第十六話:我は之より主様に害なす塵芥を消滅させん
我、『マシロ』、起床の時来たれり。
我が主様のご寝所より這い出したのは、未だ日が昇る前の早朝の事であった。
何故かくなる時間に起き出したか、其れには理由がある。
主様のお陰で精度を増した我が『領域内』に主様に仇なす『生物の敵意』を感じ取ったからだ。
主様には全く脅威ではない事は明白ではあるが、主様の気を煩わせる如何なる可能性も残すわけにはいかぬ。
其れは我が仇敵にして同士、白狼と誓った新たなる道であった。
我が捉えし敵意は八つ。
内1つはこの些末な寝所のか弱き雌が放つ其れであったが、彼奴は主様の『お手付き』だ。
如何なる御積りで其のように誘導なされたのかは存じ上げぬが、弱者を弄ぶは強者の特権。
主様もきっとこの半精霊共の街で退屈しておられたのだろう。
我は完全なる無音で寝所の中を移動する。
窓なる構造物の真下に移動した時、我らより以前から主様にお仕えする純粋精霊の紅き片割れが我に声を掛けてきた。
「ううん……。あれ……? マシロ、どうしたの?」
「ウキィー(粛清の時来たれり、我は之より主様に害なす塵芥を消滅させん)」
「ん……? よく分かんないけど、お散歩? なるべく早く……帰ってくるんだ、よぉ……。ふわあ……」
……まさか、我の隠形を越えて我の行動を捉えるとは。
やはりこの者共は侮れぬ。味方で有る限りは頼もしいが何れ攻略法を見つけねばならぬな。
億が一、この者共が主様を裏切る事があった場合、肉体其の物は脆弱な主様を守りきる事が出来るように。
我はそう密かに自戒すると、我らが起こした物音に僅かに瞳を開いた白狼に後を任せると気配で告げる。
彼奴は鬱陶しそうに又目を閉じたが確かに警戒する気配を発していた。
敵であったうちは厄介な雌犬であったが味方となると頼もしいものよ。
我は窓を開き寝所より飛び出すと、人が作り上げた構造物の森の中に己が姿をくらました。
*****
「コッケンプリケッ! コッケンプリケッ!」
俺はそんな、鳥らしき生物が放つやかましい鳴き声で目が覚めた。
「コッケンプリケッ、ってなんだ。ニワトリなのか……?」
内心でまだ見ぬ未知の生物の姿を想像しながらよっこいせと起き上がる。
相変わらず俺のベッドにはフィーとアーニィも潜り込んでいたが、今日は締め付け攻撃は遠慮してくれたようだ。
その代わりフィーはしっかりと俺の左手と自分の手を絡み合わせていたが、これくらいなら可愛いものだろう。
「……ん?」
そうやって布団の上で座り込んだ俺は辺りを見回したが、面子が足りないことに気付いた。
「左にはフィーで右にはアーニィ。足元にはハクヤが丸くなっている。あれ? やっぱマシロがいないよな。どこ行ったんだ。トイレか?」
マシロは確か普通に人間用のトイレで用を足していたはずだ。
フィーに手を掴まれて動けない俺はベッドの上から入り口近くのトイレに向かって声をかける。
「おーい、マシロー。トイレに居るのかー?」
…………。
声を掛けて暫く待ってみたが全く出て来る気配がない。
あれ、本当に部屋にいないんだろうか。
俺がそうやっているとムクリと起き上がったハクヤがのそのそと近づいてきて俺と窓を交互に見る。
「……ん? ああ、窓から出ていったって言いたいのか? マジか、あいつフリーダムだな」
一応猛獣らしいんだけど、このままほっといて良いんだろうか……。
うーん、と考えているとアーニィがやっと起きてきた。目を両手でぐしぐしとこすっている。
「にーさん、おはよぉ……。ああ、マシロなら早朝にお散歩に行くって言ってたよ。そんな心配しないでも良いんじゃないかな」
「アーニィ、おはよう。それにしても散歩って。まあ散歩ならいい……のか?」
「まあまあ。もしまだまだ帰ってこないようなら魔法で探して見るから。ねーさんよりは精度低いけど僕だって一応探知魔法は使えるんだよ」
「ふうん?」
探知魔法ねえ。なんだろ、アーニィが使うんだから熱源探知みたいな感じなんだろうか。
なんだか微妙に納得がいかないが、猫みたいなものかと思うことにしよう。
それにしても。
俺はおもむろに立ち上がり左手を持ち上げてみる。
それにつられてフィーがぶらりとぶら下がった。
流石に軽い。精霊だからか。まあそれは良いんだよ。
「おーい、フィー。君は一体いつになったら起きるんだー?」
「むにゃ……。あ、あーん。えへへ、嬉しいけどもうお腹いっぱいだよぉ……」
えらいベタな寝言だな……。
◇◇◇
今日は一階の食堂で朝食を取ることにした俺達は、適当に空いている席を見繕い確保した。
まだそんなに人はおらず、ほとんど独占状態である。
食堂の中を見渡すと、どうやら朝はバイキング形式らしく様々な料理がズラッと並んでいる。
とはいうものの、それらが並べられているテーブルにはちらほらと空きが見られ、街道が通行止めになっている影響は確かに出ているようだった。
「うーん、盗賊かあ。やっぱ一日では流石になんとかできなかったかー」
俺が料理の皿を回りながらぼそっとそんなことを呟くと、背後からそれに応える声があった。
「あ、タカ様はご存知だったのですね。そのせいで暫く提供できる品数が少なくなってしまいまして」
その声に振り返ると、そこには思った通りリーリエさんがいた。
相変わらず今日も麗しいユリの花が見える……、って見るとこそこじゃないだろ。
ちょっと染まってきたかなと思いながら、視線を下にやると少し悩ましげな顔をしていた。
「ああ、リーリエさん。やっぱりそうなんですか。おはようございます」
俺がそう言うと、リーリエさんは慌てたようにコミカルな動きをした後、ペコリと異様に綺麗なお辞儀をした。謎の教養を感じる。
「も、申し訳ありません。背後から声を掛けてしまって。それとおはようございます、タカ様」
相変わらずだな、この人は。ちょっと可愛らしく見えてきた。
少しからかってみよう。リーリエさんには俺のギフトのことも伝えたし、フィー達みたく安心して話せるのが良い感じだな。
「いえいえ、気にしないでください。リーリエさんのそんな姿見てると何だか和みますし朝から眼福ですね」
「え、えええ!? が、眼福ってそんな、恥ずかし……っ」
俺がそんなリーリエさんを眺めながらニヤニヤしていると、あたふたとしていた彼女も俺が遊んでいることに気付いたらしくむっと頬を膨らませる。
「タカさんって。やっぱりちょっとイジワルな所ありませんか? 能力に振り回されていると昨日おっしゃっていましたけどそんな気が全くしないです」
「そんな、ひどい……。俺は今までずっと『本当のことしか』言ってないのにリーリエさんは信用してくれないんですね……。なんだか泣けてきたな……」
「っ!? ご、ごめんなさ……ってやっぱりずるいですよ! 確かに嘘はついてないのかもしれないですけど、その裏がなんだか悪ガキですっ! 何だか悪いこと言っちゃったみたいな気分になっちゃったじゃないですかっ!」
俺達がそうやって楽しく交流していると、ジト目をしたフィーがぬっと俺達の間に割り込んできた。
「お兄さん。調子に乗っちゃ『めっ!』だよ! それにお姉さん! お兄さんは私たちのお兄さんなんだからねっ! あんまりその、いちゃい……。しちゃダメなんだからあっ!」
言葉の途中で段々涙目になってきたフィーを俺は慌ててなだめる。
「わ、わかったわかった。俺が全部悪かった。リーリエさんもすみません。ほらよーしよし」
「い、いえ。あはは、仲が良いんですね」
俺はそう言って慌てて皿をテーブルに置くと、フィーのご機嫌取りをする。
どうみても今のフィーは、自分の大好きな父親がお母さん以外の知らない女の人と仲良く話しているのを見てむくれる一人娘みたいな気配を醸し出していた。
な、なんで俺はこの歳で『子連れの父親』みたいな気分にならないといけないんだ。
その時、ふと誰かの視線を感じた。
ご機嫌取りを続行しながらも、視線の元をさぐるとアーニィが楽しそうに笑っていた。
もしかしてアーニィがフィーに『にーさん、あのねーさんとイチャイチャしてるけどいいの?』みたいなことを吹き込んだんじゃないだろうな……。
変な所ばっかり俺に似てきている気がする。
や、やっぱり俺は少し自重した方がいいのかもしれないな。
「じゃ、じゃあ私はタカ様たちのお飲み物を用意してきます。緑茶と紅茶、フルーツジュースがありますが何が良いですか?」
「こ、紅茶で。あとフルーツジュースを二つ」
一瞬『えっ? 緑茶あるの?』と思ったが、翻訳魔法が似たような言葉を当てはめたのだろうと思い至る。まあそれは良い。
俺とリーリエさんは少し挙動不審になりながらもなんとかその場を取り繕ったのだった。
その後も、飲み物を運んできたリーリエさんがちらっと双子を見て何かを決心した後、彼女らしからぬ強引さで『あの、私の蜜です。どうぞお納め下さいっ』とかやらかしてまたフィーの頬が風船のように膨らむ事件があったがそれは割愛しよう。
自業自得とはいえ朝からえらい疲れてしまった。
リーリエさんはもうしばらく食堂の担当らしくその場で別れを告げて、俺達は一旦部屋に戻った後、鍵を預けに受付へと向かう。
その途中、二階の廊下を歩きながら、俺はふとまだマシロが戻ってきていないことを思い出して立ち止まる。
「そういやまだマシロは帰ってこないのか」
「んーそうだね。ちょっと遅いかも? 探してみる?」
「むぅ」
「……。一応頼む。何か変なことに巻き込まれてもあれだしな」
「はーい。『われはこんげんのせいれいーそうせいのともしびをつかさどりしーせかいのことわりのいちぶなりー。われにやどりしーおおいなるなにかよー。そのちからをもってーわれはここにーマシロなるおサルさんのゆくえをしめさんー』」
「むぅ」
「え!? 詠唱!? しかもすごく適当じゃないか!?」
「うわっ! もー集中してるんだから驚かさないでよー」
「むぅ」
「あっすみません。……あとフィー、ちょっとこっちおいで」
「……そんなので騙されないんだからねっ。私そんなにチョロくないから。……えへへ……」
「まー別に良いけどね。今のは雰囲気で言ってただけだし」
「おい」
「うーん。こんな感じでいいのかな。僕って全部術式は即興だから一から作らないといけないんだよね。――せいっ! あ、分かった」
「……まあいいか。で、マシロはどこにいるんだ? 変なことに巻き込まれてないか?」
「結構遠いなあ。街の反対側にいるや。変なこと……には巻き込まれてないと思うよ。特に興奮しているでもなく普通に心臓ドキドキしてるし。回りに人間さんいるっぽいけど、別にケンカしてる感じでもないかなあ」
「し、心臓だと……。アーニィのその魔法は一体何を探知してるんだ……。まあそれならいいか」
一つ心配事が減ってほっとする。
そんなことを話しているうちに一階の受付に到着した。
するとそこには見覚えのある中年女性がいた。俺たちが泊まりに来た晩に対応してくれた人だ。
えっと確か、ここの宿を経営している人の奥さんのキュラスさんだ。
ボネットさんと少し話をしたかったが、受付にはいないみたいだな。
俺が会釈をすると、彼女は人好きのする柔らかい笑みを浮かべて応対してくれる。
ボネットさんの居場所を少し聞いてみたが、どうやら今は買い出しに出かけているらしかった。
うーん。それなら仕方ないな。帰ってから話せばいいか。
「じゃあ行ってきます」
「はい、行ってらしゃいませ。ふふふ、可愛らしいお連れ様もお気をつけて」
「はーい、行ってきますっ」
「行ってきまーす」
そんな感じで俺達はキュラスさんに挨拶をして、ピュリア観光二日目は始まった。
今日の予定は買い物だ。
宿に大概のものはあるとはいえ幾つか足りない生活必需品はあるし、行く先々で時折見かけた『魔法の品』なんかにも興味がある。
また昨日、リーリエさんに教えてもらった中には『魔法の杖』なんかを売っている店もあって、そこでは魔法の適正なんかもついでに調べてもらえるらしく俺は少し楽しみにしていた。
そうだよ、俺はたしか『魔法が使ってみたいから』剣と魔法のファンタジー世界にきたんだった。
いつの間にかそれをすっかり忘れてしまっていたが、俺も頑張れば魔法を使えるようになるかもしれない。
――俺はこの時はそう、心を踊らせながら宿を出たのだった。
お試しで地の文減らしてちょっと会話多めにしてみました。
観光二話とか言ってた人は一体誰なんでしょうね……