塗り潰される。
吐息を吹きかけると、それは恐るべき速度で走り出し、きぃちゃんの右腕を肩から綺麗にすっぱり切断した。
「王様の言葉は絶対なのッ!」
「なっ……え……?」
緩やかな軌道で右腕が宙を舞い、やがて地面に落ちる。程なくして、鮮血が飛び散った。
凄惨な光景に、みっちゃんとさっちゃんが先行して悲鳴を上げ、続くようにきぃちゃんも悲痛な叫びを轟かせる。
「ぎっ、ひあああぁぁぁぁッ!?腕が、私の腕がぁッ!嘘でしょッ!?ナニコレ、ナニコレナニコレ!夢っ、夢じゃないの!?」
「あはは、夢だったらいいのにねぇ」
「……ま、末瑠奈ぁッ!アンタ、こんなことしてどうなるかわかってんのォ!?」
「は?私は王様なんだから、何をしても許されるに決まってるでしょ愚民!
それよりさ、虐めるのをやめないなら、自分が虐められる覚悟はできてるってわけだよねぇ……今からたっぷり虐めてあげるから、すぐに壊れちゃやだよ?」
王様の言葉に、顔を恐怖で歪めるきぃちゃん。
少し首を傾げさせて、慌てふためく愚民を眺めると、うっとりとした気持ちで満ちる。くふふ、と噛みしめる笑声は、まるで王の産声だ。
ああ、楽しいね。とても楽しいーー。