『異世界居酒屋「のぶ」』 蝉川夏哉 ~「トリアエズナマ」! その飯テロに、どれだけの猛者(読者)が爆死した?~
【はしがき】
「居酒屋のぶ」は、2014年のネット小説大賞 (なろうコン)において受賞を勝ち取った作品。トントン拍子に版を重ね、続刊に次ぐ続刊、コミカライズまで果たした、『食』を扱った異食ストーリの大御所といえば、この作品でしょう。
なろうユーザーなら、一度は聞いたことのあるビックタイトルで、レビューするのはおこがましい感じもしますが、始めましょう。
【あらすじ】
中世ヨーロッパのような、しかし全く別の文化が息づいた、古都と呼ばれるその街の一角に、奇妙な店が佇んでいる。
「ノレン」の奥からは暖かい光が発せられ、耳をすませば、今日も街に住む衛兵や貴族、聖職者、ギルドマスターなど、様々な面々の声が聞こえてくる。
その店の名前は街の誰にも読めない、不可解な文字で書かれていたのだが、店の主「タイショー」と看板娘「しのぶ」によると、どうやら『居酒屋のぶ』と書かれているらしい。
『居酒屋のぶ』では、古都では到底お目にかかれない食事と酒が、これでもかというほどのレパートリーで振舞われる。その一品一品に「うまい!」という裏付けがあるからこそ、毎夜のように店に押しかけ、舌鼓を打ち鳴らす古都の住人を魅了してやまない。
メニューはタイショーにお任せ? 時々しのぶの賄いも!
おでん。ナポリタン。海鮮丼。
イカ。サラダ。
うなぎの蒲焼。鮭茶漬け。
そして、初めと締めの一杯は、やっぱり「トリアエズナマ」!
さてさて、「居酒屋のぶ」。
今日はどんな客が訪れ、どんな料理と酒を出してくるのか?
様々な料理と、個性的な古都の人々とが、「居酒屋」を中心に触れ合い、物語が生み出される。
そんな、ほっとひと心地付けるような、食と癒しのストーリー。
【面白かった点・みどころ】
まず、「これは良い!」と多くの人が思われることが、「居酒屋のぶ」の構成でしょう。
一冊の本の中に、「おでんのじゃがいも」「しのぶちゃんの特製ナポリタン」「初めての海鮮丼」「密偵とサラダ」など、小粒なショートストーリーが、20以上も収録されています。
時間がなくてスキマ時間しか読めない方、小気味よくトントンと物語を楽しみたい方、小粒だが読み応えのあるお話を噛み締めて味わいたい方。それぞれの要望に応えられる作りになっています。
このような作りは嬉しいですね。
ストレス過多なときに、ふっと力を抜いて、ほんわりとした気持ちで楽しめる。
通勤・通学に一冊持っていけば、少しの空き時間に、ひとつのストーリーをいただけます。
まさに癒し。
――しかし、待ってください。
気をつけて! その『癒し』には『猛毒』が含まれているのです!
それはすなわち……飯テロ。
小気味よく進むストーリーの中心を担う「食」の描写が、空腹の具合を加速させます。
本書が「飯テロ」である、その危険性を、わずかばかりでも警告しましょう。
ここはやはり、引用がよろしいでしょうね。
〔抜粋〕
陶器や木のジョッキでは分からないが、エールの透き通った黄色、いや、このトリアエズナマの場合は金色がよく見える。粗悪なエールとは違い、泡のきめもこまやかだ。ジョッキの表面の造作を確かめようとハンスは手を伸ばし、
「冷たい!」
思わず、手を引っ込めた。ジョッキが、冷たい。なんだこれは。
「はは、俺も最初は驚いたんだ。ま、さっそく飲もうぜ。乾杯!」
「お、おう、乾杯」
ニコラウスが美味そうに喉を鳴らすのを横目に見、ハンスは大きく深呼吸する。
冷えたエール、というのは未経験だが、一体どれほどのものか。
故郷にほど近い街で作られているケーニヒスブロイを超えているとは流石に思えないが。
ぐびり。
ぐびり。
ぐびり。ごくり。ごくり。ごくごくごくごく。
一気に飲み干してしまい、ハンスはジョッキを見つめる。
なんだ、これは。
私たちには当たり前の食材や酒でも、異世界人の舌にとっては、全くの味の革命。
のみならず、私たち自身も、思わず生唾を飲み込んでしまうような描写です。
たった今、ハンスが飲んでいた「トリアエズナマ」、飲みたくなった人はいませんか?(笑)
【いたずらごころと好奇心を喚起する】
『異世界居酒屋「のぶ」』に登場するのは、特別な料理ではありません。
私たちでも手の届くような、いつも当たり前のように食べている品々ばかり。
そしてそれが、この物語の、「キモ」なのだと思います。
――たとえば、こんな経験ありませんか?
日本を訪れた外国人。日本料理には、とんと素人です。
そんな彼に、日本料理の粋、「刺身」を出すとしたら?
「オーゥ! ロウ・フィッシュ?(生魚?) ノー!」
「まあ、試してみてよ」
外国人は、恐る恐る刺身を慣れない箸でつまみ、「ショーユ」につけて、口に放り込みます。
途端、彼の表情に浮かぶ、驚きと歓喜……!
あなたは、いたずらごころを満足させ、彼がどんな衝撃を受けたのか、是非知りたいと思うでしょう。
まして、その味は自分自身が味わい尽くした、ありふれた食べ物。
しかし、外国人にとっては、世界が一変するほどのカルチャー・ショックなのです!
こんな経験は日常起こりえますが、これを「異世界人」を相手取って、ガチに描いたのが、この『異世界居酒屋「のぶ」』なわけです。
中世ヨーロッパのような世界に生きている住人。食事といえば、安っぽいエールや、固いパン、チーズ、腸詰ソーセージ、シチューくらいしかない世界。
そんな彼らに、現代日本の料理を振舞ったとしたら?
彼らはどんな衝撃を受けるでしょう?
彼らの舌は、どんな感想を抱くことでしょう?
そして、彼らの世界にどんな革命が起こるでしょう?
……想像しただけで、ワクワクしてきませんか?
【『食』を成り立たせる舞台】
さて、私はこの物語の『食』という概念は、ぱっと思いつくだけで、三つ以上の要素が合わさって成立するものだと考えます。
それは、料理人が作る絶品の「料理」であり、異世界の料理に困惑しつつも感動を隠せない「客」であり、その客をもてなす「タイショー」と「しのぶ」たち自身が合わさって、初めて成り立つ。そう思います。
だからこそ、この物語において、食は異世界であり、食は人物であり、食は物語であり、それらをすべて超えるもののように感じられました。
こうしたすべての舞台が整えられてこそ、『食』は『食』として、物語を巻き込んでその粋な姿を顕していくのだと思います。
【登場人物】
もちろん、登場人物たちも、とても魅力的。
ミステリアスな雰囲気をまとった「のぶ」の店主、「タイショー」。
活発で可愛い看板娘、「しのぶ」
古都の料理に飽き飽きした朴訥な青年、ハンス。
鬼の中隊長だが、「のぶ」の料理と酒には、とんと骨抜きになってしまうベルトホルト。
厳粛な徴税請負人 (のはずの)ゲーアノート。
その他、様々な登場人物が、様々な背景事情を背に、店に顔を出し、食と酒を彩ります。
今日も「居酒屋のぶ」で巻き起こる、彼らの事件は、どんなものなのでしょうか?
【ちょっとした大枠ストーリーも(少しネタバレ注意)】
もちろん小さいとはいえ、20もの話があるのですから、その全てをレビューで表すのは、ほぼ不可能です。
ですから、少しだけ話の大体の流れを。
もちろん、すべての話には『食』が練り込まれていますが、大枠のストーリーラインもしっかりしています。
異世界に行った居酒屋のぶは、あるとき、性根の悪い商人によって危機に陥ります。
すっかり店の常連になった街の人々たちも、知恵を絞り、ご贔屓の店を守ろうとしますが、どんどん追い込まれていく。そんな折、死刑執行人とも言える街の見張り役が、店を訪れ……。
異世界で様々な面々を虜にしてきた「居酒屋のぶ」。
眼前に現れた危機に、その行くすえはどうなってしまうのか?
ざっくり言うとこんな感じ。ざっくり過ぎますね、すみません(汗)
とにもかくにも、そんな大きな話へとつながっていくわけですが、ショートストーリーの数々をきちんと構成だて、意外な伏線を織り込んでいるところに舌を巻きます。
最後のどんでん返しには思わず膝を打って、そして清々しい笑顔になれるはず。
……もっとも、『異世界居酒屋のぶ』に行くなら、舌を巻くよりむしろ、愛すべき古都の住人たちと一緒に、絶品の料理に舌鼓を打ちたいものなのですけどね!
【残念だった点】
これは文庫版を購入した私には実は残念でも何でもないのですが、文庫版には、単行本に含まれていない追加ストーリーが収録されているようです。単行本を購入してた人には、少し悔しかったかもしれませんね。
また、宝島社は全般的に言えるのですが、電子書籍版がないです。
私もまた、電子書籍の利便性を知っている一人ですから、これは少し残念でした。
【その他】
『異世界居酒屋のぶ』は、現在、宝島社より単行本が4冊、文庫版が2冊(2巻は12月発売予定)、コミカライズが2冊+1冊、刊行されています。
アニメ化も決定したようです。チェックしてみるのもいいかもしれませんね。
WEB版でも読むことができますよ。今すぐほっこりとしたい方は、是非どうぞ。
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