44 わたしと歓迎パーティー
公の場に出るのはいつぶりだろうか。
ティファニアは早鐘を打つ心臓を抑えるように小さく息を吐いた。
バルツァー公爵家のパーティーに出て体調を崩して以来、ティファニアは心配性のラティスによって身内以外の催しは参加していない。本当はライトリアのように新商品の紹介のために社交界で活動したかったのだが、ラティスの心配と天秤にかけてもちろんラティスを選んだ。それからはラティスの信頼した知り合いとしか会っていない。
「緊張しているの?」
シャルルが横から小声で心配そうに声をかけた。それに苦笑いしながら少しね、と答えた。
ここはパーティーホールの控え室だ。主役である一年生は順番に入場するために入り口近くの部屋で時間まで待機させられている。入場は身分順でティファニアたちが最後だ。本来ならばユリウスが一番最後に入場すべきだが、このパーティーも欠席のようで次に身分の高いユリウスとそのパートナーのティファニアが最後になった。
そして入場後に一年生代表としてファーストダンスを踊るのもティファニアたちだ。一番注目を集めるゆえに体が強張る。
「大勢の前で踊るなんて初めてだから失敗しないか不安で…」
「僕がちゃんとエスコートするよ」
ティファニアはダンスを習って分かったのだがかなりの運動音痴だった。リズムを合わせるのが苦手で何度アリッサに注意されたか分からないほどだ。相手をしてくれたラティスの足を踏んだ数も数えきれない。シャルルとは何度も練習し、シャルルのエスコートが上手なお陰でなんとか一曲くらいは無事に済ませられるだろうがそれでも不安は消えない。
「足を踏んだらごめんね」
「ティーは羽みたいに軽いから痛くないよ」
そうだといいんだけど、と苦笑いで返した。流石に羽根のように軽くはないと分かっている。練習中に何度か踏んだ時は顔を少し顰めて痛みに耐えていた。そんなことに今日はならないように目標は転ばないこととシャルルの足を踏まないことだ。
「ほら、出番のようだ」
控え室に案内人が来ると、ティファニアは鏡の前で軽く自身を確かめた。
今日のラティスブランドの青いドレスだ。腰までキュッと引き締まったプリンセスライン、ドレス部分はふわりと大きく広がっている。白い肩は曝け出されているが、二の腕から下は『まじない』の紋様を隠すために手首まで袖があった。それが綺麗な鎖骨を逆に扇情的に見せていた。その首には白いレースのチョーカーが巻かれ、その細さを強調している。髪はアリッサによって複雑に編み込まれ、横に流している。そこにつけるのはティリアが昨年の誕生日にくれた髪飾りだ。紫水晶で作られたバラがこめかみの辺りで大きく一輪咲いていた。
アリッサが鼻を高々に上げて自慢げにツクヨミに語る仕上げなのだから変ではないはずだ。
「似合ってるよ」
「うふふ、ありがとう」
何度言われても褒め言葉というのは嬉しいものだ。部屋から出るまでにアリッサとツクヨミから絶賛の声をもらったが、シャルルにも言ってもらえて心が浮き立つのがわかる。
部屋を出ると扉の前にはティファニアたちを含めあと2組の新入生たちが待機していた。どちらとも他クラスなので初対面だがティファニアたちの前にいる公爵令嬢の名前だけは知っている。
ついその茶色い色の髪に懐かしさを覚えて見ていると、ティファニアの視線に気づいたのかその令嬢はこちらを強く睨んだ。その視線にも見覚えがあってティファニアは小さく笑ってしまったのだった。
前の組みはそれからすぐに入場し、ティファニアたちの番となった。
「ティファニア・ウルタリア令嬢及び、シャルル・ルイビシス様!!」
名が呼ばれると同時にティファニアは差し出されたシャルルの手を小さく握って会場に入った。入り口前との光の加減の差で少し目を細めてしまう。
入学式にもこのホールが使われたが、それとは雰囲気が打って変わって艶やかになっていた。色とりどりのドレスが会場を鮮やかに染め、美しい花々と一緒に会場を彩り深くしていた。舞台奥には楽団がおり、入場にふさわしい華やかな曲を奏でている。
ティファニアたちは案内に沿って会場中央まで優雅に歩くと、そこで音楽が静かになる。シャルルに捕まっていた手はそこで離れる。少し一人になったようで寂しかったが、またその手が差し出された。
「お手をどうそ」
恭しく、跪いてティファニアを待つ。その視線はまるで恋する男のように熱かった。ティファニアの心が騒めくがそんなことを悟らせないようにお淑やかに微笑み、その手を取った。シャルルがティファニアの腰に手を当てると、音楽が始まる。
それはゆったりとしたワルツだった。
ワンツースリー、と練習通りティファニアはステップを踏む。シャルルのエスコートのおかげでなんとか今のところ足を踏んでいない。
「ティー、楽しくないの?」
シャルルは話す余裕があるようでティファニアに尋ねた。二人きりだとわかっているからかティーと呼ばれたその愛称が心を温める。数日ぶりだというのに何年も呼ばれていない気がしていた。
「まだ、不安だけど、楽しいよ」
ステップを必死に踏みながら答える。下手ではあるがシャルルとこうしてダンスを踊るのは好きだ。今はただ失敗しないかそれが心配なだけだ。
―――だが、今はそれ以上に心配なことがある。
「ちょっと、先が思いやられるけど、ね」
「この後のこと? ティーは久しぶりの公の場だからたぶん沢山の人が関わりを持とうと挨拶に来るよ」
僕も手伝うから大丈夫だよ、とシャルルが言ったが、ティファニアの憂いは晴れていないような気がした。
シャルルは曲に合わせてティファニアをグルンと回すと、また軽やかにステップを踏む。
「それは予想してたから、大丈夫なんだけど、さっきから視線がすごくて…」
ティファニアが少し苦笑いを浮かべたのでシャルルは目だけ動かして辺りを見回した。たしかにてぃふぁにあは会場の視線を一身に受けていた。こんなに綺麗なのだから仕方がないが、つい隠してしまいたくなる。そんな思い通りにはいかないが。
「ティーが可愛いからだよ。それに今朝から話題になってるしね」
納得したように答えるが、ティファニアは違うと小さく首を振った。シャルルは不思議そうにティファニアの瞳を見つめる。
「あのね、ツクヨミが……」
それを聞いてシャルルは改めて納得した。少し集中してみれば自分の近くに何か違和感があるのもかんじとれた。大方ツクヨミが羨ましがって自分を睨んでいるのだと思う。パーティーには鬱陶しいのがいるから参加しないと言っていたとティファニアから聞いていたが、やはり気になって来たのだろう。ラティスと同じで過保護極まりない。
「ごめん、それは助けられないや」
「うん。今夜はツクヨミと徹夜かな……」
ティファニアは乾いた笑いをこぼしていたが、その表情は嫌そうではなかった。
シャルルはティファニアの手を少しだけ強く握った。
タタンとステップを踏み、曲が終わった。普通の曲よりも短いはずなのに、緊張で長く感じた。
盛大な拍手が沸き起こると、生徒会長の言葉が始まった。舞台上には事前に聞いていた通りジルヴェスターの姿があった。
「ありがとうございます。見事なファーストダンスでした」
そんな言葉から始まり、新入生への歓迎の言葉と今日を楽しんでくれ、という内容で終わった。
ライトリアからジルヴェスターが今年の後期課程の生徒会長と聞いていたが、この目で見るまで正直信じられなかった。ティファニアにとってのジルヴェスターは甘々なお兄様で固定されているのだ。
ジルヴェスターの言葉が終わると、あとは自由時間だ。ダンスエリアで踊るもよし、談笑するもよし。
ティファニアは来年入学するティリアのために今日は多くの人と繋がりを作るつもりだ。ダンスエリアから離れてシャルルの案内を頼りに挨拶をして回る。
そして何人かと話していると、突然後ろから声をかけられた。他人と話している時にこうして割り込んでくるのはマナー違反であるが、このパーティーではまだ社交界への練習だとして許される。あまりする人はいないが。
ティファニアは話し相手に少し断ると、その声へと振り向いた。その深いビターチョコレートのような髪はやはり懐かしい。彼女は何人かの令嬢たちを従えて目を細めていた。
「あらぁ、わたくしが話しかけたというのに待たせるなんて、自分の身分を弁えているのかしら」
あまりにも直接的な嫌味にティファニアは面食らった。社交界とは遠回しに言ってなんぼだとアリッサから聞いていたからだ。こうおおっぴらにティファニアに言えるのはその地位が高いゆえだろう。なにせ彼女はアドリエンヌの生家である王国序列三位シャネスタ公爵家の令嬢なのだから。
「お初にお目にかかります、エドウィージュさん」
慣例に倣ってそう呼ぶと癪に触ったようだ。ふん、と鼻を鳴らして顎を釣り上げ、見下ろしてくる。
「気安く名前を呼ばないでくださる?身分が高いものの許可がないと呼んではいけないと習わなかったのかしら?その色のない頭は中身も何も入っていないのね」
どっちが先に決まりごとを破ったのかと言いたくなるが、エドウィージュの中では自分がやることは全て正しいのだろう。きっと何を言っても通じない。
だが、言われっぱなしを許す気もない。ウルタリア侯爵家が自分のせいで侮られるようなことは絶対にしたくないからだ。
「まぁ、ではわたくしよりも出来ない方は何が詰まっているのでしょうね」
扇で口元を隠してうふふ、と笑ってみせる。
この意味をエドウィージュは理解できるだろうか。クスクスと周りで笑う声がする。その人たちは分かっているのだろう。ティファニアの言ったことが。
今朝、昨日行われた実力テストの結果が出た。全学年上位5名まで本校舎の総合掲示板に張り出されるそれにはユリウスとティファニアが同列一位、次席がシャルルと掲載されていた。エドウィージュの名前など、もちろん載っていない。
「ば、馬鹿にしてぇ!!」
やっと理解したエドウィージュが扇で顔を隠すのも忘れて真っ赤にする。睨むその瞳が憎々しいと訴えている。
この嫌味な態度に加え、彼女に続いてティファニアを睨んでくる取り巻きのご令嬢を装備しているなんて彼女は正にーー悪役のご令嬢だ。いや、実際そうなのだ。少なくともゲームの中では。
『白いアザレアを君に捧ぐ〜あなたに愛されて幸せ〜』の世界において、ティファニアはどのルートにおいても広いの恋路を邪魔するが、他にも攻略対象者の関係者たちも度々妨害しようとする。それは婚約者候補であったり、姉であったり、友人であったりと様々だ。そしてエドウィージュ・シャネスタもその一人である。彼女はジュリアンルートの婚約者候補であった。
先ほどの表情のスチルがゲームにあったなと懐かしく思っていると、エドウィージュの怒りが限界に達したのか、
「この汚れきった掃き溜め育ちがっ!!」
と吐き捨てた。なんて口が悪いのかと言いたいがエドウィージュは取り巻きたちを連れてその場を去って行った。やっと嵐が去った気分になる。正直アリッサから沢山の遠回しの言い方を習い、前世の知識もあるティファニアに勝とうと思うこと自体が無謀なのだ。
「みなさま、従姉妹がご迷惑をおかけいたしました」
周りの人たちに謝罪するが、みな悪いように思っていないようだった。
思えばここにいる先輩方はエドウィージュとは対立する派閥に属している。今後のために幅をきかせようとしたエドウィージュを撤退させたことが嬉しかったのだろう。お礼まで言われてしまった。
ティファニアはその後も他の生徒たちのあいさつ回りに努めた。初対面の子息令嬢がほとんどで、それに加えて縁を持ちたいと思っている人も多いようで大変であった。避けられてばかりだった初めて参加したお茶会とは大違いである。
ひと段落すると、ティファニアはジュースを手に取って、壁際でシャルルと一緒に少し腰を落ち着けた。体力のないティファニアは表には出さないが、すでにぐったりだった。シャルルが心配そうに瞳を揺らしている。
「今日はもう中座したら?」
シャルルの言葉に気だるげに頷く。まだ閉会まで一時間半ほどある。知り合い全員とまだ話したわけでないし、ユフィシアの動向も気になる。だが、最期まで体力が持つ気がしなかった。
白百合寮まで送ってくれると言ってくれたが、ずっと付き合わせるわけにもいかない。ティファニアは首を振って大丈夫だと答えた。
「ジル兄様によろしく」
そう言ってパーティーホールを後にした。
パーティーは学園内で行われるのでもちろん馬車で送ってもらえるわけがない。ティファニアはローヒールの靴で本当によかったと思いながら寮への道を歩いていた。学園内をドレスで歩いている事がアンバランスでなんだか不思議な気分だった。
ツクヨミは近くにいなかった。この学園に来てからツクヨミは自由行動をしていることが多くなった。今ついてきていないということは、まだパーティー会場にいるのかもしれない。だがきっと、夜までにまた会えるだろう。
そう思いながら10分ほど歩くと、寮が見えてきた。隣にはオージュの森が月明かりに照らされている。
昨日の夕方から今日の明け方まで雨が降ったため、殆どの花が散ってしまった。お花見は来年に見送りだ。
「あ、」
その中に人が佇んでいるのが見えて、ティファニアは声を上げた。
パーティーを体力不足で中座する生徒なんてきっとティファニアくらいだ。欠席したユリウスを除けば学校関係者はパーティー会場にいるはずなのになぜこんな場所に、と気になってつい歩く方向を変える。
その人は悲しそうに月を見上げていた。正装をしているのは一度はパーティーに出ていたからだろう。恐らく上級生だ。
カサリ、と足音が鳴り、彼はティファニアに気づいたようでゆっくりとこちらに顔を向けた。風が吹き抜け、茶色い髪とまだ残っていた桃色の花弁がふわりと舞う。
「こんな場所にどうしたの?」
にこりと笑うその表情はラティスのように優しくて、まだ離れて一週間も経っていないというのに寂しくなった。
「わたし以外にも、途中退室する人がいるのですね。体調を悪くされたのですか?」
「うん、……いや、ね。賑やかなのは好きなんだけど、ああいう堅苦しい雰囲気は嫌だから」
彼はそういうと、「ここにいるほうが落ち着くし」と視線を逸らした。その瞳は静かに揺れていた。
つられて彼の見た方向を見ると、暗くて見えにくいが、そこには寮と同じ大きさと思われる建物があった。一つだけ明かりのついた窓が見える。
「あそこは?」
「図書館、だよ」
「図書館!?」
図書館という言葉に目を輝かせて反応してしまう。
アリッサはすぐにでも案内してくれるといったが、ティファニアが試験が終わるまではいかないと断っていた。そうでなければ読んだことのない本を手あたり次第に借りる自信があったからだ。考えることもないようにと場所も聞いていなかったが、自分の部屋の窓から見えていた大きい建物が図書館だなんて運命的な気すらする。
目を輝かせると、彼は腹を抱えて笑いだした。あっはっはという声が、夜の静寂に響く。ティファニアの表情が一変したことがそんなにおかしかったのだろうか。つい恥ずかしくなって頬を染めた。
「本が好きと聞いていたけれど、まさかここまでとは」
「好きなんだから仕方がありません!」
「そうそう、好きなら仕方がない。あの図書館は王城を凌いだ王国一の蔵書数と言われているし」
「そうなんです!!」
むくれて頬を膨らます。貴族の初対面の相手にこんな表情見せたことはないのに、この人も表情豊かだからか家族と話している気分になってなんだかペースが崩される。
彼は笑いで乱れた息を整えつつもまた込み上げるものを抑えながら話していた。
「そんなに好きなら明日から足を運んであげて」
「……足を運んであげて、って?」
あ、と彼は小さく声を漏らした。どうやら今の言葉は不意に零れてしまったようだ。ティファニアの質問に少し眉を寄せている。やってしまった、と顔にそのまま書いてある。
「あー、いや。彼女が、図書館利用者が増えると喜ぶんだ」
視線を行ったり来たりと忙しなく動かしながら弁明する。彼女とは、先ほど見ていた図書館の部屋にいる人のことだろうか。それを聞こうと思ったが、彼は急にポケットから時計を取り出し、そしてそれを見て、
「あっ、もうこんな時間だ! そろそろ戻らないと」
と早口でワザとらしく驚いた声を上げ、またね、と言ってぱたぱたと足音を立ててオージュの森を去っていった。
え、と思ったティファニアがその事実を認識するのがワンテンポ遅れてしまうほど鮮やかな逃走であった。
「名前聞くの忘れちゃった……」
そんな隙など与えてくれなかったのだから仕方がないが、本当はもっと話したかった。しゅん、と心が沈む。
「ティア、体調はなんともない?」
項垂れたティファニアをまた体調が悪くなったと思ったのか、いつの間にか近くにいたツクヨミが声を上げた。相変わらず体力が底を突いていてきているのはわかるが、会場を出る前の気だるさはなぜかなくなっていた。夜道を歩いたからだろうか。
「思ったよりも大丈夫。明日は休みだからもう帰ってゆっくり休むね」
「ああ、それがいい」
そう言うと、ツクヨミは浮かんでいた身体を地につけて、ティファニアを軽々と持ち上げた。ついきゃっと驚きに声を上げてしまう。誰かのメイドが見ているかもしれないのに、と文句を言おうと思ったが、ツクヨミの腕の中が心地が良すぎてそんなことどうでもよくなってしまった。ぎゅっとツクヨミの服を握る。
今日は頑張りすぎたかもしれない。体力のない自分にしてはよくやった。
そう自分をほめながら、優しい温もりに包まれてティファニアは目を閉じた。
次は日曜日。
『きまぐれ短編集』にぼちぼち短編を更新しました。
気が向きましたら足を運んでみてください。




