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第27話 女の敵



『迷宮は生きている』という言葉は誰もが聞いたことがあるだろう。



迷宮というこの世の不思議と仕組みを、一言で言い表した言葉である。。


しかし、その言葉の真の意味を理解している者は、現代に置いてほとんどいない。


神話の時代に生まれた言葉が、中世を経て、近代へと差し掛かると、誰もその言葉の真の意味を考えようとしなくなった。


ある種の比喩のような言葉だろうと、そう思うようになった。


今ではその言葉の本当の意味を理解しているのは、たとえばヤマトのように迷宮と共に生きてきた太古の種族に限られてしまっている。




迷宮は生きている。



生きているなら心もあるし、心があるから人格もある。


人格があれば性格もあるし、性格があるから表現もする。


表現するには思考をするし、思考をするから学びもする。



それが、『迷宮が生きている』という事だ。



それは狂った迷宮とて同じこと。

狂った迷宮は狂った迷宮なりに思考し、学び、表現する。

ねじ曲がった心で、ねじ曲がった己を表現するのだ。



迷宮は劣勢だった。

迷宮の花嫁を操りながら、命の危機を感じていた。

9人の侵入者を前に、自分を滅ぼす武器と意志を持つ相手を前に、怖れという感情を初めて知った。



恐れた迷宮は考える。生き残るために考える。

カエデは迷宮の物だ。カエデの思考と経験も迷宮の物だ。

よく見て、よく考える。それがカエデの座右の銘。

迷宮は、相手をよく見て、よく考えた。



結果は、こうだ。



男はダメだ。男はやはり旨くない。



幻覚に揺るがぬアイアンを、バーンを、タツマを見て、迷宮は思う。

旨くないからこいつらは要らないと。



女がよい。女はやはり旨い。



カエデの体を操りながら、迷宮は思う。



女ならば易い。

騙し易いし、操り易いし、狂わせ易いし、従わせ易い。



狂った迷宮は、女の扱いには自信があった。産まれて一年の癖に、カエデで女の味をしめていた。



女は心地よい。

叫びが心地よい、呻きが心地よい、苦悩が心地よい、後悔が心地よい、嫉妬が心地よい、怒りが心地よい、嫌悪が心地よい、悲しみが心地よい。



産まれて一年の迷宮は、どこまでも捻じれた、女好きなのだ。



劣勢に立たされた女好きな迷宮はこう思う。



『どれ、嫁を増やすか』と







「貴方にタツマは殺させない!」



今、もみじの目にはタツマの体に馬乗りになったカヤが、棍でタツマの喉を押しつぶそうとしているのが見えている。


もみじは自分の過ちに気が付いた。幻覚がタツマだけに襲いかかるだろうと、タカを括っていた。



「須田さん!」


「ツンツン頭君!」


「タツマ君!」



後衛のもみじ、ウィリス、イリアが、それぞれの呼び方でタツマの名を呼んだ。



-急いでカヤさんと同調しなければ!-


カエデの幻覚を破るために、タツマに合わせていたチューニングを今度はカヤに合わせていく。夢魔の技でうつつを見せれば、カヤはすぐに止まるはずだった。



カヤとの同調を始めていたもみじの脇腹に強烈な痛みが迸る。もみじの体がくの字に折れると、3m程はじき飛ばされた。



攻撃の予兆には気付くこともできなかった。

完全な死角から放たれた一撃は、もみじのすぐ後ろからの打撃だったのだから。

ぶちりと意識が千切れる寸前、もみじは自分を攻撃した者の正体を視界の隅に捉えた。

魔槍を横薙ぎに振りぬいたウィリスがいた。無表情で、目だけを怒りと敵意に染めながら、もみじを見ていた。


ほとんど消えた意識の中で、カエデは自分の更なる過ちに気がついた。



操られていたのは、カヤだけではないという事に。







アイアンは必死だった。



魚里高校の中では最高の筋力を誇るアイアンが、小柄なカエデを押さえつけることに必死だった。決死のピンフォールに全神経を集中していた。


カエデは強い。細身の体の一体何処にそんな力があるのか想像もつかないが、アイアンの筋力すら凌いでいた。全体重と意地をかけたプレスで、ようやくアイアンはカエデを押さえ込んでいた。

カヤがタツマに襲いかかった姿はアイアンも視界の隅にとらえていたし、驚かなかった訳ではない。タツマの方へと駆け寄るべきかと、一瞬考えた。



しかし、自分はカエデを抑え続けることだけに集中するべきだと思い直した。

今、カエデを手放してしまえば、二度とカエデを抑えこむチャンスなど巡ってこないだろう。

今、カエデを手放してしまえばみんなが殺されてしまうだろう。みんなを守る為には自分はカエデを抑え続けるしかない。



自分の手が届かぬ場所には、チームメイトがいてくれる。

タツマは自分の仲間が救ってくれる筈だと、チームメイトを信じた。

絶対に放さぬと、絶対に仲間を守ると、絶対に仲間が守ってくれると、アイアンは信じた。



ドンッと、なにかが弾けた。



背中が焼きつくされるような衝撃を受けた。

物理ではない、魔法である。それも今まで喰らったことのない、あり得ない威力の魔法だった。

物理耐性には絶対の自信を持つアイアンも、魔法耐性までは絶対ではない。

皆を守っていたはずアイアンの背中に、何者かが攻撃を加えていた。



「タ、タツマ君を放してぇ!!」



それはアイアンが信じていた、チームメイトの光魔法だった。


予想外の攻撃と痛みにアイアンの腕が緩む。カエデが嗤ったのがアイアンのぐらりと揺れる視界に映った。

ぐるんと視界が回る。投げられたのだと思った時には、どうしようもない。


アイアンの体が頭からコンクリートに叩きつけられた。







「てめぇら!? 一体何を!!」



バーンは愚直な男だ。故に突発な事態や絡め手には弱い。


予想外の事態がほぼ3つ同時に巻き起こった事にバーンは呆けた。カエデがすぐ側にいるというのに、ウィリスやイリアの方を振り返ってしまった。

目の前に自由になったカエデがいるにも関わらず、バーンは目を離してしまった。



アイアンを巴投の要領で投げ飛ばしたカエデは、グルンと裏返って大地に四つん這いになると、その体勢から、まるで獣のように跳んだ。

高い跳躍から生まれた刺すようなハイキックが、無様にも余所見をしていたバーンの後頭部を襲う。

バーンは何をされたのかも気づかぬ内に、白目をむいて、地に伏した。








「(カヤ! やめろ!!)」


叫ぼうとしたが言葉にはならない。圧迫された喉からは声が出ない。声どころか呼吸すらもできない。

カヤにマウントを取られ、両手に持った棍で喉を押しつぶされているタツマには、言葉を放つことが出来なかった。



-ゴリッ-



喉仏から音が立つ。窒息以前に、喉が、首の骨が潰されるだろう。


溺れる者が助けを求める様に両手をカヤに向かって伸ばすが、カヤがその手を取ることはない。代わりに棍を一層強く、タツマの喉に押し付ける。



「カヤ! やめろ!!」



タツマの代わりに叫んだのは、頼りになる親友だった。


急転する戦況と、裏切りの連続の中で、真っ先に動きだしたのはイクアラだった。


驚くよりも、迷うよりも、イクアラには大事なことがあったのだから。



タツマは絶対に殺させない。



ましてやカヤには絶対に殺させない。



カヤが幻覚で操られているであろうことは走りながら理解した。



親友を殺そうとするもう一人の親友の後ろ姿にまっすぐにかけた。


カヤに向かって飛び込むと、カヤともつれ合いながら転がって行く。


まるで先程カヤがタツマに飛びかかって行った時のように。


転がって、絡み合って、今度はイクアラがカヤを押さえ込んだ。



「カヤ! 目を覚ませ! あれはタツマだ! お前の大事なタツマだ!」



「放せ! 放せェッ!! タツマが! 大事なタツマがッ!」」



天狗の激情。カヤの顔が怒りで真っ赤に染まっていた。マウントポジションを取るイクアラに対し、怒気と殺気を飛ばしている。

敵も味方も、タツマもイクアラも解っていない。これはだめだと、イクアラは思った。



「タツマ! カヤはこちらで抑えておく! お前は…」



お前は速く迷宮の心臓を!


そう言おうとして、舌を噛んだ。


長い舌先が千切れる程に噛んだ。イクアラの頭上から槌のように振り下ろされてきた氷塊に、頭を上から潰され舌を噛んだ。

「ゲゥッ」という音だけが口から漏れた。



「放せぇえッ!」



仰向けのまま、カヤが棍でイクアラを打つ。不利な体勢から、しかし、怒りを乗せた一撃に、イクアラはぐらりとよろめいた。



最後にパンッという音がすると、イクアラの鱗が肩口からはじけた。


イリアの光魔法がトドメとなった。イクアラは完全に沈黙し、地に崩れた。



「イクアラァアッ!!」



イクアラと引き換えに、声を取り戻したタツマが叫ぶ。



「タツマは私が守るッ!!」



我を取り戻せないカヤが叫ぶ。



カヤはイクアラには目もくれず、一直線に敵へと襲いかかる。自分の目に映る敵を。

赤い魔棍が真っ直ぐに伸ばされる。タツマが黒い神剣で受け流そうとする。



棍と短剣の二つが交わると、タツマとカヤの戦いが始まった。








「カヤッ! 幻覚だ! 目を覚ませ!」



「タツマの声でッ! 私を惑わすな!」



タツマの声はカヤには届かない。タツマの頭を狙った横薙ぎの一撃を、タツマは短剣で何とか凌ぐ。

タツマが狙うのは迷宮の心臓。しかしカヤは体を盾にして、タツマの進路を塞ぎ続ける。

カヤを無力化することも、抜き去ることも出来ず、タツマは窮していた。



タツマとカヤはこれまでに何度も手合わせしている。これまでタツマが最も多く手合わせをして来た相手が目の前のカヤなのだから。カヤの動きの癖も、戦いの組み立てもタツマは理解している筈だった。

足ではカヤにはかなわないが、互いに武器を持った手合わせに関して言えば、タツマの方に分があるはずだった。



しかし今、タツマはカヤに押されていた。

カヤは自分が知っているどのカヤよりも強かった。

タツマがカヤの本当の強さを知らなかったのも仕方がない。

タツマの為に戦っている時のカヤが、一番強いカヤなのだから。



「もたもたすんなやぁ!! タツマ!!」



金太の激が飛ぶ。



タツマの窮状など金太は知ったことではない。カヤが恐ろしく強い事や、タツマがカヤを傷つけまいと戦っていることなど知ったことではない。



今の金太はそれどころではないのだから。

早く迷宮の心臓にトドメを刺してくれ。そう祈りながら、カエデをたった一人で食い止めていたのだから。



「(シャレにならん!)」



一撃一撃の必殺を、金太は命ギリギリで躱し続ける。

薙刀を匕首で受け、蹴りを体を捻って避け続ける。


自分から攻撃しようなどとは思いもつかない。躱すことだけで限界だった。

躱すことに関しては魚里一の技術を持つ金太が、逃げに専念して、ようやく命をつないでいた。


一撃一撃が恐ろしく速く、一秒一秒が恐ろしく長い。息を吸う余裕もない。

欠乏する酸素と共に、集中力と精神力がみるみると削ぎ落とされていく。



金太は格上の相手と真正面からぶつかったような経験はほとんど無い。

組手でも、魔物相手でも、ダンジョン競技を通じた対戦相手でもだ。

要領よく、ぬらりくらりと生きて、美味しい所だけ掠め取っていく。それが彼の信条だったのだから。

そんな金太の生き様は、相手が格下ばかりだったからできたことである。



「(なんで! なんでワシは!)」



金太は今、後悔していた。



「(なんでワシはこんなトコに付いて来てしもたんじゃあ!)」



周りに乗せられて、付いていくと言ってしまった過去の自分に愚痴をこぼしたかったが、泣き言すらも口に出せない。

カエデの連撃が速すぎるのだ。


リーチの長い薙刀を、曲芸のように自在に操る。

ボスモンスターとしての身体能力に、生前のカエデの卓越した技能が合わさり、武神の如き強さを金太に見せつけていた。



「(何でワシはあん時逃げ出さんかったんじゃあ!)」



格好をつけずに一人で屋上から逃げ出せばよかったと、金太は思うが、後の祭りである。

過去の自分に、呪詛は届かない。



鉄をも切り裂く薙刀の連撃が金太の体を襲い続ける。

それでもヤマトの魔剣は壊れない。カエデの薙刀の一撃を防いで、防いで、防ぎきって、使い手である金太を守り続けていた。


しかし、持ち主の金太はそうは行かない。腕は軋み、足は震え、心臓は悲鳴を上げ、心は削られていく。



「(なんで、なんでワシはッ!!)」



カエデの渾身の振り下ろしを、匕首で受けながら金太は三度後悔した。過去の自分を呪った。



「(なんでワシは! もっと練習せんかったんじゃッ!!)」



かろうじて薙刀を受けきったものの、金太は大きく体勢を崩された。カエデの体が独楽のように回る。

次は後ろ回し蹴りが来る。そう解っていても体が動かない、ついていかない。



カエデの踵が迫る。金太は、走馬灯のようなものを見た気がした。



最後に脳に浮かんだ光景は、何度も練習をサボり、袋いっぱいの菓子パンや饅頭やらを頬張っていた自分の姿だった。



「(アホンダラァー!!!)」



蹴り上げられた金太は、ボールのように高く空に舞った。







金太の体が屋上の端の方までゴロゴロと転がっていくのを、タツマは視界の隅で見た。



今、立っているのは男一人と女が4人。



女達の敵はタツマ一人となっていた。






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