復讐者は一線を越える
青年は、恋人を死へと追いやった男を、自らの手で葬り去ることに決めた。
男は今、青年の目の前にいる。
青年と向かい合うその男の顔には、死への恐怖はあまり感じられない。これから訪れる死の運命を受け入れ、安堵しているようにも見える。
確実に殺すために、切れ味鋭いナイフも用意した。
これで頸動脈を裂けば、それで全てが終わる。
「何をいまさら戸惑っている……」
ナイフを握る青年の手は、大きく震えていた。
覚悟は決めたはずだった。ナイフまで用意したのに。
この期におよんで、一線を越えることを躊躇してしまう自らの心の弱さを、青年は嫌悪した。
一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、青年は恋人の顔を思い浮かべる。
そうだ、彼女のためにもやらなければいけない。
今度こそ覚悟は決まった。手の震えも止まっている。
青年の瞳には、もう迷いは存在していない。
「ごめんな……」
恋人への謝罪の言葉と同時に、青年は葬るべき者の首へとあてがったナイフを一気に引いた。
鮮血が勢いよく吹き出し、周囲に飛び散る――
青年の亡骸の前には、血を浴びた大きな姿見が置かれていた。
後日見つかった遺書には、こう記されている。
『心を病んでいた彼女は、僕の言葉のせいで追い詰められ、自ら命を絶った。
僕は、彼女を死へと追いやった自分自身を許すことが出来ない。
僕は、僕自身に復讐することを決めた』