39 わたしと妹
「フィーお姉様は本当にお姉様と似ていますね」
一緒にゆったりとしたソファで並んで座るティファニアとユフィシアを見比べ、ティリアは表情を崩した。瞳の色は紫と青と全く違うが、顔立ちはほとんど同じで、うしろ姿だけならば見分けがつかない。
「そうね。本当に似ているわ」
ふふっとユフィシアはティファニアを見て笑った。
「うふふ、髪の色なんか珍しいはずなのに同じだものね」
ティファニアがくるくると指で自分の長い髪をいじると、隣のユフィシアが手を伸ばしてきた。軽く梳くようにティファニアの髪をなでる。
「ティーの髪は綺麗だね」
「う、うん。ありがとう。フィーも同じ髪質だから、私が作ったシャンプーとリンスを使えばすぐキレイになるよ」
「シャンプーとリンス?」
ユフィシアは怪訝そうな声で尋ねた。シャンプーとリンスは前世の言葉なので、どうやら聞きなれないようだったようだ。
「うん。髪の汚れを落としたり、髪質をよくするためのものだよ」
「へー、そうなんだ」
ユフィシアは驚いたような顔をし、目を細めた。そして、それらをティファニアが作ったのか聞いてきた。
すると、ライトリアが嬉しそうな声音で答えた。
「そうよっ! ティーちゃんは頭がよくていろいろ開発しているのよ。シャンプーとリンスもそうだけれど、他にも料理も作っていたり、最近は木から作る紙ができたのよね?」
「ああ、そうだ。ティーは凄いんだぞ。私たちには思いつかないものをどんどん作っているんだ」
ライトリアに便乗するように従兄弟たちもしきりにティファニアを褒めた。
この4年間でヴィレット商会の商品は多様化しているが、ほとんどがティファニアの前世の知識に基づいたものである。最近やっとできた木から作る紙――和紙はもともとティファニアの知識がおぼろげだったこともあり、開発に4年もかかってしまった。しかし、それを皮切りに、ヴィレット商会は文具を売り出し始めた。次々と画期的な新しい商品を売り出すヴィレット商会は今では王国で有数の振興商会へと成長しつつある。
しかし、その全てが前世の知識の恩恵であるため、ティファニアは素直に喜べなかった。
「ありがとうございます。でも、発案したのがわたしでも、あとはみんながやってくれたので……」
「まあ、ティーちゃんったら、相変わらず謙遜しちゃって! ティーちゃんのお陰で領地が潤っているのだから、誇りに思うべきよ!」
うんうん、と同意の声が上がり、ティファニアもそれ以上は言えなくなってしまった。
実際、ウルタリア侯爵領はこの4年でどの領地よりも潤ってきているのだ。私費から多大な寄付をしているティファニアの貢献がなんの意味を持っていないわけがない。
それをせいか、ユフィシアが華やいだ声をあげた。
「ティーってすごいのね! もっとティーの話を聞いてみたいわ!」
双子の姉が褒められているのがユフィシアには嬉しかったのだろう。ライトリアや従兄弟たち、そして、ラティスやティリアに如何にティファニアがすごいのかと聞いていた。
絶えることのない自分の話題に、ティファニアは赤面しながら縮こまって聞いているしかなかった。しかし、さすがに居たたまれなくなり、ティファニアの8歳の偉業編が始まると話を遮るように口を挟んだ。
「ちょっ、そ、それまでです! これ以上は恥ずかしいので、わたしのいないところで、お願いします……」
普段は取り繕っている表情も家族の前だからと油断してしまっている。ティファニアの顔は耳まで真っ赤であった。顔のほてりが全く取れず、ティファニアは抑えられない恥ずかしさにまた、顔を紅に染めた。すぐにでもツクヨミに抱き着き、表情を隠したい気分である。
「ふふっ、ティーは恥ずかしがり屋だったのね。じゃあ、ティーのお友達のことを聞かせてよ。ティーには幼馴染と婚約者がいるのでしょう?」
ティファニアが少しでも顔を隠そうと両手で頬を包んでいると、ユフィシアが思い出すように聞いてきた。どうやら先ほどからティリアが話しているシャルルとユーリについて気になったようだった。
しかし、ティファニアには他に気になることがあった。なぜ、婚約者と言ったのだろう、と。
「フィー、わたしに婚約者はいないよ。さっきからリアが言っていたシャルル様はわたしの幼馴染で、ユリウス殿下はシャルル様のお友達」
「そうだよ、フィー。ティーに婚約者なんかいらないんだよ。あんな小僧如きがティーの婚約者だなんてあり得ない」
「……あら、王子さまと仲がいいって聞いたから、てっきり婚約者だと思っちゃった」
ラティスが王子を小僧如きと呼んでいるのを注意するものはこの場にはいなかった。誰もがティファニアが婚約するのは反対であるようで、部屋の者いた人たちが強く頷くのがティファニアの視界の端には映っていた。先ほどから給仕に専念してくれているカマリアネス伯爵家の使用人たちまでもがなぜか頷いていた。それを見て、ティファニアはどれだけユリウスは信用がないんだと心の中で突っ込みを入れるしかなかった。ティファニアを嫁に出したくないという親の心情故であるが、それには気づけなかったようだ。
「殿下と婚約だなんて、恐れ多いよ。一応王族だもの。それに、両殿下にはもう婚約者候補がいるのよ。わたしと勘違いされちゃったら、婚約者候補のご令嬢方に失礼だわ」
「そうだ。ユリウス殿下は仮にも王族だからね。フィーも来年からは学園に通うことになるんだ。今は家族だけだけれど、他の目があるときは気を付けなければならないよ」
それが貴族だからね、とラティスはユフィシアを諭すように言った。
貴族の間では、迂闊な発言一つで信用を落とすこともある。これからはユフィシアも貴族として生活するようになるのだ。そういうところは再開した初日であろうとちゃんと伝えておかなければ、最終的に痛い目を見るのはユフィシアの方になってしまう。そんなことは愛しい娘には経験させたくなかったのだ。
ラティスがふわりと頭を撫でると、ユフィシアはわかったと笑って頷いた。
何故かその笑みはティファニアには寂しげに見えた。すぐに紛らわすように先ほどの質問に答える。
「わたしの幼馴染のシャルル様は公爵家子息で、4歳からずっと仲良くしてもらってるのよ。とても優しくて、フィーもすぐに仲良くなれると思うわ。それにユリウス殿下も(外面は)優しい方よ。来年には一緒に学園に通うことになるから、その時に紹介するわね」
「うん。ありがとう」
学園に通えるのが楽しみなようで、ユフィシアは嬉しそうに笑っていた。しかし、ティファニアは少し暗い顔して、妹の手を握った。
「それで、なんだけれど、」
ティファニアは遠慮がちに口を開いた。辛いことだが、これはどうしても聞いておかなければと思ったのだ。
ユフィシアは何だろうと目を細め、首を傾げていた。
「その、……レイフィア、お母様は、どうなったのかな?」
恐る恐るといった風にティファニアはユフィシアを見た。まだ再開したばかりの妹につらい記憶を思い出させたくなかったのだ。しかし、紫の瞳と青の瞳が見つめあっても、その空色の瞳には動揺さえ浮かんでいなかった。
「母様はね、私たちが逃げる道中で病気で亡くなってしまったの」
長いまつ毛を伏せるその姿は悲しいように見えた。
「私が9歳の時、いつも閉じ込められていたあの部屋から初めて出た。私と母様ともう二人で一緒に。頑張って、頑張って、必死で逃げた。でも、追手のせいで一緒にいる人数は減っていったわ。いつも庇ってくれたメイド。ヤツを裏切ってくれた騎士。二人とも死んじゃった」
それは淡々と。報告するように淡々と紡がれていた。
「逃げた先は隣の領地だった。母様はそこからお父様のところに行くつもりだった。けれど、宿についたら、母様は倒れてしまった。倒れて、熱を出して、3日3晩寝込んで、そして、もう、目覚めなくなった。母様はとても冷たくなったわ。私は優しくしてくれた宿のおじさんと母様のお墓を一緒に掘って埋めた。母様は、もう、死んじゃった。……そう、もう、いなくなっちゃったの」
顔を伏せていたユフィシアは、話し終えてもまだ少しだけ俯いていたが、急にぱっと顔をあげ、にこりと笑った。その笑顔は寂しさを誤魔化すような必死で作った笑みに見えた。しかし、ティファニアは何故かその表情に先ほどと同じような寒気を覚えた。この表情を知っている気がしたのだ。どこかで見た。それは、前世で。確か、あの時の自分は―――……
「フィー!! もう、思い出さなくて大丈夫だよ!!」
「フィーお姉様、そんな悲しい顔しないでください!!」
大好きな父親と弟が横にいる妹に抱き着いたことで、思考の海に囚われていたティファニアの意識は浮上した。頭の中にティア、とツクヨミの心配する声が響くが、ふるふると頭を振って立て直す。大丈夫だ、と自分に言い聞かせて。
「フィー、野暮なことを聞いてしまったわ。ごめんなさい」
ティファニアが謝罪すると、ユフィシアはお互い握っていた手を軽く握り返した。そして、先ほどと同じ寒気のする笑みを深める。
「ううん。ティーは気にしないで。それよりも、心が決まったからいいの」
「決まった…?」
「うん。だから、いいの」
ユフィシアは言葉を濁してしまい、ティファニアはそれ以上追及する気にはならなかった。
少し微妙な雰囲気になってしまったが、それからは一緒に昼食を食べ、ティファニアたちは家族団欒を楽しんだ。
夕日が差し、空が赤みがかってくると、ティファニアたちも帰らなければいけない時間になった。
ライトリアや従兄弟たちは見送りで外に出ると相変わらず名残惜しいとティファニアとティリアにぎゅっぎゅと抱き着いていた。またすぐに会えないこともないのだが、お互い予定があり、忙しい身だ。そう簡単に予定が合うわけではない。
ラティスも久しぶりに会えた娘を見て、後ろ髪を引かれる思いで馬車に乗り込んだ。
そして、ティファニアもユフィシアに別れを告げる。ユフィシアはこれから学園に入るまでは沢山の家庭教師と睨めっこだろう。次に会えるのがいつになるのかわからない。
「フィー、これからが大変だと思うけれど、頑張ってね。一緒に学園に通えるのを楽しみにしているわ」
「ありがとう、ティー」
にこりと笑う妹に軽く手を振ると、ティファニアは馬車に乗り込もうと振り返った。すると、くいっと弱い力で身体が引かれ、耳元で自分と似た声がした。
「全部奪ってあげる。もう、決めたから、覚悟してね。『呪いのいばら姫』さん」
弾かれるようにティファニアが後ろを振り向くと、妹は目を細め、口に弧をかいて綺麗に笑っていた。その微笑みはティファニアの肌を逆なでするかのような悪寒を覚えさせ、そして、今の言葉が本気であると宣言していた。
ティファニアは唖然としてしまい、それから、すぐに馬車に乗り、屋敷に帰るまで思考の渦に囚われたままだった。
章分けを変えてみました。
気まぐれでまた変えるかもしれません。
次の話は来週の日曜日になると思います。




