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『三角の距離は限りないゼロ』岬 鷺宮 ~二重人格の少女とのボーイミーツガール。誰だって、『本当の自分』を求めている~

【はしがき】

私は2019年の3月から、毎週週末更新でレビューを書くことにしているのですが、今回この記事をアップしたのは月曜日です。その理由についてはレビュー内で語られますが、この本は物語と向き合う、そして『楽しむ』ということを考えさせてくれた一冊となりました。



【あらすじ】

人前でどうしても「偽りの自分」を演じてしまう僕。そんな僕が恋に落ちた相手は、どんなときも自分を貫く物静かな転校生、水瀬秋玻だった。けれど、彼女の中にはもう一人―優しくて、どこか抜けた少女、水瀬春珂がいた。「一人」の中にいる「二人」…多重人格の「秋玻」と「春珂」。僕は春珂が秋玻を演じる学校生活がうまく行くように手を貸す代わりに、秋玻への恋を応援してもらうようになる。そうして始まった僕と「彼女たち」の不思議で歪な三角関係は、けれど僕が彼女たちの秘密を知るにつれて、奇妙にねじれていき―不確かな僕らの距離はどこまでも限りなく、ゼロに近づいていく。これは僕と彼女と彼女が紡ぐ、三角関係恋物語。


【感想】

ざっくりとしたストーリーを。

主人公である矢野こと『僕』は二年生の始業式に、転校してきた少女、水瀬秋玻に一目惚れします。ところが、秋玻には秘密があり、実は秋玻と身体を共にする春珂という人格を持った、二重人格だった。何かと不器用な春珂に秋玻を春珂に見抜かれ、春珂の日常生活をサポートする代わりに秋玻への恋心を応援してもらう奇妙な関係が始まって……という設定。


この物語で描かれているのは、『二重人格者との恋』というのももちろんですが、象徴しているのは、『キャラを演じてしまう思春期のコンプレックス』だと思います。

秋玻の別人格である春珂が、二重人格だと感づかれないように『うまくやって』、非の打ち所のない秋玻の人格を演じ、近づこうとする。彼女は一つの人間にいくつもの人格が居るのは良くないと、『一つの人間でありたい』と望みます。

また、主人公である矢野もまた、友達の前で『キャラ』を演じてしまうことから、春珂の悩みに親近感を持ち、彼女を助けようとします。



物語の冒頭、その心情を矢野こと『僕』は、こう語ります。


<抜粋>

――本当に、嫌気がさしてくる。

空気を読んで、求められている自分を察知して、その通りのキャラを作って。

何で僕は、こんな風に自分を偽っているんだろう。嘘をつき続けているんだろう。

……

そもそも……「キャラ」って、一体何なんだ?

生身の人間のくせに、日常生活で何を演じようっていうんだ?

……

そうだ、気にしすぎだとも思うんだ。

コミュニケーションを円滑に進めるため、会話を楽しいものにするため、自分を誇張したり押さえ込んだりするのはある程度は仕方がない。

けれど、度が過ぎてしまえばそれは自分に対する嘘になる。相手に対する欺瞞になる。

そしてその欺瞞は時に――誰かを傷つけることも、僕は知っている。

なら僕は、どんなときも揺るがない自分でありたかった。

誰かを演じることなんてない「一人の自分」でありかった――。



高校生の頃、『キャラ』を作って、演じていた人って、結構いるのではないでしょうか?

本当の自分、素の自分は愛されないと知っているから、人から認められる『キャラ』を作り出して、自分に貼り付ける。でも、そんな自分自身って、やっぱり嘘くさくて、皆を騙しているような気持ちにさせられています。


本当の自分なんて、きっと愛されない。


思春期で『キャラ』を作ってしまう人間のコンプレックスの源はここにあると思います。

皆さんの高校生活は、いかがでしたか?



正直に告白すると、私は最初、この物語に共感できず、全く良いところが見つけられませんでした。

なぜなら、大人になってしまった私にとって人前でそれ相応の人格(心理学用語では『ペルソナ』などといいますね)を使い分けるのは当然のことで、それに対するコンプレックスというのが、どうしても理解できなかったからです。


物語が理解できなかったので、あとがきを読んだあと、二度、読みました。


そして、ふと、気づきました。


この物語は『高校生』の話が書かれています。

思春期まっただ中のナイーブな時代。


はたして自分はどうだったか?

そうしたら、突然、物語が色づいて見えました。


思春期って、『アイデンティティー』とか『本当の自分』とか、そういうものを追い求めてました。何もかもが嘘くさくて、それでも嘘が嫌いで、ただまっすぐに、自分は何者であるかに悩んでいました。


それは、とても青臭く、純真な思い。


空気を読んで、周囲にあわせて。

そんな自分が『本当じゃない』と思いながらも、周囲の同調圧力に逆らうことはクラスでハブられることに直結するから、『本当の自分』をさらけ出すことも出来ない。


高校生にとって、世界とは『学校』そのものです。

学校で失敗することは、自分の全世界で失敗することと同義なのです。


それに気づけたとき、自分自身の暗い過去が蘇ってきました。


ああ、そうだよな。演じてたよ。皆が望むように、事を円滑に進めるために、『皆と一緒であるために』、思ってもいないようなことを言って、全く面白くないことを笑う『演技』をして。


でも、その時は、そうすることは、本当に『生きるか死ぬか』の大問題でした。


そして、現実に屈して演じるそんな自分が、大嫌いでした。



二回目を読んだとき、一番はじめに読んだときは全然わからなくてイライラしていた言葉が、すっと入ってきて、苛立ちは共感と苦しさに変わりました。


矢野の辛さ、一生懸命『一つの自分』であろうとする春珂の健気さが本当にすっと胸に入ってきました。個人的には、秋玻のストイックな性格より、ドジだけど、本当に頑張っている春珂に、感情を寄せてしまいましたね。彼女は副人格として描かれていますが、とても魅力的なキャラクターです。紛れもなく、一人の女の子として、生きています。


そして、ラスト、一読しただけでは「綺麗に終わっているな」くらいの感想しか得られなかったのが、圧倒的に押し寄せてくる切なさと、救いと、高校時代の真剣さと経験できなかった胸を締め付けられるようなときめき(この年になってこの言葉を使うのは恥ずかしいですね)を感じさせてくれました。


ですので、高校時代が遙か昔の方は、是非、自分の高校生の頃を思い出しながら、この物語を読んでみてください。きっと、あの頃の何か、大切な何かを思い出すことが出来ます。

今現在高校生である方には、あなたが今悩んでいるかも知れない悩みがあります。主人公と、秋玻と、春珂と、共に悩みながら、ページをめくってみてください。


きっと、人はいつだって『本当の自分』になりたがっている。


『自分が自分になるための』、一歩足を勧める勇気を、この物語は、届けてくれます。

また、全く個人的な体験として、『物語を楽しむ』ということは、どういうことなのか、教えられた一冊となりました。


『三角の距離は限りないゼロ』。本当に、読んで良かったと思える作品になりました。


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