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第19話 鉄人




-またこいつか-



バケモノがそう思ったかどうかは定かではない。



-まずはこいつだ-



そう思ったには違いなかった。

上半身をぐるりと反転すると、蛇の下半身でアイアンに絡みつく。

右腕はタツマによって肘の腱が切り裂かれてあり、左腕は未だアイアンに掴まれたまま、封じられている。


しかし、バケモノの最大の武器は健在だった。



鬼蛇は蛇の下半身でアイアンの胴に、二度、三度巻きついた。

蛇の鱗一枚一枚がアイアンの体に突き刺さると、それら全てが蠕動運動を始める。ギリギリと、アイアンの肉体をキツくキツく絞り始める。



蛇のもっとも恐ろしい攻撃、締め付けである。

蛇は獲物を丸呑みする生き物ではあるが、生きたまま飲み込むわけではない。毒や締め付けにより獲物の抵抗を奪った後に、ゆっくりと飲み込んでいくのだ。

そして大蛇の締め付けは、時に毒よりも遥かに恐ろしい。

世界最重の蛇として知られているアナコンダ。アナコンダの締め付けによって産まれるプレスの力は一トンにも迫ると言われている。

羊だろうが、牛だろうが、人間であろうが、アナコンダに締め付けられた得物は、窒息するか、体の骨をバラバラに砕かれ、圧死する。



鬼蛇の胴体は、アナコンダよりも随分長く、遥かに太い。

今、アイアンに加わる圧力は何トンに達しているかも分からない。



『グシャリ』と、金属が音を立てて潰れる音がした。



アイアンの鉄の胸当てだった。ほぼ、防具をつけていないアイアンを守る唯一の防具らしい防具である。

重く分厚く、その分丈夫に作られている胸当てが紙のようにひしゃげた。蛇のバケモノの締め付けは、鉄すらも押し潰した。



「ぉお‥ぉおお…お」



アイアンの口からうめき声を上げる。胸骨がギリギリと絞られ、肺の中の空気が声と共に漏れた。

吐いた分の息を吸い込もうとしているのであろう。アイアンは口をパクパクと動かしていたが、肺が膨らまなければ息も吸えない。その様は、まるで陸に打ち上げられた魚であった。



限界だった。戦闘開始から一度も離さなかった魔物の左手から、アイアンの両手がずるりと、解けた。


鬼の頭が嗤った


アイアンを救おうと魔物に突撃したカヤを、鬼の左手が打ち払う。

邪魔をするなと咆哮を上げた。一度目の咆哮からようやく立ち直ったイリアが、再び気をやられた。


鬼蛇はこれで仕上げだと、一層強くアイアンを締め付ける。


アイアンの肺に残っていた最後の空気が、声と共に押し出されていく。




「おぁあ、あぉ‥あああ…」




まるで子供の泣き声にも似た無様なうめき声が、エレベーターホールに響いた。









「おぁあ、あぉ‥あああ…」



アイアンはその日も泣いていた。

子供の頃のアイアンはいつも泣いていた。

アスファルトの上を泣きながら歩いていた。

大きな体をしゃくりあげながら歩いていた。

熱板のような真夏の地面を裸足で歩いていた。


世間話に興じていた主婦が、一度アイアンの方を見て、嫌そうに顔を歪めた。


「気持ちが悪い」口の形がそう動いた。

大人ほどはある子供が、ランドセルを背負っている。何よりその体の全てが鉄でできているのだ。鼻や口、髪の毛までもが全て鉄であった。

子供のツルリたした肌が、一層気持ち悪さを煽っていた。太陽の光でメタリックに表面が輝いていた。人だとは、生き物だとは思えぬ風体だった。



亜人が闊歩するこの世界においても、アイアンの姿は異様だった。

少数種族であるがゆえに認知度は低い。

父の転勤で今年からヒロシマに越してきたばかりのアイアンを知っている者など、誰もいなかった。

身長170cmを超えるアイアンが、小学校一年生だとは誰も思わなかった。



きっかけは入学式だった。

新しい制服に身を包んだ一年生達の為に並べられたパイプイス。

案内の教師に導かれて皆が席についていった。他の生徒より頭3つ分は大きなアイアンは、そこでもやはり目立っていた。

体の大きい亜人達に混じってもなお、飛び抜けて大きかった。



子供たちも怖がっていたのだろう。

誰一人アイアンに声をかけなかった。友達になろうと思わなかった。最初は誰もアイアンの方を見ようとしなかった。



『グシャリ』という音が体育館に響いた。



そこでようやく子どもたちはアイアンを見た。

アイアンが尻もちをついていた。尻もちの下でパイプ椅子が潰れていた。



誰かが言った。



「デブだ」



二文字の分かりやすい呼び名は、あっという間にクラスに広まった。肥満ではない鋼鉄の体に、言いがかりのアダ名がついたのが始まりであった。

次にウスノロと呼ばれるようになる。こちらは言いがかりではなかった。

最初の体育の時間で行われたかけっこ。アイアンはダントツの最下位だった。


子どもの柔らかい脳は罵倒の言葉もよく覚える。ボキャブラリーは意外に多い。


デブ、ノロマ、ウスノロ、メタボ、ウドの大木、アイアンにはさまざまな呼び名がついた。

教師以外は誰も、アイアンを名前で呼ぼうとしなかった。



それでもアイアンは、何も言い返さなかった。

誰よりも大きな体で、強そうな鉄の体をもつ男の子は、その実誰よりも気弱だった。


言い返す事ができなかった。殴ってやろうなどとは考えもつかなかった。

ただ俯いて、毎日じっと耐えているだけだった

不幸なことに、それが子供達の嗜虐心に火をつけることとなる。

なかなか泣かぬのが、一層子どもたちを煽る。



アイアンを泣かせる事が、クラスみんなの最初の目標になった。



少林寺をならっているという子供が、アイアンの腹を思い切り殴った。

手が大きく腫れ上がって泣いた。殴った方が泣いていた。

弁明しないアイアンが怒られた。周りもアイアンが悪いと言った。



子供はよく学び、発明する生き物である。

殴っては自分たちが痛いだけだと学習したから、別の方法で泣かそうと思った。



画鋲をイスに撒いたら、画鋲の方が潰された。

道で拾ったミミズの死骸を机の中に入れると、無言でゴミ箱に捨てられた。

机の上に「デブ」とか「ウスノロ」という落書きを書いたが、消しゴムで全て消されてしまった。

アイアンは何も言わず、ずっと泣かなかった。



そんなある日、アイアンが声を上げて泣いたのだ。

泣かせたのは豚族の少年だった。入学式の日にアイアンをデブと名づけた少年だった。


彼がやったことはアイアンの上履きをゴミ箱に捨てたこと。体育の時間の後、アイアンは裸足で上履きを探していた。

綺麗だった上履きが、特注の上履きが、ゴミ箱の中でドロドロに汚れて捨てられていたのを見た時に、アイアンは初めて泣いた。



豚族の少年はヒーローになった。



大人ほどに大きく、怖い体を持つアイアンを泣かせた事で、彼はクラスの英雄ヒーローになった。

攻略法が確立された後は、皆がこぞってそれを試していった。

アイアンが泣く度に誰かがヒーローとなった。その度にアイアンの持ち物が汚れたり、どこかへと消えていった。



悪いことをやっているという自覚は子供達にはなかった。

プロの冒険者が、迷宮のアイアンゴーレムを倒す姿をテレビで見て、アイアンを泣かせた自分たちもプロの冒険者になった気がした。

同じクラスの子どもたちにとって、アイアンは魔物であり、人ではなかった。



子供という物は加減を知らない。

その日は、上履きどころか外履きまでもがなかった。

アイアンの鉄の体を支えるための、特注の鉄底の靴。

サンダルのような形の靴である。特注であるために値もそれなりに張る。アイアンが帰ろうとした時には、その靴が何処にもなかった。

砂場に埋められていたことなどはアイアンには知る由もない。



泣きながら家路についた。靴を無くしてしまい、父や母に怒られると思った。

アイアンの家庭はそれほど裕福ではない。入学のときに、父が買ってくれた靴だ。

放課後まで探しても、結局見つけることができなかった。

だからその日は、裸足で歩いて帰っていた。

俯いて、ぼろぼろと涙をこぼしながら歩いていたせいで、アイアンは前を見ていなかった。




-ドンッ!-




思い切り何かにぶつかった。

最初は壁に当たってしまったのだと、そう思った。

次に壊してしまったのではないかと恐々とした。

アイアンの体はよく注意をしていないと、すぐに何かを壊してしまうのだから。あのパイプ椅子の様に。

壁を壊してしまったのではないかと、“べんしょう”という奴をしなければならないのではないかと、そう思って青ざめた。



「‥っつ、なんだぁ? おまえ?」



壁が、喋った。



アイアンは見上げた。壁だと思ったのは、壁のような人だった。

170cmのアイアンが見上げた。大きな、逞しい体が目の前にあった。



「あ゛ぁん?」



ドスの効いた低い声で、大きな壁の人はアイアンを見下ろしている。

セーラー服と、灰色の長い髪で、ようやく女性だと気付いた。

ごつごつとした逞しい女である。女性らしさとは無縁な肉体をしている。

子供でも美人だと思う顔が、体とはアンバランスで歪であった。

その女が、アイアンの体を上から下に舐めるように見下ろした。



「おまえ、その足」



女はアイアンの素足を見る。靴を隠された為に、已む無く裸足で歩いているアイアンの足を。



「裸足で足鍛えてんのか? 足の裏は全ての基本だからなぁ、やるじゃねえか!」



アイアンの涙など気にも留めない、察しの悪い女であった。



「いい体してんなぁ! ひょっとして鉱石族って奴か? 初めて見たぜ!」



勝手にベタベタと体を触られて、アイアンは嫌だと思った。しかし、そんなアイアンの気持ちなど女はお構いなしである。遠慮の無い女であった



「あぁ゛ん? ‥ランドセルって、おめえそのナリで小学生かよ!?」



おまけに気にしてることをズケズケと言う、浅はかな女であった。



「んだよ、まだ小学生かよ…、まぁ、すぐに興業に出すわけもいかねえし、最初にみっちり鍛えりゃあ…」



そう言うと浅はかな女は、浅はかなりに突然何かを考え始めた。手前勝手な女だった。

そして暫く目を瞑って頭を捻っていた後に、唐突にこんなことを言い出した。



「よし! おまえ、プロレスやろうぜ!」



挙句の果てに、出会ったばかりの小学生を興行レスリングの世界に誘うような、非常識な女であった。




・・・・・・・・



・・・・・・・・




「あ゛ぁんっ!? ダメだってどういうことだよ!? オヤジ!!」



アイアンはプレハブの掘っ建て小屋に女に手を引かれてやってきていた。誰かと手をつないで歩くという経験は、母以外では初めてだった。

アイアンを攫うようにどこかへと連れてきた女性は、オヤジと呼ぶ誰かに喰いついていた。

顔は似てはいないが親子なのだろう。やはり、壁のような大男だった。



「ガキにプロレスさせられる訳がねえだろうが! 小学生なんぞどっから攫ってきやがった!」



「いいじゃねえかよ! 今から鍛えりゃあ高校になるころにゃあバッチリ戦力になってるって! どうせ他に誰もいねえんだ。ちょっとぐれえ早く入門させてやってもいいじゃねえかよ!」



女の言葉に、オヤジと呼ばれた人物は頭を左右に振りながら「はーっ」と長い息を吐いた。



「おめえ、あと10年もウチのジムがあると思ってんのかあ? コイツの名札、見てみろや」



女は「あぁん?」言って、アイアンの胸の名札を見た。アイアンの名札には『1ねん4くみ』と書かれていた。





・・・・・・・・



・・・・・・・・





「わるかったなぁ、まさかそのナリで小学校の一年だとは思わなかったぜ」



アイアンは再び女に手を引かれて歩いていた。「帰る道がわかるか?」と訪ねてきた女の父に対し、アイアンは恐る恐る首を横に振った。


「責任持って家まで送ってこい! この馬鹿娘が!」


そう言って娘にアイアンを送らせた。アイアンは健康サンダルを履いていた。女の父親がくれた物だった。断ろうとしたが、詫びだと言って渡された。

アイアンの足は大きかったが、それよりもさらに大きなサンダルだった。



「ウチも瀬戸際でさぁ、ちょっと焦ってたんだよ。練習生も誰もいねえし、オヤジが腰やっちまって以来、興行どころかスパーリングの相手もいねえしさ」



女の言う事は、アイアンには解らなかった。



「アタシがちっさい頃はプロレスもそれなりに人気があったんだけどさ、今じゃどこも閑古鳥さね。ダンジョン競技はあんなに人気あんのにさ。ダンジョン競技が面白くねえとは言わねえけどさ、ケレン味って奴が足りねえんだよ。その点プロレスは……」



相変わらず、一人で勝手に喋る女だった。アイアンはコクコクと頷いていたが、難しい言葉ばかりで本当はよくわかっていなかった。



「つーかおめえ、なんで裸足だったんだ?」



ひと通り好き勝手に喋った後、女はようやくアイアンに裸足の理由を尋ねた。アイアンは「見つからなかった」とだけ答えた。

察しの悪い女は「あぁん?」と首を捻っていたが、察しの悪いなりに、ようやくその結論へと思い至ったようだ。



「おまえ、いじめられてんのか?」



アイアンが足を止めた。頷けなかった。頷いてしまえば、いじめられていることを認めてしまえば、自分の中で何かが崩れ去ってしまう気がした。

子供とは言え、子供だからこそ色々と考えている。ただ、答えがみつからぬだけなのだ。

答えられぬ代わりに、ボロボロと涙が零れた。



「なんでおまえがいじめられるんだ? 殴り返して黙らしちまえばいいだろうが?」



アイアンは泣きながら「壊しちゃうから」と言った。

アイアンはこれまでたくさんのものを壊してきた。食器や玩具、飼っていたハムスター。

アイアンは誰よりも臆病だった。壊してしまうことに臆病だった。

何かに触れる事が怖かった。人と触れる事が怖かった。

誰かと一緒にいる事が怖くて、気がつけばいつも一人だった。一人でいるから無口だった。



女は「ああー」と何かに納得した後、うんうんと頭をひねりだした。

そして何かを思いついたのだろう、切れ長の目をばっと開いた。



「おまえ、アタシの弟子になれよ」



アイアンにはやはり意味がわからなかった。弟子という言葉の意味からわからなかった。



「ジムは駄目でもアタシが弟子にすりゃあいいんだ! そうだ、それでいいじゃねえか! アタシもスパーリング相手が出来て一石二鳥だしな!」



何事か、うんうんと一人で頷いて、納得していた。



「これからアタシの事は師匠とよべ」



師匠という言葉の意味がよくわからなかったから、女が師匠という名前なのだと思った。

だから素直に「ししょう」とよんだ。

呼ばれた女は、満足そうに頷いた。



二人が歩いていたのはオオタ川を越える大きな橋だった。女はアイアンの手を離すと、ガードレールを飛び越して河川敷にひょいっと舞い降りた。



「ここが今日からアタシ達のジムだ!」



女はアイアンを見上げて言った。「かっこいい!」と、アイアンは思った。

後で知ることになるのだが、この時のししょうの年齢は13歳。アイアンの年齢は7歳である。

13歳と7歳の奇妙な師弟関係は、この日に始まった。



アイアンに出来たししょうは、しかし師匠としては三流以下だった。

誰かを鍛えた経験もなければ、相手の事を考えるような思いやりも頭もない。

天才肌の彼女には、不器用なアイアンの苦労は解らなかった。指導らしい指導などできなかった。



それでも、アイアンは楽しかった。

高架下のジムは、アイアンにとっての初めての秘密基地だった。

最初はジム作りから始まった。大きな石を避けて、地面を平らにする。杭を打って、ビニールテープを貼ったらソレらしく見えた。

女がどこからかサンドバッグを拾ってきた。ソファーまでも拾ってきた。大きなタイヤも拾ってきた。

警察に注意を受けるまでは、際限なく何かが増えていった。

その後はただの更地になったが、それでもそこは二人にとってのジムだった。

子供のままごとのようなプロレスごっこが続いた。台風でも来ない限りは、毎日二人はそこで体を動かした。



女はぬりかべの血を引いているらしく、とにかく頑丈だった。

子供とはいえ、体重が150キロを超えていたアイアンの全力のタックルをこともなげに受け止めていた。

壊さぬように、常に何かに怯えて萎縮していたアイアンが、初めて全力でぶつかれる相手を得たことは、革命的な出会いだった。



一年生の夏休みが終わると、アイアンはいじめられなくなっていた。なぜかはアイアンには解らなかった。

河川敷でアイアンとししょうが取っ組み合っている姿を、夏休みにあの豚族の少年が偶然見た結果であることは、アイアンは知らぬことであるし、どうでも良いことである。


豚族の少年には、ししょうは雌のオーガに見えた。トンネルのような高架下で、ししょうの気合の声が魔物の咆哮のようにグワングワンと反響していた。

そんな恐ろしいオーガに素手で立ち向かっていたアイアンに恐れをなした。アイアンが自分に復讐すれば殺されると思った。

子供に道徳を教えるのは難しい事だが、恐怖を教えるのは容易い。いじめはアイアンのあずかり知らぬところであっさりと終わった。

アイアン自身は、復讐とか、見返してやるとか、そんな事は全く考えていなかった。

ただ、ししょうと二人の訓練が楽しかっただけだった。ししょうみたいにかっこ良くなりたいと思っていただけだった。



ある日、ししょうが落ち込んでいた。アイアンが小学3年、ししょうが中学3年の時だ。

とうとうジムが潰れたらしい。中学生以下はリングに昇ることが許されていない興行レスリング。ししょうは一度も、リングに昇ることはなかった。



「プロレスはダンジョン競技にも負けないぐらい面白いのに!」



河川敷の高架下、声を荒らげていたししょうに、やはり潰れるとか、プロレスとか、まだよくわかっていなかったアイアンは言った。



「ダンジョンでプロレスやっちゃだめなの?」



何も分かっていないアイアンの言葉に、ししょうはハッとなると、「それだ!!!」と、叫んだ。

ぼけっとしていたアイアンに駆け寄ると、ガッチリと両手で抱える様に掴み、バックドロップを繰り出した。



ししょうがアイアンの人生を変えたように、アイアンの何気ない一言もししょうの人生を変えてしまった。



「ダンジョンでプロレスやって何が悪いのよ」



アイアンの言葉はししょうの座右の銘になった。



元々ししょうは格闘技の才能に恵まれていた。

魚里高校の冒険者部に入ったとたん、メキメキと頭角を表した。魔物相手に殆ど防具を身につけず、華麗なプロレス技だけで戦う彼女は話題になった。一年から、甲子園にも出場していた。

強いのはもちろん、プレイにも華があった。顔だけは美人であったから、月間高校冒険者の表紙をアップで飾ったこともあった。



高校になって、寮生活になったししょうは高架下のジムには滅多に来なくなった。

それでもアイアンは、毎日欠かさず高架下に行った。一人で訓練を続けていた。

月に二・三度、ぶらりとやって来るししょうに会えるのが楽しみだった。会う度にししょうは強くなっていた。教え方だけはやはり上達してはいなかったが。



力の差はますます開くし、年齢の差も決して埋まることはなかった。



それでもアイアンは、毎日毎日、橋の下の秘密基地のジムに皆勤賞を続けた。



アイアンが中学に上がり、冒険者部に入った時には、ししょうはプロの冒険者になっていた。

在京の強豪冒険者クランにドラフト一位指名を受けていた。

今も、超一流のプロ冒険者として、昔から変わらぬプロレススタイルで、たくさんの観客を魅了し続けている。



ししょうのような輝く才能は、アイアンにはない。

不器用故に技の覚えも悪ければ、重すぎる体故に、足の遅さはいくら鍛錬しても限界があった。

アイアンの取り柄といえばせいぜい丈夫なことと、怪力ぐらいであろう。



高校一年の夏、冒険者として伸び悩むアイアンの元に、プロ冒険者となったししょうがぶらりとやって来た。

その年は師匠もスランプだった。



「おまえブロッカーに専念しろよ。頑丈なだけが取り柄だしな」



ししょうの言葉は、アイアンには絶対であったし、彼女にとっては、唯一で初めての、適切なアドバイスだった。



「ブロッカーになってみんなを守れ。ダンジョン競技は色んな役割があるんだからよ。お前は守りのスペシャリストになるんだ」



アイアンは幾つものことを同時にこなせる器用なタイプではない。守ることに専念する魚里高校最強のブロッカーは、この時に産まれることとなる。


最後にししょうは、去り際に少しだけ振り返ると、らしからぬ、小さな声でこう言った。



「……そいでさ。鉄よりも硬くなって、いつかアタシも守ってくれよ」



その言葉はスランプが産んだ弱気だったのか、それとも何か別の意味があったのか、アイアンには分からない。しかし、アイアンにとっては何よりも守るべき、大事な言葉になった。

ししょうはその日を境にスランプからスルリと抜けだしていた。

テレビ画面越しのししょうは吹っ切れたようにアタッカーとして活躍していた。

アイアンはブロッカーとしてモノになるまで一年かかった。



寮生活になったため、あの高架下にはもう行かなくなったが、アイアンは毎日歩み続けた。

守る力を持つために、ししょうの言葉を守るために、アイアンは練習を一日も休んだことはない。自主練も欠かさない。

超回復だとか、休養日だとか言われても、アイアンにはピンと来ない。


休んでしまえば、自分の遅い足では遅れてしまう気がした。


遅い足でも、一日も休まなければ、守り続ければ、いつかししょうに追いつけるのではないかと信じている。


鉄よりも硬くなって、いつかししょうの隣に立てる日を夢見ている。









アイアンは足掻いていた。蛇の胴体に手をかけて。必死にこじ開けようと、隙間を作って酸素をとりいれようと足掻いていた。

しかし、蛇の締め付ける力は、アイアンの怪力よりも強かった。こじ開けるのはアイアンですら不可能だった。

骨がきしみ、呼吸が封じられて一分近く立っている。



酸素が不足し、朦朧とし始める頭のなかで、ししょうの怒った顔が頭に浮かんだ。



アイアンは今、守れてはいない。


チームメイトもししょうの言葉も守れてはいない。



鉄よりも硬くなってはいない。



蛇の胴体にかけていた手をアイアンは手放した。

こじあける事は諦めた。

その代わりアイアンは手を前に伸ばし、両手で鬼の頭を掴んだ。



自分の丈夫な体を信じ。攻撃に転じた。


自分の体は鉄よりも硬くなれる筈だと、信じた。


鬼の頭を爪が食い込む程にガッシリと掴み、真横にひねり始めた。



自分の力では、蛇の力には勝てないが、鬼の首ならば取れるかもしれない。


鉄よりも硬くなれば、蛇の締め付けにも耐えられるかもしれない。


博打に近い、賭けだった。

但し賭けているのは運にではなく、自分の肉体に。負けた時に支払うのも自分の肉体。



ギリギリと締め付けられている胴体に、骨が軋み、罅がはいる。


それでもアイアンは腕をひねる事をやめない。自分の丈夫な体を信じ、決して動くことをやめようとはしない。

魔物の抵抗は凄まじい。しかし決してアイアンはその手を緩めない。



骨にひびの入る音が聞こえた。

関係ない。

たとえ骨が折れようとも、鉄人は決して休まない。



たとえ骨が砕けても、鉄の心は砕けない。

だから体はきっと、鉄よりも固くなれるはずだ。



アイアンマンが声なき咆哮をあげる。肺に空気が存在しないから叫ぶこともできない。



熱せられた鉄の様に真っ赤に顔を歪めながら、休まず両手を回していく。


魔物の首が90度以上に傾いている。命の危機を感じた魔物が、全ての力でアイアンを締め付ける。



それでもアイアンは止まらない。



目を溢れ落ちそうな程に剥き出し、涎を垂らしながら、どれだけ無様な姿になっても、アイアンはその手を離さない。休むことをしらない。

休まない。

休まない。

何があっても休まない。




骨の砕けた鈍い音が響いた。





砕けたのは魔物の首の骨だった。


締め付けが緩む。息を飲み込むように吸って、吸って、吸った。


体中が悲鳴をあげていた。幾つか骨も折れていた。アドレナリンで忘れていた激しい痛みが一度にアイアンに襲いかかる。



「おぁあ、ああああっ!!」



痛みと勝利の叫びを寡黙な鉄巨人が上げた。唾きを天井に吐きつけながら吠えた。

守り切ったと、吼えた。



気がつけば、足元に大きな青い魔石だけが残されていた。



捻くれた迷宮は、アイアンにドロップアイテムを寄越さなかった。



胸元のへしゃげた鉄の胸当てを見て、アイアンは思う。



「(もう、防具はいらないかな)」






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