第3話 ヘアヌード(挿絵アリ)
注意・退廃的な挿絵あり
タツマは今、水の上に立っている。
水面は時を忘れたように静かで、たった一つの波紋も、揺らめく陽炎すらない。
タツマは今、洞の中にいる。
半球状の洞壁から、色とりどりの鉱石がぶら下がり、星空のように煌めいている。
静かな水面は鏡となって、星の鉱石たちの半球を複製し、真ん丸い一つの宇宙を創る。
タツマは今、宇宙の中にいる。
宇宙の中を歩くには、靴なんて足枷にしかなりはしない。
スニーカーと靴下を放りだして、タツマは裸足で、宇宙の核に向けて駆け出した。
タツマは、宇宙の真ん中にたどり着く。
そこはこの宇宙の始点にして、終点。
そこでタツマは、一人の女性を見つける。
宇宙の中央、水と空の境目に、顔を半分だけ水から出した美しい女性が、水面にたゆたいながら眠っていた。
自然に、ゆったりと、まるで彼女自身が水そのもののように。
宇宙の眠り姫は、その身に何も纏ってはいない。
美しい肉体を、余すところなくタツマの目の前に曝け出しいる。
水にぬれた滑らかで白い肌が、水面に柔らかく広がる長い黒髪が、タツマの前に無防備に曝け出されている。
ふと、昔話を思い出す。
水浴びの最中に羽衣を隠され、空に帰れなくなった天女の話を。
タツマの眼下の天女は、初めて見る顔であるが、どこかで見知ったような気もする。
いや、知っている。これは別人だ。間違いない。
彼女ではない、間違いだ。
そう思いながらも、他に呼び方を知らぬから、タツマはその名を口にする。
「・・・様?」
自分の寝言で、目を覚ました。
瞳と瞼の狭間で、瞬きよりも淡い夢を見た気がしたが、呼吸を2、3すると忘れてしまった。
時刻は朝の5時の少し前。東の空からは既に桃色の日差しが差し込んでいる。
「暑い……」
渇いた声が、唇から漏れた。
梅雨も明けた真夏の大気は、タツマのパジャマを寝汗でぐっしょりと濡らしていた。
季節は真夏。
連日の熱帯夜は夜でも地表を覚ます事はなく、新しい太陽を迎えてしまう。
今日も、これからどんどん気温は上がっていくだろう。
「水でもあびるか」
タツマには朝のシャワーを浴びる習慣はないが、それほどに今日は蒸し暑かった。水でも被ればきっと気持ちがいいだろう。そう思って、タツマは朝一番に、浴室へと向かった。
しかし洗面所へと移動したとき、タツマはわずかな違和感を覚える。
脱衣場から風呂場へと続くドア、そのすりガラスが僅かに明るく見えたのだ。日の光とはまた違う、蛍光灯の明かりである。
誰か中にいるのだろうか。
誰かがいるとすれば、答えは一つだ。
「オルタ様ー?」
タツマは守護神の名を呼ぶ。
出会ってから三週間、タツマの家で共に暮らす女神の名を。
タツマの守護神であり、今では大切な同居人。それが女神オルタである。
全身髪のオルタではあるが、風呂にもちゃんと入る。
タツマが床に就いた後、小さな水音がぴちゃぴちゃとする聞こえるのは、どうやらオルタが風呂に入っているらしい。
しかし、オルタが風呂に入るのはいつも深夜、タツマが眠りにつくころである。
一番風呂など自分にはもったいないというのが、オルタの弁である。
「オルタさまー?」
もう一度名を呼ぶが、返事はもちろん、何かが動きだす気配もない。
滅多に声を出さぬオルタとはいえ、中にいればノックぐらいは返してくれるだろう。
「昨日、電気消し忘れたかな?」
タツマは念のため、もう一度「入りますよー」と呼びかけた後、風呂場への扉を開けた。
そこは二畳一間のバスルーム。
浴槽の中で守護神が、パンパンに膨らんでいた。
「ヒッ」と、タツマは喉の奥で悲鳴を上げた。
タツマのバスルームが、黒い髪に支配されていたのだから。
まず目についたのは浴槽の中、一際大きな黒い塊である。巨大な毬藻のように浴槽に浮かんでいる黒い髪の塊、そこ始点に大量の髪の毛が、あらゆる方向へと広がっていた。
束になった髪の毛は、広がるにつれて細く細く枝分かれして活き、タイルとタイルの隙間をつたって、床も、壁も、全てを覆い尽くしていた。
昨晩からずっとこのままなのか、オルタの髪から出汁が染み出し、浴槽の水を黄色く染めていた。
「オ、オ……、オルタ、さま……?」
奮える声で呼びかけるが、返事はない。オルタは微動だにしない。
タツマはそこでようやく、オルタの様子が何かおかしいことに気が付いた。
「オルタ様、……オルタ様!? 大丈夫ですか? オルタ様!」
水の中に浸かっているオルタはどうみても土座衛門だ。
ひょっとして、オルタの身に何かあったのかもしれない。
タツマはバスルームに踏み込むと、パジャマが濡れるのをいとわず、オルタを浴槽から拾い上げた。
風呂の水をたっぷりと吸い込んだオルタは、見た目よりも遥かに重い。
タツマはどうにか浴槽から風呂場のタイルへとオルタを引きずりおろすと、髪の毛の房をぴちぴちと手のひらで叩いた。
「オルタ様! オルタ様! しっかりしてください!」
水をたっぷりとすった髪の毛からピッチャピッチャと水滴が迸るが、オルタからの反応はない。
息はしているのだろうか、そもそもオルタは呼吸をするのだろうか。
救急訓練は一通り受けているタツマではあるが、髪の毛だけの女神に対する処置のしかたなど知るわけがない。
タツマにはただ、オルタの名を呼ぶことしかできない。
そしてタツマが何度か呼びかけた後、オルタの髪の一房が、ピクリと動いた。
髪の一房が、むっくりと、まるでアンテナのように立ちあがると、ぐるりと周りを見渡すように回転し、そしてタツマの方角を向いたところで、ピタリと止まる。
そして、
「きゃッ」
と、どこからか小さな声がきこえた。
タツマは慌てて手を放すと、オルタはずるずると重たそうな体をひきずって脱衣所へと這い出していった。
「……え、ええっと……?」
タツマは何一つ状況が呑みこめず、びしょ濡れのパジャマを纏ったまま、バスルームの中で立ち尽くす。
その後暫くすると、バスタオルをぐるりと巻き付けたオルタの塊が、コックリさんセットと共に再びバスルームへとやってきた。
す み ま せ ん
き の う お ふ ろ で
の ぼ せ て し ま っ て
オルタはぺこぺこと、髪の束を折るようにして、タツマに何度も謝ってくる。
「……何事もなくて、……よかったです」
同居生活にハプニングはつきものである。
何かがおかしいと思いながら、タツマはようやく、それだけを言った。
5月30日。
魚里高校ダンジョン部!(2) 『軍艦迷宮の幽霊部員』本日発売しました。
二巻の発売祝いに、ヒロインにも一肌脱いでもらいました。
書籍版では、オルタの可愛い写経シーン(ロリ挿絵付き)も見られます!
いい作品ができました、どうか、読んでみてください。