0.16 真珠ちゃん、森へ行く。
久々に真珠ちゃんシリーズ。
「ねーえー! クーねぇ! これでいいのー?」
サファニアは勢いよく振り返って、手を振った。
「ちょっとー! サファニア、早すぎ!! ルゥルゥもいるんだから、待ってよぉ!!」
「サファニアー! まってー!!」
マイカは3歳になったルゥルゥの手を引いた。
置いて行かれているにもかかわらず、ルゥルゥはとても上機嫌だった。
それもそうだろう。横には大好きな彼女がいるのだ。
いつも森に採集に行くときは、彼女は仕事で一緒に行けなかった。しかし、今日は数日休みを取ったらしく、手をつないで隣を歩いてくれている。
「ルゥルゥ、疲れたかしら?」
腰を落とし、目線を合わせると、彼女は心配そうにその幼い女の子を見つめた。
もう少しで成人を迎える彼女の紺色の髪は艶やかだ。肌を極力隠した服を着てもわかる豊満な胸、くびれた細い腰。それらはすべて、彼女の女性らしさを一層引き立てた。
「ううん。クーツェがいるから、たのしい!!」
細い絹のような白金の髪をふわりと靡かせると、ルゥルゥは嬉しそうに笑った。
普段仕事で日中会えない彼女と過ごせるのが嬉しくてたまらない。
「ねえ、クーツェ、マイカ、いこっ!!」
二人の手をぎゅっと握ると、ルゥルゥはまだぁ? と叫んでいる少女のもとへ駆けた。
サファニアは木にへばり付いている茶色い何かを眺めていた。
それは襞のように木にびっしりとついており、なんであるかが見当もつかない。
「ねえ、クーねぇ、本当にこれ…?」
「ええ、そうよ。この森にあると思わなかったけれど、栄養価の高いものなの」
つんつんとつついてみるが、得体が知れなくて仕方がない。
「本当に食べるの…?」
「もちろん。キクラゲって言って、鉄分とかカルシウムとかが含まれているから、身体にいいのよ」
彼女はその襞に少し力を入れて、削ぐようにぽろぽろと収穫する。
「うわっ、簡単に取れた! それより、かるしうむ、って何…?」
彼女は自分が収穫した分を籠に入れると、ルゥルゥとマイカにも収穫方法を教え始めた。
サファニアはまだ見た目に抵抗があるのか、キクラゲをつつくだけで苦い顔をしている。
「体を構成している物質の一つよ。元素番号は20。元素記号はCa。体内では主に、骨とか歯にヒドロキシアパタイトとして含まれているの」
「へ、へ~、そうなんだぁ…」
「サファニア、声裏返ってるよ。わかってないでしょ?」
横から茶々を入れるマイカの額を、うるさい、とはたくとサファニアは首を傾げた。
「そ、その、ひどろ…なんとかは置いておいて、クーねぇはよくそんなこと知ってたね。ユエさんもそうだけど、クーねぇって本当によくわかんないや」
彼女に拾われて、早8年。
8年もずっと一緒に過ごしてきた。
最初に自分が拾われたときは3歳。クーツェとエルド、ヴィレットしかいなかったが、今はコルトとマイカ、ブロン、ルゥルゥが増えて、8人の大家族になった。
サファニアはこの領地の領都の外れにある娼館の娼婦が母親だった。宝石のような青い目で有名だった。父親は知らない。
サファニアの母は貧しいながら必死に育ててくれたが、彼女は自分の客だった男に暴力を受け、儚くも死んでしまった。男は強引に母子が過ごしていた家に押し入り、勝手に住み始めた。そして、サファニアが暴力を受ける日々が始まる。小さい体で暴力を受け続けたサファニアは数か月で力尽きそうになった。そして、倒れたところで彼女に拾われたのだ。
彼女たちは良くしてくれたが、自分たちのことを語ることはなかった。いや、彼女以外はぽつりぽつりと少しずつだが、話してくれた。みんな同じような境遇であった。親に見放されたり、暴力を受けたりして、行き倒れていたのだ。
しかし、彼女は一向に自分のことを語ろうとしなかった。
濾過技術や野草などの幅広い知識、そして、振る舞い方を見れば、上流階級の出だったと推測できるが、それまでである。
「そうかしら? 全て単純なことよ。私は知ってただけ。ただ、それだけよ」
「ふーん。……やっぱり、わかんないや」
うーんと頭を悩ませるサファニアの横で、マイカはけろっとしていた。
「そんなことどうでもいいでしょ? クーねぇはクーねぇだよ!! ねっ、ルゥルゥ?」
「なぁに? ルゥはクーツェ、だいすきだよ」
質問の意味が理解できず、とりあえず彼女の話題ということは分かったので、無邪気に笑ってルゥルゥは答えた。
白い肌に薄紅をのせたように頬を染めて笑うその姿は愛らしい。
「あーっ! ルゥルゥ、かわいいっ!! わたしは? わたしはすき?」
「うん!! サファニアもいっぱいあそんでくれる。すきっ!!」
「ずるーい! ねえ、ルゥルゥ、わたしのことも好きだよね?」
「うん! マイカも、エルドも、ヴィレットも、コルトも、ブロンも、みーんな、すき!!」
かわいいっ、と声をそろえて言うと、ぎゅーっとその天使に抱き着いた。
「じゃあ、ルゥルゥ、一番好きなのはだぁれ?」
「あっ! サファニア! そういうのは聞いちゃダメでしょ!!」
「えっ、なんで? まあ、いいじゃん。わかりきってるんだし」
まあ、そうだけど、とマイカが渋々頷いたのを見ると、サファニアはもう一度同じ質問をした。
「ねえ、ルゥルゥ、一番好きなのはだぁれ?」
「クーツェ!!」
無垢な笑顔で即答だ。
少しも悩んでくれないのは、ちょっとばかし傷つくなぁ、とサファニアは口を尖らせてぼそりと呟いた。
なんで、一緒にいる時間は自分のほうが長いのにそうなったのかと空を仰ぐ。ああ、上を飛んでいる鳥を射落としたい気分だ。
しかし、これはいつものことなのである。
いつも通り開き直る。
「まあ、わかってたけどね!!」
「なぁに、サファニア?」
「ううん。ルゥルゥはクーねぇが好きだなって思っただけだよ」
「うん!! クーツェすき!!」
きゃっきゃと喜ぶ幼子を当の彼女は嬉しそうに見守っていた。
「ありがとう、ルゥルゥ。私もあなたが大好きよ。私の大事な大事な真珠ちゃん」
彼女は嬉しそうに自分を見上げる彼女の真珠をすっと抱き上げた。
「ああ、私の真珠ちゃん。今日も綺麗ね。……あら、そろそろ髪の手入れをしないといけないわね」
ルゥルゥの髪を一房掬い上げると、彼女は憂い顔で目を伏せた。少しだけ毛先が痛んでいたのだ。
彼女は『光る』ものであるこの腕の中の宝石を少しでも陰らすことはしたくない。磨けるものならば、最低限の努力をする。それが彼女の『光る』ものへの執着の一つであった。
「ねえ、クーねぇ、わたしの髪もまた梳かしてー!」
「いいわよ。家に帰ったらね」
わかった! ときゃあきゃあ喜ぶマイカを撫でると、彼女はルゥルゥの額にキスを落とした。
「いち、に、さん、よん、ご、ろく、なな、…あれ? ……これで終わり?」
薄茶の髪を赤く濡らしたコルトはぴちゃぴちゃと足音を立てながら数を数えていた。
外にもかかわらず、そこには噎せ返るような鉄の錆びた匂いが立ち込めていた。
「いや、8人いたはずだ。一人逃げたんだな。探さないと」
足元に転がる大きな物体などエルドには目に入っていなかった。生きているならまだしも、それらはもう、ピクリとも動かない。
「まあ、家にはブロン、クーねぇたちにはサファニアがついているなら、一人くらいは大丈夫だと思うけど……」
「いや、仲間を呼ぶかもしれない。念には念を入れないとな」
そうだな、とコルトは手に持っていた獲物を握りなおした。
手のひらも濡れているせいで少し滑る。
「ああ、臭いな」
エルドは眉を顰めた。
自分たちは平和に暮らしているだけなのに、なんでこんな風に喧嘩を売ってくるんだか、理解ができない。しかし、こいつらの目的がクーツェやほかの誰かならば、容赦はしない。
だから、消した。
彼女たちの視界に、これらが映らないように。
「そういえば、こいつら、捕獲を狙ってなかったか? 手慣れた感じだったし、人攫いだと思うけど」
「そうか?」
「ああ、動きも殺し目的ではなかった気がする」
コルトが足元に転がるそれの上を邪魔そうに歩いてエルドのもとへ向かう。
ついでにそれらの腰元を横目で見て、少し華美な剣のほかに袋や縄があることを確認する。
そして、やはり、と思う。
「エルドにぃ、一応急いだほうがいいかも。人攫いは厄介だ」
「そうだな」
「たっだいまー!!」
バタンと勢いよく扉を開けると、サファニアは部屋に漂うおいしそうな香りをいっぱい吸い込む。
「おっ、今日はシチューだね!! おなかすいたぁ」
お腹を盛大にぐーっと鳴らしているサファニアを横目に、ヴィレットは鍋をかき混ぜていた。
「サファニア、おかえり。クーツェたちは?」
「すぐ来るよー! 外にブロンがいたから、先に帰ってきちゃった。そういえば、エルドにぃたちはまだ?」
「ええ、一度帰ってきたけれども、1匹逃がしちゃったからって探しに行ったわ」
「そっか。追いかけっこは大変だね」
サファニアがにやりと笑うと、薄い扉の向こうから声がした。
「あっ、帰ってきたみたい」
キィっと扉の軋む音とともに、ただいまという声がした。
「ああ、ダメだ。逃げられた。くそっ!」
「あーあ、クーねぇたちかと思ったのに、コルトじゃん」
あからさまにがっかりした顔をすると、コルトはビシッとサファニアの額をはたいた。
その表情は、気が落ち着かないせいで険しい。
「クーねぇじゃなくて悪かったな。それよりも、サファニアも手伝ってくれ。まだ後始末が終わっていない」
「えー、やだよぉ! だって、追いかけっこでしょ? もうお腹すいたよぉ!」
「はあぁぁぁ。そんなこと言ってる場合じゃないってわかってるだろ? あいつらは人攫いだ。この辺の奴らじゃない。警戒するに越したことはない」
「大丈夫、大丈夫」
大丈夫だから、食事の用意をしよう、と楽観的なサファニアにコルトは顔を顰めた。
この場所を守るためには念には念を入れなければだめだろう、と。
コルトは誰よりもここの家族が好きなのだ。
「おいっ! サファニア!!」
大きな声で怒鳴る。
しかし、サファニアはそれを物怖じもせず、にっと笑った。
「だって、そいつ、わたしが始末したから」
「へっ?」
「だーかーら、わたしが消しておいたよ。もう、埋めたし大丈夫。森から帰る道で見かけたんだよね」
だからブロンにクーねぇたちを預けてきちゃった、言う目の前の青い髪の少女っは何の悪気もなさそうだった。お茶目に笑う、その顔は未発達の少女特有のまだ少し丸みがある顔だが、それでも、ずっと、綺麗になった。
無言で一瞬見つめてしまったが、コルトはまた額をビシッとはたいた。
「いったいなー!!」
「そういうのはすぐに言え」
「いいじゃーん。だって、コルトの表情、ほぐれたでしょ? なにか心配事でもあった?」
コルトの頬をつんつんとサファニアはつつきながら、少しだけ心配そうにしていた。
しかし、その言葉に、いや、と首を振る。
そして、自分の頬をつついてくる指を軽く噛む。
「ひゃっ!」
サファニアの不抜けた声が響くと、口元にあった指はもう、持ち主のほうに戻っていた。
少し名残惜しく思いながら、コルトは真っ赤になっているサファニアを横目で見ると、自分の顔が見られないようにサッと反らす。そして、まだ外を駆け回っているエルドに終わったことを伝える、と言って、速足で小屋から出た。
「なんなんだよ…、あいつ……。サファニアのくせに……」
その顔はサファニアに負けないくらい赤く染まっていた。
そのころのヴィレットの心境。
「ほかでやってくれない……?」
このシリーズで恋情を持っているのはコルトとサファニアだけです。
あとはみんな家族愛ですね。
ここの登場人物の過去は掘り下げないので、いろいろと推測してもらえれば、と。
あと、真珠ちゃんも残すところ3話です。
次は本編です。
久々にシャルルが書けて、作者は満足です。




