灼灼と煌めく
既に黄昏時も終わりを告げ、世界は黒々
とした闇に包まれた。
街灯や、建物、周囲の街並みに明かりが灯り始める。
異形の呻き声が木霊する暗闇に包まれながらも、街は煌びやかで、どこか暖かい情景を醸し出す。アンバランスで、不気味さを孕んだコントラストの海。その中を、まるでトビウオのように、潜っては跳ね、また潜っては跳ねるを繰り返す一体の死神がいた。
ビルの屋上から、その先のビルへと飛び移る死神は隻腕であり、しかし満足そうな息を漏らしながら、また次のビルへと飛ぶ。
死神ーーシュラの身に纏うローブは、意気揚々としている主人とは裏腹に、ところどころが千切れ、破けていた。
まるで、激しい風雨にさらされて、何度も地面に引きずられた、一枚の布のように痛々しい。
『死神殺し』との死闘の末、その後はハイエナ、ワルサーも介入し、戦闘はさらなる激化の一途を辿った。
三体一の戦況は、さすがのシュラでも部が悪い。一度は、精魂尽きるまで闘い抜き、見事に散るのもまた一興とは思ったものの、こんなに楽しい殺し合いを、たったの一度きりにするのを惜しんだ。
その果てに、シュラは退却の道を選んだのだ。
失った右腕は、自然治癒に任せれば丸三日はかかる。が、契約者の魂を三日分一気に喰らえば、即座の再生も可能。
まずは、一度戦況を整えるのが最善の一手ーー。
「んんッ……実に、心踊る闘いであった。こんなにも心踊ったのは、いつぶりだろうか。
しかし、噂には聞いていたが、『死神殺し』……あれほどの強者が、この街にいたとはなァ」
人間風情の大名気取りが統治するこの日本において、それに付き従う"死神の外様"と呼ばれる契約者と死神が、数多く存在する。
外様の主な役目としては、野良の死神の抹消、或いは捕獲。
その外様の中でも、特に突出した戦闘力を持つ、"御三家"と称される者達がいた。
ーーそれが、『死神殺し』とリク、
ハイエナとワルサー、
マイヒメとフゥ。
御三家の情報は、数多の契約者と死神達の間で、恐怖と好奇心の象徴となり、全国を渡り歩いている。
死神と契約した者ならば、嫌でも耳に入るであろう情報。正直、半信半疑のシュラであったが、今日という日で確信に変わった。
御三家は、本当に実在するのだと。それどころか、情報通り……いや、情報以上に高い戦闘力を持っている。
「んハハッ……」
ビルの建ち並ぶ駅前から、住宅地へと移り、そこから外れた森林地帯へと移動して、シュラは一人嗤う。
「次こそは必ずや、貴様の首をいただくぞ……『死神殺し』」
もしくは、こちらの首が取られる可能性もなきにしもあらず。だが、シュラはそれはそれで良いと思っていた。
全身全霊の限りを尽くし、死闘を繰り広げ、その上で築いた結果であるのならば、異論はない。
不気味な嗤い声の尾を引きながら到着したのは、街の外れにある小さな廃工場。
周りの外壁には、無数の蔦が絡みついている。今より、ずっと前に倒産したのだろう。長い間人の手がついていないため、すっかり活気を失った佇まいであり、錆びれた装置には埃がまみれている。
ここが、シュラの契約者と、シュラの拠点だ。
半開きになった門をくぐり、工場内へと入ると、見知らぬ影が二つ。
歓迎的な雰囲気ではなく、だからと言って明らかな敵対心とも言えぬ、ただならぬ気配を放っていた。
「やぁ、待っていたよ」
黒いタートルネックに緑色のジャケットを身につけた、長めの髪を揺らす青年は、両手をポケットの中に突っ込み、シュラへと笑いかける。その笑顔は、正に暗黒。上っ面は笑顔に装っているものの、腹の中では何を考えているのか。
なるほど。この男が契約者で、その隣の不快な色気を振り撒き、長い黒髪を蓄えた女が死神か、とシュラは推測する。
「何用だ、貴様ら。ここが我が契約者と、我の縄張りと知っての無礼か?」
「ああ、ごめんごめんっ。一応、契約者に挨拶は済ませてあるから、そう怒らないでよ?用が終わったら、すぐ帰るしさ」
青年は片目を瞑って嘘臭く慌てると、ちろりと舌を出して謝罪した。
「だから、その用はなんだと聞いているのだ。それに、契約者は今どこにいる?」
「安心してよ。契約者は、上の階にちゃあんといるからさ。ちょっと、身動きが取れないように、キツーく縛らせてもらってるけどね?」
そう嘯く声は、始めは平坦であった。だが、言葉が並んでいく度にそれは狂気と楽しさを孕み、増していく。
「……何ィ?」
その言葉を聞いたシュラは、瞬く間に周囲へおびただしい殺気を漂わせる。
常人であれば、身動きひとつ取れないであろう重圧。しかし、死神の女はそれに気圧される事はなく、心底呆れた表情を浮かべるとかぶりを振った。
「貴方ね、ちょっとは落ち着きなさいな。まだ、セイジロウの話が終わっていないでしょうに。
これだから、脳まで筋肉になっている死神は嫌いよ!血の気ばかりが先行して、自分本位だし自尊心が強いし……まったく、色気の欠片もありゃしない」
「女ァッ!今は貴様の言葉など、聞いておらんわッ!!」
怒りの沸点が急上昇しているシュラは、土煙が吹き上げるほどに、地面を踏み鳴らした。
老朽化した廃工場が、堪らず軋みを上げる。
「レジーナ、キミは余計な口を挟まないでくれないか。これは、僕と彼の話なんだから」
「そ、そんなっ……ああ、なんて意地悪なソウジロウなのかしら」
レジーナは息を呑むと、よよよ、と肩を下げて落胆した。
「何故だ!何故、貴様は我と契約者に仇をなす!?見たところ、貴様と我は初見同士。個人的な怨みを晴らさんとする、復讐者というわけでもなさそうだがッ!?」
「そうだね……まぁ、片恨みってやつかな?僕はね、単純にキミの契約者が気にくわないのさ。
同族嫌悪って言うんだろうね、こういうの。キミの契約者は、無差別に人を殺して喜ぶ、猟奇的快楽殺人者だ。ターゲットは誰でも良くて、怪奇や異常を追い求める。そして、快楽を得るんだ。
その在り方にね、僕は無性に腹が立つッ!」
最初こそ、笑顔を浮かべて話していたものの、次第にセイジロウから笑みが消え、最後には禍々しい感情を爆発させる。彼の背後からは、到底人間のものとは思えない、ドス黒いオーラが震えていた。
「僕は、無差別なんかに人は殺さないよ?……この人だ!っていう感覚を与えてくれる人しか、殺さない。
そして、芸術的に殺した果てに、自分が生きているという実感を得るんだ……僕はただ、キミの契約者に人間という大事な素材を横取りされるのが、我慢ならないのさ。だから、契約者を殺す。
キミには、できれば邪魔をしないでほしいっていうお願いをするために、ここで待っていたんだ。邪魔をしないのなら、見逃してあげるよ?」
ここまでで、シュラはなるほどな、と思う。セイジロウという男は、天災だ。
地震、洪水、台風のそれに近い。
こちらが害を与えなくとも、彼は勝手に恨みを孕ませて、牙を剥くのだ。
これを、天災と言わずしてなんと表すのか。
とにかく。
セイジロウは、契約者を殺すと言う。正直、ならば勝手にしろというのがシュラの意見。しかしながら、セイジロウとレジーナは自分の領域に、土足で踏み込んだ。
領域に入り込んだ上、つまらない口上を垂れ流す不届き者は、誰であろうと排除する。
ならば、これは殺し合いではなく、断罪であるーー。
「……セイジロウと言ったか?すまないなァ、貴様に手加減はしない。初手から、本気でいかせてもらうぞォッ!!!」
「そうかい。残念だ」
シュラは膝を大きく沈めると同時に、契約者から三日分の魂を喰らう。失った右腕は一瞬で再生し、さらにもう一日分喰らう事で、自らの肉体の機能全てを底上げした。
そうして膝を大きく沈めると、次の瞬間には弾かれた弾丸のように、セイジロウ目がけて一気に跳ぶ。
「レジーナ」
「わかってるわ、セイジロウーー愛してる」
「ああ、僕もさ」
レジーナはセイジロウの背後から両手を回すと、彼の右頬に口づけをしたーー。
「ぐゥッ!?」
瞬間。
まるで、目の前に見えない壁でもあるかのように、正体不明の衝撃がシュラを襲った。
しかし、肉体を強化したシュラは強引に前へ進み、僅か一秒という速さで、セイジロウの眼前に到達する。
拳を大きく振り上げたところで、ある違和感に気がついた。
ーー死神が、いないだとッ!?
先ほどまで、セイジロウの隣にいた死神の姿はなく、それどころか気配すら感じられないーー何より、セイジロウの出で立ちが全く変わっている事に、シュラは二度目の驚愕を味合わされる。
緑色だったジャケットは、真紅のコートに。髪の毛は腰の位置まで伸びており、月明かりに照らされた部分が、灼灼と紅く燃え上がる。
端正な顔の半分が髑髏を模した仮面に覆われており、隙間から覗くドス黒い瞳が、シュラを見据えて嗤っていた。
契約者と死神が心を同調させ、身体も、心をも重ね合わせる事で、一心同体となる。
ーーまさか、これが噂の同調型だとでもいうのかッ!?
戸惑い。
たった一瞬の戸惑いが、シュラの攻撃を遅らせる。セイジロウは、それを見逃さない。
一歩だけ、左脚を踏み込ませた。
「ぬォォォォォッ!!!」
振り下ろされるシュラの右腕。神の鉄槌を連想させる重たい一撃は、くらえば重症、最悪で即死。
しかし、先ほど踏み込んだ左脚が、正に生死の明暗を大きくわけた。
拳はセイジロウのこめかみを僅かに掠めると、虚しく空を切る。全力の拳を空振ったシュラは、体勢を崩してよろめいた。
「ーー何ィッ!?」
そんなシュラの顔面に、セイジロウの放った右の拳が待ち構えていた。
万全の体勢から放たれ、恐ろしいほどに重みが乗ってあり、さらにはシュラの勢いさえも利用しようとする拳に、思わず戦慄を覚える。
最早、避ける事は叶わないーー拳は、シュラの顔面に鋭く突き刺さったーー。