第1話 ベストプレイヤー
最高の選手。
神妙九児という選手について語るならば、この一言で事足りる。
神妙九児 二年 魚里高校
種族・獣人(狐)
ポジション・遊撃手
身長・189cm
速さ、強さ、技術、試合勘。すべてを兼ね備えているヒロシマのベストプレイヤー。
これが去年の夏。高校のダンジョン競技を特集する、某有名雑誌に記されていた神妙九児のプロフィールである。甲子園全国大会を控え、各地の地区予選に参加する有力選手を集めた記事。全国に数多いるグッドプレイヤーの一人として、顔写真すら張られていない小さな記事だった。
ヒロシマでは既にその名を知らしめていた九児だったが、当時の彼は全国では未だ無名の選手だった。どんなに優れた名手であっても、甲子園に出場経験のない選手というのはそういうものだ。
当時の三年生で、一年の時に甲子園出場経験のあった主将の万十カエデが、明るい笑顔と共に丸一ページ特集を組まれていたことに対し、九児はウィリスやバーンと共に、ヒロシマの有力選手の一人として、20人で1ページを分け合っていた。
そして地区予選の最中、カエデを失った魚里高校が甲子園出場を逃した後は、高校ダンジョン競技のファン達の誰も神妙九児の名を思い出す者はいなかった。
そんな彼がダンジョン競技の表舞台に現われるのは、夏の甲子園大会終了から一か月後のことだ。
秋に開催されたダンジョン競技の世界大会に、神妙九児は全日本の選抜メンバーに選ばれた。
U18のダンジョン競技ワールドカップ。
全国の高校生から選ばれた20名の選抜チームで参加する、秋の世界大会である。
夏の甲子園大会の一か月後に開催される大会は、甲子園でしのぎを削り合ったオールスターが力を合わせて世界の強豪達に挑む、言わば甲子園のアンコールの舞台だ。
甲子園に出場した強豪校の選手達がズラリと名前を揃えるライナップの中で、九児はただ一人、甲子園未出場の選手だった。
甲子園に出場できなかった神妙九児がなぜ代表に選ばれたのか。
全日本選抜を率いるのは、その年の甲子園の優勝チームの監督である。
甲子園に出られなかった九児を出場させることで、これが甲子園の選抜ではなく、全日本の選抜なのだと周囲にアピールしたかったのかもしれない。
あるいは来年に備えて、ヒロシマで噂の神妙九児というプレイヤーを見て見たいとおもったのかもしれない。
選ばれた過程や裏事情はともかく、結果は誰もが知っている。
U18の世界大会で、未だ二年生の無名選手が、MVPを獲得した。
神妙九児に与えられた二つ名は『ベストプレイヤー』
それは彼が初めて雑誌で紹介された時の短い一文からとった物であり、
同時に世界最高の選手であることを意味している。
甲子園を目指す何万人というの選手達の中で、たった一人が受け取ることのできる唯一無二の二つ名。
しかし今、その二つ名で彼を呼ぶものは誰もいない。
今から三週間前、神妙九児はアキレス腱を断裂し、同時に狩猟神アルテミスの守護を失った。
ダンジョン競技の全ての才能を一つに集めたとも言われていた天才は、自身の肉体と守護神に裏切られ、右足の自由を失い、練磨した数多のアビリティーを失った。
ベストプレイヤーだった男、神妙九児。
タツマにとって雲の上よりもさらに遠かった存在は、今、ベッドの上に右足を縛り付けられたまま、タツマの前にその姿を曝け出している。
「初めましてタツマ君、キャプテンの神妙と言います」
病床のベストプレイヤーは、そう、微笑みかけた。
△
▽
美しい。
タツマの九児への第一印象は、「美しい」だった。
神妙九児は歴とした男性であるし、もちろんタツマにその気などない。
ただ、間近で見たその姿に、言いようのない美しさを感じてしまったのだ。
鼻筋をハッキリと主張する堀の深さと、柔らかい顔の輪郭が絡み合った、中性的な顔立ち。
切れ長の瞳は鋭さよりも優しさを湛え、
満月の光を集めて梳いた様な、柔らかい白銀色の髪。
理想的な長身に無駄のない肉付きは、病室には不釣合いに健康的で、
ベッドの上から半身を起こしているだけの体勢が、ルネサンスの彫刻のように自然で、静かであった。
守護を失い、右足に嵌められた無骨なギプスという異物を差し引いてなお、神妙九児は美しかった。
もちろん、タツマにとって九児の姿を見るのは初めてではない。
雑誌の写真で、あるいは観戦にいったスタジアムのスクリーンで、彼の姿を、プレイを見たことは何度もある。
しかしこうして同じ空間で、目と目で向き合って声を交わし合うことは、タツマにとっては初めての経験となる。
九児の存在に、目の当たりにした輝きに、タツマは一目で呑まれてしまった。
初めましてと柔らかく微笑みかけて来た神妙九児に、タツマは吃った掠れた声で、「失礼します」とようやく一言を絞り出すのが精いっぱいだった。
病室の入り口で、扉を閉めるのも忘れて立ち尽くしてしまっていた。
「九児、あんこは?」
「ここにあるよ。ほら、ウィリスのお気に入りの殿さま巻きもある」
そんなタツマを尻目に、連れ添いで来たウィリスが一人、ペタペタとスリッパを鳴らしながら九児の元へと向かっていた。
ウィリスは九児のベッドの側にある長椅子にストンと腰を落として陣取ると、ビリビリと何かの包装を破り捨て、箱の中の手のひらほどはある何かを取り出して、パクリとかじりついた。
ウィリスの白い手が握りしめているのは、ヒロシマ銘菓の一つである殿さま巻き。カステラの中におもちと餡子がたっぷりと詰まった。殿様の名に恥じぬ大型のお菓子だ。
「タツマ君もどうぞ。餡子が苦手ならカスタードもあるよ。それとも、しょっぱいものの方がいいかな? おかきだってあるし、えびせんだってある」
「あっ、い、いえ! お構いなく。結構です! お腹空いてませんから!」
九児は明るい笑顔と共に、タツマに向けて大きなおかきの箱を掲げたが、タツマは病室の入り口に立ち尽くしたまま、直立不動の姿勢でそう答えた。
九児は「そうかい?」と、少し困ったように笑うと。掲げていたおかきの箱をベッドの脇に静かにおいた。
「ツンツン頭君」
呼ばれてウィリスの方へと視線を移す。
ウィリスはタツマの方へ向け、くいくいと、まるで招き猫のように左手を前後に動かした。
『こちらに来い』ということなのだろう。
タツマはウィリスに導かれ、ようやく病室の奥へと、九児の元へと歩を進めた。
タツマが長椅子の側まで近づくと、今度はぽんぽんと、ウィリスは自分が座る長椅子の側を叩いた。
『ここに座れ』ということなのだろう。
タツマがウィリスの側に降ろすと、九児は少しだけ目を丸くした後
「お気に入りかい? ウィリス」
と尋ねた。
ウィリスは口いっぱいに詰まっていた殿さま巻きをゴクンと呑みこむと。
「……そう」
と頷いた。
「(ウィリスさんは随分と殿さま巻きがお気に入りなんだな)」
と、タツマは思った。