第20話 合流に向けて
タツマが目を覚ました時には、3つの声が泣いていた。
一つ目は、タツマの手に絡み付いているオルタのシクシクというすすり泣き。
二つ目は、タツマの頭を膝枕しているカヤの耐えるような微かな嗚咽。
そして三つ目が、タツマから離れた場所、部屋の隅で膝で頭を抱えながらう゛ーう゛ーと唸っている、イリアのくぐもった泣き声であった。
「魔物は?」
タツマの声と共に、オルタとカヤの泣き声がやんだ。
返答の代わりにカヤにギュッと頭を抱きしめられた。何が起こったのかは解らなかったが、「わるかった」という言葉が、タツマの口から自然に生まれた。
「お体の具合は如何ですか? 本当に、この度はご迷惑をお掛けしました」
「あれ、もみじ先輩? 檻は?」
万十もみじがタツマに深々とあたまを下げる。もみじは既に檻の中ではなく、地に二つの足で立っていた。
腐肉と血のシミで赤黒く色の変わった袴姿ではあるが、顔や髪の毛だけは綺麗に拭きあげられている。
もみじの顔は、やはりカエデによく似ていた。
「魔物も檻も、アイアン先輩が…」
アイアンの巨体はすぐに見つかった。壁にもたれかかっていたアイアンが、タツマの方にぐっと親指を突き上げた。
魔物の姿はどこにもなく、こじ開けられた檻だけがエレベーターホールに残されていた。
あの相当に強かった魔物を一人で倒したのだろうか。アイアンの鉄の体には、外傷など見当たらない。「流石はアイアン先輩だ」とタツマは思った。
実は既にオルタの治療を受けていて、壁にもたれかからなければ立っているのも辛い事などは、タツマは知らない。
「その…、みなさん。本当にご迷惑をおかけしました。謝っても済まされることじゃない思いますが……、私なんかのせいで、みなさんが死ぬほどの目に……」
そう言ってもみじがもう一度頭を下げる。真面目な性格なのだろう。下げた頭をあげようとはしない。悔いているのだろう、その肩は僅かに震えていた。
「おまえのせいじゃない、おまえのためだ」
寡黙なアイアンが口を開いた。もみじは頭を上げぬまま、水滴がポツリと床を濡らした。
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「……これで、トラップは解除出来たと思います」
タツマ達はエントランスホールへと戻ってきていた。受付カウンターの台の上に昇ったもみじが、鉄格子ごしに薙刀の柄で、ケルベロスの銅像の頭をぐるりと後ろに回した。
「すごいですね、俺たち全然気づきませんでしたよ」
「トラップの見分け方は姉さんに厳しく教えられていましたから。3は選択の数字です。3という数字を見たらまず疑えと、姉さんはいつも言っていました。必ずどこかに罠が隠されているからと」
タツマはふと、カエデに下着を選ばされたことを思い出した。赤い下着、黒い下着、それとも…という三択を。
あれは確かに罠だった。そんな、くだらない事を思い出した。
「正解はエレベーターだけ、でもエレベーターの鍵はカエデさんが持っている。正解なんて最初からなかったのね」
「姉さんは多分、帰れって言っていたのかもしれません」
カヤの言葉に、もみじは控えめにそう答えた。
搬入用のエレベーターは使えなかった。鍵を回さぬと電源が付かぬ仕様であるエレベーター。鬼蛇ももみじも、鍵は持っていなかった。
鍵付きのエレベーターという物は、入る為には鍵が必要であるが、出る分には問題はない。
カエデはもみじと鬼蛇をエレベーターに放り込んだ後、扉が閉まる寸前に「二度と来ちゃ駄目よ、今度は殺すから」と、もみじに言い残したそうだ。
あるいはあの鬼蛇は、カエデの命令でもみじを迷宮の外まで連れだそうとしていたのではないだろうか。
もしもタツマ達があの鬼蛇に出会わなければ、もみじは無事、迷宮の外へと送り出されて、全てが丸く収まっていたのではないか。
そんな事を考えて、その考えを打ち払うように頭を降った。
丸く収まってなどいない。カエデが一人で尖った運命を引き受けているだけだ。丸く収まっているように見えるだけだ。
もみじだけではなく、カエデも救わなければ、迷宮に入った意味などない。
「トラップゾーンを越えれば魔物の住処になります。私は幻影でやり過ごしていただけですが、相当に強い魔物達だと感じました。気を付けて進まないと……」
「ええ。早くバーン先輩たちと合流しないと、私達だけでは限界があるわ」
カヤの言葉は正しい。オルタの回復魔法で限界まで治療したとはいえ、タツマもアイアンも満身創痍である。二人共強情故にその様を表に出すようなマネはしないが、歩いているのも辛い筈だ。回復手が一人もいないバーン達も心配である。
「その……、バーン先輩たちを見付けた後に……」
もみじが何かを言いかけて、やめた。
それ以上は言えなかった。ここまで皆に迷惑をかけておいて、それ以上の願いは言えなかった。開きかけた口を、きゅっと結んだ。
「はい! カエデさんに会いに行きましょう!」
もみじが言いかけてやめた言葉は、タツマの口から元気よく放たれた。もみじは目を見開いてタツマを見た。
「俺達はもみじさんとカエデさんを助けに来たんです。もう一度、一緒に会いに行きましょう、カエデさんに」
タツマの力強い言葉に、もみじが「はい」と掠れた声で頷いて、顔を上げた。
両の目から涙をこぼしているのが、今度ははっきりと見えた。
トラップゾーンを抜ければ魔物の巣窟である。
「右から来ます!」
もみじの声にタツマ達は構える。
右手の扉がドンと開かれると、中から複数の魔物が襲いかかってきた。
最初は医療器具を体中から生やしたバケモノだった。
巨大なメスや鋏、ピンセットといった金属を体中から生やした肉塊であった。ハリネズミのようでもあり、ウニのようでもあり、形容しがたい醜い姿の魔物である。
アイアンは怯むこと無く魔物の突進を受け止める。メスも鋏も、アイアンの体にぶつかって高い金属音を立てただけだった。
そのまま魔物を両手で掴むとドンッと地面にたたきつける。
両手を槌の形にして二度・三度・四度振るった。魔物の肉も金属もグチャグチャに潰れていった。
アイアンが一匹目の魔物と格闘している間に、カヤとタツマに二体目の魔物が襲いかかっていた。
二体目の魔物は鬼である。体のいたるところにチューブやボトルが取り付けられており、鬼のフランケンシュタインといった様相だった。
鬼蛇程の大きさもプレッシャーもないが、3mに近い大物の魔物であった。
鬼のフランケンシュタインは両手を前に突き出し、体を低くしながら突進してくる。
力はあるが、知能は低いようだ。低くした頭は格好の的となる。
タツマが下から跳ね上げるようにオルタを振るった。カウンター気味のアッパーカットに、鬼の頭が小気味よい音を立てて上を向いた。
タツマの攻撃から殆ど間をおかず、カヤの全力の棍の一撃が魔物の頭を今度は後ろから打ちのめした。魔棍の強力な一撃に煽られ、鬼に誰もいない壁に頭から突っ込んだ。
突進を脇に引くことで躱していたタツマ。タツマの目の前には今、無防備な首筋が曝け出されていた。タツマはすかさず、短剣で首筋を薙いだ。
肩から頭へとつながっていたチューブの束を半分ほど切り落とした。まるで血しぶきのように、チューブから体液が勢い良く迸る。
半分だけつながった首を、反対側からカヤが棍でもう一度打った。首が弾け、頭がぶらりと落ちると、魔物はようやく魔石になった。
三体目の魔物の接近には、タツマ達は気づいていなかった。
「二人共下がって!」
もみじの警告の声で、タツマ達は上から降ってきた何かを躱した。
百目鬼のスライムとでも言うべきか。石油のような黒い液状の体に、目がいくつも浮かんでいた。そしてスライムの癖に素早かった。最初の一撃を躱したタツマに向かって、間を置くこと無く跳ねた。
二度目の攻撃も、タツマはどうにか横っ飛びで交わす。
三度目の追撃を覚悟していたタツマではあったが、魔物の動きが突然止まった。何かを探すように、ぎょろぎょろと大量の目を動かし始めた。
「アイアン先輩! 今です!」
動かぬ標的をアイアンが床ごと踏みつぶした。魔物はもみじの幻影の術でタツマ達を見失っていた。ぶちぶちと何かが潰れる嫌な音を立てながら、魔物は魔石に変わった。
魔物たちの第一波の猛攻はどうにか怪我もなく凌ぎ切った。
「くっ……、雑魚モンスターまで相当に強い!」
タツマが舌を巻いた。一匹一匹が強すぎる。今回は連携で上手く凌ぎ切ったものの、もしも魔物の数が増えてしまえば、あるいはタイミングが狂えば一気に窮地へと押し込まれてしまうだろう。
「まさかこんなのが部屋全部にいたりは……、しないわよね?」
「その……、多分ですが、いると思います。反対側の通路も同じでしたから」
カヤの願望をもみじが控えめに否定した。階段まであと70mは残されているだろうか。部屋数は10以上はある。
一気に走り抜けるのは危険である。挟み撃ちにされればひとたまりもない。
「一つ一ついくしかないか、一気にドーンとやれるもんじゃないな…」
タツマは覚悟を決めて言った。
その言葉に、ビクリと小さな影が震えた。
タツマは別に彼女を責めて言った訳ではない。
しかし負い目のある彼女は、自分が責められていると感じてしまった。
鬼蛇との戦い以降、一言も喋らず俯いてついてきていた彼女が、ついに声を上げた。
「…ごめん、ごめん……、みんなごめんじゃけえ、役に立てなくてごめんじゃけえ、エースじゃのに……、エースじゃのに……、役立たずで、ごめんじゃけえ…」
タツマ達の後方で、イリアが泣きじゃくっていた。