蒼太
台風が過ぎ去った後、私達は気を取り直して再び水族館を楽しむ。
全てのコーナーを回りきり、せっかくだからとイルカショーも堪能して、水族館を遊び尽くした。
その道中、再び遼とルー子に遭遇してしまうのでは、と内心冷や冷やしていたのだが、どうやら杞憂に終わってくれたらしい。安堵する気持ちはあったけど、不思議と残念な気持ちもある。
なんて言うか、変な魅力のある二人だったな。また会いたいか、と聞かれたら微妙なところだけど……。
水族館の五階フロアは、シーフードをふんだんに使用した料理を提供している、小洒落たレストラン。そしてお土産コーナーに、真庭市の駅前や町並みを見渡せる、展望エリアがあった。
広々としたガラス張りの空間に、どこか名残惜しいような夕日が差し込んでいる。設置されている時計を見ると、既に十六時を回っていた。
「ねぇ、さすがに歩き疲れちゃった。ちょっと休憩しようよ」
展望エリア付近に、休憩用の座椅子がずらりと並んでいる。すっかりくたびれてしまった私は、懇願するように座椅子を指差した。
幼少期から剣道で培った体力には自信があるものの、広大な空間を目まぐるしく歩き回れば、当たり前だけどやっぱり疲れる。
「うん、そうしよう。俺も疲れたよ……」
同意する春野。まぁ、春野に関しては、別の意味でも疲れているだろう。
「私は、お土産コーナーを見てくるから。二人は座って、休んでてっ」
茉瑠奈はそう言うと、こちらの返答も聞かず、そそくさとお土産コーナーへ向かった。
ふむ、なるほど。なんとなくだけど、茉瑠奈の意図は理解した。せっかくの機会なのだし、ここいらで畳み掛けるのは悪くないと思う。
うんうん、と頷きつつ私は座椅子に腰をかけた。
すると、何故か春野はよっこらしょ、と私のすぐ隣に腰をかける。
「ーーいっ……よりによって、なんで私の隣に座るわけ!?」
反射的に、飛び退いてしまう。
「そんな、あからさまに嫌な反応しなくても……でもさ、ひとつ開けて座るってのも、それはそれでおかしくない?」
確かに、春野の言い分はわかる。けど、今日の私は黒子。主役とはあまり絡みのない、黒子なのだ。
そんな構成の舞台で、いきなり主役にアドリブをかまされ、絡まれたらびっくりするではないか。
突然の春野の行動に辟易する私だが、それを悟られたくなくて、できる限り気丈に振る舞う。
「ま、あんたがそう言うなら、別にいいんじゃないの?」
「また、その態度……なんか、突き放すような感じでさ。俺がなにかしたっていうなら、言ってよ。謝るから」
別に、春野が私になにをしたってわけじゃない。でも、自分でもわからないけれど、今はこうするべきなんだと思う。
……こうして、春野との間に壁を作る行為は、きっと正解なのだ。
間違ってなんかない。
私は、自分の心に蓋をする。
私は、自分を偽る仮面をはめる。
それは茉瑠奈のためであり、私のためでもある。
珍しく食い下がる春野に対して、そっぽを向いた。
そして、窓の向こうの真庭市を見下ろす。
開発で変わり果ててしまった真庭市の景色は、それでも尚綺麗だった。
「茉瑠奈……良い子でしょ?」
ぽつりと、呟くように言う。
きっと春野は、ぽかんとした表情をしているだろうな。見えてないけど、頭の中にその顔が鮮明に浮かぶ。
「……うん、良い子だよ。
こんな俺なんかに優しく接してくれるし、親身になってくれる。
すごく素敵な人だよ、雨宮さんは」
……ああ、これでいいのだ。
私は、そう思う。思うのにーーでも、それでもーー何故だろう。
存外、胸が軋みを上げている。
ぎちぎちと、不快な音。
なんだろう。なにかよくわからないモノが、奥底から込み上げて来そうだった。
なんで、泣きそうなんだろう。
「……でも」
聞いたのは自分だけど。もうそれ以上続けないでくれ、と願う。
それ以上続けられたら、きっと泣いてしまうから。
「でもね、それはキミも同じだよ」
時が、止まったかと思った。
「……は?」
極力、春野の顔を見ないようにしていたのに、つい自ら顔を向けてしまった。
綺麗な顔が、夕日に照らされていた。
必然的に、視線が合わさる。
「これでもさ。感謝してるんだよ、狭山さん……いや、友恵には。
学校で一人ぼっちだった俺を、キミが掬い上げてくれたんだ。もしあの時、声をかけてくれてなかったら、今日という日は無かったんだよね。
友恵には、感謝している」
本当に、春野は決まって余計なことを言う。わざわざ言わなくてもいいのに、何故か言う。
……ムカつく。
「言っとくけど、茉瑠奈に頼まれてなかったら、絶対あんたなんかに声かけてなかったから。
っていうか、なんでどさくさに紛れて私の名前を呼んでんの!?」
「ごっ、ごめん!……そろそろ、苗字で呼ぶのも違和感だったっていうか!嫌なら苗字に戻します!」
慌てふためき、平謝りをする春野。
そんな春野を横目に、私はスッと息を吸う。
そして、彼の名前を口から出してみた。
「…………蒼太」
うん、だめだ。
この響きは、どうにも胸がムズムズする。
私はその感覚に我慢ならなくて、堪らず席を立った。
「も、もしかして、怒った?」
「ちょっと、お手洗い……名前に関しては、あんたの好きなように呼べばいいんじゃない?こっちも、好きなように呼ばせてもらうから」
返答を聞かず、私はずかずかとお手洗いへ向かう。
なんなんだ。毎度毎度、私の調子を狂わせる男。
ヘラヘラしてて、情け無い顔でいっつも頬を掻いているだけのヤツなのに。
なのに私は、どうしてこんなにもムカついてて、こんなにも彼が気になるのだろう。
「……蒼太、か」