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第5話 女神の正体




昔々あるところに、オルタ・リーバという名前の、それはそれは美しい、河の女神様がおったそうな。



あまりにも美しいお姿じゃったからのぉ、たくさんの神々が妻にと求めたそうな。

その数というたら、オルタ様の家の前からは、求婚の列の終わりが山向こうへと消えて見えぬほどじゃった。

しかしのう、オルタ様の体はひとつじゃて。数多の神様達から、たった一人をえらばねばならぬ。そこでオルタ様の父はあることを思いついたんじゃよ。



『3つの試練を見事果たした者に、オルタを妻として与えよう』



そう、求婚に来た神々に告げなさったそうじゃ。

3つの試練とはの、一つは蓬莱山に住むという天龍の一咬みでも砕けぬ物を見つけ出すこと、2つ目は真夏でも決して溶けない氷を持ってくること、3つ目は空にもう一つの月を浮かべることじゃの。


どれも無理難題のようにおもえるじゃろ? 実はな、オルタ様の父上は謎掛けのつもりだったんじゃ。どの問題も、ほんのすこし考えればそんなにむずかしい事ではないのじゃよ。


たとえば、ひとつめの難題などはの、なんにも持ってこないが正解じゃ。いかな天龍の一咬みも、虚空だけは噛み砕くことができんからのう。



ずるいとおもうか? じゃがな、これも娘を思う親心。

いくさごとが下手でも良い、知恵のある相手と結ばれて幸せに暮らしてほしいと、オルタ様の父上は願っておったんじゃ。



…しかしのう、神々はオルタ様の父上が思っとったよりもずーーーっと頭がわるくてのお。

最初の難題で、これは天龍の一咬みを耐えるだけの男気を試されているのだと、だれかが言い出してしまったんじゃ。

そして神々は、群れをなして天龍に噛み付かれにいったそうじゃ。



天龍もいい迷惑じゃったろうのう、ひっきりなしに訪れてくる神々を、噛んでは吐き捨て、噛んでは吐き捨て、それでも手加減は一切せんかった。

そういうわけで、結局一つ目の試練で参加者の殆どが落第してしまったんじゃ。



体に大穴をあけながらもなんとか耐え切った神々も、何柱かはいらっしゃったそうじゃが、2つ目の溶けない氷の試練でみんな落第しおったのよ。



氷雪の迷宮や、えべれすとの山頂に無酸素無装備で挑む神々たちに、『2つ目の試練の答えはところてんだ』などと、オルタ様の父はもはや言いだせなかったんじゃろうのう。



まあ、それで済めばよかったんじゃがな、落第した神々はオルタ様に文句をいいはじめてのお。

『あの女、お高く止まってんじゃねえよ』『どうせ、最初から結婚する気なんてなかったんだろ?』『ハンッ、どうせどっかに男がいんだろ?』『俺たちが傷つく姿を見て喜んでんだぜ。あのドS女神』などなど、根も葉もない噂が神々の間で広まってしまってな。

その噂話が元で、もはやだれも3つの試練に挑むものはいなくなってしもうたのよ。



これはいかんとオルタ様の父も3つの試練を取り下げたんじゃが、オルタ様に求婚していた神々は、みんなすでに他の手頃な誰かを娶り、暖かな家庭をきずいておったのじゃ。

気がつけば、オルタ様はすっかり適齢期を過ぎておった。



暫くは父の元で、泣きながら部屋にこもって暮らしておったんじゃが、そんなオルタ様に追い打ちをかけるように、周りから次々と結婚式の招待状が届いてのお、オルタ様はいたくいたく傷ついてしまったのじゃ。



『もう、結婚なんてできなくていいです。わたしはずっとひとりで暮らしていきます』



そう言って、ヒロシマにある小さな洞窟で、深い深い眠りについたのじゃ。

石の中で、深い眠りについたオルタ様じゃったがの。これではあんまりにも不憫じゃと、オルタ様の父上は、オルタ様の結婚祝いに贈るつもりじゃった黒い短剣を、オルタ様が眠る石に深く深く突き刺したのじゃ。そして石を前にこう、予言したそうじゃ。



『いつか必ず、この短剣を引き抜く者が現れるであろう。その者は、堕ちた神となってしまったお前をも深く深く愛してくれるだろう。例え肉体が滅び、髪の房だけが残ろうとも、お前を心から必要とし、愛してくれる者が現れるはずだ。その者こそ、憐れなお前にとっての、ただ一人の夫となるであろう。そのときが来るまで、眠れ、眠れ、我が愛しき娘よ。眠れ、眠れ、我が悲しき娘よ』



………以上、ヒロシマの説話集、藻女神オルタ・リーバの項より。柳田広男著でした」




「音読ありがとう、カヤ。おい、イクアラ、厳島コーチを呼び出してくれ。ブラックコーヒーでも飲みながらじっくりみっちり問い詰めてやる」










そうしてカヤは深く長い息を吐きながら、ヒロシマの説話を集めた古書を机の上に静かにおいた。



ここはヒロシマ市立図書館の談話室である。

ヒロシマの説話を集めた数冊の本の中でも、特にマイナーな口伝の中に、藻女神こと、オルタ・リーバの伝説があった。

時刻は既に夜7時を回っていた。太陽は沈み、西の空に僅かな赤色が残っているのみである。古来から言われる逢魔が時というものだ。

タツマ達が座るテーブルの上には、あのダンジョンで手に入れた黒い短剣が蛍光灯の光を浴びながら鈍く輝いている。

しかし今、短剣にはあの時タツマ達が見たはずの長い髪の毛は何処にもない。



「見た目は普通の短剣何だけどなあ。ちょっと刃渡りが短すぎるけど」


「説話を信じるならば、父から贈られたというこの剣はあくまでオマケで、髪の毛の方が本体という事だろう」


「あの長い髪の毛が、本当にこの剣の中に全部入ったの? イクアラ」



イクアラが然りと、頷いた。カヤとタツマの二人が気を失った後の出来事は、イクアラだけがただ一人の証人である。






タツマが目を覚ました時、視界に映るものは見慣れぬ洞壁であった。

タツマのとなりではカヤが寄り添うように眠っていた。


何があったのだろうか、ぼーっとする頭を左右に揺すりながら、タツマは片手をついて上体を起こした。

バサリと、何かがタツマの体から滑り落ちた。タツマとカヤの体には、イクアラの大きめの私服が毛布がわりにかけられていた。



「目が覚めたか? タツマ」


「ああ、イクアラ。一体なにが…?」


「剣から生えている髪の毛を見てタツマは気絶した。タツマが気絶したのを見て、カヤも釣られるように気絶した。リザードマンは心臓が強くてな、私だけは意識を保つ事ができた」



「…なるほど、ありがとう。全部思いだしたぜ」



タツマは立ち上がると時計を確認する。時間はそれほどたっていなかった。

足元でカヤが「んんっ」と、悩ましい声をあげた。



タツマは地面に転がる短剣を見る。あの出来事は夢だったのだろうか。

黒い短剣には、もはやあの時の髪の毛は何処にもなかった。



「髪の毛ならあの後短剣の中に勝手にしまわれていったぞ。ずるっずるずるっと、まるで蕎麦でも飲む様に長い髪の毛を収容していた様には、流石に私も気絶する所だった」



悪い夢は今は見えていないだけで、終わってはいなかったらしい。



「つーかこれ、一体何なんだろうな」



タツマは足元に転がる短剣をおそるおそる靴のつま先でつついてみたが、剣からは何の反応も返ってない。



「魔具(?)か、祭器(?)か、呪具(?)的な何かか? 今の所検討もつかんな」



「イクアラでもわかんねえか…」



二人は短剣を中央にし、差向いになって座る。剣には柄のところに良く解らぬ文字で銘らしきものがうたれている以外は、何の手がかりも見つけられなかった。



「そうだタツマ! お前のパーソナルカードを見せてみろ、守護が付いたなら何か情報が書かれている筈だ!」



「なるほど! その手があったな! 流石はイクアラだぜ!」



パーソナルカードとは、中世より伝わる魔法のカードの事だ。

持ち主のみに反応する高度な解析魔法により、本名、称号、種族、守護神、アビリティーなどが、嘘偽り無く記されるマジックアイテムである。

さらに、持ち主が新たなる称号や、アビリティーを獲得した場合も即座に上書きされる仕組みとなっている。中世では冒険者の身分証明書として機能していたが、現在ではその製法も公開され、冒険者にならなくても誰でもパーソナルカードは持つ事ができるようになった。



タツマはポケットに仕舞いこんであったパーソナルカードを取り出そうとして、いつの間にかそれが地面に落ちていた事に気がついた。

側にあった銀色のカードを拾い上げる。


名前と種族しか書かれていなかったはずのタツマのパーソナルカードはずらりと項目が増え、アビリティーの新規獲得を示すマークが並んでいた。




【名前】須田タツマ 

【種族】人族(純血)

【称号】藻女神オルタ・リーバと結婚を前提としたお付き合いを始めた人間 NEW!

【守護】藻女神の守護(極大) NEW!

【アビリティー】遠距離攻撃(髪) NEW!

        ずーっと一緒(愛)NEW! 




「…ふむ、タツマ。お前いつの間に女神様を誑し込んだ?」


「知らねえよ! このダンジョンに入るまで何もかかれちゃいなかったよ! 俺もびっくりだよ! なんだよこの二度と取り返しのつかなそうな称号とアビリティーは!」


「…んっ、タツマ? どうかしたの?」



騒ぐタツマの声に目が冷めてしまったのだろう。カヤが眠たそうな目をこすりながらゆっくりと起き上がった。寝ぼけているのだろうか。普段であれば絶対にしないようなことではあるが、カヤはタツマの背中にぽすんっとおぶさってきた。タツマの背中に小さくも柔らかい感触と鼓動が伝わってくる。



「お‥、おい! カヤ! 寝ぼけてんじゃねえよ」



「おお、カヤには悪い報せになってしまうのか。実はな…、タツマのパーソナルカードなのだが‥」



カヤは、肩越しにタツマが手に持つパーソナルカードを覗きこんだ。そして、寝ぼけた半眼のままで、タツマの耳元で囁いた。



「ねえ、このオルタ・リーバって女、だれ?」



それはまるで、夫の上着の中から、ホステス嬢の名刺をみつけたかのような、低く、冷たい声音であった。



「だれって…、いや、本当に誰だ???」



「ふむ、神話にはそれなりに明るいつもりだったがな…、聞いたこともない名前だ」


「ねえタツマ! 誰よ? 誰なのよ? 一体何処の女なのよ? 誰なのよ、このオルタ・リーバって!」



「いやいや、知らない! 本当に知らないから! 身に覚えはないから! だから胸ぐら掴んでガクガク揺するのはやめてくれー!」



その後、ようやく眠気を覚ましたカヤが、「タツマ、イクアラ、市立図書館に行くわよ。オルタ・リーバがどこの馬の骨なのか、きっちり調べてやろうじゃないの!」と言い出した。


イクアラも、もちろんタツマも、その時のカヤに逆らう気など起きなかった。

荷物をたたんで、ダンジョンを出た三人は、家にも帰らずそのまま市民図書館へと直行した。そして、図書館の大量の所蔵の中からオルタ・リーバの伝承を見つけ出し、今に至るというわけだ。




「…藻女神の守護ねえ…」



タツマはパーソナルカードをもう一度確認する。

藻女神という言葉は聞いたことがなかったが、字面と、先ほど読んだ説話のエピソードからも、あまりいい予感はしない。

神話といえば、救いがなく理不尽な内容の物が多いが、これほど憐れな物語は聞いたことがなかった。

先ほどまではオルタの正体を暴いてやると息巻いていたカヤも、同じ女として思う所があったのだろうか、いまは黒い短刀に向けて同情の眼差しを送っていた。



「しかし守護の強さが極大というのは破格だな」



「ええ、私も聞いたことがないわ。ひょっとしたら、タツマが人類でたった一人かも」



守護の強さは、まるで扇風機のボタンの如く、強・中・弱に分かれている。例えば、カヤの守護は韋駄天の守護の中、イクアラの守護が戦神の守護の弱である。


守護の力の強弱は、守護神自体の格や能力よってもその恩恵は変わってくるので一概には言えるものではないが、より強い守護を持つものはそれだけ強いと言われている。

しかし実際には、強の加護を受ける者などまずいない。大体が弱か、恵まれた者でも中である。


統計では、守護を持っている者の内、強の守護をもっているのが一万人に一人、中の守護を持っている者が百人に一人、弱の守護を持っているのがその残りと言われている。

全人類の内、守護を持っている人間の割合は、およそ5%という話であるから、強い守護を持つ人間がいかに数が少ないかが伺い知れるものだ。

タツマの持つ極大という守護は、現状、持っている人間は一人もいない。それこそ、神話の時代の英雄にまで遡らねばならぬだろう。



「まあ、そこは女神様に感謝だけどさ。贅沢を言えばもう少し戦闘に向いてそうな神様の守護が欲しかったかな。イクアラみたいにさ」



―シクシクシクシクシクシクシク―



「それこそ贅沢な話だな。戦神の守護はたくさんの人間が分かちあっている為に一人ひとりの守護の力は弱くなってしまうのだ。タツマの極大は世界でタツマ一人が守護対象であるからこそ得られた強さだろう。他の神の加護がよかったなどと、そんな事を聞けば女神様が悲しむぞ、ほら、こんな風…に……?」



―シクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシク―



その泣き声はいつから聞こえていたのだろうか、テーブルの上に置いていた短剣から、何者かのすすり泣きが聞こえていた。

そしてその哀しい泣き声は、タツマ達だけではなく談話室にいた他の利用客たちにもしっかりと届いていた。



「…なあ、誰か泣いてないか?」



「ホントだわ、女の人の声よね?」



「うん、なんだかとっても哀しい泣き声ね」



「ああ。こう、胸にズキズキッと突き刺さってくる泣き声だよな」



「これはまるで、一生懸命作った料理を、夫にちゃぶ台ごと放り投げられて、泣きながら畳を拭いている妻の嗚咽そのものだな‥」



「ごめんなさい女神様! 本当は俺、最っ高に嬉しいです! 女神様の加護をもらえてうれしいなあ! ありがとう! 女神様!」



タツマがまるで子供をあやすように、短剣を両手に乗せて左右に揺すりながら慰めると、先ほどまでの泣き声は嘘のように収まった。



タツマは短剣をゆっくりとテーブルの上に置く。そして「集合!」と、イクアラとカヤに声をかける。

三人はテーブルを背を向けて、短剣に聞こえない程の小さな声で会議を始める。



「ふむ…、やはりアレが女神の依代のようだな」



「どうやって泣いているのかはわからないけど、確実に中に、ナニカいるわね」



「こえー事言うなよ。つーかこれ、守護って言うより呪いじゃねえのか?」



タツマの言葉に、二人は何も答えずにそっぽを向いた。



「おい! なんかいってくれよ! 怖くなるんだからよ」



これは守護ではなく呪いではないか。そんな事はイクアラもカヤも最初から思っていた。

それを決して口に出さなかったのは、初めて神の守護を受けて、甲子園への道が開けたと喜んでいたタツマには、口が裂けても言い出せなかったからだ。



「…と、とりあえず、アレが呪いの武器かどうかだけは判断することができるぞ」



「流石だぜイクアラ! どんな方法だ?」



「簡単な事だ、我々がこのままゆっくりとアレから離れてみるだけでいい」



「そういう事ね。呪いの武具なら一定以上の距離が離れると、持ち主であるタツマの手元に飛んでくるはず」



「逆に言えば飛んできたら呪い確定って事か…、まあ、やってみるしかないよな…」



タツマがゴクリと唾を飲む。三人は短剣の方に注意を向けながら、ゆっくりと後ずさっていく。3m,5m、そして10m離れても、短剣はピクリとも動く気配はなかった。



その代わり…




―シクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシク―




「なんだ!? また何処からとも無く哀しい泣き声が聞こえてきたぞ!」



「さっきの人の声よね? …ねえ、おかしいわよ。誰もいないわ」



「ちょっとー、気味の悪いこといわないでよー。…って、ひぃいいっ! 本当に声のする方には誰もいないじゃないの!」



「この泣き声、まるで迷子の子供のようにも聞こえるな」



「いや、むしろ昭和のドラマで旦那にゴミクズのように捨てられた妻の泣き声じゃないか?」



「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」



図書館の他の利用客に謝りながら、タツマは急いで短剣の元へとかけもどった。

短剣をたかいたかーいして、機嫌をとると、暫くの間しゃくり上げるような嗚咽が聞こえた後に、ようやくその泣き声は収まった。



「呪いの武器…ではなかったな?」



「ええ‥、呪い‥ではないわよね?」



「呪いの方がまだマシな気がするんだが…」



黒い短剣の呪いの武器疑惑は、アウトに限りなく近いセーフという結論に落ち着いた。

それと同時に、タツマはこの黒い短剣を四六時中持ち歩かねばならない事も判明した。

アパートの部屋に置き去りにしようものなら、不審な声が聴こえると警察に通報されてもおかしくはない。

アビリティーの“ずーっと一緒(愛)”とはこういうことかと、タツマは理解した。

何の素材で出来ているのか、黒い短剣は羽のように軽いものであったが、そこに込められた愛は押しつぶされるほどに重かった。



「ふむ…、では次の実験だ。カヤ、タツマに抱きついてみてくれないか? 恋人同士がするような熱烈なやつだ」



「うん、わかったわ」



「は!? ちょっと待て、何言ってんだ?…ってカヤ!」



戸惑うタツマにカヤは頬を染めながらもぎゅっと抱きつく。カヤの両手がタツマの腰の後ろにしっかりと回される。

カヤの華奢ながらしなやかな体が、暖かな体温がタツマへと伝わっていく。柔らかい髪が頬をくすぐる。

鎖骨に口付けしそうなほどに、近づいている小さな唇。そこから吐かれた、熱く湿った吐息が、胸元の襟口から体へと侵入してくる。


鼻孔をくすぐるカヤの匂いに、女の子の匂いに、彼女が同い年の女性であるということを、タツマはこの時初めて意識したのであった。




―シクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシク―




「うわっ、またあの泣き声が聞こえる!」



「もう! なんなのよー! 一体だれの仕業なの!?」



「でも、気持ちが悪いけど、なんだかちょっとシンパシー」



「ああ、身につまされるとはこういうことだな」



「これはまるで、夫の浮気現場を目撃した弱気な妻が、夫に詰め寄ることもできず、泣きながら一人で家路へとついている。そんな哀しい泣き声だ」



「うそだよー! うそだよー! ただの冗談だから! ね! ね!」



タツマは急いでカヤを振りほどき、短剣を手にとったが、それでも短剣は泣き続けた。

その泣き声は、タツマがカヤが自分にそうしたように、短剣をしっかりと自分の胸に掻き抱くことで、ようやく収めることができたのだった。



「…ふむ、なるほど。タツマに生身の人間の恋人ができた場合も泣く、と。特にこれといった害はなさそうだな。良かったなカヤ。ムードが無いのが残念だが」



「ええ、かなり厳しいけど、まあギリギリ妥協点ね」



「何もよくねえよ! 泣いてるのがきっちり害じゃねえかよ! つーか、カヤも何言ってんだ!?」



「しかしタツマ、泣けるという事は会話もできるという事ではないか?」



「そうよね。詳しいことはこの剣に直接聞けばいいのよね」



「そうか! そうだよな。なあ、あんたホントに女神様なのか? 女神様ならなんとか言ってくれよ!」



タツマは剣を両手にもって話しかけたが、短剣は何も反応しなかった。

なおも食い下がってお願いすると、短剣からするるっと黒い髪の毛が伸びてきた。


再び見た悪夢のような光景にタツマは思わず持っていた剣を投げ捨ててしまいそうになったが。その前に、黒い髪の毛が彼の手の小指にしっかりと絡みついた。


まるで赤い糸のように指に絡みついた一房の髪の毛は、タツマの小指を彼の意思に反して動かす。

タツマの小指は『ヒロシマに伝わる伝説』のちょうど開いていたページへと導びかれる。小指は、一文字、一文字、ひらがなを順番に指し示していく。



は   


ず   


か   


し   




「…ふむ、恥ずかしくて声は出したくないと…。よかったなタツマ。こっくりさん方式ならコミュニケーションできることがわかったぞ」



「何もよくねえよ! 会話するのにいちいち時間がかかる上に、こえーんだよ。こっちの心がもたねえよ!」



「だったら私にいい考えがあるわ」



そういったカヤは、ノートに『はい』『どちらでもない』『いいえ』の3つの文字を書いて丸で囲んだ。



「質問方式を選択制にしてみたの。これで時間はかからないわ」



「俺が怖いのは全く解決していないんだが…」





かくして、こっくりさん方式での、『教えて!喪女神様』のコーナーが始まった。









「あなたは女神オルタ・リーバですか?」



カヤの質問に、タツマの指はすっと「はい」の方へと迷わず進んだ。タツマに手に絡まる毛剣が昔話の女神であることは間違いないらしい。神界一美しいと言われていた女神とは随分と異なった姿ではあるが。



「あの昔話は実話ですか」



タツマの指は、すこしだけ逡巡したあと、「はい」と「どちらでもない」の中間から、はいに近い辺りを指さした。



「ふむ、多少の脚色はあるが、ほとんど正しい。そんなところか?」



今度はタツマの指は迷わず「はい」を示した。「あの話が実話かー」そう思うと、三人は自然と目頭を抑えていた。



「あなたは須田タツマを害することはありますか?」



カヤの目が鋭く光る。タツマの指は迷わず「いいえ」を指さしていた。


どうやら、呪いのたぐいでは無いということに、一同はほっと胸をなでおろした。



「では、あなたは須田タツマの事が好きですか?」


「ぶっ!? 何言ってんだ。カヤ!」



タツマの指は、おそるおそると、しかし、はっきりとそれと分かる位置で「はい」を指し示した。

この結果にはタツマも戦慄を覚えた。確かに、アビリティーのずーっと一緒(愛)から、予想できた応えではあったが、こうしてはっきりと示されると何かが胃にズンときた。



「あなたは須田タツマと結婚したいですか?」


「げぶっ」



タツマは口から胃液を吹きそうなほどにむせた。


三人が固唾を呑んで注視する中。タツマの小指はそろー、そろーと、「はい」の方へと移動し。紙に手が触れる寸前で、「やっぱり、恥ずかしい!」といったふうに、その手を引っ込めた。

一部始終を見ていたタツマは、ぶくぶくと泡を吹いていた。「はい」とはっきり選ばれた方が、まだ、精神的ダメージが少なかったのではないか。



こうして、イクアラとカヤは次々と質問をしていった。『はい』『いいえ』だけでは対応しきれない質問については、結局、カヤがつくった五十音順表で答えてもらう事となった。



もはやそれは、完膚なきまでにこっくりさんであった。

タツマはその間ぼーっと談話室の蛍光灯の辺りをみつめていた。

タツマの視界の先では、一匹の蛾が、蛍光灯に何度もぶつかりながら悲しく哀れに飛んでいた。



以降は、カヤ達のこっくりさんによる、その質問と回答を纏めたものである。





Q 本体は髪の毛で短剣が依代という事で良いのですか? 

A はい


Q 髪の毛の最大の長さは? 

A 30Mぐらいだと思います


Q 甲子園は知っていますか?

A いいえ


Q 甲子園に行きたいですか

A どちらでもない(タツマさんが行きたいのであればどこまでも付いていきます)


Q 戦いは得意ですか?

A いいえ(でも、タツマさんの為であれば頑張ります)


Q 魔法は使えますか?

A 水魔法であれば、少々


Q 何故、タツマさんを守護相手に選びましたか?

A こんな私を必要だと、わたししかいないと言ってくれて…(ぽっ)



~カヤが質問の矛先をタツマに変えた為に10分間の中断~



Q 男の人と付き合った経験はありますか?

A いいえ(かなり恥ずかしそうに)


Q 年齢はお幾つですか?

A 回答なし(長い長い沈黙の後に、泣きだした)


Q 得意な料理は?

A 日本食ならひと通り


Q 趣味はお有りですか?

A 生花とお茶を、たしなむ程度に


Q 好きな食べ物は?

A 茶碗蒸しとか、モズクとか、お蕎麦とか、噛まなくてもよいものが


Q タバコは吸いますか?

A いいえ


Q お酒は好きですか?

A はい(かなりためらいがちに)


Q 家事は得意ですか?

A はい


Q これから何処に住むつもりですか?

A タツマさんの家におじゃまさせていただければ…、その…、台所の包丁立ての中などで十分ですから


Q 食事は必要ですか?

A 飢えて死ぬことはありませんが、できれば…


Q どうやってその姿で食事をとるのですか?

A ええっと、こうやって(タツマのコーヒーカップにぼちゃんと髪の毛を入れた後、ずるずるっと、ストローのように吸い上げた)



~カヤの突然のお手洗い休憩につき、10分間の中断~



Q 食費や家賃を収める気はありますか?

A そうしたいのはやまやまなのですが、その、お恥ずかしいことに、先立つものが…


Q デートをするなら何処へ行きたいですか。

A 公園とか、山とか、ゆっくりできて、お金のかからない場所ならどこでも。あっ、でもやっぱり部屋の中が一番好きです。





もはや、質問するべき事も尽き始めていた頃、図書館の談話室に蛍の光が響きはじめた。


時計を見れば、既に9時10分前である。市民からの要望で、とりわけ遅い時間まで空いている談話室も、流石に閉室する時間だ。

気がつけば、タツマ達の他には人っ子一人いなかった。それは遅くなったから帰ったのか。髪の毛の巻き付いた手でコックリさんをやっている三人に恐怖を抱いたせいなのかは、判断できぬことではあったが。



蛍の光のメロディーが三人に退館を促す。ようやく解放されたと立ち上がろうとしたタツマを、カヤの白い手が制した。



「タツマ、まだ一番大事な事を聞いていないわよ。これが最後の質問です。あなたは人化とかしますか?」






タツマの手は、迷わず『いいえ』を指した。





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