第22話 きれいな部屋
―トットット―
軽快な足取りでイリアが前を走っている。たまに振り向いてタツマと目が合うと、嬉しそうに再び前を向いて走り出す。
タツマとイリア、二人の距離はおよそ2,5mで保たれている。
オルタの髪が適度にたわんだ状態で、タツマとイリアをしっかりとつないでいる。
完璧だった。
攻略のスピードが一気に上がった。
もみじの索敵と、カヤの牽制、アイアンのブロック、そしてイリアの魔法。
光魔法を浴びた魔物たちが次々と魔石に変わっていく。
覚醒した魚里のエース、イリア。しかしそれを操っているのはタツマである。
イリアはただ、従順だった。
タツマの指示通り魔物に魔法を浴びせていく。
苦手な連携プレイも、タツマが上手くイリアを操る事でクリアしていった。
イリアの舵取りをしながら、タツマの手は震えていた。
「(これは…)」
新たなる発見。新しい感覚。沸き上がる興奮
「(これは…、これなら!)」
思わず叫び出してしまいそうになったが、迷宮攻略中であることを考慮して、心のなかだけで歓喜の声を上げる。
「(この戦法なら、甲子園も……、絶対に穫れるッ!!!)」
「タツマ、お願いだから公式戦ではコレ、やめてよね」
風坊カヤ。伊達にタツマに3年も恋していない。タツマが考えていることならば大概わかる
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二階への階段を登ったタツマ達は、通路を右に向かって進んでいる。バーン達と合流する為だ。
バーン達に何事も無ければ、向こうもタツマ達の方へと向かってきているに違いない。
きっとすぐに合流できるだろう。最初はそう思っていた。
「またこれか!」
タツマ達の目の前には、再びあの大きな歯が道を塞いでいた。一階のトラップのちょうど真上に当たる部分。そこにも一階と同じ現象が起こっていた。
「これも多分、奥までずっと続いているわね。本当に趣味が悪いわ」
通路を隙間なく埋める歯に、カヤが不快感を露わにした。ぬらぬらと光る歯が忌々しい。これでは右側の通路には回り込めない。
「上へ、行きましょう。……同じ事かもしれませんが」
もみじの予感はあたっていた。三階の通路も同じように歯のトラップによって埋められていた。一階で発動したデストラップは、律儀に全ての階で発生しているようだった。
バーン達を襲ったデストラップ。掛かった得物を噛み砕くだけではなく、分断することも目的のトラップだったのかもしれない。
「くそっ! この歯をなんとかしないと!」
「4階に行きましょう。姉さんなら、あの歯の解除方法も知っていると思います」
バーン達と合流してからカエデに会いに行く予定だったタツマ達。しかし今、バーン達と合流するためにもカエデに会いに行く。
順番は逆になったが、やるべきことは変わらない。タツマ達は4階への階段を登っていった。
4階
カエデが入院していた循環器科の階層である。
「あれー、風船がおらんよー」
4階には魔物はいなかった。
「私が来た時もそうでした。姉さんと、あの鬼の蛇以外には魔物は一匹も」
4階全てが、カエデの為の階層なのかもしれない。タツマ達はガランとした廊下を歩いて行く。
「私が来たときは、手術室の前の廊下に姉さんはいました。今もいるかどうかはわかりませんが…」
タツマ達は灰色の病院を歩いて行く、閑散とした無機質な通路は、ゴミも瓦礫も落ちてはおらず、さっぱりとした空間だった。
「なんというか、小奇麗ですねえ。他と比べて」
「ああ見えても姉さん、きれい好きでしたから」
タツマの呑気な感想に、もみじは懐かしそうに薄く笑った。
「…カエデさん。いませんね」
手術室の前にカエデの姿はなかった。
「中に入ってみましょう。姉さんの気配はありませんが…」
タツマ達は慎重に手術室の中へと踏み込む。
ぽっかりと広い空間だった。損傷と風化が激しい病院内で、手術室だけは時が止まったように綺麗だった。真っ白なタイルが壁を覆っている。蛍光灯も生きており、白い室内を一層白く染めていた。
「あー、ベッドがあるんじゃねえ」
催眠状態のイリアが、ベッドと称した物は手術台だった。
いや、イリアの言うとおりベッドなのかもしれない。枕と毛布がある。ビニール製の無機質な枕と薄い毛布が畳んで乗せられていた。
手術台は幅狭で細長く、固そうで、寝心地は悪そうだった。
「ここが、カエデさんの部屋……、なのかしら?」
カヤが疑問に思うのも無理は無い。手術室にはほぼ、何もなかった。
部屋というには余りにも殺風景なものだ。椅子やテーブルすらも無い。唯一あった家具らしきものといえば、鉄パイプでコの字型を作っただけの洋服掛けだった。
パイプにはライトグリーンの手術衣が、ハンガーで並んで吊るされていた。
手術衣の内の一つにバッサリと胸の部分と、肩の部分が切り取られた物があった。
タツマはふと気になって、それを手に取ってみた。
「あの日、姉さんが着てた物ですね」
言われて初めて気がついた。ナイロン製の手術衣は、カエデが着ていたワンピースに近い形と色をしている。形と色だけであるが。
タツマの記憶のワンピースは、柔らかで、明るい光沢のある、肩のところにリボンがついた夏らしいワンピースだった。同じものだとは、思えなかった。
ワンピースの正体を知ってしまったことに奇妙な罪悪感を覚えた。見てはならない物を見てしまった気がした。タツマは黙って、手術衣を元に戻した。
清潔な手術衣に、タツマの手の汚れがついてしまったのがはっきりと見えた。
「手術室って、シャワーまでついているのね」
カヤが手術室の奥にあるシャワー室を覗いている。
水があるのであれば手を洗いたい。これ以上、きれいな部屋を汚したくない。
洗面所の蛇口を捻ってみたが、水は一滴もでなかった。シャワーの蛇口も同じだった。
その代わり、水の入ったポリタンクがいくつも並べられていた。20リットルのポリタンクが20個ほど並んで積まれていた。並の量ではなかった。
「どこからか、ここまで水を運んできていたんでしょうか」
「姉さん、きれい好きでしたから」
もみじは先程と同じ台詞を、今度は苦しそうに言った。
シャワー質の隅には、タツマのコンビニでうっているボディーソープやシャンプー、リンスなどがあった。ここで洗濯も行っているのだろう。洗剤や、漂白剤までもあった。
洗面所には、洗顔フォームや、歯ブラシ、歯磨き粉や、香水などがきれいに並べられている。
カエデが成年向け雑誌に紛れて、何度か生活用品を買い足していたことを思い出す。
「少しでもきれいな体で、会いに行きたかったのだと思います」
誰に、とはタツマでも分かる。胸がぎりりと締め付けられた。
手術室は完全に空振りだった。カエデもいなければ、ヒントになるような物も無かった。
次に手術までカエデが過ごしていたという病室に行って見たものの、病室からして存在しなかった。
病室であった空間は、冷え固まった溶岩のような物質に全てが覆われて、潰されていた。
カエデの私物も、迷宮の産声の日に飲み込まれてしまったのだろう。カエデがあの手術衣のワンピースしか持っていなかった理由も理解できた。
「姉さん。何処に行ったのでしょう‥」
4階の全ての部屋を見て回ったが、どこにも、誰もいなかった。
病室は全て迷宮に押し潰されている。魔物もいなければ、何もない。本当に何もない場所だった。
「まるで、空っぽの冷蔵庫みたい…」
カヤの言葉に、タツマは頷くだけで同意する。夏だというのに4階は冷たかった。
こんな冷たく寂しい場所に住んでいるのかと思った。
カエデの冷たい頬を思い出す。
タツマの事を夏みたいだと言った言葉。触れて欲しいと言った言葉を思い出すと、胸がまた、締め付けられた。
歩く。
空っぽの空間に靴跡だけが響いていく。
エレベーターホールを通り過ぎようとした時に、タツマはふと、疑問を持った。
「…あれ? H階ってどういう意味でしょうか?」
搬入用の巨大エレベーター。その1から7迄並んでいる数字の一番右端に、Hというアルファベートがあった。Hの文字が、オレンジ色のランプで浮かび上がっている。
地下を表すBというアルファベートならよく見る文字ではあるが、Hという表記はタツマは初めて見た。
「ヘリポートの事だと思います。この病院は緊急患者を受け入れるために、屋上にヘリポートがあったんです」
「ああ、そういう事でしたか‥」
何か違和感を感じつつも、そこを通り過ぎようとした。
「待ってタツマ! 可怪しいわ、Hにランプがついてるもの! 搬入用エレベーターは一階にあったはずよ!」
カヤの言葉で、違和感の正体に気付く。
「……そうか! あの後、エレベーターはもう一度使われたんだ! そして今、エレベーターは屋上にある!」
「鍵は姉さんが持っている筈です! 姉さんは屋上に行ったんです! …でも、一体何のために…?」
もみじの疑問に答えられる者はいない。だが、進むべき場所は決まった。タツマ達は再び階段へと向かう。カエデがいるであろう屋上へと向かうために。
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「これで、屋上だぁ!!」
バーンが屋上への鉄の扉を蹴破った。
バーンは今、返り血と自分の血で体を真っ赤に染めていた。
バーンだけではない。イクアラも金太も、後衛のウィリスさえも体を真っ赤に染めていた。魔力が残り少ないのだろう。ウィリスは既にヴァルキューレの槍に装備を変更していた。
タツマが4階を散策していた頃、バーン達は屋上へと向かっていた。
当初は屋上へは向かうつもりなど無かった。
一階の魔物の猛攻を何とか凌ぎ切った後、バーン達はタツマ達と合流するために上階へと向かうことにした。
しかし、歯のトラップは病院の階層全てを塞いでいた。
忌々しい歯に向かって何度も拳を振るったが、破壊することは不可能だった。病院の窓ガラスも、有機質な文様の黒い鉄のような塊に置き換えられており窓から抜け出すことも出来なかった。
イクアラが言った。
「屋上まで行きましょう。あのトラップも空までは塞げないでしょう。屋上から回り込めば左側の通路まで抜けられるはずです」
遠回りにはなるが、それがもっとも正しい選択だろうと全員が賛同した。
バーン達はタツマ達と合流するために、上へ上へと向かった。
3階、4階、5階、6階、7階。階層が上がるにつれて魔物が強くなっていくのが分かった。
階段での戦いは熾烈を極めていった。ついに屋上への階段に辿り着いた時には、バーン達4人は、満身創痍であった。それでもどうにかたどり着いた。
屋上へと躍り出たバーンとウィリスを、不意に、聞き知った声が出迎えた。
「久しぶりね、バーン、ウィリス」
バーンとウィリス、二人にとって泣き出したいほど懐かしい声だった。記憶のままの声だった。
記憶のままの彼女が、記憶のままの笑顔でバーン達を出迎えてくれる。
「ボス部屋へ、ようこそ」