05 わたしとお義母さま
アリッサは部屋に着くと抱いていたティファニアをベッドの上に優しく下ろした。部屋に戻ってくる間に何度も話しかけたが、全く反応がなかった為、自分がいない間に何かされたのではないかと不安になる。
ベッドの上のティファニアの目は生気がなく、まるで屋敷に来たばかりの頃のようだった。アリッサがまた呼びかけるが、その瞳には何も映っていなかった。
(わたし、あの目を知っている……)
アリッサが軽く肩を揺さぶると、ティファニアはぽふんと後ろに倒れた。
まるで人形のように倒れ、ベッドに埋まるティファニアを心配したアリッサはお医者様を呼んできますと言い、駆け足でティファニアの部屋を後にした。
(わたしはあの目を知っている…。憎くて、憎くて、殺したいほどなのにそうできない、そんな相手を見る目だ。あの目がわたしに向けられたことはなかったけど、あんなに、あんなに冷たくて痛いなんて……)
あの目はスラムで見たものと同じだった。自分ではどうしようもなくて、その怒りを裕福な貴族や自分たちを窮地に追いやった男たちを見る目と同じだ。
アドリエンヌに睨まれた時、ティファニアの身体は凍り付き、視線で身体を射抜かれたようだった。肌を刃物で刺され、血がどろりと噴き出るかのような感覚を覚え、ティファニアは心を無にした。
何も聞こえない、何も見ない、何も感じない。生きる続けるためにそうやって自分の殻に籠ってやり過ごしてきた。心は脆く、すぐに傷ついてしまうものだから。
ティファニアは自分の周りに何もないことを薄っすらと開けた眼で確認し、むくりと起き上がった。そしてもう大丈夫だと自分に言い聞かせる。もう、あれらは、いない、と。
すると、タイミング良く扉を開き、医者を伴ったアリッサが荒くなった息を整えながらティファニアの方へ駆け寄った。アリッサはティファニアがベッドから起き上がっていても、まだ心配なようで、不安げな顔をしている。
そんな様子を見たティファニアは安心させるようにアリッサに優しく微笑みかけた。
「もう大丈夫です」
アリッサはティファニアのその表情と言い方が普通の4歳児が見せるものではなく、まるで達観した年上の大人を見ているようで驚いた。彼女の表情は諦めと哀愁が織り交ざった、そんな表情であった。
「お嬢様、本当に大丈夫ですか? 一応、お医者様に見せてくださいね」
大丈夫と言われても心配は拭われないため、アリッサは連れてきた医者にティファニアを頼む。ティファニアは何の抵抗もせず、医者のいつもの触診を受けた。
医者が診断しても何の問題はなかった。しかし、外に出たためか少し体温が上がっているので夜には熱が出るかもしれないそうだ。アリッサはその結果に安心し、夜に備えてティファニアを早めに寝かせようと決めた。
医者が部屋から出ると、ティファニアは自分から離れて寝間着を取りに行こうとしたアリッサの裾をつかんだ。そしてアリッサを真っすぐ見上げる。
「アリッサ、あの人誰?」
ティファニアの可愛い上目遣いにアリッサは胸がきゅんとなったが、彼女の真剣な表情と少し低い声に顔を引き締めた。アリッサにとって忌々しいあの女性については話さないようにとラティスから言われている。しかしティファニアはじっとアリッサを見つめ、引き下がる気は全くないようだった。
「………あの方は、あの方はアドリエンヌ様ですわ。旦那様の奥方にございます。お嬢様のお母様の後にご結婚された方です」
アリッサはティファニアの真っすぐな目に負け、苦々しげに語る。
「そっか。じゃあ、わたしの今のお義母様なのね」
「……そう、です」
あんな女がお嬢様の義理とはいえ母親であってたまるかと思いながらもアリッサは肯定する。しかしティファニアが悲しむのではないかとはっと気づき、フォローしようと視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
しかし、ティファニアは軽く目を伏せ、興味なさげにふーんとだけ言った。
(あれがお父様の後妻なのね……)
そう思うと、ティファニアはぱっと顔を上げ、いつもの表情に戻る。
「アリッサ! あのばら、もってきてくれた?」
「い、いえ、庭師に伝えたので、後ほど持ってきてくれることになっております」
「そっか! じゃあ、よるにお父様にわたそうっと!」
ティファニアがいつものように戻ったことを安心しつつもアリッサは心配になった。まだアドリエンヌの言葉を気にしているのではないか、と。
ずっとティファニアを罵倒していたアドリエンヌの言葉は酷いものだった。ティファニアをスラムの汚らわしい子と言ったり、ティファニアの母親を娼婦だと罵ったりと大人のアリッサでも耳を塞ぎたいものばかりだった。
(私が、私がお嬢様を守らなければ…!)
アリッサは4年前、あの事件の日、ティファニアとティファニアの母親、そしてティファニアの双子の妹を乗せた馬車に乗っていた。アリッサが生後半年ほどの小さなティファニアを大事に抱きしめ、奥様であったレイフィアは妹の方を腕に抱き、屋敷に戻る道を2人で談笑しながら進んでいた。
しかし突然馬車にが止まった。野盗に囲まれてしまったからだ。護衛たちは命を賭してレイフィアやティファニア達を守ろうとしたが、相手の人数は50を超えており、敵わなかった。
アリッサは走って逃げる。しかし、すぐに捕まってしまった。野盗の前でもアリッサはぎゅっと腕の中のティファニアを抱き締め、守ろうとした。―――が、突然背中が熱くなった。振り返ると野盗が気持ち悪くヘラヘラと笑いながら立っている。刺されたのだとアリッサが理解すると、身体の力が抜けていった。守らなければいけないのに、守りたいのに、そう思いながら腕に力を入れるが、無情にも守りたいその子は野盗に取り上げられてしまう。
アリッサはその後、取り戻そうと必死に懇願したが、腕を縛られ、目隠しをされ、首に衝撃がはしると意識を失ってしまった。
目が覚めたときに感じた可愛いあの赤ん坊が、腕の温もりが消えた時の絶望をアリッサは今でも忘れていない。
早く元気になってもらおうとアリッサはティファニアににこりと笑い、着替えさせた。
「お嬢様、お医者様が夜に熱が出るかもと仰ってましたから、今のうちに寝ておかないと旦那様がお帰りになったときに起きていられませんよ」
「ほんとだ! じゃあ、いまねる!」
「はい。旦那様も直接お嬢様から貰ったら喜びますわ」
「うん!」
ティファニアは元気よく返事をし、ベッドに飛び込んだ。そして、布団をがばりと被ると、考えるのはラティスのことだ。
(お父様、喜んでくれるかな。……でも、なんでお父様はあれと結婚したのかな…?)
ティリアとティファニアの年齢はほとんど離れていない。ということはティファニア達がいなくなってすぐに娶ったのだろうとティファニアは考える。
(でも、確かゲームの中のティファニアの義母はティファニアに話しかけたことがなくて、ずっと無視してたんじゃなかったっけ…?)
ゲームのアドリエンヌはティファニアとは一切関わらないようにしていた。見向きもせず、返事もせず、ただただティファニアに無関心を貫き、実の息子のティリアだけを可愛がった。
しかし、先ほどのアドリエンヌはティリアを大事に思っているところは変わらないが、無関心から程遠いものだった。憎々しげにティファニアを睨み、罵倒する。
(やっぱり、ゲームとは大分違うのかもしれない…。だったら、だったら仲良くしたい―――けど、あの目はダメだ。あの目はもう、わたしを見ていない)
人生を後悔しないために周りと仲良くしたい、そう思うティファニアだが、アドリエンヌとは無理かもしれないとも同時に思う。アドリエンヌを変えることは自分ではできないだろう、と。
そのことに少し悲しくなり、目をきつく閉じるとティファニアはいつの間にか夢の世界へと誘われてしまった。
その頬には一筋の涙が伝っていたことを知るのはアリッサだけだろう。
その夜、ラティスが部屋を訪れると、そこには薔薇を1輪持った妖精…ではなく愛娘がおり、その薔薇が自分のためだと分かって彼が大喜びしたのは言うまでもないだろう。
「しつむしつにかざってください。お父様のきれいなめとおなじいろにしました」と言って薔薇をはにかみながら差し出す愛しい娘をラティスはいつでも思い出せるようにしっかり目に焼き付けたのだ。