27 ウルタリア侯爵邸と懐かしい声
「あれぇ?」
馬車から外を眺めていたティファニアは素っ頓狂な声を上げた。それもそうだろう。目の前にある屋敷は、ティファニアの見覚えのあるものだったのだ。王都にあるウルタリア侯爵邸と全く同じなのだ。ティファニアは7日もかけて来たはずなのに、戻ってきちゃったのかなぁ、とこてんと首をかしげた。
そんなティファニアの可愛い姿に、ラティスはくすりと笑いをこぼした。
「ははっ、ティー、その気持ちはわかるけど、ここはちゃんとウルタリア領だよ」
どうやらラティスによると、王都にあるウルタリア侯爵家の王都邸は元々は今、ティファニアの目の前にある屋敷を模して作られているそうだ。ウルタリア侯爵家は建国当初、700年ほど前から国王に仕えていたが、王城に当主が出仕するようになったのはここ2、300年の話らしい。王都邸はその時の当主が住む場所を変えても安心できるようにと全くおんなじ作りで建設されたのだ。
ラティスの話を聞くと、ティファニアはそうだったのかぁともう一度窓の外に見えるウルタリア侯爵邸をみた。確かに、王都に戻ってきたかと錯覚するくらい似ている、とくすりと笑う。
ティファニアはどんどん近づいてくる屋敷を眺めていると、玄関に見覚えのある人影がちらりと見えて、ついつい頬が緩んだ。そして、ラティスを見上げる。
ラティスもその人が見えたようで、口角を上げて、ゆるりと笑った。
「お父様が言ってたみたいに大丈夫そうだね」
「ああ、言っただろう? それに、あの子はティーが思ってるより強いからね」
そうだろう? とラティスが問いかけると、ティファニアは頬を少し赤に染めながらぷっくりと膨らませた。まるで、リスが口の中いっぱいにドングリを頬張っているようで、ラティスはついつい笑ってしまいそうになる。
「それくらい知ってるもん! あの子は強い、って。……でも、」
ツンとしていたティファニアの声はだんだん小さくなっていった。
「だけれど、ただ―――……」
あの子が、ティリアが、アドリエンヌにどんな愛され方をされ、それによって、どう人が変わってしまったかを知っているから、心配になっただけ。そう思ったが、ティファニアは口をつぐんだ。
「ただ、どうしたんだい?」
途中で言葉を切ったティファニアにラティスは首を傾げたが、ティファニアは笑って、なんでもない、とうやむやにした。自分が知っていることは本来ならば、おかしいのだ。
「あっ、お父様、着いたよ!!」
誤魔化すように明るい声を出して、外を指さした。そして、アリッサに扉を開けてもらうと、外聞も気にせずに飛び降りた。
そこに、パタパタと足音が聞こえた。
「お姉さま!! お久しぶりです!!」
太陽が輝くような笑みでティリアは駆け寄ると、ティファニアに抱き着いた。
ティファニアはそれを嬉しそうに受け止めると、ぎゅーっと抱きしめた。そして、ぎゅっぎゅして落ち着くと、ティリアの頬を自分の手で包み、顔を覗き込んだ。
ティリアは頬を赤く染め、嬉しそうにまっすぐティファニアを見つめる。
「リア、久しぶり!! 元気にしてた?」
「はい! でも、お姉さまと会えなかったので、さびしかったです」
「あぁ! リア、可愛い!! わたしも寂しかったぁ。リアは変わりない?」
「はい。でも、さいきんは本がすこしよめるようになってきました!」
「リア、すごいじゃない!! さすが、私の弟ね!!」
きゃっきゃと喜ぶ姉弟は飽くことのない話を続けていた。
すると、突然ぐっと視界が上に上がった。話に夢中になっていた二人はなんだろうと、横を見ると、ぱっちりと紫の瞳と目が合った。
「楽しそうだね、私の天使たち。でも、私は仲間に入れてはくれないのかい?」
ラティスがわざとらしくしょんぼりとして問いかけると、腕の中の二人はぶんぶんと首を横に振った。そして、ラティスの首に抱き着く。
「そんなことないよ! お父様も一緒に話そう!」
「うんうん! ぼく、お父様とずっと話したかったんです!!」
それを聞いて、ラティスはまたわざとらしく、そうかい? というと、嬉しそうに二人を抱えながら屋敷に踏み入れた。先ほどから、疲れが取れていないティファニアが外にずっと居たら倒れてしまうのではないかと気が気でなかったのだ。
「ティー、体調は大丈夫? この後、お茶にするけど、その前に一度休むかい?」
ラティスが心配そうに尋ねると、ティファニアはふるふると首を横に振って、大丈夫と答えた。
馬車に長時間乗っていたせいで、少し疲れがあるが、ティリアと会ったおかげで吹っ飛んでしまったのだ。それに、今日はまだあの声が聞こえていない。だから、大丈夫だ、とティファニアは思う。
ラティスは屋敷に入ると、そのまま月の階(2階)の居住スペースにあるリビングに向かった。すると、そこにはすでにお茶やお菓子がきれい並べられ、準備されていた。ソファにゆっくり腰を下ろすと、ラティスは腕の中の二人も一緒におろす。
「さあ、まずは一息をつこうか」
ラティスの言葉を聞いて、ティファニアとティリアは嬉しそうに目の前の香ばしいお菓子に手を伸ばした。そして、はむはむと口に頬張った。
ラティスはそんな愛らしい天使たちの姿をほほ笑みながら眺めた。
「今日は一日休む予定だけど、明日はどうするかい? ティーはやりたいことがあるんだろう?」
ラティスに問いかけられると、ティファニアは手を止めて、紅茶を少し口に含んで落ち着ける。
「うん。まずは領政を取り仕切っている場所の視察。次に、領都の中を視察したい。学校見学と孤児院の見学。それから、港町の貿易の様子と街道の整備の状況、警備隊の運行状況を確かめたいかな」
ティファニアがやりたいことをつらつら述べると、ラティスはわかったと強くうなずいた。そして、後ろに控えている部下たちの方に目をやる。そうすると、彼らは心得たように頷く。これで、きっと彼らはスケジュールを組み込んでくれるだろう。しかし、ラティスは忘れずに加える。ティファニアの負担にならないように、と。
「じゃあ、それ以外はどうする? 行きたいところはあるかい?」
ラティスが尋ねると、ティリアが嬉しそうに手をばっと挙げた。
「ぼくはうみに行きたいです! そこで、およいでみたいです!!」
「海かい? うーん、砂浜だったらいいよ。浅瀬だからね。それに、残念だけど、今の時期はまだ冷たくて泳げないよ」
「そう、なんですね。じゃあ、すなはまでいいです! ぼく、うみって見たことないので!!」
初めて海を見れることにティリアはきゃっきゃと喜んだ。
「ティーはどこか行きたいところはないのかい? さっきみたいな仕事関係以外で」
「うーん、じゃあ、市場に行きたい!!」
「ティー、それは視察、かい?」
「ううん。お父様とリアと一緒にお買い物したいの! お父様の好きなものとか、リアの好きなものを私が選んであげたい! あとは、アリッサとか、ついてきてくれたみんなにも!」
それを部屋にいるラティスやアリッサ、ほかの使用人たちが聞いて、その場がほっこりとあたたかくなったのは、きっと気のせいではないだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『に、げて……!! ルゥルゥ!! …ね、がいっ!!』
待って!! 待って!! 逃げたくないよ!!
ティファニアは涙を一筋流すと、手をどこともわからない懐かしい声の方へ伸ばした。
お願いだから、待って!!!
しかし、今日も、その手は空を切っただけだった。
何もつかんでいない手のひらを虚しく思いながら見つめると、突然、赤が見えた。
手を染めるのは覚えのある、赤。
ぎゅっと手を握ると、その赤が生暖かく感じた。
急に視界が眩む。
しかし、赤だけはしっかりと見えた。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
その薔薇よりも赤い色はティファニアの視界を真っ赤に染めると意識を奪っていった。
ティファニアが目を覚ますと、そこはベッドの上だった。確か、昨日は夕食の後、ソファの上であの声を聴いたはずだ、と思った。きっと、アリッサが運んでくれたのだろうとティファニアは天蓋をじっと見つめ、小さくため息をこぼした。
「お嬢様、起きていらっしゃるのですか?」
アリッサの声が聞こえ、ティファニアはのそりと起き上がる。身体が重い気がするが、顔に出さないようにする。
「うん。起きたよ。昨日、ソファで寝ちゃったみたいだね。運ぶの重かったでしょ? ごめんね」
「いえ、お嬢様を抱えるくらい、全然大丈夫ですわ。お嬢様は羽のように軽いですもの」
「うふふ、羽みたいに軽かったら、すぐに飛んで行っちゃうよ」
「あら、それでしたら、私がいつでも迎えに行きますわ」
アリッサなら、すぐに飛んできてくれそう、とティファニアが笑うと、アリッサは当たり前ですと胸を張った。それが嬉しくって、面白くって、ティファニアはまた、うふふと笑った。
「そういえば、おはよう、アリッサ。今日は、午前は市場に行くんだよね? どれくらいしたら出発するの? お父様はいつもより早めに起きてって言ってたけど、寝坊しちゃったかな?」
「おはようございます、お嬢様。今の時間でちょうどいい頃合いですわ。湯浴みと髪の色を少し染めてから、朝食、その後、出発でございます」
「髪を染めるの?」
「はい。お嬢様と旦那様の髪の色は市井でも目立ちます。それに、お二人の髪の色は領民も知っているので、お忍びがすぐにばれてしまわないように、ですわ」
なるほど、とティファニアは納得した。確かにこの色は珍しいが、染めるまでもないと思っていたのだ。しかし、お忍びで市場に行くのならば、目立ちすぎになる。それに、領民がティファニアとラティスを白金の髪だと知っているのならば、一目でばれてしまうだろう。唯でさえラティスもティリアも容姿が整っているのだから、目立たないようにするに越したことはない。
ティファニアは昨夜はお風呂に入らずに寝てしまったので、アリッサにしっかり洗ってもらい、すっきりとした。そして、髪を染めてもらう。染料が青なので、薄い青の髪の色になった。それをゆるく三つ編みにする。
髪を染めると、着替えさせられたのは少し裕福な商人の娘が着るような服だ。街に溶け込めるように色も華美ではなく、紺色と地味にしている。
「さあ、朝食に行きましょう」
アリッサに連れられ、ティファニアが食堂に向かう。構造も内装も7日前にいた屋敷と変わらないため、分かっていてもやはり、ここはウルタリア侯爵領なのか首を傾げてしまう。
食堂に着くと、そこには既にラティスとティリアが席についてティファニアを待っていた。どうやら、ティファニアが最後だったようだ。
ラティスは髪の色が違うティファニアを見て、でれっと顔を崩した。
「ティーはどんな髪の色にしても似合うなぁ。それに、その服もティーにぴったりだよ」
「お姉さま、青い髪も可愛いです!」
それを聞いて、ティファニアは嬉しそうにその場でくるんと一回転した。スカートの縁がふわりと舞って、ティファニアの喜びを表しているようだった。
「ありがとう、お父様、リア! お父様も青い髪、似合ってるよ! それに、リアもその服いいね!」
「ありがとう、お姉さま! お姉さまのその紺の服も可愛いです」
「ああ、ティーの三つ編みもいいな。普段見ないけど、とても似合ってて可愛いよ」
そうやって、3人は朝食が運ばれてくるまでの間、お互いを満足いくまで褒めあった。
力持ちのラティスさん。
6歳と5歳を抱えるって、結構大変そうですね…w
しかも、それで階段を上るなんて…!
市場まで行けなかった…!
思ったより、ウルタリア侯爵編が長引きそうです。




