第4話 勝利を呼ぶプロポーズ
タツマへと飛びかかった石蛇を、イクアラのショルダータックルが吹き飛ばす。
右手からタツマの首元を狙っていた蛇の顎門は、カヤの作り出した風の壁に阻まれた。
中央を行くタツマは振り向かず、石畳を踏み潰すような力強さで駆け抜けていく。
迷いはそれだけ無駄な時間を生む。今やるべきことは、一刻も早く神殿まで辿り着き、あの短剣を引き抜くことなのだから。
陸上部として過ごした二ヶ月は無駄ではなかった。高い蹴り上げによる大きなストライドが、祭壇までの道のりを最速ラップで駆け抜けさせる。
全力の短距離走を助走に変えると、神殿の5段の階段を一気に飛び越した。
空を駆け上がったタツマは、着地した後も勢いを殺さずさらに前へと進んでいく。
正面の大石にタックルするような形でぶつかると、タツマはようやくその体を止めた。
目の前に横たわる真四角の正六面体は、御影石のように艶のある灰色の石だった。
タツマは息をつく暇も惜しんで、石の正面に突き刺さっている短剣の柄を両手で掴む。
「(いけるか!?)」
短剣を握りしめた瞬間に希望が見えた。剣はしっかりと石に刺さっているように見えて、実は幾分の遊びがあった。
グリグリと左右に刃を捻りながら、タツマは刃を引き抜いていく。
「(…なっ、固くなった!?)」
しかし抜刀まであと一歩というところで、鞘から伝わる負荷が一気に増した。
抜けづらくなったどころか、短剣は逆にタツマの手を引きずるように石の中へと戻ろう動き始めた。
なぜ短剣が勝手に動くのかはわからないが、そんな事は今のタツマにはどうでもいい。
短剣を引き抜く、ただそれだけしか今のタツマの頭にはないのだから。
逃がすものか。
タツマは剣を握る手にさらに力を込める。
片足を軸にして、もう一本の足で石を垂直に踏み込み、「ふんっ、ふんっ」と気合の息を吐きながら、タツマは短剣と綱引きをを始めた。
「くそっ、しぶとい…ッ」
タツマと剣の一進一退の攻防。それはまるで、ドアを無理矢理開けて中に入ろうとするセールスマンと、扉を必死で閉めようとする引きこもりの戦いのようにも見えたかもしれない。
もっとも、滑稽な見た目とは違ってタツマは至って真剣なのだ。
「ぐっ」
「つっ」
後方からカヤとイクアラの短い悲鳴が聞こえる。二人が蛇を抑えていられるのも限界だろう。
もはや一刻の猶予もない。もたもたしていれば、二人を失ってしまう。
気が付けば、タツマは叫んでいた。力の限り、心の限り。
「頼む! 女神様だろうが祟り神だろうがなんでもいい! 俺に力を貸してくれ! 俺にはあなたが必要なんだ! お願いだ! あなただけしかいないんだ!」
仲間のピンチを救えるのはここに封じられているという女神だけ。その気持ちを込めてタツマは叫んだ。
タツマの叫びは、聞くものが聞けば、まるで情熱的なプロポーズの言葉のようにも聞こえたかもしれなかった。
―スルリ―
唐突だった。
先程までの抵抗が嘘のように、あっさりと黒い短剣は抜けてしまった。
いや、短剣ではない。それは黒くて長い鞭であった。
しかし今、剣が抜けたことにホッとする間も、その形状に驚く暇もタツマにはない。タツマの視界は既にカヤを捉えていた。
カヤは棍を手放し地に転がっていた。
無防備なカヤに向けて、今にも石の蛇が襲いかかろうとしていた。
「カヤぁッ!」
『間に合ってくれ!』そう願いながら、タツマはコマのように体を捻ると、右手にもった鞭のような短剣を振りぬいた。
タツマの行動は、あくまで剣を抜くためのものであった。
岩に刺さった。鞭の最後の部分を抜き抜くだけの行動であったはずだった。
しかし、黒い鞭はタツマの行動よりも、タツマの願いに呼応した。カヤを助けたいという願いに。
振りぬかれた鞭はゴムのように長く伸び、タツマから遥か20メートル先で、飛びかかった蛇に絡みつく。
蛇は鞭を振りほどこうと、その身を激しく捩って暴れたが、その時、黒い鞭から青白い光が発せられた。
「この鞭、付与魔法付きか!?」
何の魔法が掛かっているのかは想像もつかないかったが、まるで青白い光に命を吸い取られたかのように、魔物は再び物言わぬ石像となった。
「タツマッ!」
地に転がっていたカヤが、タツマの方をふりむいて叫んだ。カヤが無事であったことにひとまずタツマは胸をなでおろしたが、休む間もなく、すぐに次の行動へと移る。
「イクアラ!」
射程が異常に長い付与魔法攻撃、タツマは手にもった黒い鞭の力に驚きながらも、もう一度その鞭を振るう。
二度目の攻撃は、背後からイクアラを襲おうとしていた蛇をしたたかに打った。
青白く光る鞭の一撃に、物理には絶大な防御力を誇っていたはずの蛇の巨体はぐらりと揺れて、重い音を立てながら、地に落ちた。
「タツマ!」
残る二匹の蛇はもっとも警戒すべき相手が誰であるかを悟ったのであろう。カヤとイクアラから目を離し、タツマのいる神殿へとすさまじい速度で這い寄って来る。
タツマは神殿の階段を一気に飛び降りながら、二匹のヘビ達に向かって、空から力いっぱい鞭を振り下ろす。
相手は二匹。鞭は一振り。そして黒い鞭は再びタツマの想像を上回る動きを見せた。
タツマの目の前で、一本だと思っていた鞭が二つに枝分かれする。二つの鞭の両端がやはり青白く光ると、それぞれ二匹の蛇の頭へと振り下ろされた。乾いた甲高い衝撃音が二つ同時に生まれる。
頭を打たれた二体の蛇は、調伏された獣のように頭を深く地に垂れ、動きを止めた。
そして今、四匹の蛇が全てただの石塊に変わっていた。呆気ないほどの逆転勝利に、勝ったという事実にもタツマは気が付かなかった。
「やったぞ! タツマ!」
「タツマ! 信じてた!」
友人たち二人の声で、ようやくタツマは我に帰る。
喜色を体全体で表すイクアラとカヤが、タツマの元へと駆け寄ってくる。遅れてタツマも二人の元へと走り出す。
三人は磁石に吸い寄せられるかのように一箇所へと集まっていく。生き残った喜びを分かち合う為に。勝利の抱擁を躱すために。
勝ち試合の後の抱擁は、三人にとって儀式にも近い約束事である。中学時代は、試合後によく三人で抱き合ったものだった。
「イクアラ! カヤ!」
しかし、タツマがイクアラとカヤの真ん中に飛び込もうとしたその瞬間、今度は磁石が反発し合うように、二人は横っ飛びでタツマの抱擁を回避した。
目標を突然失ったタツマは、二・三歩たたらを踏んだ後にようやく止まった。
「…っとっと、なんだよー、二人共」
まるで打ち合わせでもしていたかのように抱擁を躱した友人たちに、タツマは眉に皺を寄せながら振り返る。
二人にとっては軽い冗談なのかもしれないが、生死をくぐり抜けた戦いの後に、このイタズラはないだろうと、口を尖らせた。
きっと今、二人はこちらを見て笑っているのだろうと、そう思った。
しかしタツマの想像に反し、イクアラとカヤの二人は、恐怖に顔を歪ませながらタツマの方を見ていた。
「タ・タ・タ・タツマ‥、そ、その手に持っているものは何だ? 何なんだそれは!?」
「ち・ち・ち・近寄らないで! いやっ! タツマ! それをこっちに向けないで!」
「なんだよ二人共、これは鞭だろう? 柄だけは短剣みたいな形してる‥け…ど…?」
鞭のような短剣を、二人によく見えるようにタツマは自分の正面へと掲げた。その時タツマは、初めてしっかりと自分が手に持っているモノの形を見た。
それは基本的には黒い短剣で、しかし、短剣の刃からごっそりと黒くて長い大量の髪の毛が生えていたナニカだった。
「いやぁああああああッ!」
その悲鳴はカヤの物ではあったが、タツマの意識の光はそれを最後にフッと消えた。
地に倒れこむ時に、タツマの胸のポケットからパーソナルカードと呼ばれる身分証明書がポロリと落ちた。
気を失ったタツマは知る由もないことだが、タツマのカードはこう更新されていた。
【名前】須田タツマ
【種族】人族(純血)
【称号】藻女神オルタ・リーバと結婚を前提としたお付き合いを始めた人間 NEW!
【守護】藻女神の守護(極大) NEW!
【アビリティー】遠距離攻撃(髪) NEW!
ずーっと一緒(愛) NEW!