02 わたしとお父様
「お嬢様、お召し替え致しましょう」
ティファニアがベッドの上で意気込んでいると、天蓋の外から声がかかった。この一ケ月ずっとお世話をしてくれたメイドのアリッサだ。彼女の手にはシンプルだがかわいらしい青い室内ドレスが握られていた。
「旦那様がとても喜んでいらっしゃいましたよ。ぜひ今日は執務室にいらしてほしいそうです」
アリッサはにこにこ笑い、ティファニアが着替える準備をする。
昨日、医者からの診断で部屋から出る許可をもらい、今日は少しだけ屋敷内を歩くけることになっているのだ。はじめて部屋の外に出ることにティファニアは表情を崩して笑った。
その表情は可愛らしく、アリッサは床に転げて悶えそうになるのを必死に抑える。少し顔がによによしているが、うきうきと胸を躍らせているティファニアには気付かれなかったのが彼女の救いである。
「どうですか?」
初めて着るドレスにティファニアは少し心配になりながらアリッサに聞く。
「とてもお可愛いですよ。さすがお嬢様のためだけに作られた服でございますね…!」
「ティーのため、ですか?」
「はい。旦那様がお嬢様のために手ずからデザインされたとおっしゃっていました。まるで妖精のようなお嬢様をイメージされたそうですよ」
確かに後ろには大きなリボンがあり、まるで羽が生えているようだ。上から下に行くほど淡い青にグラデーションがかかっており、スカートは腰からふわりと広がり、ひざ元できゅっと絞るようにバルーン状になっている。
鏡の中のドレスを着た自分を見ながら嬉しそうにくるくる回るティファニアはアリッサ悶絶級の可愛さだが、メイドのプライドのかけて腹筋に力を入れた。
「ほんとうにかわいいです! お父様におれいしなくちゃ! じゃあアリッサ、いこう!」
きゃっきゃとティファニアは喜んで、アリッサの手を引く。
本来ならば髪を整える必要があるが、この1か月でベリーショートまで伸びたものの、まだかなり短いので今のティファニアには不要だ。早く髪が伸びて結えるようになるといいですねとアリッサはきらきら光る短い白金の髪を見て思った。
ティファニアは今まで開閉を見るだけだった扉を潜ると、ピタリと足を止めた。そして、アリッサの手をぎゅっと握る。
「……アリッサ、どこにいく?」
「うふふ、お嬢様、どこでも大丈夫ですよ。お嬢様が行きたいところに行きましょう」
自分が屋敷内を全く知らないと気付いて不安になったティファニアを見てアリッサは天使を見ている気分だ。
「うーん、じゃあ、しつむしつ! お父様にドレスをみせたいです!」
「かしこまりました。旦那様もお喜びになりますね」
アリッサに手を引かれ、少し歩くと執務室に着いた。
扉の前には護衛がたっており、ティファニアの姿を見てほっこりと笑う。
「旦那様がずっとそわそわしてお待ちでしたよ。早く顔を見せてあげてください」
護衛が扉を開けると、扉の目の前にはラティス満面の笑みで両手を広げて立っていた。
「ティー! よく来たね!」
ティファニアは目の前にいたラティスに驚きつつも彼の腕の中に勢いよく飛び込んだ。最近はラティスが両手を広げると、ティファニアがすぐに抱き着くのが当たり前になっている。
うふふと笑いながら首元に頬を摺り寄せてくる可愛らしい妖精もとい愛しい娘をラティスは抱き上げ、自分もティファニアの頭に頬を軽くぐりぐりする。
「やっぱり私の娘は妖精だったみたいだね。そのドレス、とっても似合ってるよ」
「お父様、ありがとうございます! お父様がティーのために作ってくれたんですよね!?」
「ああ、そうだよ。ティーと一緒にいるとなんでもできそうな気がするからね」
娘のために忙しい仕事の合間に料理を作ったり、服をデザインしたりとあながち間違ってないことをラティスは確信して言う。そのうち娘のためと言って国を取ってもおかしくなさそうな勢いである。
ラティスはティファニアを抱いたままソファに座り、ティファニアを膝の上に乗せると、紅茶とクッキーを用意させる。もちろんこのクッキーは今日早起きして料理長に教えてもらいながらラティスが作ったものだ。
「さあ、ティー、お食べ。今日はお父様が作ったクッキーだよ」
「お父様、ありがとうございます!」
ティファニアはクッキーを食べるのは初めてだ。最近は流動食から普通の食事に移行してきたが、それでも固形物はあまり食べていない。そんなティファニアを気遣って、ラティスが作ったクッキーはラングドシャだ。口の中に入れるとほろりと溶けるそれはきっと今の娘でも食べられるだろうと心を込めて作った。
ティファニアは香ばしいかおりをいっぱい吸い込み、クッキーを口へ運ぶ。
「わぁぁぁ、お父様、すっごくおいしい! やっぱりお父様はすごいです!!」
きゃっきゃと喜び、次々とクッキーを口に放り込む娘の笑顔を噛み締めながら、ラティスは紅茶を口に含んだ。彼は今、世界で一番幸せな父親である自信があるだろう。
しかし、そんな幸せな時間は過ぎ去っていくものである。
「旦那様、お時間です」
ラティスは右腕ともいえる部下に時間を告げられ、ムッとした。娘を喜ばせるためとはいえ、今日はクッキーを作る時間のせいで仕事がいつもより進んでいないのだ。もちろんラティスがティファニアを待ってずっとそわそわしていたからという理由もある。
ラティスははぁとため息をつき、膝の上にちょこんと座っている娘を見た。
「ティー、ごめんね。今日はもうお父様は仕事をしないといけないんだよ」
「そう、なんですか」
「また夜に部屋に行くからそれまで待っててくれるかい?」
「うん! ティーはお父様をまちますね!」
「そうだ、偉いね」
ティファニアは残念そうな顔をしたが、ラティスと夜にまた会えるとわかり、にこーっと嬉しくなって表情を崩す。その顔を見て、ラティスはもう離したくない気分で強くティファニアを抱きしめると、別れを惜しんで膝から降ろした。
「じゃあ、また夜に」
「はい! お父様、おしごとがんばってください!」
ティファニアはアリッサの手を掴み、執務室を後にした。
帰り際にこれでやっと旦那様が本気で仕事してくれますよ、ありがとうございます、と護衛に言われたが、ティファニアはなぜお礼を言われたのかわからず、首を傾げてしまった。
屋敷探検はその後、食堂を見ただけでティファニアが欠伸をしたため、アリッサに部屋に戻されてしまった。少し屋敷の中を歩いただけだが、思ったよりもはしゃいでしまったためにすぐに疲れてしまったようだ。
部屋に戻されたティファニアはすぐに寝間着に着替えさせられ、ベッドに放り込まれてしまった。ベッドの上ではラティスを待つために頑張って眠気に耐えたがこてんと寝てしまったのは言うまでもないだろう。
その夜、ラティスは頑張って起きようとして寝てしまった可愛い娘を優しく微笑みながら撫でていたそうだ。