契約するよ
「……んんッ、今日はなんだと言うのだ。次から次へと、我の邪魔をする者ばかりだな?」
友恵から放たれる重たい一撃に対し、死神は心底つまらなさそうに、まるで小虫を払うかの如く片手を軽く振るう。
たったそれだけで、モップの柄は枯れ木の小枝のように、ぽっきり折れてしまった。
そして、すぐさま繰り出される死神の追撃を、友恵は折れてしまった柄で辛くも防ぐ。
「いつッーーッ!?」
当然、人外の攻撃による衝撃をそれだけで吸収できるはずもなく、友恵は後方へ吹き飛ばされてしまった。
柄はさらに折れて、計三本の棒切れになってしまう。
友恵の体は硬い床に打ちつけられ、二、三回転がってようやく止まる。それでも、彼女の闘志は未だ萎えることなく、全身に痣を作りながらも死神を睨んだ。
たぶん、これは不幸中の幸い。もし、死神が本気で攻撃を放っていたのなら、今頃モップの柄ごと、友恵も折れてしまっていたはず。
「……ほぅ、窮地に落ちたというのに、まだ闘志でその身を燃やすとは。ただの馬鹿なのか、真に勇敢な女なのか……とにかく、気に入ったぞォ?貴様はか弱いが、良い女だ。ならばこそ、我自ら引導を渡してくれる」
「ふっ、ふざけんなッ……!」
粘っこい口調でそう言うと、死神は友恵の傍に立つ。おもむろに脚を上げると、それは友恵の顔の前。
対する友恵は、渡されてたまるか、と言いたげな表情を浮かべて、歯をくいしばりながら懸命に立とうとしていた。
「友恵ぇッ!!」
親友の危機。だというのに、体が動かない。駆け寄って、せめて壁になることもままならないなんて、なんて情けない。不甲斐ない自分が憎くて、血が滲むほど唇を噛み締める。
「ではな、女……なかなかに、楽しませてもらーー」
「友恵から離れろ……化け物ッ!!」
死神の脚がピクリと揺れた直後、引導の受け渡しを邪魔するように、蒼太くんが消化器で死神の後頭部を強打した。
さすがの死神でも、これは効いたらしい。少しだけ、体がよろめいた。
だけど、それだけ。結局倒すには至らない。
「そ、蒼太……」
心底意外そうな友恵は、ぽかんと口を開けている。
「ーーフハハハハハハハハハハハハハハァァァァッ!?なんだ、本当になんなのだ!?……楽しいなァ、一周回って楽しくなってきたぞ?か弱くも、我に立ち向かう愚かな人間風情が、二人とは……むゥ?」
高らかに笑い、蒼太くんへ向けて腕を振るう。それを、紙一重で避ける彼を見て、死神は動きを止めた。
「貴様、契約者か?ならば、出し惜しみをするな」
「……さぁ、なんの事だ?」
「とぼけるなよ。
見えるぞ?貴様の心臓に絡みつく、錆びれた鎖ーー契約者の証しだ。雑魚は大人しく引っ込んでいればいい。だから早く出せ。強者と闘う事こそが、我の生き甲斐」
死神は、髑髏の仮面の覗き穴から見える瞳を歪めると、蒼太くんの心臓を指差す。
蒼太くんが、契約者で、心臓に鎖。
死神がなにを言っているのか理解できない私は、ただただ事の顛末を見守るしかない。無力な自分に、嫌気がさした。
女の子を抱く腕の力を、きゅっと強める。
『ーー主、我が主よ』
視線を落とす私の耳元で、声がした。
『加勢もできず、守ろうにもその力が無い。無力な自分に嫌気がさす……あぁ主よ、嘆くのならば私の手を取ってください。
契約を、私と契約するのです。さすれば、王の資質を持つ貴方の力によって、窮地に立たされている友人も救えるでしょう』
目の前には、髑髏。その周囲に、朧げで不確かな漆黒の布を漂わせている。
この声。
あの日の夜、部活で帰りが遅くなってしまった私が遭遇した髑髏に間違いない。そうして、彼は消えてはまた現れてを繰り返す、あやふやな輪郭を纏った手を差し出した。
『さぁ、契約を』
契約、
契約者?
まさか、蒼太くん……あなたは。いや、今はそれよりも、やらなければならない使命がある。
「あなたと契約をすれば、蒼太くんと友恵を助けられる?」
『必ずや。私と、貴方の力でね』
「……わかった」
応とも、と頷く髑髏。
私は、差し出された手に向かって、自分の手を近づける。
表情のない髑髏が、心なしかにんまりと笑っているような気がした。
「二人を助けられるのなら、する。契約するよーー」
王の資質とか、契約とか、正直よくわからないことだらけ。だけど、蒼太くんと友恵を助けられるのなら、私は喜んで契約を結ぶ。
髑髏の手と、私の手。
それらが重なり合おうとした瞬間、突如風が吹く。最早暴風ともいえるそれに、私は堪らず目を細める。髑髏は舌打ちをひとつすると、その姿を消した。
暴風の果てに現れたのは、自身の体よりも大きな鎌を携えた、新たな死神。
煌めく長い髪の毛とローブを揺らして、目の前の敵を見据えている。既にその身を闘争心で燃やし尽くしており、ゆらりと鎌を構えた。
小さなローブが、その名を呼ぶ。
「リクっ!?」
相対する死神は、リクと呼ばれた鎌の死神と、蒼太くんを交互に見て、とても満足そうな息を吐き出した。
「なるほどな、そういう事か……貴様が、かの有名な。んんッ、良いぞォ、これはなかなかに楽しい展開だッーー」
喋っている途中だろうがお構い無しに、リクは巨大な鎌を振り下ろした。
が、死神は余裕の笑みを持ってして、斬撃をひらりと避ける。小さな息を漏らしつつ、今度は横への薙ぎ払いを続けざまに放つリク。
「良い攻撃じゃないかッ!」
腰を大きく反らしてそれをやり過ごすと、死神はぐりん、と上半身を立て直して、カウンターの拳を打った。
ビュンッーー!!
凄まじい速度を誇る拳に、周囲の空気が悲鳴を上げる。
リクは鎌の刃を盾の要領で構えると、強烈な一撃を凌ぐ。衝撃によって、二、三歩後ずさるものの、それでも攻めの姿勢を貫き通した。
「なんて心地良い闘志、そして心地良い殺気ッ!!……貴様、良い女だなァ。さぁもっとだ、もっと俺を楽しませてくれェッ!!」
ーー欲す、欲す、欲す、欲す、欲す、欲す欲す欲すッ!!!
痛みや嘆き、苦痛に快楽の暴食者。我それ全てを欲すると、死神は両手を広げて高らかに謳った。
その身は既に闘争心と狂乱の権化となりて、気が狂ったように拳と脚を乱発させる。いつの間にか立場は逆転し、リクは防戦一方だ。
「そらァ!さっきまでの威勢はどうした!?足りぬのだ、全然足りぬゥ!!
貴様、もっと速さを上げろよ?でないと目が慣れてーーーーッ」
言葉を終える前に、どさり、と死神の右腕が鮮血を散らして床に落ちる。
肩から豪快に斬り伏せられた死神は、反応すらできずに、数秒遅れて自らの腕を見下ろした。
リクは、つまらなさそうに大きなため息を吐く。
「その程度ですか、貴方?」