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プロローグ

悪役令嬢ものが書きたくて…!

(……おなか、すい、た…)


 少女はスラムの暗い路地裏で隣にある木箱にもたれかかりながら思った。

 もう何日もまともな食事を口にしておらず、本当におなかがすいているのかさえわからない状態だった。彼女の瞳には希望などという光はなく、写っているのはただの諦めだけだ。

 少女の身なりはみすぼらしく、服は枕カバーに穴を開けて上からすっぽり被った貫頭衣のようなものだった。全身は何かで黒く薄汚れ、髪はほとんどないと言っていいほど短い。頭にはナイフで乱暴に髪を切られたのか、血が伝っていた筋が残っている。


(…みず、どこ……?)


 物心つく頃から泥水と言ってもおかしくない水しか飲んでこなかった少女だが、今はその泥水さえ手元にない。唇は裂けたようにぱっくり割れ、口の中はカラカラに渇いていて動かすと口の中もひびが割れてしまいそうだった。


(もう、しぬ…?)


 少女は小さいながら死を理解していた。毎日のように目の前で死んでいく人を見てきたからだ。

 スラムの生活は厳しい。栄養失調や無理な仕事をして大怪我を負って死んだりと入れ代わり立ち代わり人が死んでいった。

 死とは、動かなくなって、ただの動かない人形になることだ。人形たちには何もない。人だった思い出も何もかもそこにはない。そして人形たちは放って置かれるとそのうち汚く、醜く変色し、異臭を放って地面へ溶けてなくなる。それが少女の死への認識である。

 少女は人形の行く末を思い出し、既に力のほとんど入らない手をぎゅっと握った。


(…いや、だよぉ…。あ、れには、なりたくない……)


 少女は久しぶりの恐怖を感じ、身を強張らせた。涙腺がぎゅっと疼いても干物のような体からは涙は一滴も流れなかったが恐ろしくて泣きそうだった。


(こ、わい…。こわい、よ……。だ、れか、た、すけて…。たす、けてくだ、さい……!)


 少女の瞳に少しの光が差し、何かに縋る。あの人形みたいに醜く死にたくない、と。

 物心つく前からスラムで育ち、助けはなく、盗みやごみを漁ることで食いつないできた人生だ。何度も、何度も何度も誰かもわからない何かに助けてほしいと願った。少女は幼過ぎて、それしかできることがなかった。毎日を生きるのに必死だった。

 しかし少女の願い空しく、既に寒さで凍えるのを待つことしかできないだろう。スラムは捨てられた場所だ。誰も自分に見向きもしない。そんな残酷で無慈悲な現実が突きつけられる世界なのだ。大人まで生き残れる子供なんてほとんどいない。そう、ほとんど、いないのだ。


(……あれ? あ、め?)


 寒さと恐怖で震えていると、突然周りが暗くなった。雲がかかって雨が降り出すのかと少女は思い、なけなしの力で首を上げ、空を見ようとする。しかし、いつの間に目の前に来たのか、自分に影を作っている青年と目がぱっちりあった。

 驚きあたふためく元気はないが、少女の鼓動は先ほどと打って変わって早鐘を鳴らすようにドクドクと身体中に血液を巡らせた。

 目の前の青年は身なりが良く、一目で彼がいいところの出であることがわかる。

 青年は少女と目を合わせるようにしゃがむと、澄んだ紫色の瞳ときらきらと光が散りそうな整った顔で嬉しそうに少女を見た。

 少女は自分の顔を覗き込んでいる青年がなぜ笑顔なのかわからず、目をしばしば瞬かせながら、声を絞り出した。


「な、に…?」

「久しぶり、ティファニア」


 青年はにこりと表情をほころばせる。


「俺は君のお父様だ。助けに来たよ」

「たす、けに…?」

「ああ、そうだよ愛しい俺のティー」


 少女は信じられなかった。

 ずっと、ずっとずっと聞きたかった言葉だ。何回も何百回も何千回も願い、それでも誰も言ってくれなかった魔法の言葉。

 少女は目を見開き、改めて青年を見ると、ガツンと頭を打たれたかのような感覚を覚えた。そして、確信する。この人は自分のお父様だ、と。


「お、とう、さま…?」

「なんだい、ティー。さあ、おいで」


 青年は優しい瞳で娘である弱った少女に返事をすると、抱き着いてくるようにと両手を広げた。

 少女――ティファニアは少し躊躇うが、直ぐにさっきまで動けなかったのを忘れてしまったかのような勢いで青年――お父様に飛びついた。お父様の首に手を回すと、体中に安心が温かく染みていくようだった。


「お゛、とう、さまぁ!! おとうさまぁ!!」


 ティファニアは大声でわんわんと泣いた。自分を助けてくれる人に会えたのが、ただただ嬉しかった。生まれて初めての抱擁は彼女の枯れた心の泉をじわじわと満たしていく。ティファニアはその泉の水まで枯らしてしまいそうなくらい、今までの寂しさや心細さを忘れるために必死に泣いた。

 そんなティファニアはこの青年の娘であってもスラムの住人であるため、その体臭は顔を顰めるものだろう。しかし、青年は全く気にせず震える細い体で自分に泣き縋る娘を柔らかく抱きしめた。もうこれ以上離しはしない、そう彼の背中は語っていた。

 実際、生まれてすぐ、4年も行方不明だったのだ。見つけることは絶望的だった。青年は何度も友人や家族が口々に諦めろと言うのを聞いた。それでも諦めなかった。そして今、見つけだし、助けに来た。自分の愛する可愛い娘を。それは奇跡、と言ってもいいだろう。

 青年は奇跡に感謝し、腕の中の大泣きして直ぐに眠ってしまったティファニアの嬉しい重みを噛み締めた。ティファニアの頬は痩けているが、表情は柔らかい。

 青年はティファニアを優しく抱き直すと、待たせていた馬車に足を向ける。

 馬車の前にいた従者はティファニアの臭いに一瞬顔をしかめたが、主である青年の悲願が叶ったことを心から祝い、青年によかったですね、と笑いかけた。つられて青年も涙を堪えて微笑む。

 従者は青年の腕の中の少女はガリガリに痩せ、明らかに衰弱していることが分かると、慌てて戸を開き、馬車を出発させた。青年はすぐにティファニアの頭を膝の上に乗せて寝かせた。そして頬を伝う涙を優しく拭い、短い白金の髪を撫でる。


(愛しいティー、早く元気になるんだよ。そしてこれからは涙ではなく、いっぱいいっぱい可愛い笑顔を見せておくれ)

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