魅入られし者
一人ぼっちの、下校道。
月明かりに照らされて、私はひとつ息を吐いた。
登校した時はあんなに生徒で溢れていたのに、今は誰もいない孤独の坂道。
毎度のことながら、やはり心細い。
この坂道は、変に街灯が少ないのだ。居住地区ではないので、必然的に家屋の灯りもない。
少しでも気を緩めたら、私を引きずり込みそうな暗闇が舌なめずりをしている。
朝は元気に花びらを散らしていた桜が、今やお淑やかな夜桜に早変わり。ちらちらと、控えめに花びらを散らす様が、どことなく色っぽい。
スマートフォンのディスプレイに表示されている時刻は、すでに午後五時半を回ろうとしていた。これは、市で規定されている下校時間のギリギリ。
私は下校時間のギリギリまで……いや、顧問の先生に止められなかったのなら、それを越えて部活動に励んでいただろう。
今日は一際冴えていた。良いインスピレーションが、津波のように押し寄せて来る。
それをどうしてもモノにしたくて、私は一心不乱に打ち込んだ。
親友を先に帰してまで、打ち込んだ。
そうして、こんな時間になってしまったというわけで。
「まぁ、たまにはこういうのもいいよね……」
誰に言うわけでもなく、独り言。
そうこうしていると、坂道もそろそろ中間地点に差し掛かる。やけに開けた十字路が、私を出迎えてくれた。
「えっ」
その十字路の中央に、何やら奇妙なモノが浮かんでいた。
形は朧げで、今にも消えてしまいそうなほどに不安定だが、髑髏のようにも見える白い何かが、浮遊している。周囲には、月明かりに照らされて煌めきを放つ、漆黒の布が漂っていた。
「……ッ!?」
息を呑む。
眼球に負担をかけ過ぎて幻覚でも見えているのでは、と思い至り手で目を擦ってみるものの、やはりそこにいる。
幻などではない。それは、確かに存在しているのだ。
「な、何なの……?」
そういえば、学校の噂で聞いたことがある。白い髑髏の仮面に、漆黒のローブを身に纏う"死神"と呼ばれる、人外の存在がいるという噂を。
今や死神は若者の間でカルト的な人気を誇り、週刊誌などで目撃写真や特集記事が上がっていたりするほど。
そして、この噂が囁かれた頃から、日本では不可解な事件が多くなったとか……。
「ーー嗚呼。貴方こそが、私の主になるべきお方。ようやく……見つけました」
「ひッーー!?」
声にならない悲鳴を漏らし、私は思わず尻餅をついてしまう。
いつの間にか、髑髏は私の目の前で浮かんでいた。
「その魂には底なしの絶望、羨望と背中合わせの嫉妬……そして、恋慕が共存している。醜い雑味の中に、生娘の如き爽やかさを兼ね備えた、甘美なる味わい」
「羨望に、嫉妬?……何を、言っているの?違う、私はそんなんじゃ」
髑髏は不確かな輪郭を纏い、片膝を地面に着けると、胸に手をあてて恭しく頭を下げる。
「違わないですとも。それらは、貴方の魂から迸る奔流。私には、確かに見えておりますよ。
そして何より、貴方は王の資質を持つお方だ」
「王の、資質……?」
この髑髏は、一体何を言っているのだろうか。全身から、はてなマークが乱舞してしまいそう。
絶望に羨望と嫉妬、そして王の資質。
私はそんな感情は抱いていないし、何より王の資質なんてものは、あいにく持ち合わせていない。
「貴方の持つ王の資質は、圧倒的で絶対的な力であり、混沌にまみれたこの国を、思うままに作り変えてしまえるほど破滅的なのです。
さぁ我が主よ、この手をお取りください。そして、この私を忠誠で哀れな従属にしてくださいませ。共に、この国に革命を起こしましょうぞ」
私の気持ちなどいざ知らず、長々と意味不明な言葉を並び立てていく髑髏は、言い終えると私の前に手を差し出した。
出された物を手に取る。
そんな、日常ではありふれた普通の行為を反射的にしそうになって、直前でためらう。
本能が訴えるのだ。その行為は、絶対にしてはいけない。もしも、彼の手を取ってしまえば、きっと取り返しのつかないことになると。
「どうしたのですか、主よ。さぁ、この手を取って私と契約を結ぶのです。さすれば、貴方の願いは必ず叶う」
その涼やかで甘い声は、私を誘惑する。
手が、這い寄る。
「いやっ……いや、いやいやいやッ!!」
私は立ち上がり、一目散に十字路の先にある下り坂を駆け下りる。
後ろを振り返ることはなく、ただただ全力で走る。それに連れて心臓の動きが早まり、息が上がった。
こんなに必死で走るなんて、生まれて初めてなのではないだろうか。
酷い形相で走ること数分。坂の終わりが見える。坂を下りきると、私はそこでようやく足を止めた。
肩で息をし、恐る恐る後ろを振り向いてみた。街灯の薄明かりに照らされた坂道には、誰も立ってはいない。
あるのは、春の緩やかな夜風のみ。
ホッと胸を撫で下ろす。
先の一連の出来事は、きっと悪い夢なのだ。ならば、さっさと忘れてしまおう。
私は無理矢理にそう思い込み、自宅に向けて歩を進めた矢先、耳元で囁き声がした。
『ーー必要とあらば、いつでも呼んでくださいませ。私は、いつでも貴方の側におります故……』