09 シャルルと公爵様
章に分けてみました。
今回はちょっと長めです。
「お父様!!」
ティファニアはラティスの胸に勢いよく飛び込んだ。
ぎゅっと首元に顔をうずめると、温かいラティスの体温とお日様のようないい香りがティファニアに伝わる。顔を挙げると、すぐ目の前にラティスの端正な顔があり、同じ色合いの瞳が合わさった。ティファニアは頬を染めて表情を崩すと、ちゅっとラティスの頬にキスをした。
「私の妖精は今日も世界一可愛いね。元気にしていたかい?」
「お父様もせかいいちカッコいい!! ティーはげんきにしてたよ! お父様はげんき?」
「ああ、元気だよ。ティーを見たら疲れなんて吹き飛んじゃったからね」
「よかった!!」
そう言うとティファニアはもう一度ラティスの頬にキスを落とした。そして、ラティスもお返しにティファニアの頬と額にキスをする。ティファニアは嬉しそうにうふふと笑った。
半月ぶりの親子の再開はとても微笑ましいものだった。
ティファニアは昨日からそわそわしていた心の内をすべてぶつけるかのような勢いで甘えたが、もちろんラティスはすべて受け止めてみせた。そして、ラティスの執務室でお茶を飲みながら二人で会えなかった間に何があったか話していたのだ。
しかし、ラティスの笑顔は急にぴしりと固まった。決してティファニアが嫌いだとか、お父様なんか臭いとか言ったわけではない。そんなことを言われたら、ラティスは笑顔が固まるだけでは済まないだろう。おそらく、その場で剣を自分に突き立てる。
そんなことになっていないのであるから、もちろんティファニアがラティスのことを嫌いと言ったりはしていない。ティファニアが出した話題はシャルルのことである。
「きのうね、シャルルがきてね、いっしょにおにわにいったの。それでね、シャルルにむしがとんできてね、すごくびっくりしちゃったんだ! そのときのシャルルのかおがすごくおもしろかったの!!!」
うきうきとシャルルとのエピソードを語るティファニアはとても愛らしく、外に出したらすぐにでも攫われそうなくらい可愛い。―――が、ラティスにとって問題はそこではなかった。
ティファニアに不機嫌な顔を見せたくないラティスは仮面の笑顔のまま表情を固める。それもそのはず、彼は非常に、とても、ものすごくシャルルに腹が立っていたのだ。
(私がティーと会えずに毎日枕を濡らしていたというのに、その間にティーと仲良く遊ぶとは許せん! そもそも、私はあの小僧とティーが友達だなんて認めん!! アルが息子を励ましてほしいと泣きつくから会わせてやっただけだ!! 絶対に、絶対にティーは嫁にやらん!!!)
よし、まずは家に来ることを禁止しようと考えているラティスをティファニアがじとりと見ていた。
「お父様、ティーのはなし、きいてた?」
「ん? あ、ああ、聞いてたよ。私がティーの言葉を聞き逃すはずがないだろう。えーっと、小僧、…じゃなくて、シャルルの話だろう?」
「うん!! そうそう、それでね、お父様におねがいがあるの!!!」
「ティーのお願いだったらなんでも聞くよ! なんだい? なんでも言ってごらん?」
「あのね、シャルルのことなんだけどね、お父様にやってほしいことがあるの!! あのね、まずは―――――」
その内容を聞いて、物凄く、この上なく断りたいラティスだったが、上目使いで見上げ、胸の前で指を祈るように組む可愛い愛娘のお願いを彼は断れるはずもなかった。内心シャルルを恨みながら、渋々という雰囲気を出さずに頑張ってにっこりと笑ってティファニアに了承を出したのだ。
その後ティファニアと別れてから、ラティスががっくりと肩を落としたのは言うまでもないだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
本日は晴天なり。抜けるような青と雲一つない空が広がっている。
ティファニアは頭上の太陽のように可愛く輝く笑顔でうきうきしながらラティスと立っていた。
横にいるラティスは今日のティファニアの蒼いドレスとその可愛さを見てとてもニコニコしているが、心の中は大嵐であった。それもそのはず、これからティファニアにくっつく悪い虫、もといシャルルが来るからだ。隣のティファニアの笑顔が他の男に向けられると思うだけで相手の顔をぶん殴りたくなると思うラティス。もちろんそんなことしたらティファニアが悲しい顔をするのは分かっているのでやらないが、心の中では何回でも殴って置こうと彼は誓う。
遠くで門が開き、馬車が入ってくるのがティファニアに見えた。門から屋敷まで少し距離があるのだ。
そして馬車が目の前まで走ってき、ガチャリと扉が開かれた。
そこから出てきたのは、ルイビシス公爵アルベルトとその息子シャルルだ。2人の顔は少し暗い。
しかし、アルベルトがこちらを向いて、笑顔を作った。
「本日はお招きいただきありがとうございます。久しぶりだね、ティファニア嬢、ラティス。わざわざここまでお出迎えありがとう」
丁寧な挨拶から、さっぱりとした友人の話し方に切り替えたアルベルトは久しぶりに腐れ縁と言ってもおかしくない従兄弟のラティスと会えて嬉しそうだ。
「本日はお招きいただきありがとうございます。お初にお目にかかります、ウルタリア侯爵様。ルイビシス公爵の息子、シャルル・ルイビシスでございます。いつもティーにはお世話になっています。どうぞ以後お見知りおきを」
シャルルは綺麗なお辞儀と丁寧な挨拶をした。中々さまになってるじゃんと何故か上から目線で自分のことのようにシャルルの挨拶がうまくいったことを喜んだティファニア。
しかし、ラティスはシャルルがティファニアを愛称で呼んだことに笑みを深める。
「今日はご足労いただき感謝いたします。久しぶりだな、アル。そして、はじめまして。私はティファニアの父である、ラティス・ウルタリアだ。いつも娘がお世話になっているようで」
そういって、シャルルに笑いかけるラティスにシャルルは口角がひくっとあがった。ラティスの顔は確かに笑っているが、目が笑っていない。冷めた紫の瞳でシャルルを射殺さんばかりに鋭く見つめていたのだ。
しかし、シャルルも負けていられない。対抗するように可愛い顔をなるべくしかめっ面にし、ラティスを睨む。そんな様子をアルベルトはにやにやしながら眺めていた。
ティファニアはそんな二人の水面下の攻防など露知らず、可愛くお辞儀をする。
「ルイビシス公爵様、シャルル様、今日はご足労いただきありがとうございます! 今日は暑いので、どうぞ中に入ってください!」
ティファニアの元気な声を聴くと、ラティスとシャルルは先ほどの顔など忘れてしまったかのような輝く笑顔になり、ティファニアの意見に同意した。
シャルルの後ろでアルベルトが少し笑った気がした。
アルベルトとシャルルは応接室に通され、アルベルトはラティスと、ティファニアはシャルルと紅茶を飲みながら談笑をしていた。ティファニアの隣に座っている為か、部屋の温度が少し低い気がするのはシャルルの気のせいだろうか。
「お父様、シャルととしょしつにいっていいですか?」
ひやりとまた部屋の温度が下がるが、ラティスがティファニアに向ける笑顔は温かい。
「ああ、いいよ。楽しんでおいで」
「うん!!」
ティファニアは元気な返事をし、シャルルの手を引いて、応接室を後にした。
応接室から子供たちが去った後、そこにはむすっと不機嫌な顔をしたラティスがいた。
「ぷっ、ははは。お前のそんな顔は久しぶりに見たよ」
ラティスの先ほどからの百面相に耐えきれずに笑ってしまうアルベルト。
「うるさい。お前の息子が俺のティーに近寄るのが悪いんだ。ティーは絶対にやらん!!」
「わからないぞ? 突然、ティーちゃんがシャルルを婿として紹介しに来る可能性だってある」
「そんなことは認めない。ティーはずっと俺の下にいてくれると言ってたしな」
そういいながら、ラティスは少し俯いた。そして、彼は自嘲気な笑みを浮かべる。
「―――もう、誰かがいなくなるのはこりごりだ」
「………そうか」
ラティスにもラティスの想いがある。最愛の妻と娘が攫われ、娘のうち一人は生死もわからず行方不明になった。攫われた足どりなどを追っても、巧妙に隠されて、真相にたどり着けない。見当がついている貴族はいるが、証拠もなく格上の貴族を調べることはできない。
ティファニアはそんな絶望的な状況で必死に探して見つけた娘だ。
彼女を迎えに行くと、がりがりにやせ細り、いつ死んでもおかしくないような姿だった。それでも、見つけられた時のラティスはこの為に生きてきたのだと思った。この可愛い娘をもう一度抱くためにこの4年間生きてきたのだ、と。
そんな娘を手放したくないと思うラティスをアルベルトは当たり前だろうなと思いながら見た。アルベルトだって弱り切り、目が虚ろになったラティスを4年間見続けたのだ。この数か月のラティスの好調ぶりを見て、ティファニアがラティスからいなくなった時、次はどうなってしまうのかと少し恐ろしくなる。
「……そういえば、この間の出張はうまくいったのか? 随分と強行軍で向かったと聞いたんだが」
「ああ、あれだな。ティーに会えない時間をなるべく減らすために馬で行ったんだ。そのお陰で6日も短縮できた。帰ってきたときのティーは可愛かったぞ。蒼いドレスを着て、頬を紅潮させながらこちらに駆け寄り、俺にキスをするティーはまるで妖精だった。いや、ティーは常に妖精ではあるが――…」
アルベルトはラティスの言葉を聞き流しながら苦笑する。ティファニアと早く会いたかったからという理由で片道1週間かかる道のりを4日に短縮するように予定が組まれたのであろう。他の外交官たちが哀れでならないと彼は思う。
「――ということを言ったらな、ティーがくすくすと笑って俺にクッキーを差し出してくれたんだ。その小さな手で口元まで運んでくれるティーがこれまた可愛くてな……。―――おっと、そういえば、俺の部屋に酒を用意してるんだった。出張先で買ってきたものだ。アルも飲むだろ?」
ラティスが出張で行った国はワインが美味しいことで有名だ。ラティスもアルベルトもお互いお酒が好きな為、よく一緒に飲む。特に今回はラティスがいい酒を用意してくれたというのだから、アルベルトに断る理由はない。
「ああ、もちろんだ」
アルベルトがそう返事すると、二人は執務室へ向かった。あの部屋のソファーで飲むのがラティスにとって一番落ち着くらしく、ウルタリア侯爵邸でお酒を飲むときは執務室と決まっているのだ。
執務室に二人が入ると、ラティスは侍女たちにグラスを用意させてすぐに下がらせる。彼は自らコルクを開け、目の前の背の高い二つのワイングラスにワインを注いだ。同時に上品な葡萄の香りが部屋に広がる。
ラティスが注ぎ終えると、二人でグラスをカチンと合わせて乾杯した。
「……やはり、この国のワインはうまいな。酸味があって、爽やかなところがいい」
「ああ、くどくないところが俺は好きだな」
優雅な仕草でワインを口に運ぶ二人の美丈夫はとても絵になる。
お互いワインについての感想をひとしきりいうと、ラティスがアルベルトに尋ねた。
「そういえば、アル、シャルルと上手くいってないんだって?」
アルベルトは一瞬ぎくりという顔をするが、すぐに取り繕い、済ました顔で答える。
「そんなことはない。私とシャルルの関係は至って良好だ」
「ふっ、馬鹿言え、さっきの様子を見たらそんな訳ないとすぐわかるだろう。どうせ、お前からシャルルを避けているんだろ?」
「………避けていない」
そう言ってアルベルトは顔を背けた。
ラティスは何も言わずにワインをタプタプとアルベルトのグラスに注ぐ。
しーんと沈黙が走り、ワインを仰ぐ音だけが部屋に響いた。
「………ジュリアがいなくなってから、シャルルとどう接していいかわからない」
重い空気を破ったのはアルベルトだった。お酒が入ったせいか、顔を少し赤くし、ぽつぽつと語りだす。心なしか、深い蒼の髪が乱れていた。
「シャルルはきっと、俺を嫌っているだろう。……ジュリアがいた頃も俺はシャルルに冷たくした。将来公爵家を継ぐのだからと厳しく接してきた。ジュリアがいなくなったのだから、俺が少しでも優しくしようと思ったのだが、やり方がわからなかった。今までシャルルに冷たくしてきた俺にはどうすればいいのか分からないんだ。そうやって、ずっと悩んでたらいつの間にか1年近く経っていた。―――最近はあの子も私を避けるようになってしまった………」
ラティスは不器用にゆっくり語るアルベルトの言葉を遮ることなく聞いていた。親バカのラティスにとっては甘やかすのなんて簡単じゃないかと少し思ったが、今は頭の隅に投げておいた。
「……だから、だから、きっとシャルルは俺のことなどどうでもいいのだろう。もう、いてもいなくてもいい存在なんだ……」
そう言って、アルベルトは項垂れた。目には涙が滲んでいる。
「そんなことないです!!」
突然アルベルトは子供の声を聴き、顔を挙げる。声のした方を見ると、息子の顔があった。息子は真っすぐとこちらを見つめていた。さっきも横から見ていたはずなのに、なぜだか大きくなったなとアルベルトは思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ティファニアが応接室を出ると、シャルルの手を引っ張って目的地へと足を向けた。
「ねえ、シャル、まえにティーにシャルのおとうさんにきいてほしいっていったでしょ?」
「えっ、なにを?」
「だーかーら、シャルがシャルのおとうさんにシャルをしんぱいしてるかきいてほしいっていったでしょ?」
「―――あっ、うん。いったね」
「だからね、きいてあげる! ティーについてきて!!」
そうやってティファニア達がついた場所はラティスの執務室だ。自分より少し高いドアノブをティファニアは背伸びをして回す。ちょこんとつま先立ちする姿は可愛らしい。
部屋に入ると、そこには上品だが飾り気ない家具があった。横にある薔薇色のソファがひどく目立って見える。向かい合うソファの間にある背の低いテーブルには美しい紫の薔薇が一輪飾ってあった。
「ここにね、かくれてお父様たちをまつの」
ティファニアがシャルルを連れて行った先は執務机の前だった。どうやら執務机の下に隠れて、アルベルトの真意を聞くのだとシャルルは分かる。聞きたくないけど、知りたいことをこれから聞くのにシャルルはごくりと唾をのんだ。
「わかった。じゃあ、お父様をまとう」
ティファニアが机の下に隠れてから、大分経ってラティス達は現れた。
(もう! お父様ちょっとおそいよ!!)
それもこれもラティスがティファニア自慢をずっとしていたからなのだが、今のティファニアにそれを知るすべはない。
心の中で少し悪態をついていると、目の前のシャルルが神妙な顔をしているのが見えたので、ティファニアは気を引き締める。
しかし、そんな二人に構わず、ラティス達はワインを飲み始めた。
(こ、こんなお昼からお酒飲むの!? で、でもお酒はいると口が軽くなるっていうし、いいの、かな?)
そんなことをティファニアが考えていると、二人の話題がシャルルのことになった。
シャルルは眉を寄せ、聞き逃さないように耳をそばだてた。耳元で心臓がうるさく早く鳴っている。
「……今までシャルルに冷たくしてきた俺にはどうすればいいのか分からないんだ」
(そんなことはないです! お父様はいつも僕のことを思ってくれた。優しかった)
「最近はあの子も私を避けるようになってしまった………」
(ちがいます! 僕はお父様にきらわれてないかこわかったんです)
「……だから、だから、きっとシャルルは俺のことなどどうでもいいのだろう」
(そんなことありません!! お父様は僕にとってすばらしくてカッコいいお父様です!!)
「もう、いてもいなくてもいい存在なんだ……」
「そんなことないです!!」
気付いた時にはシャルルは机の下から飛び出していた。こぶしを握り、アルベルトを真っすぐ見て、今まで思っていたことを吐き出すように言う。
「お父様はつめたくなかったです! 僕は、僕はお父様が僕をきらったんじゃないかとおもってて、それで、僕はお父様にはなしかけるのがこわくなって…。それに、お父様はかっこいいです。どうでもよくないなんてちがいます!! いつもお父様は僕にやさしいです! だから、だから、どうでもいいなんて、言わないでください……」
はらりとシャルルの菫色の瞳から涙がこぼれた。真っすぐと見つめていたアルベルトの輪郭が歪むのがわかる。
「僕を、僕をきらわないで、ちゃんと、見てください………」
ぼろぼろとシャルルは大粒の涙をこぼした。
そんな息子の顔を見て、アルベルトは目を見開き、驚いた。自分のことをもう何とも思っていないと思っていた息子が実はこんなに自分のことを考えてくれたなんて、と。
アルベルトはシャルルの方へゆっくりと歩き、抱きしめた。自分の記憶より少し大きくなった息子に彼はまた驚いた。
「すまない、シャル。私が不器用なせいでこんな思いをさせた。お前がこんな風に思ってくれていたなんて気づかなかった。本当に済まない…」
「い、いえ、僕も、なにもいいませんでした。お父様は僕がきらいかもっておもってました。だから、ごめんなさい。お父様は、お父様はずっと僕をおもってくれました」
そうやって不器用親子は抱き合い、お互いにずっと謝り続けた。
少しぎこちなかったが、ティファニアはシャルルとアルベルトが仲直りできてよかったと思ったのだ。そして、抱き合うシャルル達を見て、ティファニアはラティスに無言で抱き着いた。なんだか、自分もぎゅーっとしてもらいたくなったのだ。
それを察してか、ラティスがティファニアを抱き上げる。ティファニアはラティスの首に手を回し、いつもより少し強くぎゅっとした。
「お父様、ありがとう。だいすき」
やっと仲直りできました。
作者も不器用なので、なかなか人にストレートに伝えられなくって悲しいです。
遠まわしで言おうにも、そんな気の利いた言い方ができません。
次回はティリアについてです。