茉瑠奈
ーー2015年。4月。
ーー春。
ーー早朝。
私は、眠たい目を擦る。
春とはいえど、まだ寒い空気が体の芯まで凍てつかせ、おかげでいくらか眠気が冷めるものの、それでも眠いものは眠いのだ。
電線で羽を休める小鳥達の忙しない合唱を聞きながら、私はそれを眺めてあくび混じりに歩く。
長い長い坂道。
私の通う学校へと続く、通学路だ。
前と後ろに、私と同様に通学する学生達が、やはり眠そうな半開きの目で、白い息を吐きながら歩いている。
中には、友人と元気に談笑を交わしている学生達もいて、朝が強くて羨ましいなと心底思う。
脇で立派に桜色の花びらを蓄えた桜の樹が、惜しげもなくその花びらを散らしていた。
私は、その花びらをを手のひらに乗せてみる。
本日は快晴。
なんて、気持ちの良い朝だろう。
どこまでも広がる、雲ひとつ無い鮮やかな青空に、燦々と輝く太陽がぽっかりと浮かんでいる。
私はその光を浴びて、手袋をはめた両手を広げてみた。
特に意味はないのだけれど、なんとなく。
そうして、ふと思った。
このまま、青空に飛んでいけたのなら、学校に行かなくていいのかな。つまらない授業を受けなくてもいいのだろうか。
なんて、子供遊びじみた妄想を膨らませていく内に、なんだか可笑しくなって一人で笑ってしまった。
あぁ、可笑しい。
いくら願ったって、そんな妄想が叶いっこない現実なんて、子どもの頃に痛いほど思い知っているじゃないか。
坂を登りきると、自宅から学校までちょうど中間地点に位置する、見通しの良い大きな十字路に着いた。
そこまで来て、私は一息ついて足を止める。
ここは、私の親友との毎朝の待ち合わせ場所。
ここで落ち合い、一緒に学校まで行くのが私達の日課だ。
私は、ベージュ色のスクールコートのポケットから、スマートフォンを取り出す。
ディスプレイに表示された時刻は、七時五十分。
「わ、ちょっと早く着いちゃったかな」
ディスプレイとにらめっこして、私はむぅと唸った。
待ち合わせの時間は、八時ちょうどだ。
約十分も早く、待ち合わせの場所に到着してしまったらしい。
いつもなら時間ぎりぎり、むしろ数分ほど親友を待たせてしまい、ばたばたとした登校になってしまうのが恒例なのだが。
主な理由としては、二度寝。私は朝に弱い。
しかし今日は、お母さんによる妨害作戦に打ち負けた事によって、二度寝ができなかったのだ。
それにより、普段のサイクルが必然的に早まってしまい、こんな時間に着いてしまったというわけか。
なるほど、納得。
私は、手のひらにポンと拳を乗せた。
「しょうがないか、ゆっくり待とう」
私はそう呟いて、車道と歩道を隔てるガードレールに腰を下ろした。
桜を眺めながら、ゆったりと親友の到着を待つのも悪くはない。だけども、動きを止めると急激に冷えるなぁ。
首に巻いたマフラーにスクールコート、手にはめた手袋。
なるたけ防寒具を装備しているつもりだけど、それでも今日は一層冷え込んでいる。風が吹くと、やはり寒い。
私は手と手を擦り合わせ、息を吐いて温める。
そんな私をよそ目に、桜の花びら達が楽し気に不規則な軌道を描いて、やがて歩道に落ちる。
その光景をすっかり眺めふけっていた私の肩を、誰かが軽くつついた。
たったそれだけで、私はつついた犯人が誰なのか、すぐに察知した。
今、私の顔はみるみる笑顔に変わっているだろう。
「おはよう、友恵」
私はそう言ってつつかれたほうを向くと、やはり予想は的中した。
一度視界に収めると、二度とその記憶を忘却する事が困難な存在感。儚気な春の景色など、一切合切吹き飛ばしてしまいそうなくらいに、高校生とはかけ離れた美しさ。
だと言うのに、目の前の女の子は自らの美しさなどいざ知らず、寒そうに鼻水を垂らしている幼さ。
人目を惹きつける美しさと、どこかまだ幼い仕草をするアンバランスさが同居する、綺麗な女の子が立っていた。
彼女は友恵、私の親友だ。
「おはよう、茉瑠奈。
今日はさびぃね……」
茉瑠奈。
私の名前。
友恵はぶっきら棒にそう言うと、乙女にあるまじき音を立てて鼻をすするのだ。
同時に、肩を越すくらいまで伸びた髪の毛が揺れる。
私はそれを見て、思わず吹き出してしまった。
制服の上から緑色のコートを羽織り、小鹿のように細いが筋肉質な、艶かしい足を黒のニーソックスで包み、ベージュのマフラーを口元まで巻きつけた、がちがちの完全防備なのだが。
それでも友恵は、両手をコートのポケットに突っ込み、がたがたと震えている。思えば、彼女は昔から寒さに弱かった。
「寒そうだねぇ」
「うん、寒いよ。何、茉瑠奈は寒くないの?すごいね」