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プロローグ 不動と無法のライバル争い


好敵手ライバルという言葉がある。

仕事でも、勉強でも、もちろんスポーツでも、そこに争う要素があるのなら、ライバルは常に存在しうる。


生きることは戦いだという言葉もある。

ならば人は生きている以上、ライバルと争い合うことは避けられないのではなかろうか。

その争いが、望むもの、望まぬものに関わらず。


負けられない、負けたくない。

エゴと意地から産まれる争いは、幸せな切磋琢磨か、あるいは不幸ななじり合いか。

どちらにせよライバルの存在というものは、戦いの危険な劇薬となる。


喉を焼くほどに熱いクスリは、戦士達の胸に火をつけ、どこまでも速く加速させる。

抜きつ抜かれつの競り合いの中では、ライバル同士、足を休ませる余裕などない。



100メートル、6秒43。



今から一年前、非公式ながら当時の中学生の全国最速ラップを叩きだした少女がいた。

陸上という競技の特性上、守護や魔法を用いた記録は参考記録にしかならないが、全国180万人の中学生達が、誰一人彼女と肩を並べることはできなかったのだ。


その少女の名は風坊カヤ。

韋駄天の守護を持つ天狗の娘に、争える者などだれもいなかった。

遥か後方で響く足音をさらに置き去りにし、向かい風を追い風に変え、少女は誰よりも速く、誰よりも前を走り続けていた。

中学の頃のカヤにライバルなど存在しなかった。

彼女はいつだって、たった一人の一番だったのだから。



ただしそれは、『中学まで』はという但し書きがつく。



天狗は慢心の種族である。

カヤは慢心しきっていた。



高校と中学では、レベルが全く違うのだ。

少年少女の肉体が、大人へと変わる高校生。

中学生の物差しで測れば、高校生はバケモノばかりだ。



それでもカヤは慢心していた。


『このままでいい。これで十分』


高校生になって既に三か月以上が過ぎたというのに、風坊カヤという少女は完全に足をとめていた。

加速する時間の中で、カヤの時間タイムだけは、いつまでも中学の時と同じままだった。

だから少女は、後ろから忍び寄り、追い抜こうとする影に、全く気がついてはいなかった。



一番前を走っていたはずの少女は、立ち止まっている。


今もまた、校庭の隅で、二つの足をぴっちりと揃えたまま、立ち止まっている。


前に回した両手でもっているのは中学の頃から使っている大きなボストンバック。

中には同じく、中学の頃から愛用している山伏装束の冒険者服が詰まっている。


最速の少女は、もう、一年も前から足を止めている。



「ちょっと、早すぎちゃったかな?」



耳の下にもたれかかった髪の一房をかき上げながら、カヤはそう呟いた。

たそがれの光が、誰もいないグラウンドと、カヤの赤い髪をいっそう赤く染め上げる。

深い森のような緑の双眸が見つめる方角には、四角いコンクリートの建物がある。

建物の正面、二つの金属製の扉には、『男子更衣室』『女子更衣室』と書かれたプレートがそれぞれぶら下がっていた。

カヤが見つめるのはそのうちの一つ、男子更衣室の扉である。

カヤが立ち止まっている理由。それは、あの扉の向こうに待ち人がいるからに他ならない。


「髪ぐらい、といとけばよかったかな」


待たせたくなくて、時間がもったいなくて、つい浮き足立ってしまった。

今日は日曜の放課後だから、時間はたっぷりあるはずなのに。

練習の合間に、と交わした軽い約束。


「後でご飯食べにいこうよ、タツマ」


そんな小さな約束だけで、少女の心は今、トクトクと高鳴っている。



風坊カヤは慢心していた。



『このままでいい。これで十分』


些細な幸せに満足し、少女は足を止めている。

中学の頃から何一つ進歩していないというのに、自分から前に出ようとはしない、最速の不動の少女。


このまま、この位置のまま、彼に一番近いはずのこの場所にいれば、いつか何かの拍子に、ぴったりとくっつくことができるのではないか。

あるいはある日、向うからそっと近づいてくれるのではないか。


そんな都合のいい期待や妄想を毎日抱きながら、カヤは足を止めていた。

中学の時と同じ立ち位置で、自分からはそれ以上は前に進もうとしない。



つまるところ、カヤは今でも中学レベルなのだ。



彼女が一番前を走っていたのは中学時代までの話。

中学時代のアドバンテージなど、あってないようなものである。

中学の恋愛と高校の恋愛では、その質が全く変わってくる。

高校生というのは、子供から大人へと急速に時間が加速するのだから。



カヤの見つめる先で、カチャリとドアノブが回る。


「……お疲れ様でしたー。お先失礼しまーす」


金属扉の向うから聞こえる声は、聴き間違えるわけがない、彼の声だ。


息を吸い込む。「タツマ」とその名を呼ぶために。


その名を口にするだけで、カヤは幸せになれるのだから。


「タ……」


カヤの言葉がそこで止まる。いつの間にか後ろから近づいていた誰かが、自分のすぐ目の前に躍り出たのだから。

誰かのうなじが視界がカヤの視界を塞いでいた。そのうなじがあまりにも綺麗だったから、カヤは言葉を失くした。


淡雪のように白く柔らかそうなうなじは夕焼けの色で、桃色に染まり、女のカヤから見ても色気に溢れていた。

呆けながらも、カヤはその誰かの正体を後ろ姿だけで判断する。

こんなに綺麗な肌の持ち主など、ダンジョン部では一人しかいないのだから。


ウィリス・野呂柿。通称氷のヴァルキューレ。

魚里高校ダンジョン部に所属する、超高校級のバケモノの一人である。


カヤの目の前に躍り出たウィリス。

今、二人の差は18cm。

その数字は足を止めていたカヤがウィリスに許した僅かなリードであり、

中学レベルのカヤのバストに突き付けられている、絶望的な差でもある。



扉が開く音がする。

カヤの待ち人が現われたはずなのに、カヤからはウィリスのうなじしかみえない。


そして氷のヴァルキューレは、カヤに自慢のうなじを見せつけながら、はっきりと、こう、言ったのだ。




「ツンツン頭くん、付き合って」







「ツンツン頭くん、付き合って」




氷のヴァルキューレ、ウィリス野呂柿のその一言は、一瞬で世界を氷にした。


タツマと同時に更衣室から出て来たイクアラに金太、バーンにアイアンにコールといった面々が、一斉に足を止めて固まった。

既に着替えを終え、練習後に皆に甘いパンを渡そうとしていたカリンが、カリンのパンを申し訳なさそうな笑顔で受取ろうとしていたもみじが、スポーツドリンクを飲んでいた金敷が、最後に扉から出て来たひょっこりと出て来たイリアが、皆、氷のように固まってしまった。


まったりとした夏の夕方を一瞬で氷づけたウィリスは、数歩タツマの元に歩むと、念を押すようにもう一度こう言った。


「ツンツン頭くん、付き合って」


氷のヴァルキューレ、ウィリス・野呂柿のもう一つの二つ名は精密機械。

その由来は、針の目を縫うような魔法のコントロールにある。


コントロールに絶対の自信がある彼女はいつだってアウト・ローだ。

魚里高校ナンバーワンのアウト・ロー。

無法者アウト・ローのウィリスは、周りの空気など読みはしない。



凍り付いた空気の中、動くことができたのは当事者の男と女、ただ二人のみ。

二人はそれが当然のように、二人だけの空間の中で、二人だけの、言葉を繋ぐ。



「付き合うって、どこへですか」


「魚里総合第一病院」


「病院って……、どこか悪いんですか!? ウィリスさん!」


「ううん。九児が会いたいんだって、ツンツン頭君に」


「九児って……神妙先輩のことですか!? 行きます! 行かせてください! 今から言って大丈夫なんですよね!? すぐ行きますから!! …………あっと、わりいカヤ。そういうわけだから今日はイクアラと二人だけでメシ食いに行ってくれよ。……それじゃあ行きましょう! ウィリスさん」



そして男と女は、夕暮れのグラウンドを早足で横切っていた。

並んでいる二つの影は、寄り添い合うこともなく、一定の距離感を保ち続けている。


二人の姿が校門の外に消えた時、凍り付いていたその他の人間が、魔法が解けたように動き出した。




「……まあ、そりゃあそうじゃろな」


「ちっ……、くだらねえ、期待させやがってよぉ。おい、とっとと寮に帰るぞ、アイアン、コール」


「うむ……」


「でもびっくりしたなあ、変異体に襲われた時と同じぐらいビビったよ」


「それは流石に言いすぎじゃないですか? コール先輩」


「あははっ! でも本当にウィリスさんとタツマ君がそうなったらびっくりどころの話じゃないよねえ。ねえ、もみじちゃん」


「びっくりというか、本当に……、後で姉さんになんて報告すればいいのかと……」


「え、ええっとぉ……、そ、そうじゃ! ナイターが始まるけん!」




最後にその場に取り残されたのは、赤髪の少女ともう一人。

カヤはふーっと長い息をつくと、なんとも言えない表情でこちらを見つめているリザードマンの親友の眼差しに気が付いた。



「大丈夫、大丈夫……。まだ、まだ余裕はあるし」


「…………ふむ、手遅れにならんうちにな」



魚里高校最速の少女・風坊カヤ。監督の厳島は彼女の能力をこう評している。


「もう少し、自分と周りが客観的に見えるようになれば、最高のプレイヤーになれるのだけど」


と。




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