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第2話 アウト・ロー

「お茶、買ってくるわね。ウィリスは緑茶で、須田君はスポーツドリンクの方がよかったかしら?」


「あっ、コーサ先輩!? い、いえ! お構いなく!」



神妙九児に気を取られ過ぎていたせいだろう。タツマはそこで初めて、病室にいるもう一人の存在に気が付いた。


壁の隅に、まるで一輪挿しの花のように立つ女性がいた。

コーサ・レナーデ。魚里高校の三年生マネージャーで、部の医療係を務める人物である。

額の中央に生える小さな角が特徴のユニコーン族の女性で、しとやかな容姿に、おっとりとした控え目な性格をしており、ウィリスとはまた別のタイプの美人である。



「すまないな、コーサ」


「謝らないでよ、私が好きでやっていることだもの」



コーサは九児に向けて柔らかく微笑むと、病室の外へと消えていった。

マネージャーとして、誰にでも分け隔てなく優しいコーサではあるが、九児に対するそれは、彼女がタツマ達部員に向けている表情とは、別種の物を感じた。


そういえばと、タツマは思い出す。

神妙九児とコーサ・レナーデは恋人同士なのだと、何かの拍子に噂で聞いたことを。

三年生のキャプテンと、三年生のマネージャー。美男美女というだけでなく、纏っている空気も、これ以上なくお似合いな気がした。



「こらウィリス、タツマ君の分も残しておけよ」



九児の声で、タツマは自分の隣にいるもう一人の美女の方を振り向いた。

五袋入りのお菓子の大箱。ウィリスは既に四つを平らげ、最後の一袋に手をかけていた。一つ一つがそれなりのボリュームの殿さま巻き。中々の健啖ぶりだった。



「あ、俺は本当にいいですから。ウィリスさん、食べてくださいよ」



長い部活の後、お腹が空いていないといえば嘘になる。

しかし初対面の先輩の病室で見舞いの品を喰い散らかすほど、タツマは礼儀知らずでもない。



「本当に、遠慮なんてしなくていいんだよ、タツマ君。動けないくせに、見舞い品だけはいくらでも溜まっていくんだよ。部の備品みたいなものだと思って、食べてくれよ」



九児はそういうと、傍にあったおかきの箱をタツマの方へと勧めて来た。これ以上断るのは逆に失礼に当たるだろう。お腹の虫も、限界だ。



「そういうことなら……、すみません、一つだけ頂きます」


「ツンツン頭くん」



九児の方へ手を伸ばそうとした矢先、隣のウィリスに呼びとめられた。自然と振り向いたタツマの口に、ぐいッと何かが突っ込まれた。


ウィリスがタツマの口に放り込んだのは殿さま巻きの最後の一つ。

ウィリスのお気に入りだという、大きなお菓子だ。

タツマは口に放り込まれたそれをいったん手で取り出すと、ウィリスを見つめ返して、こう言った。




「……袋は、食べられませんから」



「…………忘れてた」



ナイロン袋をびりりと開けた後、タツマの胃はようやく食べ物にありついた。










夕陽はすでに沈み、空には一番星が顔を見せている。

病室には煌々と明かりが照らされ、三人の三年生と、一人の一年生が、お茶と茶菓子を囲みながら、明るい声で会話を交わす。



「そういえば、ウィリスはなんで須田君のことをツンツン頭って呼んでいるの?」


「俺も気にかかったな。別にタツマ君、そんな頭してないだろ?」



茶菓子とお茶で、一通り胃を落ちつけた頃、コーサと九児が不思議そうにウィリスに尋ねた。



「ツンツン頭君が、ツンツン頭君だっただから」



ウィリスの不可解な返答に二人は困ったように顔を見合わせると、助け船を求めるようにタツマの方へと目線を映した。



「……ええっと、俺、三年前に中学時代のウィリスさんと対戦したことがあって、その時のおれ、坊主頭だったんですよ。たぶんですけど、その時の印象が強いんじゃないかと……」


「そう」


ウィリスが我が意を得たりと頷いた。


ウィリスがタツマのことをツンツン頭と呼ぶ理由は、中学時代のタツマの髪型にある。カヤにはバフンウニとも呼ばれていた、剛毛でツンツンと逆立った坊主頭がその由来なのだ。



「でも、それって昔の話なのでしょう?」



コーサがやはり腑に落ちないという風に、頭を傾げた。

コーサの言う通り、今のタツマはもはやツンツン頭ではない。

中学二年の時に、タツマは両親を事故で失くした。

月に一度はタツマの髪をバリカンで刈り上げてくれていた母親もいなくなった。

自然と髪は伸びて、床屋に毎月行くようなマメさもなく、タツマはツンツン頭ではなくなった。



「そうなんですよね。そういうわけでウィリスさん、そろそろ俺のこと、ツンツン頭って呼ぶのやめてもらってもいいですか?」


「……なんで?」



ウィリスの無表情が、少しだけ不機嫌そうに見えた。



「いや、何でって言われても……。俺、もうツンツン頭じゃないじゃないですか。ツンツン頭じゃないのに、ツンツン頭って呼ぶの変だと思いますよ。神妙先輩やコーサ先輩もおかしいって言ってますし……」



タツマの言葉に、ウィリスは「むぅ……」と口の奥で何か不満げな声を漏らすと、ぷいっとタツマの側から立ち上がり、病室の隅の方へと移動した。


何故だかわからないが、どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。

タツマがダンジョン部に復帰して二週間が経つが、ウィリス・野呂柿という人物は、未だにタツマには要領がつかめない。



「気にしなくていいよ、タツマ君。たまにあんな感じで不機嫌になるんだ。ほっとけば、適当にその辺で食べ物でも見つけてきて、一人で機嫌治すから」



「いや、猫や犬じゃないんですから、そんな……」




「そんなことあるわけが」と続けようとしたが、ウィリスは部屋の隅でガサガサと何かを漁り始めた。

九児は「ほらね?」と、タツマに微笑みかけた。


ウィリスが漁っているバッグは恐らくは九児の私物であろうが、特に注意するそぶりもなかった。

今は病院住まいだが、九児も元々は寮生である。伊達に三年間、魚里一の無法者と同じ寮で暮らしてはいないということだろう。


本当に気にしなくてよいみたいなので、ならばと、タツマはウィリスから目線を切った。



「それで、神妙先輩。俺に何か用があるって、ウィリスさんから聞いたんですけど。」


「ああ、そうなんだよ。どうしても会ってお礼を言いたくてね。本当はこっちからタツマ君に会いに行きたかったんだけど、今は動けなくてね、呼びつけてしまって、すまなかった」


「いえ! このくらい大丈夫ですから! というか俺、神妙先輩に礼を言われるようなこと何も」


「もみじのことだよ」


「もみじ先輩の?」



九児はベッドの上で上半身を気だるげに起こした体勢から一度姿勢を正すと、タツマを真っ直ぐに見つめて、こう言った。



「もみじが部に復帰したんだってね。主将キャプテンとしてお礼を言いたい。本当に、ありがとう」



九児は深々と頭を下げると、「役立たずのキャプテンだけどね……」といたずらっぽく付け加えた。



「あんなことがあったからね、もみじのことはずっと気にかけてたんだ。亡くなったカエデさんの為にも、何度か部に復帰できるように俺も誘ってはいたんだけど、俺なんかじゃどうしようもなくて。本当に、感謝しているんだ。」


「あ、いや。俺は別に、何も……」


「バーンが言ってたんだよ。何があったかは『言えない』らしいけど、全部タツマ君のお蔭だって。タツマ君ともみじの間に何があったかは知らないし、これ以上は聞かないけれど、お礼だけは何度でも言いたいんだ。ありがとう、タツマ君」



九児はそう言って、再び頭をさげた。



軍艦病院とカエデの物語を知っているのは、この世界に10人程しかいない。

軍艦迷宮が滅んだ日、無謀な冒険者達は、その日の出来事を絶対に誰にも話さないと、全員で約束したのだから。

例えそれが、同じ部活の仲間でも、例外はない。

自分達が隔離迷宮に立ち入ったことが明るみに出れば、甲子園出場資格の取り消しは免れないだろうから。

主将である神妙九児ぐらいには話してもよいと思わないでもないが、バーンが話さなかった以上、タツマも話すわけにはいかない。

実はもう一つ、バーン達ですら知らない事実もあるのだが、これは当人の意志で、もみじとタツマの間だけの秘密になっていた。


だから今、深々と頭を下げる九児に、タツマは何も言葉を返せなかった。



「それでね、お礼というわけではないんだけど、俺がタツマ君にあげられるものなんて、こんなものしかないんだけど……」



そう言って、九児がベッドの側のサイドテーブルへと手を伸ばそうとしたときだった。


タツマを見つめる九児の金色の瞳が、縦に大きく開かれた。



「避けろぉッ!! タツマ君!!」



九児の鋭い警告で、タツマは反射的に身を屈めた。

同時に、チェーンソーにも似た不気味なモーターの駆動音が、タツマの頭のすぐ上を掠めて行った。

不意打ちは何とか躱したが、タツマは体制を崩し、長椅子の上から転げ落ちた。

そのまま病室の床で反転すると、自分の頭を刈り取ろうした者の正体を見た。



「ウィリス、……さん?」



ウィリス・野呂柿。通称氷のヴァルキューレ。氷柱のように鋭い瞳で、ウィリスはタツマを見下ろしている。



「ツンツン頭じゃなくなったなら……」



彼女の右腕には、駆動する銀色の塊が握られている。



「ツンツン頭に……、すればいいッ!!」


「やめて下さい! そんなもので刈られたら、ツンツンどころかツルツル頭になっちゃいますよ!」


「……なあウィリス。俺の髭剃り、返してくれないか?」



ウィリスとタツマとタツマの髪一重の攻防は、九児がナースコールを押すまで続けられた。







「……今日は本当にすみませんでした、お騒がしてしまって」


「タツマくんが謝ることじゃないよ。悪いのはそこにいるワガママ娘だから」


「ツンツン頭の方が……、かわいかったのに……」



厳しい目をした看護婦が、先ほどからヒソヒソとタツマ達の様子をうかがっている。


面会時間も終了間近。ウィリスのゴタゴタと、その後散らかした病室の片づけのせいで、時間がずいぶんと立ってしまった。


全国ナンバーワン遊撃手であった神妙九児に会えるということで、タツマも色々と聞きたいこともあったのだが、会話はほとんど進まなかった。



「その、神妙先輩。よかったら俺、また来てもいいですか?」


「ああ! いつでも来てくれよ。ここは暇なんだ。試合の話とか、タツマ君から見た部の皆の話とか、俺にも色々と聞かせて欲しい」


 

九児が差し出した手を、タツマはしっかりと握り返す。

手の平の皮が恐ろしく分厚かった。それが九児の、ベストプレイヤーと呼ばれた男の、これまでの鍛錬の成果なのだろう。



「それじゃあタツマ君、ウィリス! 準決勝、がんばってくれよな! テレビ越しだけど、応援してる!」



九児はそう言って、明るく手を振った。

サヨナラの挨拶をタツマはお辞儀で帰した後、病室の扉を閉めた。





パタンと、扉が閉まる音がした。



「よかったの? 九児」



窓際の壁に寄りかかりながら、黙って成り行きを見ていたコーサ・レナーデが、そう、呼びかけた。



「何がだい? 」


「渡すつもりだったんでしょ? それ」


コーサが目線を投げかけた先にあったのは、サイドテーブルの上にある、ゼッケン4番。それは神妙九児が一年の時からつけていた、ゼッケン番号である。



「なんでもお見通しだな、コーサには」



九児は自身のゼッケンを手に取ると、蛍光灯の明かりに透かすように両手で掲げた。

白い記事の中、4と書かれた大きな番号が、そこだけ光を吸い込んで、九児の顔に影を落としていた。



「そのつもりだったんだけどさ、一度タイミングを逃すと、渡せなくなった」


「ふふっ、そういうこと、あるわよね」



コーサは笑ってそう言った。確かに、ウィリスの起こした騒動のせいで、ゼッケンを渡せるような雰囲気ではなかっただろうから。



「いや、そういうことじゃないのさ。惜しくなったんだよ。今更なのに」


「惜しくなった?」


九児は首をゆっくりと縦に振ると、ゼッケン4番を手元に引き寄せた。



「自分以外の誰かが、このゼッケンをつけてプレイしているところを見たくなかったんだ。俺がいた場所で、行きたかったあの場所で、このゼッケンをつけて、自分以外の誰かがプレイしている。それを想像したら、悔しくて、嫉妬して……、この番号を渡せなかったんだ。……呆れるだろ? そんな小さくて、くだらない男だったんだよ、俺は」


「九児……」


「守護神に見放されたのも、あれだけ五月蝿かったプロのスカウト達に見切りをつけられたのも、俺がこんなちっぽけな男だったからかもしれないな」



九児はそう言うと、窓の外を見た。窓の外には、満月から幾分欠けた月が顔をのぞかせていた。

九児の守護神であった狩猟女神・アルテミス。月の女神でもある守護神は、九児がアキレス腱を怪我したときに、彼への興味を失った。



「……見放さないわ。私は、絶対に」



窓に映る二人の影が、一瞬、重なった。









「いい人でしたねー。神妙先輩」


「……うん、おじいちゃんみたい」


「いや、おじいちゃんは神妙先輩に失礼でしょうが」



タツマとウィリスは病院の廊下を歩いている。蛍光灯のならぶ病院は、夜でも明るく照らされている。

並んで出口へと向かおうとしたとき、ウィリスがふと、立ち止まった。



「どうかしましたか? ウィリスさん」


「……トイレ行くの、忘れた」


「それじゃあ今の内に行ってきてくださいよ。俺は外で待ってますから」


ウィリスはコクリと頷くと、入り口の側にあるお手洗いへと向かって行った。





タツマが外に出ると、外は既に真っ暗だった。

病院の廊下からこぼれ出す光が、周囲をぼんやりと浮かび上がらせている。

昼間は虫の声が喧しい季節ではあるが、夜は流石に蝉達も休んでいる。



そんな中、病院の入り口の脇に、しな垂れた柳のように頭を下げながら、壁にもたれかかっている少年が目についた。


いや、少年ではないか、少女かもしれない。


枯草色のざんぎり髪は、女性としてはベリーショート、男にしては幾分長い。

来ている服はジャージの上下。どこかの高校のが指定のものだろうが、ジャージ故に男女の区別はわからない。

凹凸の少ない体は女だと言われればそうかとも思えるし、男だと言われても納得ができる。

タツマよりも背は一回り低いが、中学生ではない気がした。

タツマの視線を感じたのだろう。その少年、あるいは少女か、その人物が顔を上げたことでと、タツマと目線が交錯した。

そして一瞬、あっと驚いたような顔を浮かべると、どう猛さすら覚える金色の瞳で、憎々しげにタツマを睨み付けた。




「インチキ男」




犬歯の覗く口から零れた言葉は、タツマには確かにそう聞こえた。


タツマが何かを言い返す前に、彼か、それとも彼女か、その人物はくるりと踵を返すと、ジャージのポケットに手を突っ込みながら、夜の闇に消えていった。



「どーしたの? ツンツン頭君」



服の背中の辺りをくいくいと引っ張られた。気が付けばすぐ後ろに、お手洗いを終えたウィリスがいた。



「あ、いや、なんでもないです。……なんでも」



先ほどの人物にはタツマは見覚えはない、「インチキ男」と誰かに罵られるような覚えもタツマにはない。


聞き間違えか、あるいは人違いだったのか。

間違いだとしても、ああもはっきりと不の感情を向けられるのは、タツマとてあまり気持ちのよいものではなかった。



「たぶん、人違いですから……」



そう言いながらも、背中に何か、冷たいものが走っていく……。





「あのぉ……、手はちゃんと拭きましょうね、ウィリスさん」



「ハンカチ、忘れたんだもん」



タツマの背中を掴むウィリスの手から、水がぽたぽたと滴っていた。







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