月明かりの下
「……あれが、ワルサーの言っていたシュラの隠れ家か」
地面に落ちていた枝を踏み鳴らし、『死神殺し』が呟くように言う。
漆黒のローブを纏い、髑髏を模した仮面をつける彼の呟きは、瞬く間に闇夜へ吸い込まれた。
住宅地から随分と離れた森をしばらく歩くと、驚くほど辺鄙な場所に、工場のような建物がひっそりと佇んでいた。
周囲の外壁には、無数の蔦が所狭しとひしめいており、老朽化が進んだ古めかしい外見が、なんとも言えない不気味さを醸し出している。
人外の化け物が眠る、異形の住処としては、最高にお似合いの佇まいだった。
シュラとの戦いの後、ワルサーの能力で撤退したシュラの気配を辿り、最終的にここで動きを止めた。
であれば、ここがヤツの拠点なのだと断定した『死神殺し』は、ハイエナの制止を押し切り、リクを連れて単身でこの廃工場へと向かった次第である。
極めて危険度の高い死神を、野放しにはできないという気持ちと、死神を狩るという自らの使命。
そして何より、彼にはシュラに大きな借りがある。それを今すぐにでも報いなければ、ふつふつと湧き上がる怒りは抑えられない。
腕を斬り、脚を引き千切り、抵抗できなくなったところを散々痛めつけた後に、首を砕く腹積もりだ。
「……主。シュラ討伐の前に、ひとついいですか」
はやる気持ちを抑えきれない『死神殺し』へ向けて、リクが極めて冷静に声を投げかける。
「なんだ?何かあるのなら、手短に言え」
うるさい、という感情を前面に出して、苛立つ『死神殺し』。
しかし、リクは彼の威圧感など御構い無しに、互いの体が密着してしまいそうなほどに間近な距離まで詰め寄ると、自らの仮面を手で掴み、外す。
仮面の下から出てきたのは、まるで人形を思わせるような、黄金比率に愛されたあどけない少女の顔だ。
大きな瞳に長い睫毛を蓄えており、すっと通った綺麗な鼻筋。ぷっくりと、柔らかそうな唇に、雪原を彷彿とさせる白くて透き通った肌ーー。
その外見に、美しく煌めいている長い髪を揺らす彼女は、正に動く人形の他ならない。
リクは、綺麗な顔を少しだけ歪めて、怒ったような表情を浮かべると、『死神殺し』の体をぺとぺと触れた。
「お怪我は、無いのですか……?」
「ああ……目立った手傷は、負ってないが?」
リクの場違いとも言える行動に、『死神殺し』は思わず戸惑い、同時に毒気を抜かれてしまった。
「リクは、主に怒ってます」
「何故、怒っている?」
リクを怒らせるような事をしたか、と思考を巡らせる『死神殺し』。だが、いくら考えたところで、微塵も思いあたる節が無い。
「何故……どうして、あの様な状況になっていながら、私に連絡をくれなかったのですか?
ワルサーの通信があったから間に合ったものの、それがあと少し遅かったのなら、主の命が危うかったかもしれないのですよ?」
「す、すまないな。状況が状況だっただけに、なかなか連絡ができなかった」
綺麗な瞳に睨まれて、少しだけ後ずさる。
リクは、そんな『死神殺し』を逃がすものか、と触れていた手で彼のローブを掴んだ。
「そんなの、知りませんっ。どうして……どうして主は、いつもリクを困らせるのですかっ」
月明かりの下。
悲しげにそう言うと、リクは彼の胸に預けるように、自らの額を密着させる。仄かな温もりが、ローブ越しに伝わった。
ただただ、真っ直ぐに彼を案ずる優しさも一緒に。
ローブを掴んでいる手が、嘆きとともに歪んだ唇が、ふるふると震えていた。
リクと契約を結んでから、早四年。
こんなにも感情を剥き出しにして、こんなにも弱っているリクを、『死神殺し』は初めて目のあたりにする。
それと同時に、これほどまでに自分を思いやってくれていたのか、と心底驚いた。
同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
彼女は、『死神殺し』が忌むべき存在である死神。例え彼女にどれほど想われようとも、自らの目的の果てには、彼女も殺さなければならない……それは、契約を交わす際にリクに伝えており、彼女もそれを了承している決まり事。
「次からは、気をつける」
『死神殺し』に、先ほどのような憎悪と怒りの感情は無く、静かにそう言うとリクの肩に手をおいた。
これで、巨大な鎌を振り回すなどとは到底思えないくらいに、本当に小さな肩だ。
リクは、潤んだ瞳と共に顔を上げると、微かに笑んだ。
「もっと、リクを頼ってください」
「これでも、お前にはいつも頼らせてもらっているんだがな」
「いいえ。もっと、です」
「では、そうさせてもらおうか……ならばまずは、ヤツの首を取るために力を貸してくれないか、リク?」
穏やかな夜に、風が吹く。樹々が、微かな音を立てて葉を揺らす。
月光の筋が降り注ぐ暗闇の中、『死神殺し』は双眸に鈍い眼光を灯らせる。
その眼光の先にあるのは、これから戦場となるであろう廃工場。
「はい……全ては、主の願うままに」
リクは、呪文の如くそう唱えると、髑髏の仮面を顔に嵌める。『死神殺し』の魂を拝借し、瞬きの間に自身の体よりも大きな鎌を具現させると、右手で掴んで重みを肩に乗せた。
「もう、ヤツに様子見は必要ない。最初から全力で行くぞ……!」
「はい」
淡白に言葉のやり取りを交わして、二人は廃工場へと向かう。
死神を憎み、殺す『死神殺し』と、
死神の少女、リク、
彼らの進む道の先は、右だろうが左だろうが、絶望に満ちているーー。