友恵4
後頭部をバットで殴られたかのような衝撃と、意識が遠退いていく感覚。くらり、と足がもつれてしまった。
頷いた後に頬を仄かに紅色に染め、肩をきゅっと縮めて、フルーツ牛乳のパックが潰れてしまいそうなほど握りしめる。確かに間近の距離にいるとはいえ、今にも茉瑠奈の早まった心臓の鼓動が、私の体にも反響してしまいそうだ。
正直私は恋愛に疎い。それでも、痛いほど解る。茉瑠奈のこの反応は、人が本気で異性に惹かれた時の反応に他ならないのだと。
どこにも行き場の無い、どうしようもないくらいにもどかしくて、痛々しい感情。
しかし初々しくて、瑞々しくて。こっちまで赤面してしまいそうだった。
これが普通の女の子ならば、所謂恋話とかいうやつで盛り上がれるのだろうが、生憎私の経験値ではそんな高等技術は無理だ。
何より、茉瑠奈とはずっと一緒にいて姉妹のような間柄だったため、今の茉瑠奈の反応が私には見るに堪えない。
うーむ、何と説明すればいいのか。
まるで、妹の赤裸々な恋愛事情を垣間見てしまったかのような、上手く言えないがとにかくそんな感じだ。
それにしても。とんだ幸せ者がいたもんだ。
二年生に上がってから間もない時点で、数多くの有望株に告白されながらも悉く断っていた、あの茉瑠奈が惚れこんだ男とは一体何者なのか。
無性に気になるのは確かだ。
ああもう、そいつのクラスと名前さえわかるのなら、今すぐにでも教室に殴り込みに行ってやるのに。
そしてじっくり顔を拝んだ後に、その幸せ者を土下座させてくれる。
その程度、自らに舞い降りた幸運に比べれば何の問題もないだろう。
あぁ、素直に茉瑠奈の恋路を応援してあげたい気持ちは山々なのだが。
まるで、大切にしていた妹が誰かに取られたような、焦りとも怒りとも言えない感情が私の中にふつふつと沸き上がるのだ。
この感情を、私は一体なんて名づけてあげればいいのやら。
「茉瑠奈、そいつの名前は?クラスは?教室に殴り込みに行ってくる。一度顔を拝んでやらないと気が済まない、私。
そんでもって、二、三発ひっぱたいてから、土下座させてやる」
壊れてる、私今壊れてる。
大量の水をせき止めていたダムが崩壊してしまい、歯止めの効かなくなった激流の如く、謎の感情が私の中で暴れていた。
「と、友恵!?ひっぱたくとか、土下座とかっ、やめてよっ……あ、あの、その人、友恵と同じクラスの人なんだ、えへへ」
「ええっ、誰だろう?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまい、口元に手を当てる。これは予想外だった。
何故なら、私のクラスの二年C組は、学年を通して見ても男の面子が非常に悪くて有名。もちろん悪い方で。
こう言っちゃ悪いが、全体的にもっさりとしているのだ。
よりにもよって私のクラスとは……誰だ、一体誰なんだ?
全く検討もつかないわけなのだが。でもまぁ、でも好都合だ。
授業中、隙を見てシャープペンを投げてやろう。躊躇い無く、思い切り、明確な殺意を込めて。
「今回は友恵にもちゃんと言っとかないとねっ、私の好きな人が誰なのかって。やっぱり、隠し事は良くないし!」
そう言う茉瑠奈は、どことなくうきうきしている様子だ。
ニヤけている、口元が明らかにニヤけている。
先ほどは顔を赤面させていたものの、朝から好意を抱いている相手に、偶然ながらもすれ違えたのがよほど嬉しいのだろう。今にも天まで飛んで行ってしまいそうな勢いで、嬉しさのオーラを全開に放っている。
まったく、本当に茉瑠奈はわかりやすいな。
この素直な茉瑠奈の反応が、他人から見た彼女に対しての取っつき易さであり、人気の秘訣なんだろう。
私とは大違いだ。
「イヤだったら、無理に言わなくてもいいんだよ。まぁ、もし付き合う事になったら一応報告は欲しいけど……」
「つ、つつ、付き合うって……まだ、全然そんなんじゃないかなぁ。
話だってまともにした事ないし、向こうは私の存在を、認識してるのかさえ怪しいから……とにかく、友恵には知っておいてほしいの!と、とりあえず言うね!」
拳を握りしめ、一人決意を固める茉瑠奈の様子を見て、ついつい私まで緊張してしまう。
目を瞑って深呼吸をすると、落ち着いた面持ちで口を開いた。
「……春野蒼太くんっ」
ーーガンッ!!
私は、またもや頭部をバットで殴られたかのような衝撃を感じた。
いいや、殴られたなんて生易しいものではないな。
これは、タコ殴りにされた末に撲殺されてしまったくらいの衝撃だ。
冗談抜きで、意識が飛びそう。
そんな私を他所に、茉瑠奈は恥ずかしそうに自らの顔を両手で覆っている。
どうして。
どうして、よりによってそいつのなのか。何故そいつを選んでしまったのか。
駄目だな。
本当ならば、どんな名前が出てこようと素直に応援しようと思っていたのだが、こればっかりは駄目。
本来なら私が口を出す問題ではないのかもしれないのだが、これも親友を思っての事。
心を鬼にするのも、大切。
「ねぇ、友恵!春野くんってクラスではどういう……友恵?」
私は、ゆっくりとした動きで茉瑠奈の肩を掴む。
対する茉瑠奈は、目を見開かせてただただ私を見つめていた。
「……茉瑠奈、春野蒼太はーー」
ーーキーンコーンカーンコーンと、ここからが大事だと言うのに、チャイムのヤツは最悪のタイミングで校内に響き渡るのだ。
っていうかマズイ。これホームルーム直前を知らせるチャイムだ!!
そんなこんなで、死に物狂いで走った末になんとかホームルームには間に合ったのだが。
結局、疑問は解消されていないし、茉瑠奈にはまだ何も言えてない。
これはあれだな、うん。
次の授業、というか今日一日の過程全てにおいて、何もかもが上の空で終わってしまうのだろうなぁ……。
そう思いつつ、私は諦めたように窓の外の景色を眺めふける事にしたーー。