第26話 愚直と卑劣
目の覚めるような一発とは、こういうことを言うのだろう。
幻覚に踊らされ、死の予感に誘われていたタツマ達の目が、覚める。
バーンの拳は巨大で、小柄なカエデの顔程はある。
赤い拳が、巨大なハンマーを振り下ろすような一撃が、カエデの頭部をしっかりと捉えていた。
グシャリという音と、ゴキリという音がほぼ同時に響く。カエデの頭部が肉と骨を散らし、頭を支えていた首の骨が異様な曲がり方をした。
「(やべえ!)」
そう、バーンは思った。
狼化したバーンの筋力は通常時の3倍。加えて強化されたバーンの一撃に呼応するように、ヤマトの魔装がこれまで以上のポテンシャルを引き出していた。
自分の拳の想像以上の破壊力に、本当にカエデを殺してしまったと、バーンは焦った。
顔が弾け首の骨が折られては、いくら不死身でも死んでしまうのではないか。
しかしそれはバーンの杞憂となる。『絶対にしなないから』カエデの言葉は正しかった。
「(やべえ…ッ!)」
と、バーンは思った。
振りぬいた筈の拳がいきなり押し戻され始めた。砕いて飛び散った肉と頬がみるみると再生されていく。
ゴキリと折った筈の首が、もう一度ゴキリといって元に戻る。バーンの拳の向こう、カエデの黄色く怒った目が、バーンを捉える。
強烈な殺気を込めてバーンを睨みつけていた。渾身の一撃が、まるで効いていなかった。
不死身。
その言葉の意味をバーンは初めて知った。タフだとか、回復とか、そういう次元の話ではない。攻撃したという事実が、殺したという事実が無効化されのだ。
これではいくら攻撃しても意味が無い。
アキレウスやジークフリート、神話に残る不死身の英雄達の正体を、バーンは知った。
『長引けば誰かが死ぬわ、速攻で決めなさい』
カエデの言葉を思い出す。
「(やべえぇえ!!!!)」
どうするか、どうするべきか。不死身の化け物相手にどう戦うべきか。
『よく見て、よく考えなさい』
バーンが一年生の頃、カエデにいつも言われていた言葉だ。
カエデが死んで一年以上経っても、バーンにはピンと来なかった言葉である。
「全部殴って全部やっつけちまえばいいだろうが」そう考えていたし、それを実践してきたのがバーンという男である。
「(どうする!? どうすりゃあいい!?)」
相手には拳が効かない。どうやっても倒せない。自分の武器は拳だけ。
渾身の右ストレートが、これ以上ない会心の右が効かないのだ。そんな相手にどう対処しろというのか。バーンにとっての最強である右が無意味な相手に。
刹那の時間の中で、考えて、考えて、バーンは結論を出した。
「(左だッ!)」
バーンの結論は左の拳。
バーンの右を押し返し、怒りのままにバーンに襲いかかろうとしていた魔物のこめかみを今度は左の拳が撃ちぬいた。
綺麗に決まったワン・ツーの左。
しかし、バーンの拳は効いてはいない。弾けたこめかみが瞬時に復元されていく。
カエデに自分の拳はやはり効かない。右だろうが左だろうが関係ない。
よく見て、よく考えた結果、結論を出した。
(ならば、ラッシュだッ!)
考えた結果、バーンは愚直に前にでた。
ワン・ツーの後は再びの右。
最初の一撃と同じ軌道を辿った右は、カエデの硬い頬に阻まれた。今度は頬を潰すことも、首の骨を折ることも叶わない。
一撃目で砕いた筈のカエデの頬は角質化して復元し、黒い鱗のようになっていた。
アンデッドの肉体は、不死身どころか耐性まで付くらしい。
これでは何発殴っても同じ事である。同じであるどころか、殴れば殴る程不利になる。
(関係ねえッ! ラッシュだッ!!)
もう一度、放たれた左。
しかしカエデは狼化したバーンよりも遥かに速い。
バーンの4発目の拳をかいくぐると、バーンの無防備な懐に潜り込み、みぞおちを膝で蹴り上げた。
口から胃が飛び出る程の衝撃をバーンは受けた。
硬いし、重いし、速いし、巧い。狼化したバーンよりも遥かに強い。
仮にカエデが不死身でなくとも、殴り合いでは絶対に勝てないと、バーンは悟った。
(だからッ、ラッシュだッ!!!)
口からこみ上げる胃液で喉を焼き付けながら。バーンは三度目の右を放つ。
会心の膝を受けた後にバーンがさらに前に出るなど、カエデは思っても見なかったのだろう。バーンの拳がカエデのボディーを芯で捉えた。小柄なカエデの体が浮き上がった。
バーンがやるべきことは、殴り続けること。『よく見て、よく考えた』バーンの結論である。
やはりバーンの一撃はカエデには効かない。
カエデの体を浮かび上がらせる程の一撃も、カエデを後退させる事しかできていない。逆に、バーンにはカエデの一撃は効いている。先程のボディーへの一撃により、遅れて来た胃液が口から撒き散らされた。
同時に体が真横から潰される程の痛みを味わった。
体を浮かせた状態で、怒りに顔を歪ませたカエデが崩れた体勢から蹴りを放っていた。恐るべき身体感覚を持つカエデには、体勢の不利有利など関係無かった。カエデの硬い足の甲が、バーンのアバラをボキボキと折る。
(それでもッ、ラッシュだッ!!!)
悲鳴を上げる体に構わず、バーンは左を放つ。単調な攻撃は、カエデに難なくブロックされる。
それでもバーンの決死の拳は、カエデをブロックごと押し切り、足を一歩、後退させた。
バーンの命を燃やすようなラッシュ。カエデにはダメージにはならぬし、カエデの攻撃は一撃一撃が致命傷である。圧倒的な劣勢だった。
しかしバーンは、前に出る。
反吐を吐き、長い狼の舌を口から垂らしながら、バーンは叫ぶ。何度目かの右を繰り出しながら、バーンはその名を呼んだ。
「タァアツマァアア!!!!」
バーンの愚直なラッシュは、カエデを3歩左に追いやった。
前に前にでるバーンの背中越し。今、タツマの目の前に、迷宮の心臓までの真っ直ぐな道が開かれていた。
バーンが『よく見て、よく考えて』出した結論だった。
カエデは自分には倒せない。だから自分の役目は道を開くこと。迷宮の心臓をタツマの神剣が穿けば自分たちの勝ちだ。
迷宮の心臓までの距離はおよそ15m。タツマの足なら2秒でイケる。
たった2秒、ラッシュでカエデを封じ込めれば、自分たちの勝ちだ。
意志を受け取る。顔を上げてタツマは駆ける。バーンの広い背中を抜きさって、タツマは迷宮の心臓を目指す。
同時に、全員が一斉に動き出す。
真っ先に駆け出したタツマに、カヤとイクアラと金太の三人が続く。
カエデが怒る。サイレンを尖らせたような叫び声を上げる。
タツマ達にとっての目標が迷宮の心臓であるように、カエデにとっての絶対も、迷宮の心臓である。行かねばならない。タツマを止めねばならない。
何に変えても、迷宮の心臓を守らねばならない。
しかしバーンのラッシュがそれをさせない。殴っても、蹴っても、バーンは前に前に出てくる。
まずはコイツを殺して、あの男を追わねばならない。
そのように、カエデは思ったに違いない。
カエデの意識と殺気がバーンに集中する。
カエデの渾身の槍のような貫手が既に死に体のバーンに向けて放たれた。
「ォオオオッ!!」
横槍が入る。腕に薙刀が刺さったまま。アイアンがカエデに向けてタックルをした。
がっちりと掴んだカエデの胴。決して離さぬと、両手で抱きしめて、コンクリートの上に押し倒す。
400キロを超えるアイアンの肉体が、カエデの体を上から抑えつけ、封じ込める。
地に押しつぶされたまま、カエデはタツマを見る。
タツマは既にトップスピードに乗っていた。迷宮の心臓までの距離は残り、7m。
追走していたカヤとイクアラ、そして金太がカエデの方へと振り返る。
絶対にタツマにはたどり着かせないと、三人でカエデの進路を塞ぐ。
カエデが夢魔の幻覚を放つ。
アイアンに掴まれ、バーンのラッシュに乱され、カヤ達に進路を塞がれたカエデは、タツマを追うことができない。
それが故の、幻覚である。
迷宮の心臓に向かってまっすぐに突撃するタツマ。その目前に巨大な炎の壁が上がった。獄炎だった。全てを焼き尽くすであろう黒い地獄の炎がタツマの進路をぐるりと塞ぐ。
「(燃えてしまう!)」
と、タツマは思った。幻覚だなどと言う考えは微塵も起きなかった。熱もあれば音もある。タツマにとってそれは本物の炎だった。巨大な炎を前に足が緩みかけた、急制動しかけた。
「(燃えてもいい!)」
しかしタツマは止まらない。
体が燃え尽きる前に、突き刺してやる。死んでもいいから、迷宮の心臓を滅ぼしてやると、
そう覚悟を決めた。
タツマは速度を緩めずに炎の中に飛び込む。
そして、炎に飛び込んだ瞬間に炎が消えた。視界が二重になる。もみじの感覚同調だと分かった。
-須田さん! 幻覚は全て私が防ぎます! 前へッ!-
もみじが感覚同調をタツマだけと行った。一人が相手であるならば、もみじの感覚同調は速やかに発動し、且つ、長く持続する。
タツマに全てを託す為に、もみじはタツマだけと感覚を合わせた。動きを封じられたカエデは、タツマだけを幻覚で攻撃するだろうと、そうもみじは判断したからだ。
幻覚はもう効かない。タツマは駆ける。
迷宮の心臓に向けて、絶対に斬るという思いを込めて。
15m走のゴールにあるのは、警報を上げるように鳴動する迷宮の心臓。
タツマは迷宮の心臓に向けて両手で神剣を構える。走りこんだ勢いそのままに迷宮の心臓を貫くつもりだった。
絶対に貫く、絶対に滅ぼす、その願いと意志を込めた。
『長引けば誰かが死ぬわ、速攻で決めなさい』
本物のカエデの、注文通りの速攻劇。
タツマの神剣が、迷宮の心臓へと吸い込まれていく。
誰もが勝利を確信した。
しかし迷宮は、タツマ達が思っているよりも狡猾だった。
偽物のカエデは、本物のカエデが想像していた以上に卑劣だった。
-ドンッ-
神剣の刃が迷宮の心臓を貫く寸前で、タツマは後ろから何者かに弾き飛ばされた。
凄まじい勢いとスピードを乗せた渾身のタックルが、タツマの体をゴロゴロと斜めに弾き飛ばす。
自分にタックルした何者かと絡み合いながら、タツマは転がっていく、眼と鼻の先にあったはずの迷宮の心臓が遠ざかっていく。
何者かが、タツマに馬乗りになった。
両手に持った棍でタツマの首を押さえつけると、叫んだ
「貴方にタツマは殺させないッ!!」
タツマの動きを止めたのは魚里高校最速の少女。
幻覚に支配されたカヤには、迷宮の心臓がタツマの心臓に、タツマの姿がカエデに見えていた。
卑劣な迷宮はカヤの恋心を盾にして、タツマの足を止めていた。