13 ティリアとアドリエンヌ様
ティリア視点からです。
「おはようございます、ティリア様」
ぽかぽかとカーテンの隙間から朝日が覗く部屋でティリアは目を擦りながら身体を起こした。そして、隣に立っている乳母のリリーにおはようございますと返す。
以前はこくりと頷き返しだけだったが、ティファニアに挨拶は大事だよと言われて返事するようになったのだ。
ティリアはリリーが渡してくれた温かいタオルで顔を拭き、まどろむ意識の中でリリーに着替えさせてもらった。
「ティリア様、今日はアドリエンヌ様がお茶会に行かれるそうですよ」
リリーがそう言うと、ティリアは一度目をぱちくりさせ、パァッと目を輝かせた。ティファニアと今日は会えるのだと心が浮き立つ。
アドリエンヌはお茶会に参加することが少なく、夜会に参加していてもティファニアが早くに寝てしまう為、ティリアがティファニアに会える機会は少ないのだ。
「おねえさま、きょうはどこにいくのかな」
一緒に屋敷を探検するのが好きなティリアは今日はどこに行けるか、何をしようかと考える。前に二人で図書室でかくれんぼしたのは楽しかったなとティリアは思う。
ティリアがうーんと考えていると、既に朝食の時間だ。朝食はアドリエンヌと二人で雨の館でとっている。これはティファニアが来ても変わらないことだ。
食堂を開けると、既にアドリエンヌが待っていた。アドリエンヌはティリアを抱き寄せ、紫の瞳をじっと見て言った。
「おはよう、ティリア。今日はよく眠れたかしら?」
「おはようございます、おかあさま。よくねむれました」
「今日はわたくしはお茶会に行きますから、お留守番よろしくお願いしますね」
「はい」
「もう少しこうやって笑うといいわよ」
そう言ってアドリエンヌは少しティリアの頬を摘む。
「ああ、やっぱりそうね。こっちの方がずっといいわ」
アドリエンヌはにこりと笑うと、ティリアを席に促した。ティリアはその目の奥がなぜか怖いなと思った。
席に着くと、朝食を食べ始める。時々アドリエンヌがティリアのマナーについて注意するが、それ以外はティリアの最近やったことを聞いたりと円満に終わる。
「リリー、ティリアを頼みましたよ。くれぐれも接触させないように」
「かしこまりました」
「ティリア、いい子で待っているのよ」
アドリエンヌはティリアのふわふわした茶色い髪を撫で、目を真っ直ぐ見つめて言うと、ティリアはこくりと頷いて、いってらっしゃいとだけ言った。
昼過ぎになり、アドリエンヌが馬車で出かけたという連絡が入ると、ティリアは少し駆け足でティファニアの部屋へ向かった。
もっと近くの部屋ならいいのになと思うがそれは言わない。アドリエンヌが雨の館で一人になってしまうからだ。ティリアだってアドリエンヌがティファニアを嫌ってることはわかっている。アドリエンヌが移動する気がないのであれば、ティリアも移る気はない。
月の階は少しだけ小さいティリアには遠いが、ワクワクしている今のティリアに疲れは見えない。ティファニアの部屋の扉の前に立ち、コンコンコンと3回ノックした。
「はい」
「おねえさま、ぼくです!」
「あら、リアなのね。どうぞ」
リリーに扉を開けてもらうと、そこには淡いピンクのワンピースを着たティファニアがいた。
ティリアはいつも通りティファニアに駆け寄り、抱きついた。
「おねえさま! あいたかった!!」
「リアはきょうもかわいいっ!!」
そう言って二人の天使たちはぎゅーっと抱き合った。
「おねえさま、きょうはどこいくの?」
「うーんと、じゃあ、図書室にいこう! ティーがほんよんであげるよ!!」
「うん!!」
ティファニアはアリッサに図書室に行く資料などの用意を頼み、二人で手を繋いで曇りの館に向かった。
図書室に着くと、ティファニアは子供用の簡単な本のコーナーへ行き、数少ない絵本の内の1冊を取り出した。この世界では紙が貴重な為、絵本はほとんどないのだ。その数少ない絵本と高価な本がたくさんあるウルタリア侯爵家が少し異常であると言ってもおかしくないだろう。
ティファニアは先祖様はどれだけ本が好きだったんだろうと思いながら、机に向かった。そして、ティリアを隣に座らせる。
「リアはまだ文字がわからないから、ティーがよむね」
「うん!!」
そういってティファニアは美しい絵が描かれた本を読み始める。神話についての本だ。
「昔々、世界には何もありませんでした。そこに突然光が現れます――――。」
ティリアはじっと楽しそうな表情で聞いていた。姉であるティファニアとはあまり会う機会がないので、何をしてもらうにもティリアは嬉しいのだ。
「――――そうして、神々は今でも私たちのことを見守っているのです。………はい、おわりだよ。おもしろかった?」
「うん!! おねえさまがよんでくれたので、おもしろかった!」
そうニコニコ笑うティリアにティファニアはぎゅっと抱きしめた。ティリアは嬉しそうに笑った。
「おねえさま、いいにおい。おはなのにおいだね」
「そうかな? お父様もティーはお花のにおいって言ってたけどわかんないや。でも、リアもお花のにおいだからいっしょだね!」
「うん!おねえさまといっしょ!! ……それでね、おねえさま、ぼくもほんよめるようになりたい」
「ん? リアも文字おぼえるの?」
「うん!! そしたら、おねえさまにほんよんであげる!!」
ティファニアはティリアの言葉を聞いて、目をパチクリさせた。まさか自分に本を読んでくれるためとは思わなかったからだ。しかし、ティリアが自分のために文字を覚えようとしてくれることに嬉しくなり、表情を崩した。
「ありがとう、リア。じゃあ、リアが読めるようになったらお願いするね」
「うん!」
「まずはリアの名前をかけるようになろう! ねっ?」
ティファニアは後で使うために持ってきた紙を出し、そこに『ティリア』と書いてあげた。
「これがティリアとよむの。リアも同じふうにかいてみて」
ティリアにペンを持たせ、その上からティリアの手を包み込むように一緒にペンを持った。そして、どうやって書くかを何度も何度も教えてあげた。
ティリアが崩れているが自分で名前を書けるようになったころ、リリーがティリアの後ろからアドリエンヌが返ってくる時間であることを告げた。ティリアは先ほどまでの笑顔をなくし、むすっとした顔になりながら、渋々うなずいた。
どうやらティファニアにも話が伝わっているらしく、少し残念そうな顔をしている。不機嫌な顔のティリアを見たからか、なだめるように言った。
「リア、またあそびましょ。そのときはまた文字をおしえてあげるから。ねっ?」
「うん…」
ティファニアはティリアが一応納得したのを見ると、またねと言って手を振って図書室から出ていくティリアを見送ってくれた。
ティリアも何度も振り返りながらも図書室を後にした。部屋に帰る中、ティリアは物思いに耽っていた。
(なんで、おかあさまはおねえさまがきらいなんだろ? あんなにやさしいのに……)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その朝、ティリアはとてもうきうきしていた。早くすぐにでもティファニアに会いたい気分だったのだ。
昨夜、前に教えてもらった『ティリア』という文字をやっと何も見ずに書けるようになったのだ。そのことを一刻も早く伝えたくなり、どうやったら会えるかなと考えていたのだ。
部屋を抜け出すことは出来るだろうか、でもそんなことをしたことがなかったのできっとリリーは驚くだろうなと思ってティリアは悩む。
「では、ティリア、西の薔薇園に行きましょう」
朝食が終わり、3つある薔薇園の内の1つに行こうとアドリエンヌがティリアを誘った。普段からアドリエンヌがいるときは庭のどこかで一緒にいることが多いので、ティリアもこくりと頷いて、薔薇園に向かうことになった。
ティリアはリリーと手を繋ぎ、前を歩くアドリエンヌについていった。
しかし、廊下を曲がるときにふと綺麗な白金の髪が視界の端に映った。ティリアの見覚えのある朝から会いたかった大好きな色だ。
「おねえさま!!」
そういって駆け寄ると、ティファニアは一瞬驚いた顔をしたが、すぐににこりと笑う。
「どうしたの、ティリア?」
「あいたかった! あのね、もじ、おぼえれたんだ!」
「それはすごいじゃない!!」
褒めてくれるのは嬉しいが、なぜかティファニアはティリアとは目が合わず、後ろの方を見ているようだった。いつもなら抱きしめてくれるのになんでだろうとティリアは少し悲しくなり、ティファニアに不安な声で尋ねた。
「どうしたの?」
「え? ああ、なんでもないよ」
ティファニアがいつもは見せない少し目が笑っていない笑顔でティリアを見た。
「おねえ―――」
自分が嫌いなったのかと聞こうとしたティリアの声は遮られた。
バシッという鈍い音が響き、目の前のティファニアの身体が横に軽く吹き飛ばされる。
「ティリアに近寄らないでと言ったでしょう!! 本当にあの女の子どもはっ!!」
ティリアは驚き、ティファニアに駆け寄ろうとしたが、目の前に立ったアドリエンヌに行く手を遮られた。
倒れたティファニアはすぐに立ち上がり、軽くスカートをはたくとアドリエンヌを睨んだ。そして、桃色の可憐な口から出るとは思えない強い低い語調で言葉を紡いだ。
「アドリエンヌ様、前にも言いましたがお父様からもティリアからも離れる気は毛頭ございません。わたしに何をするのは構いませんが、ティリアの目の前でこのような暴挙はいかがなものかと思います。」
「…っ! なによ! お前はラティス様に愛されているのになぜティリアからも愛されようとするのよっ!」
「愛…ですか?」
愛される、それはゲームのティファニアがずっとしてほしかったことだ。きっとこの目の前の女性も愛されたいのだろうとティファニアは思う。しかし、共感は全くしない。そもそも今のティファニアにゲームの中のティファニアの気持ちは1ミリもないのだ。
「愛、とおっしゃりますが、アドリエンヌ様の愛は自分のことしか考えていらっしゃらない。そんな愛に一体誰が応えるというのでしょうか?」
「っ!?」
そう冷たく吐き捨てると、心配そうなティリアにまたねと言ってティファニアはその場を去るために振り返った。
「あとで、あとでわたくしの部屋に来なさい」
後ろからそんな底冷えする声が聞こえたので、ティファニアはわかりましたと短く答えてつかつかと図書室に向かった。
そんなティファニアをティリアは呆然と見つめていた。まさか自分のせいでティファニアが自分の母親に叩かれるとは思わなかったからだ。自分でもそんな風に叩かれたことがないのだ。なぜアドリエンヌがそんなことをしたのかティリアの理解が追い付かない。
「おかあ、さま……?」
ティリアは急に目の前の母親が怖くなった。
「ああ、ティリア、ごめんなさい。驚かせてしまったわね」
そう言ってティリアに延ばされた手を見て、ティリアはひっと声をあげてしまった。怖かったのだ。先ほどティファニアをたたいた手が延ばされていたことに。
しかし、その手はやさしくティリアの頭を撫でた。
「薔薇園はまた今度にしましょう。わたくしは用事ができたわ」
アドリエンヌはにこりと笑ったが、その顔はティリアには冷たく、怖く見えて寒気がした。アドリエンヌはそんなティリアの表情に気づかず、直ぐにその場を去ってしまった。
ティリアは庭に行く気分は既になくなってしまったので、リリーと一緒に部屋に戻った。
部屋の中でティリアが考えるのは先ほどのことだ。ティファニアは大丈夫だろうか、おかあさまはなぜティファニアが嫌いなのだろうかと悶々とソファの上で考えていた。
(おかあさまは、おねえさまとなにはなすのかな?)
もしかするとまた叩かれてしまうかもしれない、そう思うとティリアは居ても立ってもいられなくなった。自分のせいでまたティファニアが傷ついてしまうかもしれない。
ティリアはいつの間にか部屋を出てアドリエンヌの部屋に走っていた。同じ館なので、直ぐ近くだ。
少し息を切らしてアドリエンヌの部屋の扉の前に立つと、急いでノックをした。しかし、返事は全くなかった。
ティリアは恐る恐る背伸びをしてドアノブに手をかけると、鍵はかかっておらず、開くことができた。キィっという扉の音がやけに大きく聞こえた。
部屋に入ると、なにやら奥からアドリエンヌの声が聞こえた。とても焦っているような、息が上がっている声だった。
なんだろうと思い、ティリアが近づいて鍵穴から部屋を覗いた。
(……っ!?)
そこから見えたのは、恐ろしい鬼のような形相をしたアドリエンヌと真っ赤な背中を自分の母親に向けて座っているティファニアだった。
(おねえさまが、なんで? なんで、せなかがあかいの?)
ティリアは恐ろしくなり、自分の膝ががくがく揺れていることが分かった。しかし、怖くてうまく体が動かない。
(た、たすけなきゃ。ぼくが、おねえさまを、たすけなきゃ)
そう自分を奮い立たせても、鍵穴から見える鞭をふるう誰かとたまに苦痛に呻く優しい自分の姉を見ていることしかできなかった。
(お、おねえさま……!)
自分が何もできないことにティリアの紫の瞳から涙がこぼれた。
しかし、突然後ろからポンと肩をたたかれた。ビクッと驚き、振り返ると、そこにはティリアの大好きな大好きな父親、ラティスがにっこりと笑って立っていた。
「おとう、さま。お、ねえ、さまを、たす、け、て……」
ティリアが涙ながらに懇願すると、ラティスはティリアの頭を優しくなでた。
「ティリア、これからあることを辛くても怖くてもよく見ておくんだよ」
そういってラティスは返事も聞かずにティリアを撫でていた手をドアノブに延ばし、冷たい冷たい笑みを浮かべた。
ヒーローは遅れてやってきますね。
激おこのラティスです。
次回、やっと解決します。