黒子の気持ち
ショッピングセンターの四階、画材屋にて。
水彩筆、水彩絵の具数種類、以前片腕を骨折してしまったデッサン人形、(名、マルサイ)の二代目を購入した茉瑠奈は、いつになくご満悦の様子だった。
もちろん、お目当ての品を手に入れられたというのもあるのだけど、何より春野と楽しく会話をしながら買い物ができたというところが、このご満悦ぶりの大半を占めているのだろう。
私は店内に入らず、入り口付近で二人の様子を眺めていた。もちろん私目線というのもあるけれど、きっと傍目から見ても二人はお似合いのカップルに見えたに違いない。
それくらい、二人の距離は着実に縮まっているというわけだ。
茉瑠奈の努力が、報われる日も近いのかもしれない。
「ありがとう。春野くんのおかげで、良いものが買えたよ!えへへ」
画材屋の前で頭を下げる茉瑠奈は、見る者全てを溶かしてしまいそうな、極上の笑顔を春野だけに向ける。
春野はその笑顔を直視することができずに、視線を宙に泳がせると、指で頬を掻く。
「えっ!?……いや、俺は一緒に見て回って、勝手に喋ってただけだから。特に何もしてないよ」
「ううん、それで良いの。春野くんが一緒に見てくれてたから、良いものが買えたんだよ」
茉瑠奈がそう言い切ると、春野は言葉を失ってしまった。
短いようで、とてつもなく長く感じてしまう、息が詰まるような沈黙。
まるで、二人だけの空間。舞台上に主役が二人で、私は台詞付きの脇役でさえない黒子のようだ。
妙な肩身の狭さを感じて、思わずこの場から立ち去ってしまいたい気持ちになった。
むしろ、この場に私がいなければ、二人はより良い進展を迎えるのではないだろうか、とさえ思う。
やっぱり、来るんじゃなかったな。
そう思いながら、浮かない笑みを浮かべて一人顔を俯かせる私。
自分だけ勝手に気まづい気分に浸っていると、きゅるる、という文字通りの間抜けな擬音が聞こえる。
一瞬耳を疑ったものの、だけどその音は確かに聞こえた。
ふと二人の方を見ると、茉瑠奈が顔を真っ赤にしている。
「あっ……あ、ぅああぁぁぁぁ、今のっ!春野くん、今の音聞こえてないよね!?」
画材屋の前で、人目をはばかることなく絶叫を上げる茉瑠奈に、周囲の人々の視線が注がれる。
春野どころか、離れている私でさえ聞こえる大きな音だったよ、茉瑠奈。
どうやら、音の正体は茉瑠奈のお腹の音だったらしい。
ま、私は聞きなれている音なので、最初から犯人は分かりきっていたのだけど。
みるみる茹でダコのようになっていく茉瑠奈を前に、春野は慌てふためく。
「き、聞こえてない!聞こえてないよ!そうだ、そろそろお腹が空く頃だよねぇ、ははは。もう十三時だもんなぁ、お腹が鳴っちゃいそうだよ。どこかでご飯でも食べようか!?」
まるでフォローになってない、春野の渾身のフォロー。
その一言一句が、火矢となりて茉瑠奈を貫き、燃やす。
要するに、茉瑠奈がさらに赤くなっているというわけで。
火に油を注ぐとは、まさにこの状況を表すためにある言葉なんだろうな。
見かねた私はため息混じりで、二人のフォローに入る。
「あぁ、もう十三時か。お茶でもしがてら、どこかに入ってご飯でもたべようよ。ちょうど、この上の五階がフードコートだし」
「うん!そうだね、そうしよう。雨宮さん」
私の言葉に続き、激しく頷きながら流れに続く春野。
顔を伏せている茉瑠奈は、こくりと小さく頷いた。
そうして、フードコートフロアに着いたものの、さすがは日曜日だ。子ども連れの家族でひしめいていて、とてもだけど座れる席が見当たらない。
これには困ったと打ちひしがれるが、茉瑠奈のお腹がいつ暴発するかもわからない。一度広場へ戻り、周辺の適当なファミレスへ入り、食事をすることとなった。
エレベーターで一階へ降りている際も、茉瑠奈は真剣な表情で自分のお腹をおさえている。
その様を見ていると、「お腹の音よ鳴るな、鳴るなぁぁッ」という茉瑠奈の心の声が聞こえてきそうだった。
そして、その隣に立つ春野は、また茉瑠奈のお腹の音が鳴るのでは、とヒヤヒヤした顔をしている。
まぁ、好きな人にお腹の音を聞かれたら恥ずかしいよね。
もし私がその状況になったとしても、やっぱり恥ずかしいのだと思う。
でも、私は春野なんかに聞かれたところで、何とも思わないだろうけど。
……くるる。
茉瑠奈よりも小さいけれど、それでも密閉された空間であれば、後ろの二人に聞こえるであろうお腹の音。
私としたことが。思っていた以上に、私もお腹が空いていたらしい。
念のため、くるりと後ろを振り向いてみる。
茉瑠奈は、仲間だね、と言いたげに微笑みを私へ飛ばす。
春野は、控えめに笑っていた。尚かつ、随分落ち着いている様子ではないか。
先ほどの茉瑠奈へ対する対応と、私への対応が、天と地ほど違うような気がするのだけど。
「……」
私は何故だか無性に腹が立って、無言で手のひらを春野の頬へ飛ばす。
ぱぁん、と痛々しいほどに乾いた音が、エレベーターに響き渡った。