エビフライ
お昼休み。
この時間になると、茉瑠奈と私は決まって屋上に赴き、二人でお弁当を食べるのが日課。
お互いのお弁当を開いて見て、好みのおかずがあれば交換し合ったりするのが密かな楽しみなのだ。
授業終了の鐘が校内に鳴り響くと、私は足早に教室を飛び出す。
本日も天候に恵まれ、爽やかな青空。
いつもと変わらずに、楽しい時間がやって来たとるんるんで屋上に向かった矢先、茉瑠奈が衝撃的な言葉を口走ったのだった。
「お願い友恵、今度のお昼休みに春野くんを誘ってほしいの!」
顔の前で手と手を合わせ、茉瑠奈はそう懇願すると、駄目?と言わんばかりの上目遣いでこちらを見つめてくる。
私は思わず、えぇーっ、と不満気な声を出してしまった。
さすがに口には出さないものの、あんな辛気臭いヤツと一緒に弁当をつつくのはごめんだ。
「な、なんで私が春野を……ていうか、そんなに言うなら、茉瑠奈が直接誘えばいいんじゃないの?」
そう。
茉瑠奈が自分で春野を誘い、その上で春野が一緒にお弁当を食べるというのであれば、私も我慢する腹づもり。
しかし私の言葉を聞いた茉瑠奈は、肩を小さくすると顔を俯かせて口を開いた。
「前に何度か試してみようとは思ったんだけど……やっぱりクラスが違うし、相手は男の子だし、なかなか踏み出せなくて。
友恵は春野くんと同じクラスだから、誘い易いかなと思って」
「茉瑠奈。例え同じクラスだからって言ってもさ、あの春野を誘うのは結構骨が折れると思うけど?」
相手は、他人に一切興味が無さそうなヤツ。いつも一人でぼんやりとしてて、授業中も窓際の席で、外の景色を一日中眺めているような変人だ。
生徒はおろか、最早教師でさえ彼に干渉する事はない。
友達と呼べる存在は、少なくともこの学校にはいないはず。
そんなヤツが、一緒にお昼ご飯を食べよう、なんて誘いに応じるとは考えにくい。
というか、ここまで言葉を並べて改めて思うのだけど、茉瑠奈はこんなヤツのどこが良いのだろう?
ため息混じりで頭を掻く私の前で、
「今日のお弁当にね、お母さんの作ったエビフライが入ってるの!」
茉瑠奈はお弁当の蓋を、これ見よがしに開ける。
お弁当箱の中に、エビフライがびっしりと詰まっていた。
ーー私は、戦慄する。
茉瑠奈のお母さんが作るエビフライは絶品であり、私はエビフライに目がない。
それは、当然彼女も知っている事実。という事はどういう事かというと、あの大人しい茉瑠奈が、エビフライで釣ろうとしているのだ。
私を。
親友の強行手段に言葉を失い、どうしていいのかわからず、茉瑠奈とエビフライを往復して見る事しかできない。
そんな煮え切らない態度をとる私に、茉瑠奈はトドメの一言を刺してきた。
「これ、全部あげる」
……この場合、逞しくなったなと感動すべきなのか、道を踏み外しかけている親友を窘めるべきなのか。
何とももどかしい気持ちを噛み締めながら、私は喉を鳴らす。
「二本貰えれば、いいよ」
そんなこんなで、エビフライの余韻に浸りながら、五時限目の授業が開始した。
五時限目、美術の授業だ。
クラス内でペアを組み、互いの顔をスケッチするという授業。
「……」
私は、無言でスケッチブックに鉛筆を走らせる。
心なしか、つい筆圧がいつもより強くなってしまう。
意識的にではなく、無意識に。
仕方ない。
何故なら目の前には、あの春野蒼太がいるのだから。
今現在、私は鬼の形相で春野蒼太を睨み、殺気を纏った鉛筆を走らせているに違いない。
誘惑に負けてエビフライを食べてしまった私は、必然的に春野蒼太を明日のランチタイムに誘わなければならない。
そんな矢先に、ペアを組んでスケッチをするという恰好の授業。
周囲の視線などお構いなし。
勢いに任せ、春野蒼太の首根っこを掴んでペアを組んだものの。
ーーどう切り出せばいいのかな?
ここに来て、思考が路頭に迷う。
先ほどからお互いに会話は無く、黙々と鉛筆を走らせている。
どちらかがこの沈黙を破れば、いつでも開戦しかねない一発触発の雰囲気。
本来、談笑混じりで楽しげにスケッチをしているべきなのだろうが、端から見れば異常で近寄りがたい二人だ。
むぅ、と唸る。
そんな私を見かねてか、先に沈黙を破ったのは意外なヤツだった。
「狭山さん、怒ってる?何かしたかな、俺」
そう言われて俯かせていた顔を上げると、目の前の春野蒼太が困ったような表情を浮かべていた。
「えっ?い、いや、別に怒ってるわけじゃないけど?」
春野蒼太の思わぬ言葉に、つい素っ頓狂な声で返してしまい、口元に手をあてる。
しかしヤツは、納得のいかない顔でこちらを見つめる。
「じゃあ怒ってないにしても、何かあるよね?じゃなきゃ、まともに会話さえしてない俺を誘うなんてあり得ない……そうか、俺が狭山さんの気にくわない事をしたから、一発しめようとしてるんだ!」
「あんたね、私にどういうイメージを持ってんの?」
鉛筆を折らんばかりに、拳を握り締める。いつもぼんやりしてる癖に、何故か妙に鋭いのが腹立たしい。
にしても、コイツに言われて気がついた。
「そっか。春野と会話ってものをするの、これが初めてだね」
「そうだね」
何だろう。
初めてだというのに、新鮮味がないのだ。
変な緊張感というか、気恥ずかしい気持ちというか。
春野蒼太云々の前に、男と話すのも久しぶりだというのに。
不思議な感覚だった。
「そういえば春野さ、私の苗字知ってたんだ」
「いやいや、そりゃ知ってるって……一応、クラス全員の苗字と名前は把握してるつもりだよ、狭山友恵さん」
意外や意外。
私のフルネームを把握していたどころか、クラス全員のフルネームを把握していた事に心底驚いた。
今、人生最高の驚きをまざまざと実感している。
私は目を丸くして口をあんぐりと開け、春野蒼太を見る。
「えー、何だろう、すごく意外。
春野、誰の名前も知らないと思ってたから」
「あの、狭山さん……俺にどんなイメージを持ってるの?」
そう言って、春野蒼太は肩をすくめる。