第十九話:例え彼らにとっちゃ『そよ風』でも
「またのお越しをお待ちしております」
そう言って、私は『彼ら』が店を出ていくのを見送る。
各々の調子で彼らが返答するのを聞きながら、私はしばらくペコリとお辞儀をしたままの格好でいた。
彼らの魔力が雑踏に紛れ感じ取れなくなってからようやく、私は顔を上げる。
どういうわけか、彼らの魔力はその膨大な魔力量の割には捉えるのが難しい。
あっという間に雑踏に『馴染んで』しまい、直ぐに私の感応力では追いきれなくなってしまう。
恐らくは彼らの魔力の質が自然にあまりに近いからなのだろう。
透き通った空を見上げても、自分がその立体空間のどこに焦点を合わせているのかわからないように。
彼らはただ在るだけで世界に溶け込んでしまう。
これでも魔法使いの端くれ、流石に目の前にいれば大きな何かがあるとは認識できる。
それでも、彼らの属性を一目で見抜くには私はまだまだ修行不足だ。
強力な御霊憑きである私の友人にならできるのかもしれないが。
「はぁ~~~、何だか疲れたなあ。今日はもうこのまま休業にしようかな……」
私はそんな独り言を呟きながら、一度ぐっと伸びをした。
すると散乱した商品が視界に入ってきて、思わずげんなりとしてしまう。
ううう……。
「ひどい……。本当にひどい。一体、誰がやったんだこれは……! 絶対に許さんぞ!」
そうやって私が一人騒いでいると、今までずっと静かにしていた『私の使い魔』が呆れた様子で念話を送ってきた。
【ドジっ子ご主人、片付けたくないからってそれはねーですよ。往生際がわりーです】
ごそごそと私のローブの『胸元』から出てきたのは人形サイズの毛むくじゃらの二足歩行をする獣だ。
猫科に似た大きな耳をもち、白黒の体色。三頭身ほどの体躯は生物としてみればチグハグな印象を受ける。
種族名『絡繰りを支配する悪魔』、個体名を『ワール』という高度な知性と技術を持つ霊的生命体で『ヘルベラ魔法店』の杖の制作や会計をやらせている。
「んんっ…………。うるさいぞ、この変態悪魔。いい加減、『胸元に好きなだけ潜らせること』とかいう契約条件を無くさないか」
【え? 何でそんなことしないといけねーですか? 柔らかくてすべすべしてて温かくてふわふわしてて、こんなに居心地の良いところ手放すわけねーじゃないですか。ご主人の取り柄なんてこのムネ肉以外そんなにないんだから、ご主人が俺に提供できる報酬も当然これくらいしかなくて――】
「か、感想を言うなあ! 大体、私にもちゃんとした取り柄くらいあるもん! 上位魔法薬の調合もできるし、魔法使いとしての位階もそこそこ高いんだから! この、このっ、今日こそ滅っしてやる!」
私は怒りと羞恥で顔を真っ赤にすると杖を手にとってワールに殴り掛かる。
毛むくじゃらの顔に憎たらしい笑みを浮かべたワールはひょいひょいと避けながら逃げ回る。
【ククク。よくいいますねー。ご主人のフワフワした経営でこの店、潰れかけてましたよね? 『何でもするから助けてくだちゃい!』ってカミながら言ってたの、俺はちゃんと覚えてますから。身体以外、何も要求してねーんだからご主人は俺にもっと感謝するべきですよ。こんな良心的な悪魔、絶対に他にいねーですから】
「うるさいうるさーい!! 私はお前と契約して、女として大事な何かを売り渡してしまった気分だよっ!!」
頭に血が上った私はワールを追いかけている内に『何か』に躓き、再びすてんと転んでしまう。
ワールが大爆笑している声が脳内に直接響いてくる。
「いたっ! ……うう、どうせ私なんて。要領が悪くてドジなダメ女ですよーだ……」
【ほらご主人。イジケてないで。そろそろ昼ですよ。栄養たっぷりのご飯を食べて、それからごくごくミルク飲んでもっと良い身体になりましょう。それも契約条件ってこと忘れてねーですよね。ちゃんと食費はたっぷりと取ってあげてるんですから頑張りましょう】
「分かってるよ……。はあ……」
私はゆっくりと立ち上がって、ローブをパンパンと手で叩く。
ワールは【しゃあねーから俺が片付けてあげましょう】と言って崩壊した商品に向かって手を差し出す。
すると商品が宙に舞い上がってどんどん整理されていった。
この店はワールの領域、城でもあるから、その程度ならワールは呼吸をするよりも楽にできる。
個体能力によって『どれだけ現実世界と乖離した法則をもつか』は変わってくるが、純正の霊体種は例外なく『幻想結界』という特異な結界を展開する能力を持つ。
ワールは霊体種としての格はそれほどでもないため『領域内の道具の力を万全に引き出し操る』程度のものだが、かつてこの地に顕現した大精霊フロラ様はそれはそれは美しく可憐で畏ろしい、『遍く全ての人魔を調律し同心する幻想の花畑』を創り出したらしい。
そんなことを考えながらワールが商品を片付けているのを見ていると、私は『あれ、こっちは別に散らかってないのに私は何に躓いたんだろう?』とふと疑問に思った。
足元に視線を向けると、何やら上等な黒檀で出来た木箱の容れ物があった。
拾い上げて観察すると、この通りにある、商売人仲間の間ではやり手と評判の小物店の商紋が入っている。
「あれ、もしかしてこれはタカさんが落としていったのかな……?」
私は扉を見つめながらそう呟いた。
まだそんなに経っていないし、今から追いかければ間に合うだろうか。
確か彼らは霊廟の方に行くと言っていたから、道なりに進んでいけば追いつける気もする。
【どうしたんですか? ご主人】
あっという間に片付けを終えたワールがふよふよと浮かびながらやってくる。
どうやら歩くのが面倒になったらしい。全くこいつは……。
「いや、さっきのお客様のタカさんがこれを落としていったみたいで。追いかけようかなと考えていた」
【あー。さっきのニンゲンに精霊二柱か……】
「? どうしたんだい? 珍しいな、ワールがそんな嫌そうな顔をするのは。そういえば随分静かだったけれど……」
私は先程のことを思い返してそう疑問を口にした。
するとワールはこいつにしては珍しく真面目な顔をした。
【魔力の質というのはご主人も知っての通り『個体としての存在強度』とも言い換えられますからね。木っ端悪魔の俺としてはあんまりお近づきになりたくないタイプなんですよ。特にこの店の中だと、否応なく俺にはそういうの伝わっちゃいますし】
「ふむ。そういうもの……なのか」
【というわけで追いかけるなら俺はパスですね。まー危険な性ではねーでしょうから届けるくらいなら良いんじゃねーですか。……ああいう手合は何をせずとも唯『そこにいるだけで』騒乱を呼び込むから程々にすることをオススメしますが。存在の格というものは残酷で、例え彼らにとっちゃ『そよ風』でも俺達にとっちゃ『暴風域』、なんてことは往々にしてよくありますからね】
「…………。ワールがそういうなら一応気を付けておこう。行ってくる。留守は任せたよ」
【へいへい】
私は会話を切り上げると、ささっと身支度をする。
それにしても悪魔に忠告されるとは。
『悪魔の甘言』なら聞く話ではあるが、その逆とは珍しいこともあるものだ。
私は少し寒気を覚えながら店を出ると霊廟の方角に向かって心持ち早足で歩き始めた。
◇◇◇
「あっ」
しばらく歩いていると幸運なことに前方の人混みの先の方にタカさん達を発見する。
三人とも高そうな衣服を身に着けているせいで結構目立っているのが助かった。
見つからないようなら霊廟の祭官にでも預けてしまうかと思っていたが、どうやらその手間はかけずに済みそうだ。
人混みを掻き分けて少しずつ近づいていくと、遠目で彼らが誰かと話しているのに気づいた。
「ん? あれはボネットか? タカさん達と知り合い……、ってああ!」
私が見ている内に、タカさんとボネットは混み合っている通りを逸れて脇道に消えてしまった。
そして精霊のお二人は近くの食堂に入っていくのが見えた。
「どうしようかな……。まあボネット達を追いかけようか」
どうせだしここ暫く会っていなかったボネットの顔も見ておこうか。
私はそう決めると、二人が入っていった脇道を目指す。
「ここかな?」
人混みを縫って進みタカさんたちより大分遅れて目的地にたどり着くと、その細い道の先を覗き込む。
その通りにはメインストリートとは打って変わって全く人気が無く、ボネット達も見当たらない。
「あれ、いないな……。もっと奥に行ったんだろうか。立ち話でもしているのかと思ったんだけど……」
どうしようかな。もう少しだけ奥を探してみるか?
ワールの忠告が頭を過ぎって少しだけ躊躇いを覚える。
店内で接したタカさんのどこまでも『普通な』人物像とワールの忠告が頭の中でうまく噛み合わない。
大体彼は人間族でしかも魔法を使えないはずだ。やはり少し大げさな気がする。
「うーん……。次の突き当りくらいまでは覗いてみるか。それで見つからないなら諦めよう」
私はそう決めると奥に向かって歩き出した。
右足を前に踏み出して一歩先に進む。
左足を持ち上げて更に一歩先に進む。
それを幾度も繰り返す。
メインストリートの喧騒がどんどん遠ざかり、まるで別世界に入りこんだような感覚に襲われる。
――やっぱり引き返しておけばよかったか。
道半ばほどに来た辺りで、私の心に意味の分からない不安が立ち込める。
しかし私の身体は自らの感情を無視して通りの奥に向かって歩み続ける。
一歩先へ。
更に一歩先へ。
建物に囲まれて昼間なのに薄暗い通りを進んでいく。
自分の心音がひどくうるさく感じる。
魔法使いとしてそれなりの位階にある私にも一切の異常は感じ取れない。
ここは安全な場所のはずだ。私の理性はそう確信している。
――にも関わらず心は怖れに千々に乱れ震えている。
ワールのせいだ。
あいつが変なことを言うから。
帰ったら絶対に文句を言ってやる。
そう考えている間も私の足は止まらない。
地獄の門のように不気味な突き当りに向かって唯ひたすらに、吸い寄せられるように歩みを進める。
――そして。
私はついにそこにたどり着いた。
私の緊張と共に精霊花が何時になく活性化して五感が一段も二段も引き上げられた。
私は呪縛されたかのような動きで建物の影から頭をだし、奥の通りを覗き込む。
「え……」
私はあまりに予想外の謎の光景に目を丸くした。
今までの意味の分からない緊張から一気に開放される。
しかし今度は激しい困惑が心の中に満ち満ちた。
「これ……。何の儀式……?」
凄惨な死体でもあったほうがまだ驚かなかったかもしれない。
私の視線の先にはまず引き攣った顔で頭に手を当てているタカさんがいた。
そして彼を崇めるように跪いて取り囲む、数人の男たちにボネット。
彼らは時を止められたかのように微動だにせずまるで存在しないかのように物音一つ立てていない。
それだけでもかなり意味がわからないが『二頭走破鳥』という卵を目当てに家畜化された、取扱に免許がいる鳥型の魔物までもが同じ格好をしていた。
何なんだろうねこれ……。恐ろしくシュールな光景だ。
私の呟きに気付いたタカさんが振り返り、気まずそうな表情で口を開いた。
「ち、違うんです。悪気はなかったんです。このニワトリもどきの叫び声を上げる変なダチョウが突撃してきて、つい『使って』しまったといいますか……。いや、俺が悪いか……。あーなんというか皆さんすみませんね……」
*****
どうしてこんな状況が発生してしまったんだろうか。
俺は『家政婦は見た!』みたいなポーズで壁から頭を覗かせているヘルベラさんを見て、ようやく硬直が解けて弁解と事件の収拾を始めていた。
事の経緯を説明するとこんな感じになる。
◇◆
丁度、ボネットさんのしていた勘違いが分かり、顔を真っ青にした彼女を慰めていた時の事だった。
突然目の前に『コッケンプリケッ!』って耳が潰れそうな大声で喚きながら突進してくる奇形のダチョウが現れたのだ。
なんでこんな狭い通りで謎鳥が爆走してるんだ。飼い主どこの誰だよ。
理解の及ばない現象に一瞬、俺は唖然としたが慌てて建物の影に隠れるためにボネットさんの手を取ろうとしたのだ。
すると今度はボネットさんがよく分からない行動を取り始めた。
何故か悲壮な顔つきで俺を押しのけて2つ頭のダチョウの前に立ちはだかったのだ。
いや建物の影に隠れたらいいやん……。
俺は内心でそうツッコミを入れたが、このタイミングだともう逃げられないし二人そろって轢かれてしまう。
『死因:ダチョウに轢かれる』とかいうある意味、隕石死よりもレアな事故死を迎えてしまう。
……え、本当にまずくね?
そう考えた俺が自分のスキルを思い出して『黙れ、あと伏せ!』みたいなことを言ってしまっても仕方ないと思うんだ。
それでまあボネットさんも跪いてしまうという事故こそ起こったが。
なんとか無事に突然の死は免れたと思ったら。
今度はなぜか空からおっさんがたくさん降ってくるし。
……いやマジで意味分かんねえよ。
なんで空からおっさんが降ってくるんだよ。
この上、特に窓もないから屋根の上に乗ってたってことなんだろうがとび職の人が工事でもしてたのか?
しかも、どうやらこのおっさん達も俺のスキルの犠牲になったらしくプルプルと震えながら無音で跪き始めるし。
なんかもう、知らない人も大勢巻き込んでしまった罪悪感やらで頭がクラクラして呆然としていたら、ヘルベラさんが現れてようやく俺も再起動したという流れだったのだ。
◇◆
ボネットさんと諸悪の元凶の鳥はヘルベラさんに任せて、俺はおっさん達に謝罪していた。
「いや、皆さんほんとすみませんね……。ご迷惑をお掛けしました」
「………………」
流石は推定とび職だからか怪我してる人がいないっぽいのは不幸中の幸いだったが、やはり屋根から突然、謎の力で落下させられた衝撃は大きかったのか俺がそう声を掛けても、恐怖を目に宿して特に返事を返してくれないおっさん達。そういえばこの人達、人間なのか。頭に花が生えていないと珍しく感じるようになってきた。
「あー、怪我が無さそうなのは本当に良かったです。申し訳ない」
「………………」
俺が一言発する度にどんどん顔色が悪くなって身体を震わせるおっさん達。
いや、そんな怯えなくても……。おかしいな。
ギフトで俺が本当にそう思っていることは通じているはず……なんだが。
「そ、そうだ。慰謝料払いますよ。ちょっと今手持ちがあんまりないので雪月花という宿に来てくれたら――」
俺がそう言いかけると、おっさんの中の一人が身体を戦かせながら急に声を張り上げた。
「慰謝料……だと? どこまで我らを愚弄すれば気が済むんだ!! 我らは負けた! 魂に恐怖が刻み込まれ、こうして隙だらけの貴様を見ても身体がピクリとも動きもしない! 意味の分からない情けはかけるな!!」
「……は?」
何の話をしているんだこのおっさん。
愚弄とか負けたとか意味分からんぞ。
もしかして頭打ったのか?
どうしよう、フィーも連れてくればよかったな。
「あ、あのう……? 何の話ですか? 人違いじゃないでしょうか?」
「き、貴様ア! この期に及んでまだしらばっくれるか! わ、我らをそこまで見下して楽しいか!」
「…………」
ダメだ、この人絶対頭打ってる。
涙を滲ませながら喚き立てるおっさんを見て焦りが募る。
「……少し待っていてください。いま回復魔法使える連れを連れてきますんで。あ、ほらよく見たら擦りむいているところもあるしそれぐらいさせてください」
「…………。ハハ、ハハハ……。そうか、今ようやく分かったよ。お前は到底俺達が手を出していい相手ではなかった……。お前たち、どうやら見逃して頂けるらしい。引き上げるぞ……」
え、ええ……。なんでそうなるの。
何を言っても逆効果になるせいで引き止める言葉がまるで思いつかない。
俺はおっさん達が去っていくのを苦々しい顔で見送らざるを得なかった。
くっそ、このギフトまじでどうなってんだ。
『なんだか心地よく聞こえる』ということは、落ち着いて話し合えるということだろう?
『感情を増幅する』ということは、謝意を現した時には誤解なく伝わるということでいいんだろう?
そのはずなのに、今のやり取りは俺の言葉が変な風に曲解されているようにしか見えなかった。
段々ギフトの使い方が分かってきた気がしていたが、どうやらそれは錯覚だったらしい。
思わず溜息を吐くと、忌々しい音声が脳内で鳴り響いた。
『ピコーン。おめでとうございます。『空から降ってきたおっさん達』を退けたことにより<神威宿る魅惑の声>が5から6にレベルアップしました。レベルアップボーナスを選んで下さい――』
退けたってなんだよ。
嫌味のつもりか。くっそ、イライラする。
レベルアップボーナスを仕方なく確認すると『マイナス系精神異常の深度+1』なるものだった。
意味分からん。深度上がったらどうなるんだよ。
それでも増幅値アップ・超大よりはマシだろうから選ばざるを得ないのが腹立たしい。