第十一話:なんならもう毎日食べたいくらいですね
危うくおかしな場所に行く羽目になりかけたが何とかそれは回避し、朝食を食べ終えた俺たちはロビーに向かうことにした。
まだまだ朝で多分八時くらいなのだろう。少しばかり肌寒い。
時計も一応あったのだが、針が二十個くらいあって目盛りに至っては五十個くらい刻まれており見方がさっぱりわからなかった。
あれ、本当に時計なんだろうか。
宿泊している部屋の木製の扉を開けて廊下に出ると、これまた木製の廊下が広がっている。
ちょうど端っこ、俺たちの部屋がある辺りが東側になっているらしく廊下には朝日が差し込んできていてなかなか風情がある。
また、どこからともなく『なんだかほっとする香り』が漂ってきて心が安らぐのを感じる。
その時の気分にベストマッチする香りに自動で調整されているのか、さっきまでとまた違った芳香だ。
なんだろうなこれ、魔法なんだろうか?
さすが『グリムガル商会』の幹部が紹介してくれただけあって、面白いサービスがある良い宿だ。
ずっと廊下を直進し突き当たりにある螺旋階段を下りるとロビーについた。
この『雪月花』という宿は木造二階建てなのだが、建物自体は『くの字』みたいになっているようだ。
ロビーにはちらほらと俺たちみたいな旅行者がいて、左手にある食堂で朝ごはんを食べていた。
動物がいるからなんとなく個室に持ってきてもらったけど、猫耳とか生えた人がいるし別に食堂でもよかったかもしれない。
くの字型の建物に囲まれた庭園にも席があるのが見えるな。
ちなみにロビーの右手はこの宿を経営している一家と従業員が暮らす部屋があるらしい。
――ふむ、そうだな。
パンフレットは当てにならなかったが、宿の人から情報収集してみるのはいいかもしれないな。
そう思って、受付にいるユリの花を咲かせた同い年くらいのお姉さんに話しかけてみることにする。
同い年……だよな?
花人は背が低めだが、少女と大人の女性の間くらいの整った顔からはそんな印象を受ける。
うーん、無駄に存在感がある頭の上の『それ』さえなかったらなー。
ほっそりとしていておとなしい雰囲気の、割と好みな女性だったのに。本当に残念だ。
「あのーすみません。ちょっと今大丈夫ですか?」
「はい、なんでしょう? ええと、タカ……タィ…………」
彼女は翠髪を揺らしながら、俺の名前をひどく言いづらそうにしながら必死に発音しようとしている。
どういうわけかここの人たちは『テ』を発音するのが苦手らしく、みんなこうなってしまう。
「タカでいいですよ。ちょっと離れたところから来まして、ここの人には呼びにくいみたいですね」
俺がそう苦笑すると、
「申し訳ありません、タカ様。長期宿泊のお客様ですよね? できるだけ早くお名前を呼べるように練習いたしますので、しばらくの間ご無礼をお許しください。――それでどうされたのでしょうか?」
申し訳なさそうに深緑色の瞳で俺を見上げながらそう言ってきた。
おおう、なかなかプロ根性あるな。
「ちょっと今日はぶらぶらと街を歩いてみようかと思っているんですが、それにも指針が欲しいなあと思いまして。何かおすすめの場所、ありませんか?」
彼女はうちのキッズとペットを見てから、ちょっと考え込むといくつか候補を教えてくれた。
おすすめの料亭や『まともな』ランドマークなども教えてくれる。
まあ一部頭おかしいんじゃないかってのも当然のように混じっていたが、そこは聞かなかったことにした。
取ったメモを眺めていると今日のプランがふんわりと出来上がってきた気がするな。
「いや、助かりました。ありがとうございます」
「いえいえ、お役に立てて良かったです」
彼女がペコリとお辞儀をすると、ふわりと彼女のユリの花の匂いが漂ってきた。
……ちょっとまて。
この匂い、なんだか覚えがあるぞ。具体的にはさっきの朝食。
まじで? え? あれってこの人のあれ? あれがこれでこれがあれなの?
俺が硬直して彼女の花をじっと見つめていると、すこし恥ずかしそうなもじもじとした声が聞こえてきた。
「ど、どうされました? タカ様?」
「い、いや。そういえば朝食に出てきた蜜――」
何て言えばいいんだろう。俺はいまかなりパニクっている。
いきなり『貴女のですか?』ってのはもしかしたら失礼になってしまうかもしれない。
なにせここの常識がないからな。
……うーん、そうだこうしよう。
まず蜜の味を褒める。次にもっと食べたいなアピールをする。
そして最後にこれどこ産なんですかって話に持っていく。
実際美味しかったのは事実だしな。
よし完璧だっ。いくぞっ。
「――甘くてまろやかなコクがあって凄く美味しかったです。それでいて仄かな苦みなんかもあるのが大人っぽくていい感じでした。なんならもう毎日食べたいくらいですね――」
うん?
言葉の途中でユリの花がふるふると揺れているのに気づく。
……いや違う、彼女の頭が揺れているのか。
すこし視線を落として彼女の顔を見る。
――するとそこには。
潤んだ目を大きく見開き、顔を真っ赤にして俺のことを見ているお姉さんがいた。
恥ずかしさに耐え切れないといった感じで、身体をもじもじと揺すっている。
先ほどまでの『真面目で仕事ができそうなお姉さん』はすっかり消え去って、そこにはただ突然の事態におろおろしている『シャイそうな女の子』だけがいた。
……あれ?
っていうか、周りが急に静かになってロビーにいた他のお客さん達が俺たちのことを面白そうに見ている気もするぞ。若い女の子が『きゃっ』っと小さな声を上げているのも聞こえる。
…………あれれ?
背後でフィーとアーニィもこそこそと何か言っているのが聞こえる。
「ねえねえ、もしかしてにーさんってあの人のこと口説いてるのかな? ねーさんはどう思う?」
「く、くどくっ!? お、お兄さんは会ったばかりの人をくど……、そんなことするような人じゃないからっ!!」
「えーでも、僕らの時だってさ、いきなり――」
「ちがうったらちがうの!!」
……やばい。やってしまったかもしれない。
『蜜を褒める』ってもしかしてそういう意味があったの?
ええ、なんで? 身も知らぬ他人の食事に出すくらいなのに、そういう意味だけはあるの?
ちょっとトラップすぎない? もっと軽いのかと思ったわ。
それにこのくらいなら大丈夫だろうと思ったけど、ギフトも発動しちゃった感じだな。
『こんなに美味しいの人生で食べたことないです』くらいには増幅されてそうだ。
いや、今のレベルだともっと意味の分からない感情に変換されて『お姉さんの精神にダイレクトッ! アタックッ!』している可能性もあるな……。
諸々を合わせて考えると、これは大衆の面前で『情熱的な告白シーン』を披露してしまった、ということになるのだろうか。
――ええ、どうしよっかなー……。
茹で上がって完全に硬直しているお姉さんを前にして、いつになく高速で思考を回転させる。
「あ、あーつまりですねその。こ、この宿はご飯も美味しくて素敵な宿だなと言いたかっただけです。じゃ、じゃあ行ってきますね。フィー、アーニィ、ごちゃごちゃ言ってないで行くぞ」
――俺は逃げることにした。
ほら、『三十六計逃げるに如かず』って昔の偉い人も言ってるしね。
それにこういう時は時間を置いた方がいいよな、きっと。
帰るまでには、多分何か良い言い訳が思いつくだろう。
断じてロビーにいた他のお客さん達の目が恥ずかしかったわけじゃない。
*****
「うーん、今日もいい天気だなー。中々の観光日和じゃないか」
俺が空を見上げてうんうんと頷いていると、隣を歩くアーニィがジト目で俺を見上げてきた。
「……今のにーさんはあんまりカッコよくないかも、と僕は思います」
アーニィよ、なんだその変な話し方は。
「えへへ。わ、私は信じてるからっ」
やめて心が痛い。
俺の今の癒しは、人間の事情とか知るかとばかりにのんびり歩いている白狼と白猿だけだよ。
……てかいい加減呼びにくいな。あとで飯食いながら、今更だけど名前考えるか。
「ま、まあそれはそうとだな。やっぱ旅行といえば食べ歩きだろうということで、今日は『菖蒲横丁』という屋台とか店がたくさんあるらしいところをぶらつくことに決定しました。はい拍手」
「無理やり話題を変えたな、と僕は思いました。わー」
「(必死に目をパチパチさせながら拍手をしている)」
………………………。
そうそう、『菖蒲横丁』って名前。
本当に菖蒲ではないだろうと思うが、双子の翻訳魔法がそういうニュアンスを示しているんだからきっと似た花がモチーフなんだろうなー。
ちなみにこの街は大体の場所の名前に花の名前が入っているらしい。さすが花の街だよねー。
◇◇◇
カッコ悪いにーさんと一緒に、『僕』たちは『菖蒲横丁』へとやって来た。
道中、にーさんは必死な感じでいろいろとお話しててねーさんも頑張ってそれに付き合っていたんだけど、僕はそっけない感じで対応していた。
――なんかこういう、イジワルするのも悪くない気がしてきたかも。
昨日からずっと、自分でも知らなかった自分の新たな一面を発見できて面白い。
精霊界から出てきてほんとによかったなあと思う。
『菖蒲横丁』は東西200メル、南北100メルほどに広がる区画のことらしい。
いま僕たちの目の前には、たくさんの人と屋台、お店がひしめき合っていた。
まだまだお昼じゃないのにすごい活気だなあ。
全体的な建物の雰囲気はちょっと威張ってる感じで、木造のお家が多いこの街では珍しく石造りの建物が多いみたい。
あちこちにごく簡単な魔法の気配はあるけれど、街の門やハーフエルフのお姉さんの支店ほど強力なものはない感じ。
うっかり触ったら『燃やし』ちゃいそうだから注意しないとね。
「ところで『たべあるき』ってなに?」
僕は今更な疑問をにーさんにぶつけてみる。
「うん? そういえば説明してなかったな。まあそのまんまだよ。気ままに歩きながら食べたいなと思ったものを買い食いすればいい。金ならやたらとあるから気にしなくていいぞ。ああでも、昼はここの名物食堂に行くから程々にな」
「「はーい」」
僕たちは元気よく返事をして、辺りをきょろきょろとし始めた。
わんことおサルさんも匂いに惹かれたか、どこかせわしない様子だ。
「じゃあ僕はお肉食べよっかな。この街そういうの少ないらしいし食べときたい」
「うーん、私はあの角ウサギの飴細工欲しいかも。かわいいし」
「オーケー、まあ順番にな」
……。
……。
……。
そうしてしばらく後、ちょっと食べすぎたかなと思った僕たちは『菖蒲横丁』の真ん中にある広場で休憩していた。
なんかびっくりするくらい存在感がある、頭に菖蒲の花を咲かせたおじさんの銅像がど真ん中に鎮座している。
柄杓を天に掲げて、空を睨みつける変なポーズだ。
きっとこのよく分からない銅像に気を取られていたせいだろう。
僕が長椅子に腰掛けたときに、『それ』に気づかなかったのは。
――『ジュッ』とお尻の下で何かが焼ける音がした。
やっちゃったかもしれない……。
僕は一瞬びくりと体を震わせると、恐る恐る立ち上がって何を尻で潰しちゃったのか確認する。
『案の定』そこには魔力の糸でできたカエルがいて、しかも僕の放つ『熱』のせいで燃えカス寸前になっていた。うっわあ……。
このカエルって確か、僕たちが『宿を出たときからずっと』付いてきてたやつだよね。
これ、『守護創体』っていうんだっけ。
ニンゲンさんが作ると結構手間がかかるらしいしやっぱり怒られちゃうかなあ……。
――そうだ!
まだちょっとだけ残滓が残ってるから、復元して飼い主さんのところに戻してあげよう。
そ、それならぎりぎりセーフ……だよね?
「どうした? アーニィ。なんか挙動不審だぞ」
僕がこそこそとカエルさんを復活させていると。
それまでねーさんとお話していたにーさんが僕の様子に気づき話しかけてきた。
焦って手元が狂ってしまう。
「ナ、ナンデモナイヨ」
「すごい片言だが」
にーさんが不審そうに僕のことをみる。
ううう、もうちょっとなのに!
「アグニ、なにしてるの?」
そしてさらに悪いことに。
にーさんの言葉でねーさんも僕の手元を覗き込もうとしてくる。
まずい、ちょっと失敗しちゃったけどこれ以上作業を続けるとねーさんにばれてしまう。
――『自律判断機構』がちょっと不完全だけど……、これはもう仕方ないよね!
僕は大急ぎで『繋がり』を手繰って、カエルさんを飼い主さんのところに『瞬間転移』させた。
まあきっと大丈夫……、だよね!
飼い主さんも自分のペットのすることなんだから、笑って許してくれるはずだ!
証拠隠滅に成功した僕はほっと一息をつくと、元気よくねーさんに返事をする。
「もう、なにもしてないよ!」
「……もう?」
あっ、しまった!!
うっかり、余計なことを言ってしまった!!
菖蒲横丁は神戸南京町の間取りをパクッて……、いや参考にしてます。
三が日の間に行けばよかったんだろうけど行き損ねました。
最初はもう少し食べ歩きの描写してたんですが、だんだん『ぼくがかんがえたへんてこな異世界料理』を紹介するコーナーになってきてアレだったのでさっくり終わらせることに。料理物、ぼく、書けない。