扉は閉まる
それは、瞬きの間にことを終えた、ほんの一瞬の出来事だった。
その光景に、背の高いローブも、小さなローブも、思わずといったように息を息を呑む。
誰がどう見ても、戦況は死神の圧倒的有利で進んでいたはず。相対するリクは防戦に回っていて、猛攻を捌くので精一杯の様相だった。
しかし、結果として右腕を刈り取られ、大量の血を噴き上げているのは、死神の方。
禍々しくうねる鎌の刀身が、おびただしい鮮血で濡れている。まるで、獲物の生き血を、美味しそうに啜るみたいに。
「ぐォォォッ!?……んんッ、んハハ、ハハハハハハハハァッ!!今の攻撃は、完全に見えなかったぞ?
さすがは、『死神殺し』といったところ。先ほどまでの戦いぶりは、本域でなかったというわけかッ!」
切断口から血液を垂れ流しながら、しかし死神は焦るわけでもなく、心底楽しそうに言葉を並べ立てた。
痛みさえも、彼の悦びだとでも言うかのように。それはもう、嬉々として。
「貴方の御託など、聞きたくありません。それよりも、早く構えなさい。
次は、左腕を切り落とします。その次は、脚にしましょうか?
私の主に危害を加えた罪の重さ、その身を以って知らしめてあげましょう……!」
リクは冷え切った瞳を、仮面の隙間から死神に向けると、鎌を死神へと振りかざす。
瞬間、室内に風が吹いた。
当たり前だけど、密閉された屋内に風が吹くわけはない。とするならば、この風はリクの殺気が具現となったものなのだろう。
「んんッ!それは喜んで望むところよ……我が名は、シュラ。貴様のような強者を、ずっと探し求めていたのだ。
か弱き人間を殺すなど、ただの暇つぶしに過ぎん。戦場で強者と死闘を繰り広げる事こそが、我を何より昂らせるのだッーー!!!」
シュラの言葉を皮切りに、再び合間見える二体の死神。
リクの重戦車を彷彿とさせる前進に、シュラは後方へと追いやられる。眼前には、鎌の切っ先。あと一歩で届くそれは、シュラが左手で柄を握っているため、その先への侵攻を阻まれている。
鎌を強引にリクへと押し返すと、シュラは余裕を孕んだ声音で問う。
「ーー貴様。まさか、あれで本域というわけでもないのであろう?」
「当然です」
「奇遇だなァッ……実は、我も同じだったのだ」
先ほどまでの戦いが、まるで児戯だったかのように、より一層熾烈を増した攻防が繰り広げられる。
ぶつかり合い、弾ける両者の闘志は、周りの人間の体さえをも、ずたずたに切り刻んでしまいそうだ。
「友恵、立てる?」
五階フロア後方で展開される激闘を余所目に、蒼太くんは友恵のもとに駆け寄ると、手を差し出した。
「蒼太……いい、自分で立てるから。それよりも、あんたは茉瑠奈の側にいてあげて」
友恵は、蒼太くんの手のひらを一瞥すると、首を左右に振って、自ら立ち上がろうとする。でも、体の受けたダメージは本人が思っているよりも大きかったようで、再び床へと倒れこむ。
それを見かねた蒼太くんは、強引に肩を貸すと、友恵を引っ張り上げた。
「こ、こらっ……あんた」
驚いた表情を浮かべる友恵は、すかさず握りこぶしを作る。けど、もうそれを振るう元気は残ってないみたいだった。
少しの間だったとはいえ、人外の存在と対峙して、その上地面に叩きつけられたのだ。
その体力の消耗たるや、私になんて想像もつかない。
蒼太くんにされるがまま、友恵は肩を借りてようやく立ち上がる。
「いいから。あんま頼りないかもだけど、こういう時くらいは頼ってくれ」
「ん……ありがと」
そうして、二人はゆっくりとした足取りで私の方へと向かって来る。
私は、その二人を見て、ホッと胸を撫で下ろした。
一難去ってまた一難。それらを乗り越えて、怪我は負ったけど大切な二人は無事。今は、それだけで充分。
「おねぃちゃん。悪者は、いなくなった?」
抱きかかえていた女の子は、私の顔を覗き込んむと、くりくりとした瞳を私に向けた。
「うんっ。大丈夫、悪者は遠くへ行っちゃったよ。さぁ、早くここから出て、お父さんとお母さんに、会いに行こう?」
私は安心させようと、女の子の頭を撫でる。すると、女の子がきゅっと抱きついてきた。
「……茉瑠奈、怪我はない?」
蒼太くんに身を預けつつ、腕と脚に痛々しい痣をいくつも浮かべる友恵が、元気のない声を絞り出す。
もう、声を出すのも精一杯という感じだった。
「友恵のおかげで、私は大丈夫。それよりも、友恵の方こそ」
「こんなの平気平気っ、いつつ……」
残された体力を振り絞って、強がる友恵だったけど、すぐに痛みで顔を歪める。
「友恵、カッコ良かった。やっぱり、友恵は私のヒーローだよ」
私と死神の間に、果敢にも飛び込んで来た友恵は、紛れもなく私の憧れるヒーロー、友恵だった。
幼少期の記憶の中で駆け回る、私の憧れそのもの……。
「ヒーロー?……へへ、そんなんじゃないってば。それよりも、その子は?」
「そうだ。この子、両親とはぐれちゃったみたいなの。早く、ここから出してあげないと……!」
気持ちがはやる。
今は膠着状態に入っている戦闘も、またいつ激化かするかわからない。また、巻き込まれる可能性だってある。
自分はいいから、せめてこの子だけでも、という想いはあるけれど。結局、自分なんかに守りきれる力なんてない。
「茉瑠奈の言う通り、早くここから出るべきだ。けど、友恵がこの状態となると、非常階段やエスカレーターよりも、エレベーターの方が良さそうだね」
蒼太くんは、既に目前となっている三つの脱出経路をぐるりと見渡して、エレベーターに視線を置いた。
確かに、この状態の友恵を非常階段やエスカレーターで降ろすのは、怪我人に鞭を打つ行為に等しい。その意見には賛成だった。
けれど、非常階段やエスカレーター、エレベーターもまだ人で溢れている。
戦闘が再び激しくなり、嫌な緊張感の中を、重い足取りでエレベーターの乗り場へと向かう。
乗り場へと着くと同時に、ちょうどエレベーターが五階に止まった。
定員は三十名。扉が開くと、待っていた人達が、足早に乗り込む。
私達が乗る頃には、残り僅かな隙間しか残っていなかった。
この中の誰か一人が、あぶれてしまう……。
「私はいいから、茉瑠奈と蒼太が先に行って。私は、あとから合流する」
ふらふらとした足取りの友恵が、そう口火を切る。
しかし、それを蒼太くんが制止すると、私と友恵の背中を押した。
「そんなわけにはいかないよ。茉瑠奈は、女の子を連れてかないといけないし、友恵は怪我をしているだろ?だから、ここは俺が残る。あとから、必ず合流するから」
「バカっ!あんた、なにカッコつけてんの……!?」
弱々しく掴みかかる友恵をエレベーターへと強引に押し込むと、蒼太くんは微かに笑んだ。
「蒼太くんっ……!」
私は、蒼太くんへ必死に手を伸ばす。届きそうで、届かない。
「大丈夫。また、あとでね」
無情にも、エレベーターの扉は閉まり、静かな音を立てて降りて行くーー。